聖書の探求(135) 申命記4章 4章の分解、1~14節 偉大な国民となる条件、十戒を守るべきこと
4章の分解
この章は、十戒を再述しており、その内容はおもに偶像に対する警告です。
1~40節、主のおきてと定めの遵守の命令
1~8節、偉大な国民となるための条件-主の命令を守るべきこと
9~14節、十戒を守るべきこと(出エジプト記19章)
15~24節、偶像礼拝の禁止
25~31節、主は怒りの神、あわれみの神
32~40節、神の民であることの特権-主がなされた大いなることの提示と主のおきてと命令の遵守の勧告
(1) 火の中から語られる神の声を聞いて、なお生きていること
(2) 主の大いなる力をもって、エジプトから連れ出されたこと
(3) イスラエルより大きく、強い国々をイスラエルの前から追い払われたこと(彼らの地をイスラエルに相続地として与えるため)
41~43節、ヨルダンの向こうの地の三つの町(のがれの町)
・高地の荒野にあるべツェルールベン人の為
・ギルアデのラモテーガド人の為
・バシャンのゴランーマナセ人の為
44~49節、出エジプトからヨルダンの向こうの地までの間に示された律法の再述の締括り
1~8節 偉大な国民となる条件
イスラエル人には、偉大な国民となるためのチャンスと特権と条件が与えられていた。そして、彼らが神の偉大な国民となるためには、あと一つだけ条件を果たせばよかった。それは主の教えと戒めを徹底的に守ることであった。それ故、この部分の啓示は、イスラエルの民の実際的な応答を要求するものとなっています。
私たちは、主のご命令に徹底的に従うことなしに、主が生きて働いてくださるかどうかを、議論してはならない。主が祈りに答えてくださるかどうかも、議論してはならない。主は、契約に従って働かれる主ですから、私たちが主との契約のすべての条件を果たさなければならないのです。
「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」(マタイ7:24~27)
主のお話では、賢い人も、愚かな人も、ともに主のみことばを聞いています。異なるところは、賢い人はそれを行ない、愚か者は聞き流して行なわなかった点にあります。あなたは、どちらの人でしょうか。
「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。」(ヤコブ1:22~25)
主は、たねまきのたとえの話の中でも、みことばを堅実に守り行なうことの大切さを教えておられます。
「しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。」(ルカ8:15)
みことばを聞いても実行しない人は、みことばの大切さに無関心なのか、この世のことに心が奪われていて、みことばに反発したり、なおざりにして、自分を欺いているのです。自分に肉の欲を満足させる自己満足の道を求めさせ、真理を追求することに背を向けさせてしまうのです。しかし「完全な律法」「自由の律法」すなわち、キリストの十字架の愛とそのみことばを一心に見つめて、忠実に、従順に従って行なう人は、その従順な生活によって祝福を受けるのです。
この命令は非常に注意深く行われています。
申 4:1 今、イスラエルよ。あなたがたが行うように私の教えるおきてと定めとを聞きなさい。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたの父祖の神、【主】が、あなたがたに与えようとしておられる地を所有することができる。
1節、主のおきてと定めとは、「行なうように‥‥‥聞きなさい。」と命じられています。大抵の人は、自ら実際に実行するつもりで聞いていません。ここに実を結ばない原因があります。もし、あなたが説教を聞く時、真実に従って行おうという気持ちで聞くなら、必ず、多くの実を結びます。ただ、教会の集会に出席することだけに意味があるのではありません。
「おきて」と「定め」に、何か区別があるのか、どうかは、はっきりしませんが、ある学者たちは、「おきて(フキーム)」は、永久的に有効性を持つものであるとし、神と良心によって認められた啓示とみなしている。「定め」(ミシュパティーム)」は、権威によって定められたもの、あるいは、古代の習慣によって制定された律法の規則であって、それによって裁判官(ミシュパット)はさばくと考えています。どちらにしても、主の命じられることを聞いて、積極的に行うことが、神の民が生き、主の約束の地を所有する条件です。
申 4:2 私があなたがたに命じることばに、つけ加えてはならない。また、減らしてはならない。私があなたがたに命じる、あなたがたの神、【主】の命令を、守らなければならない。
