聖書の探求(114) 民数記21章 燃える蛇と青銅の蛇、エモリ人の王シホンとバシャンの王オグとの戦い

この章はなお、旅路における出来事を示しています。ここでは大きく二つのことが記されています。前半の9節までは、食物についての呟(つぶや)き(呟き5)に対して、主が猛毒の蛇を放たれたこと。そしてその救いの道が示されたこと(燃える蛇と青銅の蛇)。後半はヨルダンの東における戦い(エモリ人の王シホンとバシャンの王オグとの戦い)を記しています。モーセの生涯も戦いの多い生涯でした。

先ず、自分の肉の力と戦い、エジプト人の心の頑なさと戦い、同族イスラエル人の呟(つぶや)きと反逆と戦い、そして外敵、アマレク人、エモリ人、バシャンの勢力との戦い。
こうしてみると、信仰生活は戦いの生活であることが分かります。自分の肉の性質と戦い、この世とサタンとの戦いです。信仰によってこれに勝った者が天の御国に招き入れられるのです。

「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」(ヨハネの黙示録2:10)

1~6節、カナン人アラデ王の攻撃とイスラエルの南下

1~3節、カナン人アラデ王の攻撃

民 21:1 ネゲブに住んでいたカナン人アラデの王は、イスラエルがアタリムの道を進んで来ると聞いて、イスラエルと戦い、その何人かを捕虜として捕らえて行った。

ネゲブのカナン人アラデ王は、20章14~21節の、イスラエル人とエドム人とのやりとりを聞き及んでいたに遠いありません。そこで、アラデ王は先手を打って、攻撃を仕かけて来たのです。そしてイスラエル人を何人か捕虜にしてしまいました。こうして神の民が進んで行こうとすると、右にぶつかり、左にぶつかりして、しばしば妨害や困難を乗り越えていかなければならないのです。しかしこのような妨害や困難は、主に呼ばわらなければならないこと、主に信頼しなければならないことを教えてくれます。

しかし、アラデ王にとっては、約二百万人もの大群衆が自分たちの方に向かって進んで来るのを見れば、非常に恐れるのはもっともなことです。預言者エリシャは召使いに「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」(列王記第二6:16)と言って、主の臨在のほうが、アラムの軍隊よりも多いことを教えたように、主の臨在がある神の民に対しては、この世の人のほうが恐れをなして、先制攻撃を加えてくることがあります。そしてアラデ王が幾分か勝利をおさめたように、神の民に打撃を与えることがあります。

2節、そこで、イスラエルは主に誓願をして祈りました。

民 21:2 そこでイスラエルは【主】に誓願をして言った。「もし、確かにあなたが私の手に、この民を渡してくださるなら、私は彼らの町々を聖絶いたします。」

この願いは主に聞き入れられました。このように主が反逆する民イスラエルの願いを聞き入れられた記録は、四十年のイスラエルの放浪の旅の中では非常に珍しいことです。

民 21:3 【主】はイスラエルの願いを聞き入れ、カナン人を渡されたので、彼らはカナン人と彼らの町々を聖絶した。そしてその所の名をホルマと呼んだ。

このように、何でも、自分勝手な考えで行わずに、主に尋ねて、許可を得て行うのがよいのです。それが勝利の秘訣です。これを稀にではなく、いつも実行したいものです。

4節、そこで、民は葦の海の道を通って、南の方へ回ったようです。

民 21:4 彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中でがまんができなくなり、

すなわちエドムの南の境界線を出発して、アカバ湾の北の先端まで南下し、シナイ山のほうへ戻る距離のほとんど半分を歩いたものと思われます。これは約束の地から遠去かることであり、一度来た道を引き返すようなもので、道も非常に悪かったらしく、このことは心理的にも民の心の中に不満の思いをわき起こさせました。そしてついに民は我慢できなくなり、神とモーセに逆らったのです。

先には勝利を得たのに、ここで再び呟(つぶや)いています。神の民は外敵に強くても、自分の内に巣食っている自己中心の罪に弱いのです。
大抵の教会が、内部で争って敗北しています。クリスチャンの自己中心が潔められることが、教会が真の勝利を得る不可欠の条件です。

