聖書の探求(311) サムエル記第二 3章 サウル家の衰退、アブネルとダビデの契約、ヨアブのアブネル暗殺

イギリスの画家 Paul Hardy (1862–1942)による「And david sent Abner away(それでダビデはアブネルを送り出した)」(The Art Bibleの挿絵、Wikimedia Commonsより)


この章は前半に、ヘブロンで生まれたダビデの子らの名前が記されていますが、後半は主にダビデとアブネルの契約が記されています。サウルの家の力は4章1節でアブネルが死ぬことによって、完全に失われてしまい、ダビデの王家の力が隆盛していく姿が、この章からますますはっきりしてきます。

3章の分解

1節、サウル家の衰退とダビデ家の隆盛
2~5節、ヘブロンで生まれたダビデの子ら
6~11節、イシュ・ボシェテのアブネル譴責
12~21節、アブネルとダビデの契約
22~39節、ヨアブのアブネル暗殺

1節、サウル家の衰退とダビデ家の隆盛

Ⅱサム 3:1 サウルの家とダビデの家との間には、長く戦いが続いた。ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くなった。

サウルの家とダビデの家の間の争いは、長く尾を引きました。ダビデの方が戦いを長引かせたのではないと思われますが、敗北したサウル家の一族や家来たちはダビデの家に敵対感情を持ち続けたのです。しかしそれは長引いても、イシュ・ボシェテの力は段々と弱まっていき、ダビデの働きはますます力を増大していきました。主がダビデと共におられたからです。

2~5節、ヘブロンで生まれたダビデの子ら

Ⅱサム 3:2 ヘブロンでダビデに子どもが生まれた。長子はイズレエル人アヒノアムによるアムノン。
3:3 次男はカルメル人でナバルの妻であったアビガイルによるキルアブ。三男はゲシュルの王タルマイの娘マアカの子アブシャロム。
3:4 四男はハギテの子アドニヤ。五男はアビタルの子シェファテヤ。
3:5 六男はダビデの妻エグラによるイテレアム。これらはヘブロンでダビデに生まれた子どもである。

記録は、ダビデの家とサウルの家の勢力の概略を記した後、ダビデの家族についての短い説明に移っています。これは明らかに、これからの記録の本流がサウルの家からダビデの家に移ったことを示しています。

聖書の中で、話の流れが変わる時には、よくこの手法が取られています。

サムエル記第一 14章49~51節ではサウルが周囲の敵対する諸国との戦いから話をサウル自身のことに向けられる時、サウルの家族の記録を記しています。

サムエル記第二 5章13~16節でも、ダビデの即位の話から、その後の統治の話に変わる時にエルサレムでダビデに生まれた子どもたちの名前を記しています。

このほかソロモンについては、即位から統治に話が移る時、エジプトの王パロの娘を娶ったことを記しており(列王記第一 3:1)、ソロモンの子レハブアムが王になった時には彼の母の名、アモン人のナアマを記しており(列王記第一 14:21)、アビヤムが王になった時にも、彼の母の名、アブシャロムの娘マアカを記しています(列王記第一 15:2,9)。この「マアカ」については歴代誌第二 13章2節で「ミカヤといい、ギブアの出のウリエルの娘であった。」と言われています。マアカの名前はアビヤムとアサの両方の王の母の名前とされています。おそらく10節は「彼の祖母の名はマアカであった。」と記すべきだったのでしょう。しかしマアカと記されているのはアビヤムの死後も、王母としての地位を保とうとしていたからだと考えられます。

ミカヤとマアカは多分、同一人物であると思われます。そしてアブシャロムの娘か、孫娘であったでしょう。

「ギブアの出のウリエル」がどのような人物であるかは分かりません。マアカの母となる人の名前であるかも知れません。

話が横道にそれてしまいましたが、旧約聖書中、話が別の方向に展開していく時には、このようによく、家族に関する記事を使っていることに気づかされます。

ダビデはサウルから逃亡中に、イズレエル人アヒノアムとカルメル人ナバルの妻だったアビガイルと結婚していました。アヒノアムはダビデの最初の息子アムノンを産んでいます。彼はダビデの相続権を持つ第一子だったのです。次男はアビガイルに産まれたキルアブです。彼は歴代誌第一 3章1節では「ダニエル」と呼ばれています。聖書中、二つ以上の名前を持つことは珍しいことではありません。

