週報No.2103 涙の預言エレミヤ書(16) 「審判の理由(1)」 5:1~11

2017年11月26日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

涙の預言エレミヤ書(16) 「審判の理由(1)」 5:1~11

エレミヤ書5章1~11節

5:1 エルサレムのちまたを行き巡り、さあ、見て知るがよい。その広場で捜して、だれか公義を行い、真実を求める者を見つけたら、わたしはエルサレムを赦そう。
5:2 たとい彼らが、「【主】は生きておられる」と言っても、実は、彼らは偽って誓っているのだ。
5:3 【主】よ。あなたの目は、真実に向けられていないのでしょうか。あなたが彼らを打たれたのに、彼らは痛みもしませんでした。彼らを絶ち滅ぼそうとされたのに、彼らは懲らしめを受けようともしませんでした。彼らは顔を岩よりも堅くし、悔い改めようともしませんでした。
5:4 そこで、私は思いました。「彼らは、実に卑しい愚か者だ。【主】の道も、神のさばきも知りもしない。
5:5 だから、身分の高い者たちのところへ行って、彼らと語ろう。彼らなら、【主】の道も、神のさばきも知っているから。」ところが、彼らもみな、くびきを砕き、なわめを断ち切っていました。
5:6 それゆえ、森の獅子が彼らを殺し、荒れた地の狼が彼らを荒らす。ひょうが彼らの町々をうかがう。町から出る者をみな、引き裂こう。彼らが多くの罪を犯し、その背信がはなはだしかったからだ。
5:7 これでは、どうして、わたしがあなたを赦せよう。あなたの子らはわたしを捨て、神でないものによって誓っていた。わたしが彼らを満ち足らせたときも、彼らは姦通をし、遊女の家で身を傷つけた。
5:8 彼らは、肥え太ってさかりのついた馬のように、おのおの隣の妻を慕っていななく。
5:9 これらに対して、わたしが罰しないだろうか。──【主】の御告げ──このような国に、わたしが復讐しないだろうか。
5:10 ぶどう畑の石垣に上って滅ぼせ。しかし、ことごとく滅ぼしてはならない。そのつるを除け。それらは【主】のものではないからだ。
5:11 イスラエルの家とユダの家とは、大いにわたしを裏切ったからだ。──【主】の御告げ──
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

私たちの信仰は、自分を救うだけでなく、自分の住む町や、社会や、国の滅亡を免れさせるのです。

これは、ロトの住むソドムのために、祈ったアブラハムの祈りに似ています。

「アブラハムは近づいて申し上げた。『あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしよに滅ぼし尽くされるのですか。もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのために、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。』主は答えられた。『もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。』」(創世記18:23~26)

エレミヤは、捜してみたが無駄でした。

「たとい彼らが、『主は生きておられる。』と言っても、実は、彼らは偽って誓っているのだ。」(エレミヤ5:2)

エルサレムに、主の名によって信仰を誓った者は、大勢いました。

彼らは、自分たちの告白が真実であることの証人として、神を引き合いに出して、「主は生きておられる」と言っていましたが、彼らは偽って、誓っていたのです。信仰告白がどこまで真実なものであるのか、疑いのないものであるのか、ことばや、口先だけで終わっていませんか。

「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけでなく、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」(ヨハネ第一、3:18)

<今週の活用聖句>

ヤコブの手紙1章22節
「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」

<集会案内>

◇11月29日(水)聖別会 午前10時半
必要な諸区別(5)
「信仰と気分」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421