5節、民の不満は一挙に炊き出しました。

民 21:5 民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」

ネゲブから更に南への旅は、砂漠や荒野が続く旅であり、それは毎日、飽き飽きするものであり、疲労と空腹が民を相当苦しめたものと思われます。
今日でも教会が幾分か成長してきて、各々が責任を持って行わなければならなくなってくると、不満が出てくるようになるのです。

彼らの不満は、「パンと水がない。」ということにまで及んできました。確かに、エドムの道を通ることができていれば、水もパンも買うことができたし、間もなく、カナンの地に入ることができて、豊かな生活ができると喜んだでしょう。ところがエドム人やカナン人の反対に会って、南の方に逆行しなければならなかったので、彼らの期待は裏切られてしまいました。確かに、アカバ湾をめぐる砂浜や荒野の道には、パンや水が得られる所はありませんでした。しかし主は、彼らに基本的に必要なものは与え続けてくださっていました。しかし彼らは、主が与えてくださったものを、「このみじめな食物」とけなして、「飽き飽きした。」と不満をもらしました。彼らは、主に感謝するはずのところを、不平不満を言って反逆したのです。

これは今日のクリスチャンにもよく見られることです。感謝すべきことに対して、不平を言い、主に逆う人が多いのです。このような者に対しては、主は必ず刑罰を下されます。

6節の、「燃える蛇」は、燃えるような赤い銅色をした蛇か、その蛇にかまれると、燃えるように激しい痛みを伴って死んでしまう猛毒を持つ蛇であったようです。

民 21:6 そこで【主】は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。

主はこれまで、イスラエル人の旅路では、この蛇を捕えて制御しておられたのです。しかし民の不平と不満と反逆の故に、刑罰としてこの蛇を解放されたのです。
私たちは今、何気なく、自由に快適に生活できていることを当り前のことと思ってはいけません。それは主の保護が与えられているから出来ていることであって、神の保護が取り払われるなら、私たちもすぐに、わざわいと困難と惑いの中に陥るのです。このことに気づかず、不平を言い、逆う態度を取るなら、主は必ず、私たちにも毒蛇を放たれるのです。多くのクリスチャンたちが、主の恵みに慣れて、感謝せず、当り前に思って神に逆い、自分勝手な道を選んで、滅んでいます。このことを私たちは十分に心しておかなければなりません。

7~9節、仰ぎ見れば、生きる。

民 21:7 民はモーセのところに来て言った。「私たちは【主】とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、【主】に祈ってください。」モーセは民のために祈った。
21:8 すると、【主】はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」
21:9 モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。

この青銅の蛇の出来事は、旧約聖書中、最も重要なヒナ型の一つです。それはイエス・キリストご自身が、ご自分の十字架をこの青銅の蛇の出来事で説明されたからです。

「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。」(ヨハネ3:14)

この出来事には、救いのための三つの真理が示されています。

第一に、「私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。」(7節)という罪の告白。

第二は、モーセの執り成しの祈り「モーセは民のために祈った。」(7節)

第三は、「それを仰ぎ見れば、生きる。」という信仰の約束。(8節)

民は、罪の結果、激しい痛みと死を経験した時、自らの罪を認めて、救いを求めたのです。
ほとんどの人が地獄の苦しみを経験してから、救いの必要を痛切に感じるのです。しかしそれでは遅すぎます。賢明な人は聖書のことばを通して、また良心の声を通して素直に自ら罪を悟るのです。罪を認めず、頑固に拒み続ける人は、救いようがないのです。苦痛に会う前に、早く、自らの罪を悟って、へりくだり、罪を告白する者は幸いです。

「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。」(箴言28:22)

民はこれまで、何度も主とモーセに対して呟(つぶや)き、反抗し、ある時はモーセを打ち殺そうとさえしました。しかしここでは珍しく、モーセに「どうか蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。」と執り成しの祈りを頼みました。「モーセは民のために祈った。」と記されています。あなたなら、自分を打ち殺そうとした人が、執り成しの祈りを求めて来た時、その人のために祈るでしょうか。

モーセは一度だけ、民に対して怒りを発しましたが、ここでは先に反逆した民のために、再び執り成しの祈りをしています。彼は民を見捨てなかったのです。私たちが救われるのは、真の大祭司であるイエス・キリストの執り成しがあるからです。主イエスは、私たちがどんな人間であろうと、見捨てずに執り成してくださるのです。

