聖書の探求(136) 申命記4章 15~31節 偶像礼拝の禁止、主はあわれみの神

15~24節、偶像礼拝の禁止

申命記は、モーセの回想記で満ちています。それらは大きく四つに分類されます。

第一は、エジプトにおける主のみわざと、シナイへの旅に関するもの(4:34)

第二は、シナイでの律法の賦与に関するもの

第三は、ホレブからカデシュへの旅に関するもの(8:1)

第四は、最後の二年間の出来事に関するもの(23:4)

このうち、第二のものは、4、5、9、11章の大部分を占めています。これらは、契約、十戒、シナイでの雹(ひょう)と火、金の子牛、民のためのモーセの執り成し、十戒の再賦与(ふよ)、レビ人の聖別に言及しています。

そして4章15~24節では、重ねて偶像礼拝の禁止が強調されています。

モーセは、15節と23節で、「十分に気をつけなさい。」と民に警告しています。

申 4:15 あなたがたは十分に気をつけなさい。【主】がホレブで火の中からあなたがたに話しかけられた日に、あなたがたは何の姿も見なかったからである。

4:23 気をつけて、あなたがたの神、【主】があなたがたと結ばれた契約を忘れることのないようにしなさい。あなたの神、【主】の命令にそむいて、どんな形の彫像をも造ることのないようにしなさい。

モーセは、道に迷いやすい、若い世代の民に向かって話しているのです。この時のイスラエルの民のほとんどの者が、シナイの荒野の旅の間に生まれた者たちで、比較的若い人々が多かったものと思われます。モーセは、正しい健全な信仰が、次の世代、次の世代へと継承されていくことを、強く望んでいたのです。

このことは、私たちも切に望んでいることですが、それにはまず、今の私たちが正しい、健全な、しかも堅固な信仰を持って、実際上の生活を通して模範を示していく必要があります。また信仰が実際生活で活用できるように教えていかなければなりません(4:9、6:17、11:19、24:8、31:19)

申 4:9 ただ、あなたは、ひたすら慎み、用心深くありなさい。あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間、それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。あなたはそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい。

申 6:17 あなたがたの神、【主】の命令、主が命じられたさとしとおきてを忠実に守らなければならない。

申 11:19 それをあなたがたの子どもたちに教えなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、それを唱えるように。

申 24:8 ツァラアトの患部には気をつけて、すべてレビ人の祭司が教えるとおりによく守り行わなければならない。私が彼らに命じたとおりに、それを守り行わなければならない。

申 31:19 今、次の歌を書きしるし、それをイスラエル人に教え、彼らの口にそれを置け。この歌をイスラエル人に対するわたしのあかしとするためである。

「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。」(ヨハネ13:15)

「私がキリストに見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。」(コリント第一11:1)

「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。」(ペテロ第一5:2,3)

15節は12節の繰り返しです。

申 4:12 【主】は火の中から、あなたがたに語られた。あなたがたはことばの声を聞いたが、御姿は見なかった。御声だけであった。

申 4:15 あなたがたは十分に気をつけなさい。【主】がホレブで火の中からあなたがたに話しかけられた日に、あなたがたは何の姿も見なかったからである。

ここにある「火の中から語られた主」は、主の権威と尊厳を示しており、それはご自分の民に絶対服従を求める臨在のあかしでした。しかし、主は、ご自分の姿としては、何ら目に見える姿も示されませんでした。これは主が霊であられることを示しています。それ故、礼拝者も、霊とまことをもって礼拝すべきであり、決して偶像を作ったり、礼拝してはならないことの理由とされています。

しかし現代人の社会では、有形、無形の偶像が無数にはびこってしまいました。それは教会の中にも、クリスチャンの心の中にも侵入してきています。結局、人は、神を中心にした生活をするか、金(物質的富)を中心にした生活をするか、のどちらかを選んでしまっています。

「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6:24)

「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなけれぽなりません。」(ヨハネ4:23,24)

この世の生き方が教会に侵入しているなら、神の民が何故に、この世の罪の生活から救い出されたのかを、十分に理解していないことになります。

「それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。」(ペテロ第一2:24)

「キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖(あがな)い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。」(テトス2:14)

イスラエル人がエジプトの奴隷生活から救い出されたのは、異教の人々と同じ頽廃(たいはい)的な偶像礼拝の生活をするためではありませんでした。却(かえ)って、それを離れて、異教の人々に主の栄光と尊厳をあかしするためでした。

「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:16)

