聖書の探求(333) 列王記第一 1章1~10節 ソロモンの治世、年老いたダビデ、アドニヤの反逆

フランスの画家James Tissot (1836–1902)による「Solomon Dedicates the Temple at Jerusalem(ソロモンはエルサレムで神殿を献げる)」(New YorkのJewish Museum蔵、Wikimedia Commonsより)
列王記第一の最初の部分(1~11章)は、ソロモンの治世を取り扱っています。この期間は、ダビデの治世の後、それを引き継いで、国民を信仰的にも、政治的にも一致させ、王国の繁栄を維持するために、最も重要な期間でした。1章から2章11節までのダビデの生涯の晩年についての記述は、ソロモンの治世の記録のつなぎの序論として書かれています。このダビデについての記述は、王国を引き継いだソロモンの治世の重大さを強調しています。
〔ソロモンの治世〕(列王記第一 1~11章)
ソロモンの神政々治の本質は平和でした。その眼に見えるしるしはエルサレムの神殿でした。それ故、ソロモンによって神殿が建てられたことは適切なことでした。
ソロモンという名前は、誕生の時にダビデが付けた名前です(サムエル記第二 12:24)。
しかし主は、預言者ナタンを遣わして、主のために彼の名を「エディデヤ」すなわち、「主に愛される者」と名付けさせています。これは主が彼の父ダビデに、その罪が赦されたことを確信させようとするためであったと思われます(サムエル記第二 12:25)。エディデヤはダビデとウリヤの妻だったバテ・シェバの間に生まれた子でした。その子が主の命名によって「主に愛される者」を意味するエディデヤと名付けられました。これは、ダビデとバテ・シェバの罪が赦され、彼らの間に生まれた子が、主に愛される者として祝福を受けていることを啓示しています。このことは、ダビデにどんなに大きな喜びとなったことでしょう。
ソロモンという名前は「平和」を意味しますが、この名前も神勅によって神の批准を受けています。こうして平和の王であるソロモンは、平和の王であられるイエス・キリストのひな型なのです。
「見よ。あなたにひとりの子が生まれる。彼は穏やかな人(平安の人)になり、わたしは、彼に安息(平安)を与えて、回りのすべての敵に煩わされないようにする。彼の名がソロモン(へブル語では「シェロモ」で、平和、あるいは平安を意味する「シャローム」の派生語です。)と呼ばれるのはそのためである。彼の世に、わたしはイスラエルに平和と平穏(静謐(せいひつ))を与えよう。」(歴代誌第一 22:9)
ソロモン王国の平和は、ダビデが勝利を得た結果でした。そのように私たちの心の中に、主の栄えあるご支配の平安を受けることができるのは、イエス・キリストが私たちの敵であるサタンと戦い、すでに勝利を収められているからです。
「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネの福音書16:33)
「なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」(ローマ14:17)
列王記に記されているソロモンの記録は率直で、かつ正確です。彼の王国の壮大さの事実は、考古学的発見によって、更に確実に立証されています。
また残念なことではありますが、ソロモンが最初、熱心だったヤーウェ礼拝を、その晩年に至り、彼の異教の国々との政略結婚によってやって来た異教の妻たちの影響によって、偶像礼拝に移ってしまった記録も正確です。彼ほど神の知恵を受けていた人でも、妻の与える影響がいかに大きいかを、暗示しています。ソロモンが書いたと言われている箴言に次のようなことばがあることは意味深いものがあります。
「良い妻を見つける者はしあわせを見つけ、主からの恵みをいただく。」(箴言18:22)
「思慮深い妻は主からのもの。」(箴言19:14)
1章の分解
1章の主題は、ソロモンの即位です。
1~4節、年老いたダビデ
5~10節、アドニヤの反逆
11~31節、ナタンとバテ・シェバの進言
32~40節、ソロモンの即位
41~53節、アドニヤの敗北
1~4節、年老いたダビデ