「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」(ヨハネ14:18)

何度失敗しても、再び罪を告白して主に立ち帰るなら、主イエスは快く執り成してくださいます。私たちが主から見捨てられる時は、私たちが主を捨ててしまって、主のもとに再び立ち帰らない時です。私たちは自分の力や、自分の功績で救われることはできません。必ず、イエス・キリストの執り成しが必要です。

主は、モーセの祈りに対して、「燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。」と命じられました。この「燃える蛇」とは、火の燃えている蛇のことではありません。ヘブル語で「蛇」は「サラフ」で、それは「燃えるもの」や「光るもの」を意味し、金属的光沢をもった象徴的存在を指しています。そうですから、モーセはこの命令に従って青銅の蛇を作ったとあります。この青銅が今日で言う青銅であったかどうかは分かりませんが、燃えるような光沢を持つ金属でありました。

この青銅の蛇を旗ざおの上につけました。この旗ざおはおそらく各部族のしるしの旗をつける竿であったと思われます。それはどこからでもよく見えるほど長く、これを宿営の上に高く上げ、すべての民はそれを見ることができました。

そして主は、もう一つの命令を加えられました。「すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば生きる。」各人が救われるために、しなければならないことは、この竿の上に上げられた青銅の蛇を仰ぎ見ることだけでした。それは、どこからでも見ることができました。それはどんなに頻死の状態の人にもできることでした。それは瞬時的にすぐにできることでした。しかしそれは、代理人にはできない、個人的な意志の働きが必要でした。ここに信仰による救いの奥義が啓示されています。モーセが作った青銅の蛇に、何か効力があったわけではありません。主は民に信仰を教えるために、それを用いられたのです。しかし、民のうちのある者は、「モーセが作った青銅の蛇を見たくらいで、救われるか」と言って、拒んだでしょう。彼らはそのまま滅んだのです。クリスチャンと言われている人々の中にも、「イエス・キリストを信じても、自分は変わらない。」と思っている人が多いのです。その人は仰ぎ見ない人ですから、決して救われることも、潔められることもありません。

主イエスが、「あなたの信じたとおりになる」(マタイ8:13)と言われたとおりです。

私たちは、自分が信じたとおりにしかならないのです。主イエスは、

「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」(ヨハネ3:14,15)と言われました。私たちが霊的いのち、永遠のいのちを受ける唯一の方法は、主イエスの十字架を信じて受け入れる以外に道はありません。

「わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら救われます。」(ヨハネ10:9)

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)

「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒4:12)

モーセは一つの青銅の蛇を作りましたが、私たちには、イエス・キリストの十字架以外に永遠に生きる道はないのです。モーセが蛇を上げたことは、客観的事実であり、その事実を自分に対するものとして受け入れて信じる時、救いが成立するのです。客観的事実が存在するだけでは、私たちは救われることはできません。主は必ず、私たち個人個人の信仰を要求されます。イエス・キリストが十字架にかかられたことは事実です。そして私たちの信仰はその事実の上に立つわけですが、信仰なしに十字架の事実だけでは、救いは私たちのものとなりません。すなわち、信仰をキリストの上におくという人格的、意志的営みが必要です。

また、この真理には、「毒には毒をもって制す。」という原理が用いられています。燃える蛇の毒による致命的刑罰に対して、青銅の蛇が用いられました。私たちの滅びの刑罰に対しては、イエス・キリストの十字架が用いられました。

「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(ペテロ第一2:24)

ところが、この信仰の真理が空洞化して、宗教が形式化し、儀式化してくると、民は主を礼拝するのではなく、この青銅の蛇自体を礼拝の対象とするようになりました。そこでユダの王ヒゼキヤはこの青銅の蛇を取り除き、粉々に破壊しました(列王記第二18:4)。

Ⅱ列王 18:4 彼は高き所を取り除き、石の柱を打ちこわし、アシェラ像を切り倒し、モーセの作った青銅の蛇を打ち砕いた。そのころまでイスラエル人は、これに香をたいていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。

十字架であれ、聖画であれ、神の真理を象徴したり、表しているものでも、それを礼拝の対象とすると、偶像礼拝になります。中世の教会は、侵入してきたゲルマン系の人々に真理を教えるために多くの聖画を教会堂に掲げましたが、後にそれが礼拝の対象とされ、中世の教会は偶像礼拝へと陥ったのです。