16~19節は、いかなる形における偶像礼拝も禁じられています。

申 4:16 堕落して、自分たちのために、どんな形の彫像をも造らないようにしなさい。男の形も女の形も。
4:17 地上のどんな家畜の形も、空を飛ぶどんな鳥の形も、
4:18 地をはうどんなものの形も、地の下の水の中にいるどんな魚の形も。
4:19 また、天に目を上げて、日、月、星の天の万象を見るとき、魅せられてそれらを拝み、それらに仕えないようにしなさい。それらのものは、あなたの神、【主】が全天下の国々の民に分け与えられたものである。

偶像礼拝の特徴は、「自分たちのために」(16節)であり、それは堕落した御利益宗教でしかありません。真の神の民は、そうであってはなりません。真の宗教は、自分のためではなく、主の栄光のためでなければなりません。主に仕え、主の栄光を現わすことを真に喜びとする宗教こそ、聖書の信仰です。

「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」(コリント第一6:20)

「男の形」、「女の形」は、男女の性器の形をした偶像をつくることを禁じています。バアルやアシュタロテは、このような偶像であり、みだらな性行為を礼拝儀式としていました。彼らが性器を偶像としていたのは、民族の繁栄を求めていたからです。強力な人間の増加こそ、自分たちの繁栄だと考えていました。そのような社会には、絶えず争いと戦いが続くのです。

自分の繁栄のための強力な人間づくりは、今日でも激しく行われています。学歴社会や地位の昇進やだれが早く家を建てるかといった競争意識は実に、このことの表れです。このような社会に、たえず「いじめ」が起きたり、また社会からはじき出されている不法分子が集まって、国家転覆(てんぷく)を企てる愚か者が続出したとしても不思議ではない。強力な人間をつくろうとする社会では、大半の人が挫折感を強いられるからです。そのような人々の不満は一つに集結して、必ず爆発するのです。それは特定の集団の事件としてだけでなく、一般大衆全体が虚無感と失望感を抱いて、砂山の如く崩れ去ってしまうのです。

これに対して、神が導かれたユダヤ人社会では、ルツの落穂拾いにも見られるように、弱い者を助け合うことが強調されています。弱い者を助け合う社会は、社会自体が弱くなるのではなく、却って強くなることをイスラエルは証明しています。聖書は与えることによって繁栄し(箴言11:24~26)、

箴 11:24 ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。
11:25 おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。
11:26 穀物を売り惜しむ者は民にのろわれる。しかしそれを売る者の頭には祝福がある。

力のない人たちの弱さをになうことによって、強くなることを証明しています(ロ-マ15:1)。

ロマ 15:1 私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。

初代の教会は、弱さや貧しさを分かち合うことによって、強力な教会となっていったのです。今日の教会は自己主張やこの世的なものをもってして強くなろうとして、教会は弱体化しているのです。教会の中に常に争いがあるのは、権利や権力の主張が絶えないことを表しています。私たちはバアルやアシュタロテの原理を取り入れているのではないでしょうか。

私たちは、弱さや貧しさを分かち合い、泣く者とともに泣く生活を営んでいるでしょうか。それとも、他人を非難し、自らの繁栄だけを求めていないでしょうか。それは真の繁栄には到達しません。教会の中で、幼子やお年寄りは大切にされているでしょうか。弱い者、貧しい者が喜んで生活できる社会、それが本当に強い社会、繁栄した社会です。私たちの教会もそのような教会になりたいものです。

17,18節は、しばしばエジプト人や、その他の国民によって礼拝されていた獣、鳥、虫、は虫類、魚などを含んでいます。

エジプトの神アヌビスは、山犬の頭を偶像としており、トトは鷹の頭を偶像としていました。

申 4:17 地上のどんな家畜の形も、空を飛ぶどんな鳥の形も、
4:18 地をはうどんなものの形も、地の下の水の中にいるどんな魚の形も。

19節は、太陽、月、星、天体を拝むことを禁じています。

申 4:19 また、天に目を上げて、日、月、星の天の万象を見るとき、魅せられてそれらを拝み、それらに仕えないようにしなさい。それらのものは、あなたの神、【主】が全天下の国々の民に分け与えられたものである。

月を祭る神殿は、アブラハムの時代にカルデヤのウルやハランにありました。エジプトのオン(ヘリオポリス)では、太陽を拝んでいました。天体宗教は、おもにバビロンにおいて支配的力を持っていました。しかしこれらはみな、主の被造物であって、人間が生活するために必要なものとして、人間に与えられたものであって、礼拝の対象としてはならないのです。

23節、これらのものを拝むことは、主に対する背信行為であり、主の命令に背くことであり、主との契釣を破棄することです。

申 4:23 気をつけて、あなたがたの神、【主】があなたがたと結ばれた契約を忘れることのないようにしなさい。あなたの神、【主】の命令にそむいて、どんな形の彫像をも造ることのないようにしなさい。

