聖書の探求(115) 民数記22章2~7節 イスラエルを恐れるモアブの王バラク

22~24章は、バラクとバラムの一連の記事を記しており、25章は、そのことの民への影響と神の審判を記しています。

22章、バラクの二回にわたる招待

22:41~24章 バラクの詛(そ)の試み。(詛の意味はのろい)

第一回、バモテ・バアルで(22:41)23:1~12 中心聖句23:9

民 22:41 朝になると、バラクはバラムを連れ出し、彼をバモテ・バアルに上らせた。バラムはそこからイスラエルの民の一部を見ることができた。

民 23:9 岩山の頂から私はこれを見、丘の上から私はこれを見つめる。見よ。この民はひとり離れて住み、おのれを諸国の民の一つと認めない。

第二回、セデ・ツォフィムのピスガの頂(23:14)23:13~26 中心聖句23:21

民 23:14 バラクはバラムを、セデ・ツォフィムのピスガの頂に連れて行き、そこで七つの祭壇を築き、それぞれの祭壇の上で雄牛と雄羊とを一頭ずつささげた。

民 23:21 ヤコブの中に不法を見いださず、イスラエルの中にわざわいを見ない。彼らの神、【主】は彼らとともにおり、王をたたえる声が彼らの中にある。

第三回、荒地を見おろすペオルの頂上(23:28)23:27~24:9 中心聖句24:5

民 23:28 バラクはバラムを荒地を見おろすペオルの頂上に連れて行った。

民 24:5 なんと美しいことよ。ヤコブよ、あなたの天幕は。イスラエルよ、あなたの住まいは。

第四回、第三回と同じ場所 24:10~24(バラクの怒りとバラムの歌) 中心聖句24:17

民 24:17 私は見る。しかし今ではない。私は見つめる。しかし間近ではない。ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。

24:25~25章 民の堕落と神の審判

22:2~7節、バラクの恐怖と策略

民 22:2 さてツィポルの子バラクは、イスラエルがエモリ人に行ったすべてのことを見た。
22:3 モアブはイスラエルの民が多数であったので非常に恐れた。それでモアブはイスラエル人に恐怖をいだいた。
22:4 そこでモアブはミデヤンの長老たちに言った。「今、この集団は、牛が野の青草をなめ尽くすように、私たちの回りのすべてのものをなめ尽くそうとしている。」ツィポルの子バラクは当時、モアブの王であった。
22:5 そこで彼は、同族の国にあるユーフラテス河畔のペトルにいるベオルの子バラムを招こうとして使者たちを遣わして、言わせた。「今ここに、一つの民がエジプトから出て来ている。今や、彼らは地の面をおおって、私のすぐそばにとどまっている。
22:6 どうかいま来て、私のためにこの民をのろってもらいたい。この民は私より強い。そうしてくれれば、たぶん私は彼らを打って、この地から追い出すことができよう。私は、あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれることを知っている。」
22:7 占いに通じているモアブの長老たちとミデヤンの長老たちとは、バラムのところに行き、彼にバラクのことづけを告げた。

ここに記されているバラクの策略は、クリスチャンと教会が信仰生活の中で必ず、何度か経験する策略です。敵は正面からの攻撃に失敗すると、逆の策略をはかるのです。サタンは主イエスの降誕の時、ヘロデを用いて殺そうとして失敗したので、主が公生涯に入られる前に荒野で誘惑して堕落させようとしました。それにも失敗すると、弟子の一人イスカリオテのユダを用いて、主を絶望に陥れようとしました。サタンは外からの攻撃に失敗すると、信者、教会、キリストの弟子の中に入って、反乱を起こさせようとします。この時、彼は最も熱心で模範的な信者をねらいます。

ここに出てくる預言者バラムは、主の弟子ペテロとよく似ていて、一見、熱心な信仰者のように見えますが、中味は優柔不断で、他人の影響を受けやすい性格の持ち主でした。彼は才能の豊かな人でしたが、人は才能だけではいけない。神への忠実さが必要です。才能は悪魔に利用されることが多いのです。彼の性質は卑劣でした。彼は一見、無欲に見せながら、モアブの王バラクの差し出した報酬に心の目がくらんでいたのです。聖書の三人の記者は神の霊感によって、バラムの性質に次のような断定を下しています。

ペテロは、
「彼らは正しい道を捨ててさまよっています。不義の報酬を愛したベオルの子バラムの道に従ったのです。しかしバラムは自分の罪をとがめられました。ものを言うことのないろばが、人間の声でものを言い、この預言者の気違いざたをはばんだのです。」(ペテロ第二2:15,16)