10節~22章1節、ヨルダンの岸に向かっての最後の行進

イスラエル人が宿営した地名は、現在、はっきり確定できないものが多いのです。その全行程の一覧は33章に記されています。ここでは、ホル山からモアブまでの重要な宿営地だけを記しています。

民 21:10 イスラエル人は旅立って、オボテで宿営した。

「オボテ」は「エドムの東にある非常に堅い台地」としてだけ確認されていますが、正確な地は不明です。

民 21:11 彼らはオボテから旅立って、日の上る方、モアブに面した荒野にあるイエ・ハアバリムに宿営した。

「イエ・ハアバリム」は「廃虚の地の側面」という意味の言葉ですが、それ以上のことは分かりません。

民21:12 そこから旅立って、ゼレデの谷に宿営し
民 21:13 さらにそこから旅立って、エモリ人の国境から広がっている荒野にあるアルノン川の向こう側に宿営した。アルノン川がモアブとエモリ人との間の、モアブの国境であるためである。

「ゼレデの谷」は「死海の南端に注ぎ込んでいるゼレデの枯れた谷」です。

そこからモアブ人とエモリ人との間の国境の地のアルノン川の北側に宿営しました。この地域は非常に乾燥した地で、小さい川が出会って合流することですら、記録に残されるほどの所でした。このことは、イスラエル人が飲み水にも困る、生きるか死ぬかの際どい旅を続けていたことが分かります。

14節の「主の戦いの書」は、主がイスラエルを荒野の旅で保護し、無事カナンに導き入れた行為をたたえて記した書で、彼らはこれをよく、民謡として歌いました。

民 21:14 それで、「【主】の戦いの書」にこう言われている。「スパのワヘブとアルノンの谷川とともに、
21:15 谷川の支流は、アルの定住地に達し、モアブの領土をささえている。」

16節で、主は乾燥地帯から「べエル」(井戸の意味)に導かれました。

民 21:16 彼らはそこからベエルに向かった。それは【主】がモーセに、「民を集めよ。わたしが彼らに水を与える」と言われた井戸である。

そこで主はモーセに、水を与えるために民を集めるように命じられました。しかしその井戸はすぐに水を汲んで飲むことができるものではありませんでした。それは17,18節のイスラエルの歌によって分かります。

民 21:17 そのとき、イスラエルはこの歌を歌った。「わきいでよ。井戸。──このために歌え──
21:18 笏をもって、杖をもって、つかさたちがうがち、民の尊き者たちが掘ったその井戸に。」彼らは荒野からマタナに進み、

その井戸の口は砂でおおわれており、笏(しゃく)と杖で民の指導者たちが掘りました。この笏(しゃく)と杖については、二つの考えがあります。一つは笏(しゃく)と杖を道具として掘ったこと、もう一つは笏(しゃく)と杖を持っていた者、すなわち民のリーダーたちの指導のもとに掘ったということです。どちらにしても、やがて地下の水脈にとどいて、水が湧き出ました。主の恵みはいつも、このようにして与えられます。信仰者が自分の信仰を働かせて掘る時、恵みを見い出し、得られるようになります。17,18節を見ると、ずっと乾燥地帯を通ってきた者にとって、一所懸命に掘って水が湧いてきた時、非常に喜んだことでしょう。
そこから、さらに進んでピスガに着きました。

民 21:19 マタナからナハリエルに、ナハリエルからバモテに、
21:20 バモテからモアブの野にある谷に行き、荒地を見おろすピスガの頂に着いた。

ピスガは死海の中に突き出たモアブの高原の中の高い峰の一つか、幾つかの峰を言っていると思われます。ここからはカナンが一望できます。ここでモーセは死にました(申命記34:1、5)。

