聖書の探求(331) サムエル記第二 24章 ダビデの不名誉な事件、三つの刑罰、アラウナの麦打ち場に祭壇を築く

スコットランドの画家 William Brassey Hole (1846–1917)による「King David purchasing the threshing floor of Araunah the Jebusite(エブス人アラウナの麦打ち場を買うダビデ王)」(Wikimedia Commonsより)


最後の章は、全く不名誉な事件で締め括られています。ダビデが高慢になり、民を数えたことによって、三日間、王国の中に疫病が起きたことを示しています。

24章の分解

1~9節、ダビデ、ヨアブに民を数えさせる
10節、ダビデの罪の告白
11~13節、主、ダビデに選ぶべき三つの刑罰を示す
14節、ダビデ、主の御手に陥ることを求む
15~16節、主、疫病を下される
17節、ダビデの祈り
18~25節、ダビデ、エブス人アラウナの打ち場に祭壇を築く

1~9節、ダビデ、ヨアブに民を数えさせる

Ⅱサム24:1 さて、再び【主】の怒りが、イスラエルに向かって燃え上がった。主は「さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ」と言って、ダビデを動かして彼らに向かわせた。

1節の後半をそのまま読むと、主がダビデに働かれて、イスラエルとユダの人々を数えさせたように見えます。それで、福音的な人々はこの箇所を難解だと思ってしまっています。しかし並行記事である歴代誌第一 21章1節を見ると、「ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。」とあります。ですから、ここには明らかにサタンの働きがあり、ダビデが主にではなく、サタンに従ったことが罪とされている原因なのです。

2節、ダビデ王は側近の軍隊の長のヨアブに、イスラエルの全部族の民を登録し、民の数を知らせるように命じています。

Ⅱサム 24:2 王は側近の軍隊の長ヨアブに言った。「さあ、ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルの全部族の間を行き巡り、その民を登録し、私に、民の数を知らせなさい。」

これは軍事力の調査という観点からなされていますから、民の数を数えることは、ダビデ王の高慢と自己過信から出たものであった可能性があります。サタンはダビデ王を高慢にし、自己過信に陥れたのでしょう。主はこの点を罪とされて、お怒りになられたものと思われます。

「ダンからベエル・シェバまで」という表現は、ダンがイスラエルの領土の北端にあり、ベエル・シェバが南の砂漠の端にあるところから、イスラエル全土を表わす旧約聖書の伝統的な言い方です(士師記20:1、サムエル記第一 3:20、サムエル記第二 3:10、同17:11)。

Ⅱサム 24:3 すると、ヨアブは王に言った。「あなたの神、【主】が、この民を今より百倍も増してくださいますように。王さまが、親しくこれをご覧になりますように。ところで、王さまは、なぜ、このようなことを望まれるのですか。」

3節、この時、ヨアブは王の命令に従いませんでした。むしろダビデ王を諌めるようなことを言っています。「あなたの神、主が、この民を今より百倍も増してくださいますように。王さまが、親しくこれをご覧になりますように。ところで、王さまは、なぜ、このようなことを望まれるのですか。」

これまでのヨアブの性格は、無節操な野心や残酷さを示していましたが、ここでは、幾分か神を畏れた良い資質を持っていたことを表わしています。

4節、しかしダビデ王はヨアブの良い忠告を聞き入れようとはしませんでした。

Ⅱサム 24:4 しかし王は、ヨアブと将校たちを説き伏せたので、ヨアブと将校たちは、王の前から去って、イスラエルの民を登録しに出かけた。

王の言葉が勝ってしまい、ヨアブと将校たちは王の命令に従い、イスラエル人の調査と登録のために出かけたのです。

Ⅱサム 24:5 彼らはヨルダン川を渡って、ガドの谷の真ん中にある町、ヤゼルに向かって右側にあるアロエルに宿営し、
24:6 それから、ギルアデとタフティム・ホデシの地に行き、さらにダン・ヤアンに行き、シドンに回った。
24:7 そしてツロの要塞に行き、ヒビ人やカナン人のすべての町々に行き、それからユダのネゲブへ出て行って、ベエル・シェバに来た。