このほかに四人の妻の名前が記されています。3節の三男アブシャロムを産んだ母は「ゲシュルの王タルマイの娘マアカ」と記されています。これは旧約の時代にしばしば王族の間で行なわれていた、結婚によって互いに侵略を防ぐという政略協定を結ぶ結婚であったことを表わしています。

歴代誌第一 3章1~9節を見ると、ダビデにはヘブロンで六人の息子が生まれ、エルサレムに移ってからは、バテ・シュア(=バテ・シェバ)が四人の息子を産み、そのほかに九人の子どもが生まれています。女の子はタマル一人だけだったようです。タマルはアブシャロムの美しい妹だったと記されていますから(サムエル記第二 13:1)、ゲシュルの王タルマイの娘マアカが産んだ娘です。そのほかに、そばめたちの子もあったと記されていますから、ダビデの子どもは、名前が記されているだけで二十人、それ以外にそばめたちの子どもがいたのです。このダビデの重婚によって産まれた多くの子どもたちが、ダビデを悩ませ続けることになるのです。息子たちは王位を狙って、殺し合うようになったのです。

6~11節、イシュ・ボシェテのアブネル譴責(けんせき)

6節、イシュ・ボシェテが王位を守って、ダビデの家と対抗していることができたのは、彼の軍隊の将軍アブネルの力があったからです。アブネルはサウルの家が衰えていく中で、自分の地位と権力を強化していったのです。

Ⅱサム 3:6 サウルの家とダビデの家とが戦っている間に、アブネルはサウルの家で勢力を増し加えていた。

7節、若い、そして力のない王イシュ・ボシェテは、アブネルがサウルのそばめ(おそらく第二の妻の一人)で、アヤの娘リツパと通じていると言って、アブネルを叱責しています。

Ⅱサム 3:7 サウルには、そばめがあって、その名はリツパといい、アヤの娘であった。あるときイシュ・ボシェテはアブネルに言った。「あなたはなぜ、私の父のそばめと通じたのか。」

これは侵略者がその国を占領した時には、その権力を握ったことの証拠として、王の妻を自分の妻とすることが慣例だったからです。アブネルがサウル王の妻の一人だったリツパを自分の妻にしていたとすれば、アブネルがイシュ・ボシェテを退けて、自分が王位に着こうとしていたという陰謀があったことを示しています。それ故、イシュ・ボシェテは、このことでアブネルを叱責したのです。

8~11節、アブネルはイシュ・ボシェテの叱責の言葉を聞くと、激しく怒って、サウルの家からイスラエルの王位を移して、その王国をダビデに引き渡すと言っています。

Ⅱサム 3:8 アブネルはイシュ・ボシェテのことばを聞くと、激しく怒って言った。「この私が、ユダの犬のかしらだとでも言うのですか。今、私はあなたの父上サウルの家と、その兄弟と友人たちとに真実を尽くして、あなたをダビデの手に渡さないでいるのに、今、あなたは、あの女のことで私をとがめるのですか。
3:9 【主】がダビデに誓われたとおりのことを、もし私が彼に果たせなかったなら、神がこのアブネルを幾重にも罰せられますように。
3:10 サウルの家から王位を移し、ダビデの王座を、ダンからベエル・シェバに至るイスラエルとユダの上に堅く立てるということを。」
3:11 イシュ・ボシェテはアブネルに、もはや一言も返すことができなかった。アブネルを恐れたからである。

