週報No.2089 涙の預言エレミヤ書(2) 「エレミヤとユダの王たち」 1:11~16

2017年8月20日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

涙の預言エレミヤ書(2) 「エレミヤとユダの王たち」 1:11~16

エレミヤ書1章11~16節

1:11 次のような【主】のことばが私にあった。「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」そこで私は言った。「アーモンドの枝を見ています。」
1:12 すると【主】は私に仰せられた。「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」
1:13 再び、私に次のような【主】のことばがあった。「何を見ているのか。」そこで私は言った。「煮え立っているかまを見ています。それは北のほうからこちらに傾いています。」
1:14 すると【主】は私に仰せられた。「わざわいが、北からこの地の全住民の上に、降りかかる。
1:15 今、わたしは北のすべての王国の民に呼びかけているからだ。──【主】の御告げ──彼らは来て、エルサレムの門の入口と、周囲のすべての城壁と、ユダのすべての町に向かって、それぞれの王座を設ける。
1:16 しかし、わたしは、彼らのすべての悪にさばきを下す。彼らはわたしを捨てて、ほかの神々にいけにえをささげ、自分の手で造った物を拝んだからだ。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

エレミヤと諸王との関係

1、召命を受けた時は、

北方からの敵バビロンのネプカデネザルによって、エルサレムの滅亡が確実です(1:11~16)。エレミヤは、南王国の最後の五人の王の治世を通じて、それぞれの王に神のみことばを語り、警告しました。

2、ヨシヤの治世、エレミヤが召命を受けて5年目

ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで31年間、統治しました(列王記第二、22:1)。エレミヤが召命を受けた時は、ヨシヤ王はその治世の第13年で、21歳でした(エレミヤ書1:2)。若い王と若い預言者の協力が期待される時です。

ヨシヤ王の18年、26歳の時、紀元前621年、信仰復興のリバイバルで、神殿が開かれた時、律法の書が発見されました(列王記第二、22:~23:)。

その結果、ヨシヤ王は、偶像礼拝の根絶を計って、国民を主に立ち返らせることを求めて、宗教改革を始めました。エレミヤはこのヨシヤの努力を助けました。エレミヤの説教は、国民の罪を取り除くように、国民に悔い改めを呼びかけました(2:~6:)。11章1~8節の契約への言及は、この時のリバイバルの信仰から出ていると思われます。なぜなら、ヨシヤ王と国民の宗教生活が、モーセの律法に従ったものに戻ったからです。こ
の変化は、神殿で律法の書が見つかり、それを読み聞かせたからです。

今日においても、信仰者が聖書を読み、それを信じて、日常生活で実行するように、教会で教え勧めることは、信仰のリバイバルを起こすことにつながります。

「そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。『私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。』」(使徒6:2)

「そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」(使徒6:4)

最初、エレミヤは、アナトテに住み、時折エルサレムに姿を現わしました。彼の説教により、アナトテにおいても、エレサレムにおいても、人々から敵視されました。

この憎しみは、最初、自分の故郷アナトテで起こったので(11:18~23)、彼はエルサレムに移りました。エレミヤの家族の者でさえ、彼を裏切っていたようです(12:6)。その理由については、12章に来た時に、詳しくお話しますが、簡単に言えば、異なる部
族の祭司のねたみと、憎しみによるものです。

しかしこれでもエレミヤの宣教の期間としては、この時期は多分、彼の最も幸福な時期であったと思われます。朝顔の花が、朝、数時間、美しく咲いている時間のように短いですが。

善王ヨシヤが、紀元前609年、メギドでパロ・ネコとの戦いで死んだ時には、エレミヤは彼のために嘆いて、哀歌を作り(歴代誌第二、35:25前半)、国民と悲しみを分かち合っています。ユダ王国は、突然、若い改革の権力者を失うことによって、偶像派の勢力が盛り返して来たのです。

<今週の活用聖句>

テモテへの手紙第二、4章2節

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」

<集会案内>

◇8月23日(水)聖別会 午前10時半
聖潔の諸要素(80)
「人間的要素」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421