5~7節、調査隊は先ず、東に向かって進みヨルダン川を渡って、「ガドの谷の真中にある町、ヤゼルに向かって右側にあるアロエルに宿営し」ています。「ガドの谷」はへブル語では「ナハル・ハガド」です。この地は「ヤゼルに向かって右側にあるアロエル」とありますが、申命記2章36節によると、「アルノン川の縁にあるアロエルおよび谷の中の町から、ギルアデに至るまで、私たちよりも強い町は一つもなかった。」とあります。アロエルは死海の東に流れているアルノン川の北岸にある町でした。ヤゼルの町はヨルダン川の下流域から東へ20km、ヘシュボン(ネボ山の近く)から北に28kmの地点にある町です。ヤゼルは元はエモリ人の町でしたが、モーセが攻め取り(民数記21:32)、後にガド族がこの地を領土に与えられていました(民数記32:1~3、同32:34,35)。

こうして人口調査はトランス・ヨルダン(ヨルダンの東)地域の南端から始められたのです。そこからギルアデに北上し、タフティム・ホデシの地(七十人訳聖書のある写本では「ヘテ人の地のカデシュ」となっていますが、正確な地は不明です。一般にダビデ王国の北の地域と考えられています。幾つか推測される地としては、バシャンの地方か、オロンテス川沿いにあったヘテ人の王国の首都か、ヘルモン山の下の地のことを、写本を書く時、誤ったものであろうという見解もあります。)に行っています。

ダン・ヤアンもダビデ王国の北方の地であることは確かですが、不明です。そして北の地中海の港町シドンに出て、海岸線を南下してツロの要塞に下り、そこからヒビ人やカナン人の町々だった所を通って南のユダのネゲブ地方に出て、南端の最終地ベエル・シェバにまで到達しています。

8節、調査隊がイスラエル全土を行き巡って、人口登録を完了するのに、九か月と二十日(約十か月)かかったのです。

Ⅱサム 24:8 こうして彼らは全土を行き巡り、九か月と二十日の後にエルサレムに帰って来た。

9節、ヨアブがダビデ王に報告した登録人数はイスラエル(北方)の剣を使う兵士たちが八十万人、ユダ(南方)の兵士たちが五十万でした。

Ⅱサム 24:9 そして、ヨアブは民の登録人数を王に報告した。イスラエルには剣を使う兵士が八十万、ユダの兵士は五十万人であった。

イスラエルとユダを別々に報告しているのは、ダビデがユダ出身であり、サウル王との亀裂から、北と南の兵士たちの間で、争いがあったからです。ユダ一部族だけで五十万人の兵士がいたことは、十分ダビデの心を慢心させたことでしょう。

10節、ダビデの罪の告白

Ⅱサム 24:10 ダビデは、民を数えて後、良心のとがめを感じた。そこで、ダビデは【主】に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。【主】よ。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことをしました。」

ダビデはヨアブから報告を受けるや否や、民の数を数えたことに、良心の咎めを感じました。主がダビデに彼の高慢と慢心の心を咎められたのです。ダビデは良心が生きかえらされ、それを感じ取ったのです。

これに対してダビデは言い訳をせず、また無視せず、無関心を装わずに、素直に、正直に、罪の告白をして赦しを求めています。

「主よ。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。」「見のがしてください。」と訳されているのは適切ではありません。文語訳では「罪を除きたまえ」となっています。

11~13節、主、ダビデに選ぶべき三つの刑罰を示す

11節、翌朝、ダビデが起きると、主のことばが、直接ダビデ自身にではなく、ダビデの霊的指導者として働いていた先見者である預言者ガドに与えられています。

Ⅱサム 24:11 朝ダビデが起きると、次のような【主】のことばがダビデの先見者である預言者ガドにあった。

ガドはサムエル記第一 22章5節でも預言者として働いています。彼のほかにナタンも預言者としてダビデの霊的指導をしています(サムエル記第二 7:2~4、12:1~15)。この二人がダビデの霊的指導をしていたものと思われます。政治や経済や軍事の指導だけではなく、霊的指導をも重視していることは国が栄えるために重要なことです。権力者の心が狂えば、国民は大打撃を受け、破滅する危険があるからです。

ここで「先見者」「預言者」との二つの呼び方が併記されています。先見者という言い方は預言者という呼び方が使われる前の初期の頃の呼び方でしたが、ここでは王の霊的指導者という役目を表わすための呼び方として使われているのかもしれません。