それは主がダビデに誓われたことだと言って、アブネル自身が主の誓いを果たすと言い出しています。このアブネルの力に対して、イシュ・ボシェテはアブネルをとがめ立てたものの、アブネルの権力の前には、どうすることもできず、一言の返す言葉もなく、恐れて黙ってしまいました。こうして、長い間のサウルの家とダビデの家の争いも、あっけなく終止符を打つことになったのです。

8節の「この私が、ユダの犬のかしらとでも言うのですか。」は、全く見下げ果てた者を表わす表現です。これはイシュ・ボシェテがアブネルに充分な敬意を表わさなかったことに対するアブネルの激しい怒りです。サウルの家の王位が今なおダビデの手に渡っていないのは、アブネルの力によって保護されていたからなのに、その恩を忘れて、リツパのことで、アブネルがサウルの家の王座を狙っているかの如く、イシュ・ボシェテが非難したことは、アブネルを「犬のかしら」のように全く見下げている態度をとったと、アブネルは激しく怒ったのです。そしてアブネルはもはや、サウルの家に忠誠を尽くし、守る気持ちを失ってしまったのです。

9節、そしてサウルの家の王位をダビデの手に移譲することを、神の誓いに従って行なうと宣言したのです。この時のアブネルの行動の良し悪しは別にして、彼が今までの自分の考えを捨てて、主の誓われたことを選び取ったことは、イスラエルに平和をもたらし、主のみこころにかなったことでした。

10節の「ダンからベエル・シェバに至る」のダンはイスラエルの最北端の町で、ベエル・シェバは最南端の国境です。この時、すでに最南端のベエル・シェバはダビデの支配下にあったのです。この言い方は、イスラエル全土を言い表わす言葉として、聖書によく使われています。

12~21節、アブネルとダビデの契約

12節、アブネルはサウルの子イシュ・ボシェテとサウルの王国をダビデに売り渡すのに、少しの躊躇をすることもなくすぐに実行に移し、「アブネルが全イスラエルをダビデの支配のもとに譲渡する」という契約を結ぶために使いをヘブロンにいたダビデのもとに出しています。

Ⅱサム 3:12 アブネルはダビデのところに使いをやって言わせた。「この国はだれのものでしょう。私と契約を結んでください。そうすれば、私は全イスラエルをあなたに移すのに協力します。」

13節、ダビデはアブネルの申し出を受けるのに際して、一つの条件を出しています。それは、先に自分の妻だった、サウルの娘ミカル(サムエル記第一 18:27)をダビデのもとに返すようにということです。

3:13 ダビデは言った。「よろしい。あなたと契約を結ぼう。しかし、それには一つの条件がある。というのは、あなたが私に会いに来るとき、まずサウルの娘ミカルを連れて来なければ、あなたは私に会えないだろう。」

ダビデがミカルを返すように求めた目的は何であったか、明確ではありませんが、二つ考えられます。

一つは、ダビデが全イスラエルの王となる時、ダビデの妻だった者が、他人の妻とされていることは、ダビデの王としての権威に傷がつくと考えたのか。これは、アブネルがサウルのそばめリツパと通じていたことと同じ理由です。占領軍の王は、その権威を示す第一の行為として相手の王の妻を自分の妻として奪うことだったからです。

もう一つ考えられることは、サウルの娘ミカルをもう一度、取り戻すことによって、彼はサウルの義理の息子であることを国民に印象づけ、ダビデが全イスラエルの国王となることは、反乱や侵略、クーデターによるものではなく、正当な王権の移譲であることを印象づけ、平和のうちにダビデの王国の主権を強化するためであったのでしょう。

14~16節、ダビデはミカルの要求をアブネルではなく、形式的にではあっても相手の国王であったイシュ・ボシェテに使いを送って求めています。これはイシュ・ボシェテがこの条件さえ受け入れて従うなら、ダビデはイシュ・ボシェテを攻撃しないという安心感を与えるためでもありました。