申 34:1 モーセはモアブの草原からネボ山、エリコに向かい合わせのピスガの頂に登った。【主】は、彼に次の全地方を見せられた。ギルアデをダンまで、

申 34:5 こうして、【主】の命令によって、【主】のしもべモーセは、モアブの地のその所で死んだ。

21節から、もう一つの問題に出会います。エモリ人の王シホンです。

民 21:21 イスラエルはエモリ人の王シホンに使者たちを送って言った。
21:22 「あなたの国を通らせてください。私たちは畑にもぶどう畑にも曲がって入ることをせず、井戸の水も飲みません。あなたの領土を通過するまで、私たちは王の道を通ります。」
21:23 しかし、シホンはイスラエルが自分の領土を通ることを許さなかった。シホンはその民をみな集めて、イスラエルを迎え撃つために荒野に出て来た。そしてヤハツに来て、イスラエルと戦った。
21:24 イスラエルは剣の刃で彼を打ち、その地をアルノンからヤボクまで、アモン人の国境まで占領した。アモン人の国境は堅固だったからである。
21:25 イスラエルはこれらの町々をすべて取った。そしてイスラエルはエモリ人のすべての町々、ヘシュボンとそれに属するすべての村落に住みついた。
21:26 ヘシュボンはエモリ人の王、シホンの町であった。彼はモアブの以前の王と戦って、その手からその全土をアルノンまで取っていた。

イスラエルはこれまで同様、エモリ人の領土の中の公道を通らせてくれるようにエモリ人の王シホンに頼みました。「エモリ人」の名称は、カナンの国々の広範囲な地域を一般的に言う時に用いられました。それはエジプトの時以前はシリヤの住民を示す時に使われていました。しかしシホンの指導のもとにあったエモリ人は、極く最近、パレスチナ北部から移住してきた者たちでした。彼らはモアブ人を征服し、これを占領してアルノンにとどまっていたのです。イスラエルはこのシホンにその道を通過させてくれるように許可を求めました。この道を通れば、すぐにエリコに向かうヨルダンの浅瀬に到達することができました。しかしシホンはイスラエルの求めを拒否して、攻撃しました。イスラエルは戦いの経験は少なかったのですが、主から勇気と力と勝利の確信をいただいて戦い、シホンを打ち破りました。
エモリ人、モアブ人、ミデヤン人、エドム人たちは、その起源をセム人にもち、彼らの系図はアブラハムの父テラからたどることができます。彼らはエサウの子孫やロトの子孫やイシュマエルの子孫だったのです(申命記2:1~25)。しかし彼らは神を畏れない民族になっていました。

申 2:4 民に命じてこう言え。あなたがたは、セイルに住んでいるエサウの子孫、あなたがたの同族の領土内を通ろうとしている。彼らはあなたがたを恐れるであろう。あなたがたは、十分に注意せよ。
2:5 彼らに争いをしかけてはならない。わたしは彼らの地を、足の裏で踏むほども、あなたがたには与えない。わたしはエサウにセイル山を彼の所有地として与えたからである。

申2:18 「あなたは、きょう、モアブの領土、アルを通ろうとしている。
2:19 それで、アモン人に近づくが、彼らに敵対してはならない。彼らに争いをしかけてはならない。あなたには、アモン人の地を所有地としては与えない。ロトの子孫に、それを所有地として与えているからである。

申 2:12 ホリ人は、以前セイルに住んでいたが、エサウの子孫がこれを追い払い、これを根絶やしにして、彼らに代わって住んでいた。ちょうど、イスラエルが【主】の下さった所有の地に対してしたようにである──

27~30節の勝利の歌は、熱狂的です。

27~28節では、モアブがシホンに敗北し、シホンが勝利をおさめて、シホンの町が建てられたこと。

民 21:27 それで、ことわざを唱える者たちが歌っている。「来たれ、ヘシュボンに。シホンの町は建てられ、堅くされている。
21:28 ヘシュボンから火が出、シホンの町から炎が出て、モアブのアルを焼き尽くし、アルノンにそびえる高地を焼き尽くしたからだ。