2節の「命じられたことば」は、マナを集めること(出エジプト記16:28)など、一般的な規則を含んでいる主の命令のことです。
出 16:27 それなのに、民の中のある者は七日目に集めに出た。しかし、何も見つからなかった。
16:28 そのとき、【主】はモーセに仰せられた。「あなたがたは、いつまでわたしの命令とおしえを守ろうとしないのか。
16:29 【主】があなたがたに安息を与えられたことに、心せよ。それゆえ、六日目には、二日分のパンをあなたがたに与えている。七日目には、あなたがたはそれぞれ自分の場所にとどまれ。その所からだれも出てはならない。」
16:30 それで、民は七日目に休んだ。
主のご命令に、「つけ加えてはならない。また、減らしてはならない。」ことは、非常に重要なことであって(申命記12:32、箴言30:6、ヨハネの黙示録22:18,19)、聖書中に、再三、警告が記されています。
申 12:32 あなたがたは、私があなたがたに命じるすべてのことを、守り行わなければならない。これにつけ加えてはならない。減らしてはならない。
箴 30:6 神のことばにつけ足しをしてはならない。神が、あなたを責めないように、あなたがまやかし者とされないように。
黙 22:18 私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
22:19 また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。
これは、主が語られたみことばを歪めるいかなる企ても、許されないことを示しています。自分に都合のいい解釈をしたり、みことばを削ったり、曲げたりすることは、固く禁じられているのです。また、主のみことばをむなしく等閑(なおざり)にして、聞き流してしまうことも許されないことです。神のみことばを曲げたり、削ったり、つけ加えたりさせるのは、サタンがいつも行う仕業です。主イエス様は、パリサイ人たちが神のみことばをむなしくしてしまっていることを、厳しく責められました。
「こうしてあなたがたは、自分たちが受け継いだ言い伝えによって、神のことばを空文にしています。そして、これと同じようなことを、たくさんしているのです。」(マルコ7:13)
3,4節は、その実例を示しています。
申 4:3 あなたがたは、【主】がバアル・ペオルのことでなさったことを、その目で見た。バアル・ペオルに従った者はみな、あなたの神、【主】があなたのうちから根絶やしにされた。
4:4 しかし、あなたがたの神、【主】にすがってきたあなたがたはみな、きょう、生きている。
3節では、主のみことばに従わず、モアブ人の誘惑に従って、バアル・ペオルを礼拝した者が、その刑罰として根絶やしにされてしまったこと(民数記25:1~9)、
民 25:1 イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと、みだらなことをし始めた。
25:2 娘たちは、自分たちの神々にいけにえをささげるのに、民を招いたので、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。
25:3 こうしてイスラエルは、バアル・ペオルを慕うようになったので、【主】の怒りはイスラエルに対して燃え上がった。
25:4 【主】はモーセに言われた。「この民のかしらたちをみな捕らえて、白日のもとに彼らを【主】の前でさらし者にせよ。【主】の燃える怒りはイスラエルから離れ去ろう。」
25:5 そこでモーセはイスラエルのさばきつかさたちに言った。「あなたがたは、おのおの自分の配下のバアル・ペオルを慕った者たちを殺せ。」
25:6 モーセとイスラエル人の全会衆が会見の天幕の入口で泣いていると、彼らの目の前に、ひとりのイスラエル人が、その兄弟たちのところにひとりのミデヤン人の女を連れてやって来た。
25:7 祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスはそれを見るや、会衆の中から立ち上がり、手に槍を取り、
25:8 そのイスラエル人のあとを追ってテントの奥の部屋に入り、イスラエル人とその女とをふたりとも、腹を刺し通して殺した。するとイスラエル人への神罰がやんだ。
そして、4節では、主にすがってきた者は、今日、みな生きていることを表しています。この「すがる」は、主に対する強い忠誠を表しています。このことは、主のみことばに従う者は生命を得、不服従な者はみな、滅びることを例証しています。
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」(マタイ4:4)