記者は、いよいよ、ダビデの治世の終わりを書き記すのですが、この時期に最も重大な問題になるのは、ダビデの後継者としての王に、だれがなるかということです。この移行は、ダビデが死ぬ前にソロモンが国王として十分に確立していたので、大きな争いにならなくてすみました。この移行がどのようにして行なわれたかという詳細な記述は、記者がダビデの王室の歴史の中から取り上げたものと思われます。ダビデのこの時点では、まだ王国の制度として、最初に生まれた息子が王として父の王位を継ぐという「長子相続法」が十分に認められていなかったので、いつでも神が、長子相続法とは違った、王の選任をすることが可能でありました。またダビデ自身も、長子の相続を無視してソロモンを選んでいます。こうして、神がソロモンにダビデの王位を継がせようと願われたことと、ダビデ自身の選任との両方によってソロモンの王位継承が確立したのです。
Ⅰ列王 1:1 ダビデ王は年を重ねて老人になっていた。それで夜着をいくら着せても暖まらなかった。
1節、「ダビデ王は年を重ねて老人になっていた。」
サムエル記第二 5章4節を見ると、「ダビデは三〇歳で王となり、四〇年間、王であった。」とありますから、この時、七十歳近くになっていたはずです。今日では七十歳はそれほどの老人ではありませんし、モーセも八十歳からイスラエル人の救出の働きをしていますから、それほどの老人を思わせる年令ではないはずですが、ダビデは相当、衰えていたようです。それは過去の戦いの過酷な生活と荒野での生活の苦難が、彼に急速な衰えをもたらせていたのでしょう。その上、アブシャロムの反逆と突然の死による衝撃的な悲しみは、ダビデの衰えに拍車をかけたのです。
彼は夜、普通の体温を保つことができないほど衰えていたのです。家来たちはダビデの身体を羊の毛などの保温用の夜着で包みましたが、彼の身体はあたたまらなかったのです。それほどに、体内燃焼機能が衰えていたのです。
2節、そこで当時の習慣として、衰えてしまった王をあたためるために若い処女を捜しています。
Ⅰ列王 1:2 そこで、彼の家来たちは彼に言った。「王さまのためにひとりの若い処女を捜して来て、王さまにはべらせ、王さまの世話をさせ、あなたのふところに寝させ、王さまを暖めるようにいたしましょう。」
3節、家来たちはイスラエルの国中に美しい娘を捜し求めて歩き、シュネム人の女アビシャグを見つけ、王のもとに連れて来ました。
Ⅰ列王 1:3 こうして、彼らは、イスラエルの国中に美しい娘を捜し求め、シュネム人の女アビシャグを見つけて、王のもとに連れて来た。
このシュネムはシュレム(ソレム)と同一視される村で、イズレエルの北、約八kmのエスドラエロン平原を見下ろすイエベル・アッダイの北西の傾斜地にある村です。預言者エリシャもここを訪れています(列王記第二 4:8)。
4節、彼女は非常に美しく、王に忠実に仕えましたが、王は彼女を知ろうとしなかったと記しています。ダビデは主のみこころを悟っていたのです。
Ⅰ列王 1:4 この娘は非常に美しかった。彼女は王の世話をするようになり、彼に仕えたが、王は彼女を知ろうとしなかった。
5~10節、アドニヤの反逆
Ⅰ列王 1:5 一方、ハギテの子アドニヤは、「私が王になろう」と言って、野心をいだき、戦車、騎兵、それに、自分の前を走る者五十人を手に入れた。
5節、「一方、ハギテの子アドニヤは、『私が王になろう。』と言って、野心をいだき」
次に王となる者についての神の御旨とダビデの宣言は、アドニヤだけでなく、宮廷の他の者たちも知っているところでした。それにも関わらず、アドニヤは野心を抱いて、神の御旨に逆らい、「私が王になろう。」と言って、自分の軍隊を集めたのです。彼は愚かな計画を企み、自分を支持して従ってくれる者を五十人呼び出したのです。彼はアブシャロムと同じように、自分の野心を遂げようとして自分を誇り、自分を高く上げようとしたのです。彼はアブシャロムの前例を見ていながら、その愚かさを学ばず、かえってその愚かさに倣ってしまったのです。アドニヤは自己高揚するアブシャロム型の愚かな人間でした。彼は自分が王であることを、これ見よがしに見せつけるために、わざと自分の戦車と騎兵と、自分の前に走る従者たち五十人を率いて、自らの姿を現わしたのです。これはダビデのように厳しい実戦を知らない、幼稚な人間のする自己主張でしかありません。こうして、彼の運命は彼の高慢さの故に滅んでしまったのです。