12~13節、主がガドを通して、ダビデの罪深い高慢と自己過信の罪のために、三つの刑罰を示され、その中からダビデ自身に一つを選ぶように命じられました。

Ⅱサム 24:12 「行って、ダビデに告げよ。『【主】はこう仰せられる。わたしがあなたに負わせる三つのことがある。そのうち一つを選べ。わたしはあなたのためにそれをしよう。』」
24:13 ガドはダビデのもとに行き、彼に告げて言った。「七年間のききんが、あなたの国に来るのがよいか。三か月間、あなたは仇の前を逃げ、仇があなたを追うのがよいか。三日間、あなたの国に疫病があるのがよいか。今、よく考えて、私を遣わされた方に、何と答えたらよいかを決めてください。」

自分に対して行なわれる刑罰を自分で選ばせるというのも、主の試みがあります。主はダビデがどのような態度を取るかによって王としてのダビデ自身の真の心の状態をテストしておられるのです。自分で最も軽いと思う刑罰を選ぶのか、それとも、最も厳しいと思われる刑罰を選ぶことによって、主のあわれみを得ようとするのか、ダビデが自分のことだけを考える計算高い人間なのか、それとも国の王として国民を思いやる羊飼いの心がまだあるのか、ダビデ自身に選択させた主のみこころは明らかにされていませんが、主がダビデの心の奥深くをさぐっておられることは間違いありません。

主がダビデへの刑罰として提示された三つのこととは、

「七年間のききんが、あなたの国に来るのがよいか。」これは国民が七年の長い間苦しむことになります。王である自分の罪のために国民が長期間苦しむことは、羊飼いの心を持つ王なら、耐え難いことでしょう。

「三か月間、あなたは仇の前を逃げ、仇があなたを追うのがよいか。」これはダビデ自身の命が狙われることです。これはアブシャロムの反逆で経験したことで、これによっても国民は大打撃を受け、国は崩壊する危険があります。

第三は、「三日間、あなたの国に疫病があるのがよいか。」これは期間が三日間で短いですが、体力のない子供やお年寄りや病弱な人が死んでしまいます。

もし、王に愛とあわれみの心があるなら、どれか一つを選ぶことは、できないでしょう。

ガドは「今、よく考えて、私を遣わされた方に、何と答えたらよいかを決めてください。」とダビデに言っています。

14節、ダビデ、主の御手に陥ることを求む

Ⅱサム 24:14 ダビデはガドに言った。「それは私には非常につらいことです。【主】の手に陥ることにしましょう。主のあわれみは深いからです。人の手には陥りたくありません。」

ダビデはガドに次のように彼の本当の気持ちを表わしています。「それは私には非常につらいことです。主の手に陥ることにしましょう。主はあわれみ深いからです。人の手には陥りたくありません。」

ダビデは自分で選ぶことをしませんでした。できなかったのです。彼は、あわれみ深い神の御手に陥ることが一番良いと決めたのです。

15~16節、主、疫病を下される

15節、主はイスラエルに疫病を下されることを選ばれました。

Ⅱサム 24:15 すると、【主】は、その朝から、定められた時まで、イスラエルに疫病を下されたので、ダンからベエル・シェバに至るまで、民のうち七万人が死んだ。

その日、朝から定められた時までに、七万人が疫病で死んでいます。このわずかの時間の間に七万人もの人々が急死したことは、この疫病が非常に激しいものであったことを示しており、だれの目にも主によるさばきであることが分かったのです。

この神の選択は、ダビデが民の数を数えて高慢になったことに対応するものと考えられます。民は王の愚かな高慢によって、わざわいを受けてしまったのです。これはいつの時代でも同じように起きることです。国家の政治や軍事の権力者が愚かな政策を取ると、そのわざわいは国民が負うことになるのです。こうしてダビデは、自分の高慢の根拠にした国民の人口が一瞬のうちに七万人も減ってしまったのです。もしこのさばきが長時間続いていれば、この急激な疫病はイスラエル人を全滅させてしまっていたでしょう。