「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネ10:10)
「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」(ルカ10:28)
「バアル」は、カナン人には「主」を意味します。これはカナンの内外の国々で、その地域の神々、すなわち「バアル」を持っていたことを示しています。そのバアル礼拝には堕落した儀式がつきもので、子どもをいけにえとしてささげていました。「バアル・ペオル」は、ペオル地方の神の名前です。「ベテ・ペオル」(3:29、「ペオルの家」)は、バアル・ペオルの神殿を意味していたと思われます。
申 3:27 ピスガの頂に登って、目を上げて西、北、南、東を見よ。あなたのその目でよく見よ。あなたはこのヨルダンを渡ることができないからだ。
3:28 ヨシュアに命じ、彼を力づけ、彼を励ませ。彼はこの民の先に立って渡って行き、あなたの見るあの地を彼らに受け継がせるであろう。」
3:29 こうして私たちはベテ・ペオルの近くの谷にとどまっていた。
1、5節の、「教える」「教えた」は、申命記が主のご命令だけでなく、主の律法の解説でもあることを示しています。
申 4:1 今、イスラエルよ。あなたがたが行うように私の教えるおきてと定めとを聞きなさい。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたの父祖の神、【主】が、あなたがたに与えようとしておられる地を所有することができる。
4:5 見なさい。私は、私の神、【主】が私に命じられたとおりに、おきてと定めとをあなたがたに教えた。あなたがたが、入って行って、所有しようとしているその地の真ん中で、そのように行うためである。
この解説は、主の約束の地に入って行った時の新しい生活状況を心にとめて書かれています。それ故、この申命記は新約の私たちにとっては、イエス様の山上の説教(マタイ5~7章)に当ると言えるでしょう。
6節、神のみことばを守り行うことは、周囲の異教の国々の民に、神の民の知恵と悟りを深く印象づけることができ、神をあかしすることができるのです。
申 4:6 これを守り行いなさい。そうすれば、それは国々の民に、あなたがたの知恵と悟りを示すことになり、これらすべてのおきてを聞く彼らは、「この偉大な国民は、確かに知恵のある、悟りのある民だ」と言うであろう。
これは私たちが自分の人間的知恵と考えによって生きずに、主のみことばを行うことによってのみ、キリストの知恵と悟りのすぐれていることを異教の人々にあかしすることができることを示しています。もしクリスチャンが主のみことばに徹底的に信頼し、忠実に従うなら、世界はクリスチャンを「偉大な民、知恵のある、悟りのある民」として認めるようになります。
「キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。」(コリント第一1:30)
「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:16)
申 4:7 まことに、私たちの神、【主】は、私たちが呼ばわるとき、いつも、近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民が、どこにあるだろうか。
4:8 また、きょう、私があなたがたの前に与えようとしている、このみおしえのすべてのように、正しいおきてと定めとを持っている偉大な国民が、いったい、どこにあるだろう。
7,8節は、イスラエルの民に与えられている偉大な特権について驚嘆しているのですが、それは偉大な民となるチャンスが与えられていることへの驚嘆であって、それは民の一人一人が主のみことばを行うことによって実際に実現するのです。そしてその偉大さの根拠は、主のおきてと定めが与えられていることによっているのです。それなのに、もし、神の民がそのおきてと戒めを守り行わなかったなら、世界で最も愚かな民となってしまいます。
9~14節、十戒を守るべきこと
9節、神の啓示がイスラエルに与えられたという大いなる特権には、それとともに、その教えを守るべき責任も伴っていることを忘れてはなりません。
申 4:9 ただ、あなたは、ひたすら慎み、用心深くありなさい。あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間、それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。あなたはそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい。
