週報No.2130 涙の預言エレミヤ書(40)「陶器師の主権」エレミヤ書18:1~11
2018年5月27日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ 眞部 明 牧師
涙の預言エレミヤ書(40)「陶器師の主権」エレミヤ書18:1~11
エレミヤ書18章1~11節
18:1 【主】からエレミヤにあったみことばは、こうである。
18:2 「立って、陶器師の家に下れ。そこで、あなたに、わたしのことばを聞かせよう。」
18:3 私が陶器師の家に下って行くと、ちょうど、彼はろくろで仕事をしているところだった。
18:4 陶器師は、粘土で制作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えた。
18:5 それから、私に次のような【主】のことばがあった。
18:6 「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。──【主】の御告げ──見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。
18:7 わたしが、一つの国、一つの王国について、引き抜き、引き倒し、滅ぼすと語ったその時、
18:8 もし、わたしがわざわいを予告したその民が、悔い改めるなら、わたしは、下そうと思っていたわざわいを思い直す。
18:9 わたしが、一つの国、一つの王国について、建て直し、植えると語ったその時、
18:10 もし、それがわたしの声に聞き従わず、わたしの目の前に悪を行うなら、わたしは、それに与えると言ったしあわせを思い直す。
18:11 さあ、今、ユダの人とエルサレムの住民に言え。『【主】はこう仰せられる。見よ。わたしはあなたがたに対してわざわいを考え、あなたがたを攻める計画を立てている。さあ、おのおの悪の道から立ち返り、あなたがたの行いとわざとを改めよ。』
【新改訳改訂第3版】
<礼拝メッセージの要点>
神の御手は、陶器師の手のように、私の心と生活を粘土のようにこねまわします。それによって、罪を悟らせ、たましいを打ち砕いて、へりくだらせます。
ダビデも、「それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏の日照りでかわききったからです。」(詩篇32:4)と告白しています。
神の御手の圧力は、まわりの様々な状況となってのしかかって、人生をこね上げていくのです。
「私の時は、御手の中にあります。私を敵の手から、また追い迫る者の手から救い出してください。」(詩篇31:15)
また、神の思いには、ご目的があります。私たちの人格の中に、神のご目的が、次第に現われてきます。
神のご目的は、二つあります。
一つは「主は、ご自分の民を愛し、救いをもって貧しい者を飾られる。」(詩篇149:4)です。
「飾られる」は、美しくするという意味です。神の栄光を現わす者にするという意味です。
「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」(コリント第一、6:20)とあるとおりです。
もう一つのご目的は、主の役に立つことです。
「ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」(テモテ第二、2:21)
「陶器師は、粘土で製作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えた。」(エレミヤ18:4)
陶器師は、気に入らないと、その器をこわし、それを陶器師自身の気に入った別の器に自由に造り変えたのです。
ここで示されている隠喩は、
陶器師は、神ご自身であり、
粘土は、私という人であり、
出来てくる器は、主を証しする私の生涯です。
「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。…」(コリント第二、4:7)
「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」(エペソ2:10)
<今週の活用聖句>
エペソ人への手紙2章10節
「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」
<集会案内>
◇5月30日(水)聖別会 午前10時半
聖潔とは何か(3)
「聖書が示す全き救い」
地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421