20節は、イスラエルのエジプト脱出が語られています。

申 4:20 【主】はあなたがたを取って、鉄の炉エジプトから連れ出し、今日のように、ご自分の所有の民とされた。

それは鉄の炉のような厳しい苦しみからの救出でしたが、それはイスラエルの民に安楽を与えて、偶像礼拝をさせるためではありませんでした。むしろ、この世の堕落から切り離し、ご自分の聖なる民として祝福を与えるためでした。「ご自分の所有の民とされた。」とは、主が贖(あがな)い出された民を、ご自分の嗣業(しぎょう)とされたことを意味しています。

「また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。」(ペテロ第一1:4)

21,22節で、モーセ自身が、主の約束の地に入れないことを再述しています。

申 4:21 しかし、【主】は、あなたがたのことで私を怒り、私はヨルダンを渡れず、またあなたの神、【主】が相続地としてあなたに与えようとしておられる良い地に入ることができないと誓われた。
4:22 私は、この地で、死ななければならない。私はヨルダンを渡ることができない。しかしあなたがたは渡って、あの良い地を所有しようとしている。

それはおそらく、モーセのような人物でも、主は罪を大目に見てくださらないことを民に教え、主を軽く見て、侮(あなど)らないようにとの警告を与えるためであったと思われます。それは、モーセがいなくなった後、若い者たちが神の相続地に入って行った時にも、主との契約を忘れないようにとの心づかいです。

24節、「焼き尽くす火」金属を精錬する火が不純物を取り除くように、神の火は罪を潔める神の聖と、正しい審判との象徴です。(ヘブル12:29)

申 4:24 あなたの神、【主】は焼き尽くす火、ねたむ神だからである。

ヘブル 12:29 私たちの神は焼き尽くす火です。

「ねたむ神」(出エジプト記20:5、申命記5:9)は、いかなる競争相手をも許さない神の愛を示しています。

出 20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、【主】であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎(とが)を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、

申 5:9 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、【主】であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎(とが)を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、

神の愛はご自分の命をもすべて与えてくださっておられるので、私たちの全心の愛を要求されるのです。それ故、神と私との間に、だれの介在も許されないのです。そしてご自分のご性質に反するすべてのものを焼き尽くす燃える愛を示しておられるのです。この愛が従順な者には祝福となり、逆らう者にはさばきとなって現われてくるのです。

「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」(マタイ22:37)

 

25~31節、主はあわれみの神

この箇所は、主のご性質の特徴をよく表しています。それは主が愛の故に、愛の交わりをされたいがために、神の民のうちにある不純物を焼き尽くして純化しないではいられないお方であること、そして神ご自身以外にはどんな者をも寄せつけないほど、愛に満ちたお方であることを示しています。そしてここには、しばしば神と人との間に介入してくるものが、偶像であることを示しています。

25節は、イスラエル人がカナンに定住して、二代、三代と過ぎてしまった時の危険について記しています。

申 4:25 あなたが子を生み、孫を得、あなたがたがその地に永住し、堕落して、何かの形に刻んだ像を造り、あなたの神、【主】の目の前に悪を行い、御怒りを買うようなことがあれば、

「永住し」は、長く住んで、慣れてしまい、神の恵みも、あわれみも忘れてしまい、塩味がぬけてしまって、信仰が堕落する危険を警告しているのです。

私たちも信仰を持って間もない頃や、信仰で戦っている間は、主の恵みを新鮮に感じていますが、もし聖霊による信仰の更新がなければ、旧約のイスラエルと同様に、霊的に堕落する危険性が強いのです。

このことは霊的にカナンに入った人、すなわち潔められた人にも起き得ることなので、必ず、日々に信仰の更新をすることを怠ってはなりません。信仰によって聖霊の恵みを更新しないために、信仰生活に塩味を失い、神の嗣業(しぎょう)である永遠のいのちを失っていくのです。そしてこの世のものにより頼むようになっていくのです。それが、偶像礼拝です。これは、主の目の前には悪であり、御怒りをかうことになるのです。

「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、‥‥あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。」(エペソ2:3~5)

26節、そこでモーセは、天と地を証人にしています。

申 4:26 私は、きょう、あなたがたに対して、天と地とを証人に立てる。あなたがたは、ヨルダンを渡って、所有しようとしているその土地から、たちまちにして滅びうせる。そこで長く生きるどころか、すっかり根絶やしにされるだろう。