先ず、自分自身が神のおしえをひたすら慎んで守り行わなければなりません。自分が受けた恵みの経験を決して忘れず、一生の間、主の恵みから心が離れることのないようにしなければなりません。信仰は途中で投げ捨てたら、何の意味もありません。むしろ、「主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。」(ペテロ第二2:20)
信仰は必ず、生涯を通して全うすることによってだけ、価値があり、報いを受けるのです。
更に、信仰は自分が守るだけでなく、子どもや孫たちにも知らせ、教えなければなりません。信仰は必ず、継承していかなければなりません。それは知識(神学)や儀式や教会の組織を継承するだけでなく、霊的経験をも継承していく必要があります。
10節、モーセはこの申命記において、しばしばイスラエルの民をホレブでの神の啓示の経験に連れ戻しています。
申 4:10 あなたがホレブで、あなたの神、【主】の前に立った日に、【主】は私に仰せられた。「民をわたしのもとに集めよ。わたしは彼らにわたしのことばを聞かせよう。それによって彼らが地上に生きている日の間、わたしを恐れることを学び、また彼らがその子どもたちに教えることができるように。」
4:11 そこであなたがたは近づいて来て、山のふもとに立った。山は激しく燃え立ち、火は中天に達し、雲と暗やみの暗黒とがあった。
4:12 【主】は火の中から、あなたがたに語られた。あなたがたはことばの声を聞いたが、御姿は見なかった。御声だけであった。
4:13 主はご自分の契約をあなたがたに告げて、それを行うように命じられた。十のことばである。主はそれを二枚の石の板に書きしるされた。
このような歴史的にも、全人類的にも重要な事実は、ひとり一人の心にしっかりと受け留められ、次の世代へと教えられ、継承されていかなければなりません。
神のみことばは、話して聞かされなければなりません。説教者の声として聞くだけでなく、神のみ声として聞かなければなりません。
さらに、地上に生きている間に、神を畏れた生活を身につけるように、神のみことばを学び、訓練される必要があります。
第三には、十分に訓練された教師によって、具体的に実際的にみことばが実生活で活用できるように教え込まれなければなりません。
信仰のための客観的な根拠は、神の啓示のみことばである聖書だけです。私たちはいつも、神の啓示のみことばに照らして、各々の信仰と奉仕を神のみこころにかなうように純粋に保たなければなりません。
申 4:14 【主】は、そのとき、あなたがたにおきてと定めとを教えるように、私に命じられた。あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地で、それらを行うためであった。
14節、モーセはこの神のおきてと定めを教えるように命じられましたが、今日も教会の教師、牧師、伝道者も、神のみことばを正しく健全に、しかも建徳的に実際に行うことができるように説教し、教えなければなりません。
「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」(マタイ28:20)
「みことばを宣べ伝えなさい(説教しなさい)。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」(テモテ第二4:2)
あ と が き
一ケ月に一度でも、「忙中閑有」がほしい私です。そんな中で出来るだけ神のみこころに忠実で、かつ恵みの濃厚な探求を書こうと試みたのですが、未だ力及ばずと言った感じがします。私が書いていますことは、単なる解説ではなく、私が霊的に経験させていただいていることどもを書き記しておりますので、読者の方々が読まれつつ、同じ経験をしていただける時、私は大きな喜びに包まれます。
バックナンバーをお求め下さる方が多いので、できるだけ一号からそろっているように努力しております。ご希望の方はお申し込み下さい。
預言者アモスが預言したように、今は「主のみことばを聞くことのききん」(アモス書8:11)が来ているようです。私は日本の教会に、みことばのリバイパルが起こされることを切に祈っております。神のみことばなしの結実など、あり得ないからです。
(まなべあきら 1995.6.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)
イスラエルのティムナ渓谷には、実物大の幕屋模型が作られている。上の写真は、その至聖所に置かれた契約の箱の中にある「十戒の書かれた石の板」のレプリカ(2013年の訪問時に撮影)
「聖書の探求」の目次
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