Ⅱサム 3:14 それからダビデはサウルの子イシュ・ボシェテに使いをやって言わせた。「私がペリシテ人の陽の皮百をもってめとった私の妻ミカルを返していただきたい。」
3:15 それでイシュ・ボシェテは人をやり、彼女をその夫、ライシュの子パルティエルから取り返した。
3:16 その夫は泣きながら彼女についてバフリムまで来たが、アブネルが、「もう帰りなさい」と言ったので、彼は帰った。

彼はダビデの条件を受け入れ、サウルがミカルをダビデから取り上げて、妻として与えていたガリムの出のライシュの子パルティ(サムエル記第一 25:44)から取り返しています。その夫パルティは突然、妻ミカルが連れ去られることに泣いて、バフリムまでミカルを追って来ています。パルティはミカルを愛していたのでしょう。二人の家庭はきっとうまくいっていたのだと思われます。アブネルは泣きながらつき従って来るパルティに「もう帰りなさい。」と命じて、帰らせています。

ミカルはかつてはダビデを愛していました(サムエル記第一 18:20)。ですから、ダビデはその愛をミカルに期待したでしょう。しかしミカルは長い間、パルティの妻として生活し、パルティの愛情を受けていたとするなら、その生活を突然、壊したダビデを以前のように心から愛することができたかどうかは疑問です。サムエル記第二 6章20~23節を見ると、ミカルは、主の箱の前で裸になって踊っているダビデをさげすんでいます。これを見ると、ミカルの心はダビデに対して冷やかになっており、最初の愛には戻らなかったように思われます。これも悲劇の一つです。しかしダビデのしたことは、当時として、全イスラエルの王として即位する者としての正当な権利であったのです。今日でも、このような問題が起きれば、その取り扱いは非常に難しくなります。国家の安寧と個人の心情とがからんでくるからです。

17~21節、アブネルは個人的な心情には無関心で、彼の政策に従って、テキパキと手順を追って事を運んでいます。彼はもはやイシュ・ボシェテを相手にしていません。

17,18節では、イスラエルの長老たちと話し合っています。これからは実務的な事が問題だったからです。実権のないイシュ・ボシェテより、国民により近い指導力のある長老たちの意向を汲み上げています。

Ⅱサム 3:17 アブネルはイスラエルの長老たちと話してこう言った。「あなたがたは、かねてから、ダビデを自分たちの王とすることを願っていたが、
3:18 今、それをしなさい。【主】がダビデについて、『わたしのしもべダビデの手によって、わたしはわたしの民イスラエルをペリシテ人の手、およびすべての敵の手から救う』と仰せられているからだ。」

「あなたがたは、かねてから、ダビデを自分たちの王とすることを願っていたが、」 多分、サウル王の時代から、イスラエルの長老たちの中にはサウルの乱行に従いたくなかった者が相当いたことを表わしています。しかしサウルの権力とアブネルの力が働いていたので、彼らはサウルの家に従っていたのです。しかしサウルの家の権力が夕日の如く完全に沈んでしまったのです。

しかも、アブネルは主のご意向も、ダビデの手によって、イスラエルとペリシテ人、および全ての敵の手から救うことだと確言して、長老たちの不安と躊躇を取り除いています。

19節、更にアブネルは特にベニヤミン人に気を使って、話し合っています。それはサウルの家がベニヤミン族の出だったからです。最後までサウルの家を支えていたのはベニヤミン人だったからです。しかしアブネルがサウルの家から手を引いてしまうと、ベニヤミン人もサウルの家の復興は諦めざるを得なかったのです。

Ⅱサム 3:19 アブネルはまた、ベニヤミン人とじかに話し合ってから、ヘブロンにいるダビデのところへ行き、イスラエルとベニヤミンの家全体とが望んでいることをすべて彼の耳に入れた。

こうしてアブネルはイスラエルの長老たちとベニヤミン人との同意を取り付けてから、二十人の部下を連れて、ヘブロンのダビデを訪れています。二十人の部下というのは敵の将軍の護衛としては少なすぎますが、これは、争いでも、停戦の話でもなく、国の復興の話し合いであり、サウルの力はすでに完全に崩壊していたので、案じることはなかったのです。