天地は黙っているけれども、人間よりも長く存在し、私たちの誓いと罪とをすべて見てきている証人です。主のアブラハムに対する約束では、彼の子孫の繁栄と約束の地とは不可分でした。しかし民が主への忠誠を怠ると、「たちまちにして滅びうせる。」これは衰退と滅亡がすみやかに起きることを示しています。主の祝福はいつも条件つきであることを心に留めておきたいものです。

27節は、イスラエルの国家的運命を預言しています。

申 4:27 【主】はあなたがたを国々の民の中に散らされる。しかし、ごくわずかな者たちが、【主】の追いやる国々の中に残される。

彼らは偶像にふける国々の奴隷となり、激しい屈辱を受けるのです。
今日、主に全く忠実でない時、クリスチャンはこの世の支配力の奴隷となってしまっています。そして多くの神の民となった者が、再び、この世の支配的権力のために命を失っているのです。すなわち、争い、戦争、その他によって、イスラエルが苦難の中で通過してきたことは、歴史が証明しています。

28節では、言い難い屈辱を示した後に、生ける真の神を捨てた結果、何の力もない、見ることも、聞くことも、食べることも、かぐこともできない、人の手で作った木や石の神々に隷属し、それらの故におびえ、苦しみ、心がひきずりまわされるのです。

申 4:28 あなたがたはそこで、人間の手で造った、見ることも、聞くこともせず、食べることも、かぐこともしない木や石の神々に仕える。

偶像礼拝は、サタンが扱う一つの手段です。モーセがここで「人間の手で造った」と言ったのは、この世の神々が実在しないことを分からせるためです。

29節からは、回復のことを記しています。
第一は30節、神の民が偶像礼拝のために苦しみに会い、自らの罪を悟り、悔い改めることが必要であること。

申 4:30 あなたの苦しみのうちにあって、これらすべてのことが後の日に、あなたに臨むなら、あなたは、あなたの神、【主】に立ち返り、御声に聞き従うのである。

第二は29節、主を慕い求め、主に会うこと。

申 4:29 そこから、あなたがたは、あなたの神、【主】を慕い求め、主に会う。あなたが、心を尽くし、精神を尽くして切に求めるようになるからである。

偶像を捨てて、信仰を回復して、再び、主とお会いするようになることが許されています。そのためには、神の民が心を尽くし、精神を尽くして、主を切に求めるようになること、すなわち、全き献身が求められています。
これは申命記中、何度も記されていますし(6:5、10:12、11:13、13:3、26:16、30:2、6、10)、主イエスも引用されています。

申 6:5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。

申 10:12 イスラエルよ。今、あなたの神、【主】が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、【主】を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、【主】に仕え、

申 11:13 もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、【主】を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、

申 13:3 その預言者、夢見る者のことばに従ってはならない。あなたがたの神、【主】は、あなたがたが心を尽くし、精神を尽くして、ほんとうに、あなたがたの神、【主】を愛するかどうかを知るために、あなたがたを試みておられるからである。

申 26:16 あなたの神、【主】は、きょう、これらのおきてと定めとを行うように、あなたに命じておられる。あなたは心を尽くし、精神を尽くして、それを守り行おうとしている。

申 30:2 あなたの神、【主】に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、

申 30:6 あなたの神、【主】は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、【主】を愛し、それであなたが生きるようにされる。

申 30:10 これは、あなたが、あなたの神、【主】の御声に聞き従い、このみおしえの書にしるされている主の命令とおきてとを守り、心を尽くし、精神を尽くして、あなたの神、【主】に立ち返るからである。

第三に、御声に聞き従うことが求められています。

申 4:30 あなたの苦しみのうちにあって、これらすべてのことが後の日に、あなたに臨むなら、あなたは、あなたの神、【主】に立ち返り、御声に聞き従うのである。

この句も反復されています(8:20、9:23、13:4、18、15:5、26:14、17、27:10、28:1,2、13、15、45、62、30:2、8、10、20)。

申 8:20 【主】があなたがたの前で滅ぼされる国々のように、あなたがたも滅びる。あなたがたがあなたがたの神、【主】の御声に聞き従わないからである。

申 9:23 【主】があなたがたをカデシュ・バルネアから送り出されるとき、「上って行って、わたしがあなたがたに与えている地を占領せよ」と言われたが、あなたがたは、あなたがたの神、【主】の命令に逆らい、主を信ぜず、その御声にも聞き従わなかった。

申 13:4 あなたがたの神、【主】に従って歩み、主を恐れなければならない。主の命令を守り、御声に聞き従い、主に仕え、主にすがらなければならない。

申 13:18 あなたは、必ずあなたの神、【主】の御声に聞き従い、私が、きょう、あなたに命じるすべての主の命令を守り、あなたの神、【主】が正しいと見られることを行わなければならない。