アドニヤはダビデの多くの妻たちのうちの一人ハギテの子でした(サムエル記第二 3:4)。彼はダビデの四男として生まれましたが、すでに長男アムノンは死に、次男のキルアブも多分死んでいたのでしょう。そして三男のアブシャロムも反逆の故にヨアブによって殺害されていましたので、アドニヤは生きている男子の中で最年長でした。ですから、長子の相続権としてダビデの王位継承権をもっていたはずですが、心を見られる神はアドニヤの性質をご覧になり、長子の相続権を採用なさらず、アドニヤを王に選ばなかったのです。アドニヤはこれを承知できずに、自分で自分を王にする愚かな企てを計画したのです。彼は自らを高くしようとしましたが、神だけが人を上げたり、下げたりすることができるのです。
「わたしは、誇る者には、『誇るな。』と言い、悪者には、『角を上げるな。おまえたちの角を、高く上げるな。横柄な態度で語るな。』と言う。高く上げることは、東からでもなく、西からでもなく、荒野からでもない。それは、神が、さばく方であり、これを低くし、かれを高く上げられるからだ。」(詩篇75:4~7)
Ⅰ列王 1:6 ──彼の父は存命中、「あなたはどうしてこんなことをしたのか」と言って、彼のことで心を痛めたことがなかった。そのうえ、彼は非常な美男子で、アブシャロムの次に生まれた子であった──
6節、「彼の父は存命中、『あなたはどうしてこんなことをしたのか。』と言って、彼のことで心を痛めたことがなかった。そのうえ、彼は非常な美男子で、」
アドニヤは父ダビデから叱責を受けたことがなかったのです。その上、彼の容貌が非常に美しかったのです。これらの二つ、甘い親と美男子の容貌でアドニヤはうぬぼれてしまい、自分が王を名乗っても、父ダビデは自分を叱ったりしないだろうと、甘く考えていたのです。しかし、うぬぼれて神に逆らうことは、神に敵対することで、たとえダビデが叱らなくても、神が懲らしめられます。このあたりに、アドニヤに信仰が身についていない不敬虔さが見られます。
7節、アドニヤは、ダビデの老齢化によってダビデの実権が衰え、もはやダビデの愛顧を受けられなくなっていた人たち、即ち今の政権に不満を持ち始めていた人たちに、相談を持ちかけています。
Ⅰ列王 1:7 彼はツェルヤの子ヨアブと祭司エブヤタルに相談をしたので、彼らはアドニヤを支持するようになった。
これはいつも、反乱、反抗を企てようとしている人が考える手法です。現状に不満を抱きそうな人なら、自分に味方してくれる公算が大きいと考えるからです。
この時、アドニヤにとって格好の人物が二人いたのです。それはツェルヤの子ヨアブと祭司エブヤタルです。
ヨアブは昔、ダビデの将軍でしたが、ヨアブは権力を持ち過ぎることによって高慢になり、ダビデが制御できない存在になっていたのです。当然、アドニヤはダビデとヨアブの不和の状態の雰囲気を読み取っていたのでしょう。この二人の不和を表わす証拠はサムエル記第二の中に多く見られます。
「この私は油そそがれた王であるが、今はまだ力が足りない。ツェルヤの子らであるこれらの人々は、私にとって手ごわすぎる。主が、悪を行なう者には、その悪にしたがって報いてくださるように。」(サムエル記第二 3:39)
またヨアブがダビデの命令に背いてダビデの息子アブシャロムを殺した後に、ダビデはアブシャロムがヨアブの代わりに軍団長に任命していたアマサに向かって、次のように言っています。
「あなたは、私の骨肉ではないか。もしあなたが、ヨアブに代わってこれからいつまでも、私の将軍にならないなら、神がこの私を幾重にも罰せられるように。」(サムエル記第二 19:13)
祭司エブヤタルは、ダビデがまだ若い日、サウル王に追われて逃げる途中、立ち寄った祭司の町ノブの祭司アヒメレクの息子でした。サウル王はアヒメレクがダビデを助けたことで、アヒメレクと八十五人の祭司を殺し、ノブの町を全滅させた時、エブヤタルだけが一人逃れてダビデの所に来て、それ以後、ダビデの忠実な祭司となっていたのです(サムエル記第一 22:20)
エブヤタルがダビデと不和の仲になり、離反していたという記録はこの事件が起きるまでには見つかっていません。彼がなぜアドニヤを支持するようになったかは、聖書は何も記していません。