Ⅱサム 3:20 アブネルが二十人の部下を連れてヘブロンのダビデのもとに来たとき、ダビデはアブネルとその部下の者たちのために祝宴を張った。

アブネルのダビデ訪問の意向は先に伝えられていましたので、ダビデはアブネルと部下の者たちを祝宴をもって迎えています。ダビデは将軍アブネルに対して最高の敬意を表わしたのです。これでアブネルの面目も立ったのです。どんな場合でも、相手の面目を丸つぶしにするような言葉や態度を取れば、怒りや憎しみを生涯負うことになります。これは最も愚かな人のすることです。

クリスチャンと言われている人の中にも、意地の悪い態度を取ったり、口ぎたなくののしる人がいますが、本当にイエス様を信じているのだろうかと思います。敵対者に対しても、口ぎたなくののしったり、意地の悪い態度を取れば、必ず、自分にわざわいがふりかかってきます。愚か者の真似をするべきではありません。敵対者に対しても、面目が立つように配慮するなら、主は恵みを与えてくださいます。

「もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12:20~21)

21節、アブネルは全イスラエルをダビデのもとに集結し、契約させることを誓いました。

Ⅱサム 3:21 アブネルはダビデに言った。「私は、全イスラエルをわが主、王のもとに集めに出かけます。そうして彼らがあなたと契約を結び、あなたが、望みどおりに治められるようにしましょう。」それでダビデはアブネルを送り出し、彼は安心して出て行った。

当時のアブネルにはそれほどの実権があったのです。こうしてダビデが全イスラエルの王となる契約が完了しました。彼は主が油注がれたとおりに、サウルと戦わずして、全イスラエルの王となったのです。主の約束はどんな苦難の中を通り、一時、実現不可能に見えていても、必ず実現して来ています。それは人の考えの及ばない道筋を通って実現しています。ダビデはそれをサウルに刃を向けずに、じっと忍耐して待ち続けることによって実現したのです。

「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」(ルカ1:45)

「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」(へブル10:35,36)

こうして、ダビデはアブネルを送り出し、アブネルも長い間のダビデとの争いを終結して、安心して出て行っています。

22~39節、ヨアブのアブネル暗殺

22節、アブネルとダビデが契約を結んだ時、ダビデの軍の将軍ヨアブは戦いに遠征していて、ヘブロンにいなかったのです。

Ⅱサム 3:22 ちょうどそこへ、ダビデの家来たちとヨアブが略奪から帰り、たくさんの分捕り物を持って来た。しかしそのとき、アブネルはヘブロンのダビデのもとにはいなかった。ダビデがアブネルを送り出し、もう彼は安心して出て行ったからである。
3:23 ヨアブと彼についていた軍勢がみな帰って来たとき、ネルの子アブネルが王のところに来たが、王がアブネルを送り出したので、彼は安心して出て行った、ということがヨアブに知らされた。

アブネルが契約を終えて、安心して帰って行った後、ヨアブは帰って来て、アブネルとダビデが契約を結んで、アブネルを平安のうちに帰したことを聞いたのです。

24,25節、アブネルが来たのは、スパイ活動をするためであったと言って、ヨアブは、ダビデがそのことに気づかす、アブネルを捕えて、殺さなかったダビデ王を激しく非難しています。

Ⅱサム 3:24 それでヨアブは王のところに来て言った。「何ということをなさったのですか。ちょうどアブネルがあなたのところに来たのに、なぜ、彼を送り出して、出て行くままにしたのですか。
3:25 ネルの子アブネルが、あなたを惑わし、あなたの動静を探り、あなたのなさることを残らず知るために来たのに、お気づきにならなかったのですか。」

アブネルもサウルの家の将軍として実権を握っていましたが、ヨアブもダビデの軍隊の将軍として相当の実権を握っており、ダビデ王の意向よりも、自分の考えを押し通そうとしています。いつの時代でも、軍部の将軍が実権を握ると、恐ろしいことが起きるのです。