29節は、モアブの偶像ケモシュの敗北を示しています。彼らが敗北したのは、偶像ケモシュを拝んでいたからです。

民 21:29 モアブよ。おまえはわざわいだ。ケモシュの民よ。おまえは滅びうせる。その息子たちは逃亡者、娘たちは捕らわれの身である。エモリ人の王シホンによって。

しかし30節では、イスラエルの勝利を歌っています。

民 21:30 しかしわれわれは彼らを投げ倒した。ヘシュボンからディボンに至るまで滅びうせた。われわれはノファフまでも荒らし、それはメデバにまで及んだ。」

25、31節、しかしここに、ぼつぼつ、イスラエルの民の中に、神の約束の地にまで入ろうとせず、エモリ人の町々、ヘシュボンの村落に住みつく者が出てきています。

民 21:25 イスラエルはこれらの町々をすべて取った。そしてイスラエルはエモリ人のすべての町々、ヘシュボンとそれに属するすべての村落に住みついた。

民 21:31 こうしてイスラエルはエモリ人の地に住んだ。
21:32 そのとき、モーセはまた人をやって、ヤゼルを探らせ、ついにそれに属する村落を攻め取り、そこにいたエモリ人を追い出した。

ヘシュボンは、「娘たちの町」「母の町」と呼ばれ、豊かな町でしたから、ここに腰を下してしまったのです。これは、信仰を最後まで全うしようとしない者たちの危険を示しています。この時点ではまだ大きく問題にされていませんが、やがてこのことは民全体の問題となってくるのです。

次に、33節、バシャンの王オグが攻撃してきました。

民 21:33 さらに彼らは進んでバシャンへの道を上って行ったが、バシャンの王オグはそのすべての民とともに出て来た。彼らを迎え撃ち、エデレイで戦うためであった。

彼もまた強敵です。彼は巨人の部類にはいる人でした。さらにバシャンの勇士はバシャンの雄牛として有名であり、彼らは難攻不落の町々を持っていました。しかし主は彼らもイスラエルの手に渡されました(34節)。

民 21:34 しかし、【主】はモーセに言われた。「彼を恐れてはならない。わたしは彼とそのすべての民とその地とをあなたの手のうちに与えた。あなたがヘシュボンに住んでいたエモリ人の王シホンに対して行ったように、彼に対しても行え。」
21:35 そこで彼らは彼とその子らとそのすべての民とを打ち殺し、ひとりの生存者も残さなかった。こうして彼らはその地を占領した。

信仰をもって主に従うなら、何一つ恐れるものはなく、強敵もみな乗り越えられるものです。

「エデレイ」はガリラヤ湖の東にあり、オグの支配はここにまで及んでいました。後にルベン、ガド、マナセの半部族が、オグのこの地を自分たちの嗣業(しぎょう)として取ろうとしたのは、この戦いの時に、この地を見ていたからです。

22章1節、そしていよいよ、エリコを対岸にのぞむ、モアブの草原、ヨルダンの低地に到着したのです。

民 22:1 イスラエル人はさらに進んで、ヨルダンのエリコをのぞむ対岸のモアブの草原に宿営した。

ここは主が約束された乳と蜜の流れる地の最初の前菜的味わいでした。長い砂漠の旅を続けてきた民にとって、この地は大きな祝福のしるしとなったのです。信仰は厳しい地を通り続けても、必ず祝福の地に到着することができます。しかしそれは最後まで信仰の歩みを続けることによってです。
イスラエルの民は途中で何度も信仰の歩みを中断し、多くの者たちがそこで滅んでいったことは、私たちへの警告として受け留めなければなりません。

あとがき

近年、私の所に相当数の信徒の方と牧師の方々から、聖書の釈義や教理、説教の内容、教会をどう導いていけばいいのかという相談が寄せられています。その中で、特に気になっていますことは、牧師がどれくらい聖書を正確に知った上で、説教や指導をしておられるのだろうか、という不安です。安易な教会成長を求めたり、根拠が正確でない他人の話の受け売りだったり、牧師個人の感情の爆発だったり、とにかく、牧師自身が聖書によって十分に養われ、霊の奥義にまで到達しないで、表面的なことを受け売りで話しているのではないかという強い懸念を覚えています。
聖書をしっかり身につけることは、牧師であっても決して容易なことではありません。しかし、牧師がじっくりと聖書を解き明かすことに取り組み始めたら、信徒の聖書に対する態度も変わってきます。説教学や説教の技術よりも前に、聖書から味わいが流れ出るような、みことばの解き明かしに取り組んでいただきたいものです。私もまだ、不十分ですが。

(まなべあきら 1993.9.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の絵は、スペインの画家、Esteban March (1610 – 1668) によって描かれた「Moses and the Brazen Serpent(モーセと青銅の蛇)」(Fundación Banco Santander蔵、Wikimedia Commonsより)


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