週報No.2088 涙の預言エレミヤ書(1) 「預言者エレミヤ」 1:1

2017年8月13日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

涙の預言エレミヤ書(1) 「預言者エレミヤ」 1:1

エレミヤ書1章1節

エレ 1:1 ベニヤミンの地アナトテにいた祭司のひとり、ヒルキヤの子エレミヤのことば。
【新改訳改訂第3版】

<メッセージの要点>

エレミヤの性格について

エレミヤは、エリヤのような力や、イザヤのような雄弁な人物ではなく、彼は謙遜で、礼儀正しく、真実で、偉大な能力を持つ天才でしたが、幼子のように主に信頼している人でした。また、愛と同情深い人でした。

なぜ、このような性質の人物が、腐敗し切った時代に、主の厳しい審判を宣告する使命のために、選ばれたのでしょうか。

その答えは、主のさばきに関する、極めて厳しい使命を、力と悲しみの調べをもって語るためには、エレミヤのような、心のやさしい、あわれみに満ちた人が必要だったからです。特に厳しいさばきの宣告をする時には、言葉や声の調子が大切です。

それ故、エレミヤは、悲しみの預言者、傷心の預言者、涙の預言者と言われています。

「主よ。私はあなたのうわさを聞き、主よ、あなたのみわざを恐れました。この年のうちに、それをくり返してください。この年のうちに、それを示してください。激しい怒りのうちにも、あわれみを忘れないでください。」(ハバクク書3:2)

〔イザヤとエレミヤの違い〕

これを知っておくと、エレミヤ書の理解を大きく助けます。

イザヤは、ユダの民族の衰退と反逆、及びユダの捕囚を預言し、イザヤは、捕囚の預言の成就よりも百年も前に死にました。

エレミヤは、イザヤより百年後の、ユダの捕囚が行なわれていた時代、即ちイザヤの預言が一部成就していた時代の預言者です。

エレミヤは、ユダの終末の時代にあって預言しました。

エレミヤは、ダビデの王家の没落を見ています。

エレミヤは、エルサレムの神殿が、バビロンの強大で、無残な軍隊によって、破壊され、略奪され、神の選民が、異教の地バビロンに捕え移されて行くのを、目撃したのです。

それは、神ご自身が、ご自分の契約の民を捨て、約束を無視し、その約束の地を「林のいのししや野の獣」に渡し、再び取り戻すことのできない廃墟にされたかのようでした。

これが、エレミヤの預言の重荷となり、その特異な光を彼の預言の中に放っているのです。

エレミヤの預言は、この深まり行く、ユダの反逆と、審判と、災いの間で行なわれたのです。

<今週の活用聖句>

テモテへの手紙第二、4章2節

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」

<集会案内>

◇8月16日(水)聖別会 午前10時半
聖潔の諸要素(79)
「きよめの倫理(3)」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421