ヨアブはアブネルを、弟アサエルを殺した者として憎しみを抱き続けていたのです。それでダビデがアブネルに好意を示し、契約を結び、安心して帰らせたことに激怒したのです。

30節に、「ヨアブとその兄弟アビシャイがアブネルを殺したのは、アブネルが彼らの兄弟アサエルをギブオンでの戦いで殺したからであった。」とある通りです。

26節、ヨアブはアブネルをだまして引き戻すために、ダビデには知らせないで、アブネルを追いかける使者を出しました。追いかけたヨアブの使者はヘブロンから約3.2kmの所のシラの井戸で追いつき、もっと話し合おうと提案して、連れ戻しています。

Ⅱサム 3:26 ヨアブはダビデのもとを出てから使者たちを遣わし、アブネルのあとを追わせ、彼をシラの井戸から連れ戻させた。しかしダビデはそのことを知らなかった。

27節、アブネルは安心しきっていて、少しの疑いも持たず、ヘブロンに戻っています。ヨアブは、いかにも個人的な秘密の会話をするかのように見せかけて、「門の扉の内側に」連れ込んで、アブネルの二十人の家来から引き離しておいて、アブネルの下腹を突いて殺しています。

Ⅱサム 3:27 アブネルがヘブロンに戻ったとき、ヨアブは彼とひそかに話すと見せかけて、彼を門のとびらの内側に連れ込み、そこで、下腹を突いて死なせ、自分の兄弟アサエルの血に報いた。

アブネルがヨアブの弟アサエルを殺したのは、正当防衛と言えます。彼はアサエルに何度も他の方向に行くようにと言っているのに、アサエルがそれに従わず、アブネルを狙ったので、アブネルは自分を守るために、やむを得ず、アサエルを突いたのです。しかしヨアブの行為は、戦いでもなく、正当防衛でもなく、だまし打ちの冷酷な復讐です。ヨアブがアブネルを殺した正当な理由は見つかりません。ヨアブがアブネルを恨む根拠はなかったのです。30節にはヨアブの兄弟アビシャイが、その冷酷な共犯者であったことを記しています。これらのことを見ると、権力をもった将軍ヨアブの兄弟たちは、冷酷で非道であったことが分かります。これはダビデの性質と全く反対です。

こういうヨアブ兄弟たちの傍若無人な振舞いに対して、ダビデは王でありながら、自分の力なさを認め、手がつけられない状態であると言っています。

「この私は油そそがれた王であるが、今はまだ力が足りない。ツェルヤの子らであるこれらの人々は、私にとって手ごわすぎる。主が、悪を行なう者には、その悪にしたがって報いてくださるように。」(39節)

28~29節、ダビデが、ヨアブによるアブネル殺害のことを聞いた時、ダビデにも、ダビデの王国にも、「主の前にとこしえまでも罪はない。」と、無実を宣言しました。これはヨアブとその兄弟らによる、個人的犯罪なのです。個人的な恨みによる残酷な復讐だったのです。それ故、ヨアブの頭とヨアブの父の全家に、神の血の審判が降りかかるように、と言っています。これは国民の前にも、ダビデは冷酷な復讐心がないことを明らかに示すためでもありました。確かにダビデは戦いを続けて来た人でしたが、彼が築こうとしている国は、平和の王国であることを、国民に知らせようとしています。

Ⅱサム 3:28 あとになって、ダビデはそのことを聞いて言った。「私にも私の王国にも、ネルの子アブネルの血については、【主】の前にとこしえまでも罪はない。
3:29 それは、ヨアブの頭と彼の父の全家にふりかかるように。またヨアブの家に、漏出を病む者、ツァラアトに冒された者、糸巻きをつかむ者、剣で倒れる者、食に飢える者が絶えないように。」

「…まず彼は、その名を訳すと義の王であり、次に、サレムの王、すなわち平和の王なのです。」(へブル7:2)