申 15:5 ただ、あなたは、あなたの神、【主】の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じるこのすべての命令を守り行わなければならない。

申 26:14 私は喪のときに、それを食べず、また汚れているときに、そのいくらかをも取り出しませんでした。またそのいくらかでも死人に供えたこともありません。私は、私の神、【主】の御声に聞き従い、すべてあなたが私に命じられたとおりにいたしました。

申 26:17 きょう、あなたは、【主】が、あなたの神であり、あなたは、主の道に歩み、主のおきてと、命令と、定めとを守り、御声に聞き従うと断言した。

申 27:10 あなたの神、【主】の御声に聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主の命令とおきてとを行いなさい。

申 28:1 もし、あなたが、あなたの神、【主】の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、【主】は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。
28:2 あなたがあなたの神、【主】の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。

申 28:13 私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、【主】の命令にあなたが聞き従い、守り行うなら、【主】はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。

申 28:15 もし、あなたが、あなたの神、【主】の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。

申 28:45 これらすべてののろいが、あなたに臨み、あなたを追いかけ、あなたに追いつき、ついには、あなたを根絶やしにする。あなたが、あなたの神、【主】の御声に聞き従わず、主が命じられた命令とおきてとを守らないからである。

申 28:62 あなたがたは空の星のように多かったが、あなたの神、【主】の御声に聞き従わなかったので、少人数しか残されない。

申 30:2 あなたの神、【主】に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、

申 30:8 あなたは、再び、【主】の御声に聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を、行うようになる。

申 30:10 これは、あなたが、あなたの神、【主】の御声に聞き従い、このみおしえの書にしるされている主の命令とおきてとを守り、心を尽くし、精神を尽くして、あなたの神、【主】に立ち返るからである。

申 30:20 あなたの神、【主】を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。確かに主はあなたのいのちであり、あなたは【主】が、あなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地で、長く生きて住む。

これは契約の条件の一部分です。これらが主との交わりを回復する条件です。

31節、ここに再び、神のご性質が表されています。

申 4:31 あなたの神、【主】は、あわれみ深い神であるから、あなたを捨てず、あなたを滅ぼさず、あなたの先祖たちに誓った契約を忘れない。

主の義は罪を厳しくさばきますが、しかし主はあわれみ深い神でありますから、主に立ち帰る者に再び恵みを回復されます。そして主の義とあわれみはイエス・キリストの十字架によって、完全に一つとなったのです。

「恵みとまこことは、互いに出会い、義と平和とは、互いに口づけしています。」(詩篇85:10)

主は、あわれみの故に、三つのことを行われます。
一、あなたを捨てず、
二、あなたを滅ぼさず、
三、契釣を忘れない。

これは、主のあわれみがある間だけ、私たちに与えられています。しかし最後のさばきの時には、これらのあわれみ深い行為は、もはや存在しません。

「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。

そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。

しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。そういうわけで、愛する人たち、このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。」(ペテロ第二3:9~14)

モーセは、偉大な預言者として、主のご性質と民の弱さを見抜く、鋭い洞察力が与えられていたので、民をこのように警告することができたのです。私たちもこのような洞察力を身につけたいものです。この洞察力は生ける主イエスを内に宿すことによって、そして日々に信仰によってみことばを活用することによって、身についてくるものです。

(まなべあきら 1995.7.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の絵画は、オランダの画家 Caspar Luyken (1672-1708)が1699-1705年頃に描いたエッチング画「Moses receives the Ten Commandments(モーセは十戒を受け取る)」(Wikimedia Commonsより)、ちなみにCaspar Luykenは、同じくエッチング画家のJan Luykenの息子である。


「聖書の探求」の目次


【月刊「聖書の探求」の定期購読のおすすめ】
創刊は1984年4月1日。2021年9月現在、通巻451号 エズラ記(7) 4~6章、まだまだ続きます。
お申し込みは、ご購読開始希望の号数と部数を明記の上、振替、現金書留などで、地の塩港南キリスト教会文書伝道部「聖書の探求」係にご入金ください。
一年間購読料一部 1,560円(送料共)
単月 一部 50円 送料84円
バックナンバーもあります。
(複数の送料) 3部まで94円、7部まで210円.多数の時はお問い合わせ下さい。
郵便振替00250-1-14559
「宗教法人 地の塩港南キリスト教会」


発行人 まなべ あきら
発行所 地の塩港南キリスト教会文書伝道部
〒233-0012 横浜市港南区上永谷5-22-2
電話FAX共用 045(844)8421