週報No.2137 涙の預言エレミヤ書(47)「利己的な王」エレミヤ書22:13~17
2018年7月8日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ 眞部 明 牧師
涙の預言エレミヤ書(47)「利己的な王」エレミヤ書22:13~17
エレミヤ書22章13~17節
22:13 「ああ。不義によって自分の家を建て、不正によって自分の高殿を建てる者。隣人をただで働かせて報酬も払わず、
22:14 『私は自分のために、広い家、ゆったりした高殿を建て、それに窓を取りつけ、杉の板でおおい、朱を塗ろう』と言う者。
22:15 あなたは杉の木で競って、王になるのか。あなたの父は飲み食いしたが、公義と正義を行ったではないか。そのとき、彼は幸福だった。
22:16 彼はしいたげられた人、貧しい人の訴えをさばき、そのとき、彼は幸福だった。それが、わたしを知ることではなかったのか。──【主】の御告げ──
22:17 しかし、あなたの目と心とは、自分の利得だけに向けられ、罪のない者の血を流し、しいたげと暴虐を行うだけだ。
【新改訳改訂第3版】
<礼拝メッセージの要点>
「あなたは杉の木で競って、王になるのか。あなたの父は飲み食いしたが、公義と正義を行なったではないか。そのとき、彼は幸福だった。」(エレミヤ書22:15)
神は、しいたげられていた労働者たちに代わって、声を上げられたのです。現代でも、大企業の無給、長時間残業で、社員の人が自殺して、問題になっています。昔も今も、富む者や権力ある者が、弱い者をしいたげることは、少しも変わっていません。エレミヤは、宮殿のデザインや豪華さを断罪したのではなく、彼の取った不正な、奴隷的、強制労働を叱責したのです。
「あなたは杉の木で競って、王になるのか。」は、歴史的にソロモンの宮殿が高い評価を受けていたので、エホヤキムはそれに勝る評判を狙って建てたことを皮肉って、エレミヤは叱責したのです。「あなたは、杉材の宮殿を建てることによって、自分をソロモンに匹敵する王にすることができるのか。」と皮肉ったのです。
これに比べて、彼の父ヨシヤは何とすぐれた道を選んだことでしょうか。彼は、公義と正義をもって治め、神を喜ばせたのです。
「彼はしいたげられた人、貧しい人の訴えをさばき、そのとき、彼は幸福だった。それが、わたしを知ることではなかったのか。-主の御告げ。-」(エレミヤ書22:16)
ヨシヤ王は、しいたげられた人、貧しい人の訴えを正しく、公正にさばきました。エレミヤはこう話して、ヨシヤ王のしたことが、「わたし(神)を知ることではなかったのか。」と、実例を挙げて、心諭すように言っています。
今日、教会でもこのような実際的な例を挙げて、信仰の手ほどきをする指導が必要ではないでしょうか。そのためには、牧師、教師のほうが、日頃から信仰を自分で活用して、信仰経験に熟達しておくことが必要ではないでしょうか。
主を知る真の知識は、地上に豪華な神殿や宮殿を建てることではなく、一人一人の霊魂のうちに、聖霊が満ちて下さり、神の神殿を持つことではありませんか。とかく教会というと、立派な教会堂の建物のことだと思ってしまって、主イエス・キリストとの交わりの尊さを味わっていないのです。
神殿も教会も、牧師のものでも、信者のものでもありません。主イエス・キリストのものです。神の臨在が去ってしまわれたエルサレムの豪華な神殿が崩壊してしまったように、主イエス・キリストのいない、どんな立派な教会堂も恵みがありません。
「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18:19~20)
「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」(コリント第一、3:16)
「新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」(コロサイ3:10)
「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。」(Ⅱペテロ3:18)
これらのみことばにある「知識」とは、キリストの御霊を霊魂の内に宿す、神の神殿を持つことです。この経験を持つことによって、私たちは、心を尽くして主を愛し、自分を愛するように隣人を愛するようになります。キリストの御霊を心に持つことなしに、自分の決心と努力で、神を愛し、隣人を愛しようとしても、できません。神の愛の源泉である、キリストの御霊を持っていないからです。
「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:5)
「父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。」(ヤコブ1:27)
<今週の活用聖句>
ローマ人への手紙5章5節
「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
<集会案内>
◇7月18日(水)聖別会 午前10時半
聖潔とは何か(10)
「教会初期の信仰」
地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421