またダビデは、ヨアブの家に、「漏出を病む者、らい病人、糸巻きをつかむ者、剣で倒れる者、食に飢える者が絶えないように。」と、病気や自殺、飢えによる死など、最も苦痛に満ちた災難を願っています。これらの語調の激しさは、ほんの少し前、ダビデの敬意を表わした祝宴を喜んで受けて、安心して帰って行った、誠実な契約を結んだアブネルに対して、あざむきと裏切りの殺害をしたヨアブたちに対するダビデの激しい嫌悪感を表わしています。

31節、ダビデは、ヨアブにも、そして彼とともにいたすべての民にも、「あなたがたの着物を裂き、荒布をまとい、アブネルの前でいたみ悲しみなさい。」と命じています。

Ⅱサム 3:31 ダビデはヨアブと彼とともにいたすべての民に言った。「あなたがたの着物を裂き、荒布をまとい、アブネルの前でいたみ悲しみなさい。」そしてダビデ王は、ひつぎのあとに従った。

「着物を裂き、荒布をまとう」ことは、最も深い哀悼を表わすしるしでした。ヨアブたちがどのような気持ちで、それをしたかは記されていません。

32節、ダビデ自ら、アブネルの遺体をヘブロンに葬るために、ひつぎにつき添っています。

Ⅱサム 3:32 彼らはアブネルをヘブロンに葬った。王はアブネルの墓で声をあげて泣き、民もみな泣いた。

そしてダビデはアブネルの墓の前で声をあげて泣き、民もみな泣いています。ダビデは最後まで、神の誓いに立ち戻って行動したアブネルに敬意を示し、彼の死に悲しみを表わしています。

33,34節、詩人でもあったダビデは、アブネルのために哀歌を作っています。

Ⅱサム 3:33 王はアブネルのために悲しみ歌って言った。「愚か者の死のように、アブネルは死ななければならなかったのか。
3:34 あなたの手は縛られず、あなたの足は足かせにつながれもせずに。不正な者の前に倒れる者のように、あなたは倒れた。」民はみな、また彼のために泣いた。

「愚か者」とはへブル語で「ナバル」です(サムエル記第一 25:25)。アブネルは神の誓いに従って、全イスラエルの統一王国をダビデのもとに築くのに力を尽くした高貴な賢人なのに、愚かで無価値なナバルのような最期をとげたことに対するダビデの悔しさを示しています。

「あなたの手は縛られず、あなたの足は足かせにつながれもせずに。」は、アブネルがヨアブの言葉を疑いもせず、悪事を怪しむこともせず、自己防衛もせず、逃げ出すこともせず、信頼しきった心の状態で、ヨアブにだまされ、裏切られたことを言っています。彼はダビデを信頼したのと同じように、ヨアブを信頼したので、だまされ、命を失ってしまったのです。すべての、丁寧で親切な言葉が信頼に値するとは限りません。信頼の価値は言葉にあるのではなくて、それを話す、その人自身の実質によるのです。大抵、人の言葉を容易に信じることによって、わざわいに巻き込まれていくのです。

35節、「民はみな、まだ日のあるうちにダビデに食事をとらせようとしてやって来た。」

Ⅱサム 3:35 民はみな、まだ日のあるうちにダビデに食事をとらせようとしてやって来たが、ダビデは誓って言った。「もし私が、日の沈む前にパンでも、ほかの何物でも味わったなら、神がこの私を幾重にも罰せられますように。」

アブネルを哀悼していたので、王も民も、ずっと食事をしていなかったので、民は王に食事を持って来たのです。しかしダビデは、「もし私が、日の沈む前にパンでも、ほかの何物でも味わったなら、神がこの私を幾重にも罰せられますように。」と誓って、その日を通して断食をしています。