16節、「御使いが、エルサレムに手を伸べて、これを滅ぼそうとしたとき、」このさばきは御使いによって執行されていたことが記されています。

Ⅱサム 24:16 御使いが、エルサレムに手を伸べて、これを滅ぼそうとしたとき、【主】はわざわいを下すことを思い直し、民を滅ぼしている御使いに仰せられた。「もう十分だ。あなたの手を引け。」【主】の使いは、エブス人アラウナの打ち場のかたわらにいた。

この疫病がエルサレムの都、人口が集中して密集している所に侵入すれば、死者は更に急増したでしょう。しかし主は思いとどまってくださったのです。それは、疫病を支配していた御使いが、エブス人アラウナの打ち場の傍らにいた時です。エブス人アラウナはダビデがエルサレムを占領する前の先住民のエブス人の子孫でした。

17節、ダビデの祈り

Ⅱサム 24:17 ダビデは、民を打っている御使いを見たとき、【主】に言った。「罪を犯したのは、この私です。私が悪いことをしたのです。この羊の群れがいったい何をしたというのでしょう。どうか、あなたの御手を、私と私の一家に下してください。」

ダビデは自分の高慢な罪のために民が疫病で打たれているのを見た時、彼の心は耐えられなくなり、主に自分の罪を告白し、民を罰するのではなく、自分と自分の一家を罰して下さるように求めています。

主はダビデが羊飼いの心を持つ者であり、ダビデ自身を罰するより、民を打つほうが、ずっとダビデが苦しみ、自分の罪深さを悟ることを知っておられたのです。

18~25節、ダビデ、エブス人アラウナの打ち場に祭壇を築く

18節、ダビデが悔い改めの祈りをした時、主はすぐにガドを遣わして、御使いが立っていたエブス人アラウナの打ち場に「主のために祭壇を築きなさい。」と命じられました。

Ⅱサム 24:18 その日、ガドはダビデのところに来て、彼に言った。「エブス人アラウナの打ち場に上って行って、【主】のために祭壇を築きなさい。」

後に、この場所にソロモンによって神殿が建てられたのです。真実な悔い改めと信仰は、ただ罪が赦されるだけでなく、後にいかに大きな主の栄光を現わす実を結ぶかを示しております。

20節、麦打ち場は風通しの良い高台にあり、アラウナはそこにいて見下していると、ダビデ王とその家来たちが自分の方に進んで来るのが見えたのです。アラウナは出て来て、地にひれ伏して、王に礼をしています。

Ⅱサム 24:19 そこでダビデは、ガドのことばのとおりに、【主】が命じられたとおりに、上って行った。
24:20 アラウナが見おろすと、王とその家来たちが自分のほうに進んで来るのが見えた。それで、アラウナは出て来て、地にひれ伏して、王に礼をした。

アラウナのその後の申し出を見ても、アラウナはダビデを尊敬していたように見えます。彼はイスラエル人ではなく、むしろダビデによって占領されたエブス人の子孫であったにも関わらず、礼を尽くしてダビデ王を迎え入れています。この姿は単にダビデを恐れていたからとか、儀礼的なもののようには見えません。心から進んで、ささげているように見えます。彼の心にも主を畏れる心があったものと思われます。そうでなければ、このような敬虔な態度をとることはできないでしょう。

21節、アラウナはダビデの来訪の理由を尋ねました。ダビデは自分の罪のために神の刑罰が国民に及んでいることを告白し、それをとどめていただくために、アラウナの打ち場を買って、主のために祭壇を建てるためだと答えたのです。

Ⅱサム 24:21 アラウナは言った。「なぜ、王さまは、このしもべのところにおいでになるのですか。」そこでダビデは言った。「あなたの打ち場を買って、【主】のために祭壇を建てるためです。神罰が民に及ばないようになるためです。」

22,23節、それを聞いたアラウナは、喜んで無償で全焼のいけにえのための牛も、たきぎにするための打穀機や牛の用具もささげると言っています。

Ⅱサム 24:22 アラウナはダビデに言った。「王さま。お気に召す物を取って、おささげください。ご覧ください。ここに全焼のいけにえのための牛がいます。たきぎにできる打穀機や牛の用具もあります。
24:23 王さま。このアラウナはすべてを王に差し上げます。」アラウナはさらに王に言った。「あなたの神、【主】が、あなたのささげ物を受け入れてくださいますように。」