ただ、アドニヤはダビデの王宮にいた有力者たちの中から支持者を得ることは避けています。更に、自分が王になるには、必ず、祭司の役目を果たしてくれる者が必要になります。歴代誌第一、24章1~6節を見ますと、主の宮で奉仕する祭司の職をめぐって、祭司ツァドクとエブヤタルの子アヒメレクの間で競っていたことが見られます(歴代誌第一 24:6)。この競合は、ダビデの時代に「ツァドクとエブヤタルは祭司」(サムエル記第二 20:25)に任命された時から始まっていたものと思われます。この競合の中での二者の仲がどうであったかは知る由もありませんが、アドニヤはその雰囲気を読み取り、エブヤタルに相談を持ちかけ、エブヤタルがアドニヤを支持する側についたことは、彼の思惑を示しているように思われます。
8節には、アドニヤに組みしなかった主要な人物を記しています。
Ⅰ列王 1:8 しかし、祭司ツァドクとエホヤダの子ベナヤと預言者ナタン、それにシムイとレイ、および、ダビデの勇士たちは、アドニヤにくみしなかった。
祭司ツァドクは動きませんでした。
エホヤダの子ベナヤは、多くの手柄を立てた力ある勇士で、ダビデは彼を自分の護衛長にしていました(サムエル記第二 23:20~23)。
預言者ナタンは、ダビデとバテ・シェバとの罪に対しても、王の権力を恐れずに諫言(かんげん)した、ダビデが最も信頼を寄せていた預言者で、ダビデの治世のほとんど全期間を通じて神のみこころを取り次いだ人でした。ダビデは生涯を通じて、ナタンによって支えられ、滅びに至らなかったのです。
「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。」(へブル13:17)
シムイは、後にソロモンによってイスラエル全土の十二人の守護者の一人に任命されたエラの子シムイ(列王記第一 4:18)と思われます。
レイについては、何も知られていません。
ダビデの勇士たちは、ダビデの治世において活躍した注目に値する人々です(サムエル記第二 23:8~39)。
9節、アドニヤは、王位に就く戴冠式のための儀式と祭りを行なっています。
Ⅰ列王 1:9 アドニヤは、エン・ロゲルの近くにあるゾヘレテの石のそばで、羊、牛、肥えた家畜をいけにえとしてささげ、王の子らである自分の兄弟たちすべてと、王の家来であるユダのすべての人々とを招いた。
そこには必ず、王に油を注ぐために祭司エブヤタルが来ていたはずです。「羊、牛、肥えた家畜をいけにえとしてささげ」は、宗教的意味よりも、その後の祝宴のためであったと思われます。アブシャロムの時もいけにえをささげています(サムエル記第二 15:12)。神に反抗している人がいけにえをささげても、主が受け入れられるはずがありません。
場所は、「エン・ロゲルの近くにあるゾヘレテの石のそば」と記されています。エン・ロゲルは「スパイの井戸」あるいは「流れる井戸」という意味で、キデロンの谷とヒンノムの谷の合流する地点を少し越えた所にあるエッヨブ(ヨブの谷)と考えられています。
ゾヘレテは「蛇」あるいは「はうもの」という意味ですが、その場所は不明です。古代エルサレムの地図を見ていただけると、すぐに分かりますが、エン・ロゲルはエルサレムの南の城壁の外にあります。このことは明らかにアドニヤが不法な反逆行為をしている自覚を持って、この儀式を行なっていたことを表わしています。
10節、アドニヤは預言者ナタンやベナヤ、勇士たち、それに王位継承者のソロモンを招きませんでした。
Ⅰ列王 1:10 しかし、預言者ナタンや、ベナヤ、それに勇士たちや、彼の兄弟ソロモンは招かなかった。
彼が招いたのは、自分を支持してくれそうな王の子らや、自分の兄弟たちすべてと、自分を援助してくれそうな王の家来たちでした。このように王国を分裂させる反逆的行為が祝福されるはずがありません。
あとがき
前回に続いて、聖書神学概論と神論のプリントに聖句を書き込んでおられる方々から、メッセージをいただき、大変うれしく思います。「みことばを書くことで気づかされることがたくさんあります。言葉で表わせませんが、主に守られている平安な何とも言えないありがたい気持ちになります。これからも毎日少しずつですが、みことばを書き入れながら主の恵みを味わいつつ読んでいきたいと思っています。」
「プリントへのみことばの書き写し、皆さんも『楽しい』と言われているようで、私も同じですが、お仲間がおおぜいいると思うと本当に嬉しいです。みことばを書き移すって本当にいいですね。」多くの方にみことばの恵みが与えられれば、感謝です。
(まなべあきら 2011.12.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)