36節、このダビデの誠実な行為は、国民の心を満足させ、ダビデに対する民の信頼を強めています。

Ⅱサム 3:36 民はみな、それを認めて、それでよいと思った。王のしたことはすべて、民を満足させた。

37節、このダビデの誠実な行動によって、全イスラエルの国民は、アブネルを殺したのはダビデ王の命令によるものではないことを知ったのです。

Ⅱサム 3:37 それで民はみな、すなわち、全イスラエルは、その日、ネルの子アブネルを殺したのは、王から出たことではないことを知った。

これによって、サウルの家の側についていたイスラエル人の中からも、ベニヤミン人の中からも、ダビデに対する反乱は起きなかったのです。
もしダビデがこのような誠実を込めた哀悼の心を表わしていなければ、再びイスラエルは、サウルの家の側とダビデの家の側で激しい戦闘が繰り返されていたことでしょう。

ヨアブのように個人的な恨みをいつまでも抱いていて、国全体の大局的危機を見ずに、愚かな争いをする者は、国を滅ぼす人です。私たちも、いつまでも個人的な恨みや妬みや憎しみを抱いておらず、主が私を赦してくださったように、互いに赦し合い、神の国の平和を建設する者とならせていただきたいのです。分かれ争う者は、たといクリスチャンであっても、教会であっても立ち行かなくなってしまうのです。

「どんな国でも、内輪もめして争えば荒れすたれ、どんな町でも家でも、内輪もめして争えば立ち行きません。」(マタイ12:25)

「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」(コロサイ3:13)

38節、ダビデは家来たちに、「きょう、イスラエルでひとりの偉大な将軍が倒れたのを知らないのか。」と言っています。

Ⅱサム 3:38 王は家来たちに言った。「きょう、イスラエルでひとりの偉大な将軍が倒れたのを知らないのか。

これはアブネルに対するダビデの最高の敬意を表わす言葉です。アブネルもかつては、敵対する将軍でしたが、ダビデはアブネルが主の誓われたことに従った時、過去の経緯に捕われず、惜しみなく最高の敬意を表わしたのです。ここにダビデの真実で誠実な信仰者の霊魂を見ることができるのです。ダビデはいつまでも過去のことにこだわって、恨んだり、憎んだりしている人ではなかったのです。

39節、ダビデに何の相談もなしに、アブネルを欺いて殺してしまったツェルヤの息子たちヨアブとアビシャイの冷酷非道な復讐の事に出会って、ダビデは自分の弱さ、無力さを痛切に感じていたのです。ツェルヤの子らを制止するだけの力が自分にないことに、無力さを感じていたのです。

Ⅱサム 3:39 この私は油そそがれた王であるが、今はまだ力が足りない。ツェルヤの子らであるこれらの人々は、私にとっては手ごわすぎる。【主】が、悪を行う者には、その悪にしたがって報いてくださるように。」

「私にとっては手ごわすぎる」は「私にとって苛酷すぎる課題だ」という意味です。どんなに教会が盛んになっていても、個人的な恨みや感情、怒りや憎しみ、激しい自己主張をして動く者がいると、その人を霊的にコントロールすることができず、その人に振り回される人が出てきて、わざわいをもたらします。霊的に弁えを持って、秩序を守る者でないと、指導者の地位に着くと、わざわいの原因となってしまうのです。だれもその人の言動を制止することができなくなります。

あとがき

今月は、三人のウツ状態の方とお話する機会がありました。そのうちの一人の方が「愛は脳を活性化しますね。」と言われたのが印象的です。おそらくご自分の経験を話されたのでしょう。
この方だけでなく、ウツ状態から抜け出されて、平安な心を取り戻している方もおられます。他方、ウツ状態でなくても、重い課題が降りかかってきて、悩まれている方々もおられます。どちらの方にも、愛と平安が必要です。
しかし、だれもが愛のことばをかけてくれるのを待っていたのでは、すぐに再び思い煩いの暗やみに陥ります。自分の方から積極的にイエス様の十字架の愛を心に受け入れ、他人の攻撃を赦し(少なくとも自分の心の中で)、謙遜になって、隣人に愛をもって仕えるなら、すぐに心は輝きます。

(まなべあきら 2010.2.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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