農夫が牛をささげ、農機具をささげることは、命をささげることと同じです。それだけでなく、アラウナは「あなたの神、主が、あなたのささげ物を受け入れてくださいますように。」とまで言っています。この時、ダビデは本当に幸せで、うれしかったと思います。アラウナはダビデを責めることもせず、嘲笑うこともせず、ダビデが心から主に立ち返り、主に従おうとしていることを心から喜び、心を一つにして協力を申し出たのです。これがダビデに占領されたエブス人の子孫の口から語られたことは驚きです。しかしこれこそ、ダビデ王国が真に繁栄した理由なのです。ダビデは罪に陥ることもありましたが、彼は罪が示されると、すぐに心砕かれて主に立ち帰り、主に従いました。このことによって主からも、また心ある人々からも深い信頼と愛とを受けて来たのです。それが王国の繁栄の基礎となっていったのです。

24節、ダビデはアラウナの申し出を喜んだに違いありません。しかし彼はアラウナに「いいえ、私はどうしても、代金を払って、あなたから買いたいのです。費用もかけずに、私の神、主に、全焼のいけにえをささげたくありません。」と答えました。

Ⅱサム 24:24 しかし王はアラウナに言った。「いいえ、私はどうしても、代金を払って、あなたから買いたいのです。費用もかけずに、私の神、【主】に、全焼のいけにえをささげたくありません。」そしてダビデは、打ち場と牛とを銀五十シェケルで買った。

彼は自分の責任をアラウナの善意にまかせてしまうことができなかったのです。ダビデは自分の果たすべき自己責任を十分弁(わきま)えていたのです。このダビデの言葉は、いけにえをささげることと、自分の責任を果たすことに関する精神として、聖書中にある偉大な発言です。ダビデは自分の罪の責任を他人のささげ物によって完了させることはしなかったのです。これは何事も他人のせいにしてしまいやすい者に対する、大きな戒めともなり、光ともなりましょう。

「ダビデは、打ち場と牛とを銀五十シェケルで買った。」歴代誌第一 21章25節では、オルナンという名前になっています。オルナンはアラウナの別名です。彼は、エブス人の最後の王であったと考えられています。オルナンか、アラウナの名前のどちらかは彼の王としての名前であるのかも知れません。また金のシェケルで重さ六百シェケルに当たるものを、ダビデはオルナンに支払っています。この両方の価値の差は非常に大きな差です。この二つの金額の違いは、次のように考えられます。銀五十シェケルは、全焼のいけにえをささげた時に支払った祭壇のために使用した土地と牛と打穀機と牛の用具を合わせた代価です。後者の金六百シェケルは、その後、そこに神殿を建てるために、その付近一帯の土地を購入した代金であったと思われます。この時、すでにダビデの心には、ここに神殿を建てることが決められていたのです。

25節、ダビデはこうして主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげて礼拝したのです。

Ⅱサム 24:25 こうしてダビデは、そこに【主】のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげた。【主】が、この国の祈りに心を動かされたので、神罰はイスラエルに及ばないようになった。

今日、私たちが自分で代価を払わずに礼拝をささげているのは主イエス様が私の罪のために十字架のいけにえをささげてくださったからであることを忘れてはいけません。ですから、私たちは罪のためのいけにえをささげる必要はありませんが、心から感謝のいけにえをささげて礼拝し、賛美のいけにえをささげて礼拝し、心と手足を義の器としてささげた生活をもってイエス様を礼拝させていただきましょう。

「あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。」(ローマ6:13)

「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(ローマ12:1)

あとがき

「聖書の探求を読んで、聖書がわかるようになってきました。」「実は、一般の聖書の解説書は私にはむずかしくて読めないのですが、まなべ先生のは内容が深く、多分むずかしいはずなのに、それにもかかわらず読みとれます。それで大変助かっています。」「地の塩を知らなかったら、どんな信仰生活だったかと思うと、本当にこわいです。」
これは、最近、私たちのところに寄せられたお言葉です。この証しを聞かされて、おそれおののいています。まだまだ不十分な働きですので、主が皆様おひとり一人の霊に働いて下さっているものと思います。これからも、聖霊の助けをいただいて、少しでも主のお仕事の役に立てていただければ幸いです。また皆様のお祈りを心より感謝申し上げます。

(まなべあきら 2011.10.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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