「忌まわしいことです。彼らは、カインの道を行き、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのようにそむいて滅びました。」(ユダ書11)

「しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行なわせた。」(ヨハネの黙示録2:14)

バラムは尊敬されるべき優れた才能を与えられていながら、それを悪用し、良心を悪化させて麻痺し、私利私欲に溺れていました。
優れた才能があることは悪くない。人から仰がれる地位にあることも悪くない。しかしその人は十分に気をつけたほうがいい。なぜなら、その才能と地位があなたと、あなたの影響を受ける者たちを地獄に陥いれるワナとなる危険が大きいからです。私たちは必要以上に才能や地位を求めないほうがいい。

バラムは野心から、神の民をのろうようにとのバラクの依頼をきっぱりと拒まず、口では「たといバラクが私に銀や金の満ちた彼の家をくれても、・・・」と言いながら、心の中ではバラクの報酬を期待し、むさぼっていたのです。この世の人は皆、同じことをしています。その結果、ワナに陥るのです。バラムは表面的には、建前の上では、バラクの申し出に従わなかったように見せかけていますが、間隙をねらって、イスラエルの腐敗を図りました。すなわち、イスラエル人をモアブの偶像の前で行われていた淫蕩な儀式に参加するように計らい、モアブの娘たちとみだらなことを行わせたのです。バラムのこの極悪な謀略はイスラエルに悲哀と惨害を与えたのです。彼は悲劇を与えたイスラエルの民の剣によって殺されました(民数記31:8)。

民 31:8 彼らはその殺した者たちのほかに、ミデヤンの王たち、エビ、レケム、ツル、フル、レバの五人のミデヤンの王たちを殺した。彼らはベオルの子バラムを剣で殺した。

彼は優れた才能と地位を持っていたにも関わらず、義人として死ぬことができず、愚か者として滅んだのです。それは、彼が富に目がくらみ、神の民を陥いれようとたくらんだからです。
私たちに必要なのは、才能よりも地位よりも、主に忠実なことです。これに代わるものはありません。

結果から言うと、バラクとバラムはサタンの手玉にとられて働いたのですが、そのサタンの策略は失敗に終わりました。しかし不思議なことが一つあります。それは、主はバラムの腹黒さ、裏表のある心の中を知っていながら、なぜ、バラムに教えたり、語られたりされたのか、ということです。主イエスも、イスカリオテのユダが裏切り者であることをご存知でありながら、弟子として、友として扱っておられますが、それはなぜなのでしょうか。

その答えの一つは、悔い改めのチャンスを最後まで与えられたということでしょう。
しかしもう一つは、神のご計画はだれが妨害しても、必ず実現されることを示されるためであったと思われます。ここではサタンはバラクとバラムを用いて、神の民イスラエルが神の約束の地に入って、神の約束が成就することを妨害しようとしました。主イエスに対しても、主が十字架を通って救い主になられることを妨害しました。ご降誕の時には、へロデを使って主の命をねらい、荒野では悪魔自身が主を誘惑することを試み、ピリポ・カイザリヤでは、ペテロを使って、人情がらみで迫り、十字架の直前ではイスカリオテのユダの裏切りを使って、主を絶望に追い込もうとしました。しかしどれも成功しなかったのです。

今、サタンはキリストの福音が全世界に広がることを妨害することに全力を尽くしています。特に、この日本にキリストの福音が広がることを非常に恐れています。もし日本人の心に福音が深く浸透し、広がっていくなら、それが世界に及ばす影響は測り知れないからです。それ故、サタンは日本を物質的に富ませ、日本人の心をキリストの福音からそらせ、無関心にさせているのです。しかし私たちは日本人の心をサタンのまやかしの眠りから呼び醒まさなければなりません。そのために私たちは微力でも、日々に全力を尽したいのです。サタンは強い、しかし全能ではない。彼は飽きやすい性質です。私たちは全能の神を信じています。そして忍耐強く祈り、福音を伝えていくなら、必ず大勝利の日を迎えることができます。

2,3節、モアブの王バラクが、イスラエルを恐れたのには、二つの理由がありました。

民 22:2 さてツィポルの子バラクは、イスラエルがエモリ人に行ったすべてのことを見た。
22:3 モアブはイスラエルの民が多数であったので非常に恐れた。それでモアブはイスラエル人に恐怖をいだいた。

一つは、イスラエルがエモリ人に対して勝利をおさめていたからです。もう一つは、イスラエルの民の数が多かったからです。
キリストの教会が段々、盛んになり、人数も増えてくると、サタンもだまっていません。必ず、愚かな才能のある権力者などを使って、妨害を始めます。このことを恐れてはなりません。
中国の共産主義者たちは、旧ソ連と東欧の共産主義の崩壊を見て、共産主義の崩壊の後に来るものはキリスト教だと思って、キリスト教を危険視して、迫害を強めています。彼らは自分たちの運命を悟っているのです。

そこで、モアブの王バラクは、自分ひとりではなく、ミデヤンの長老たちに話をもちかけて、共謀しました。当時、モアブとミデヤンは同盟国でした。今日でも、世界の国々は、自国の富を守ろうとして、同盟国を増やそうとしています。しかしどんな同盟関係もその貧欲の故に破れてしまうのです。

モアブ人は、イスラエルが天幕を張っていた場所のすぐ南の、死海の東方に定住していました。ミデヤン人は、アラビアの砂漠を放浪していた民で、バラクはモアブ人でしたが、ミデヤンの血筋を受けていたものと思われます。しかし、バラクの恐れは不必要なものでした。モアブはカナンの地の中に住んでおらず、滅ぼされる対象とはなっていなかったからです。しかしバラクはバシャンやオグのように滅ばされたくないと思って、先手を打ったのです。

彼はペオルの子バラムを雇い入れようとしました。バラムについては、詳しいことは分かりませんが、彼はイスラエル人ではないけれども、23~24章では、主から直接の啓示を受けていますから、主の預言者であったということができるでしょう。しかし彼が受けていた光は、モーセたちよりずっと少なく、イスラエルがどのような民であるかも大雑把にしか知らなかったのです。このバラムの姿は、教会に出席し始めた求道者といった感じの人ですので、彼を厳しく信仰面から責めるのは適当でないかもしれませんが、主の民をのろうことに組みすることは、明らかに罪であり、バラムの優柔不断な態度の結果、イスラエルに大きなわざわいが起きたことも事実です。後に、彼は主からさばきを受けることになってしまったのです。

モアブの王バラクは、この求道者ともいうべきバラムに大きな力があると思い込んでいました。それは、この世の人が、教会に行っている人をみな、すぐれた聖徒と見ているのと同じです。しかし聖書は、バラムが大きな力を持っていたと言っていないし、バラム自身も、「自分は、主が祝される人を祝福し、主がのろわれる人をのろうことができるだけだ」と言っているに過ぎません。

キリスト教会は、これまで概して外部からの攻撃には強かったのですが、バラムのように内部から、預言者の形をとって、求道者の姿をして、信者の姿をとって、汚れとのろいが忍び込んでくる時、キリスト教会はもろくもくずれてしまいました。これは歴史上、今日も繰り返されていることです。これは、人の思いの自己中心、欲、わがまま、怠惰、逃避など、聖霊とみことばと、信仰と献身の中心からずれ始める時、必ず、教会の中にいつでも忍び込んでくる腐敗です。これによって教会は何度も暗黒時代を迎え、不平、嘆き、言い争う民が生まれてきたのです。これははっきりと取り除き、みことばと聖霊の潔めに導かなければなりません。バラムは教会の腐敗の火種となるのです。
(続く)

あとがき

私たちは、みことばを通して与えられる聖霊の力を経験する必要があります。聖霊がみことばを用いて与えてくださる力こそ、健全な力、あらゆる困難にも勝たせてくださる力です。この経験が神経験です。このことができるように指導していくと、家庭でも、学校でも、職場でも、あかしができる生活ができるようになってきます。しかし今日、教会の中では形式的、儀式的になったり、もう一方では、みことばから離れた感情的な高揚や神秘主義がはびこっています。このことは、みことばに精通することを好まないクリスチャンが多いことでもはっきりしています。
みことばと聖霊が結び合って力を現し始める時、私たちはどんな困難にも打ち負かされない底力のあるキリストの証人となることができ、この日本にキリストの福音を浸透させることができます。日本人の偏見と無知、無関心を打ち破る力は、みことばと聖霊の結合にあるのです。
(まなべあきら 1993.10.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の絵は、1890年に出版された”Holman Bible”の挿絵「Balaam receiving Balak’s messengers(バラクの使者たちを受け入れるバラム)」(Wikimedia Commonsより)


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