週報No.2121 涙の預言エレミヤ書(32)「隠された帯」エレミヤ書13:1~11

2018年3月25日 (日) 午前10時半
棕櫚の聖日(パームサンデー)~受難週
礼拝メッセージ 眞部 明 牧師
涙の預言エレミヤ書(32)「隠された帯」エレミヤ書13:1~11
エレミヤ書13章1~11
13:1 【主】は私にこう仰せられた。「行って、亜麻布の帯を買い、それを腰に締めよ。水に浸してはならない。」
13:2 私は【主】のことばのとおり、帯を買って、腰に締めた。
13:3 すると、私に次のような【主】のことばがあった。
13:4 「あなたが買って腰に着けているその帯を取り、すぐ、ユーフラテス川へ行き、それをそこの岩の割れ目に隠せ。」
13:5 そこで、【主】が私に命じられたように、私は行って、それをユーフラテス川のほとりに隠した。
13:6 多くの日を経て、【主】は私に仰せられた。「すぐ、ユーフラテス川へ行き、わたしが隠せとあなたに命じたあの帯を取り出せ。」
13:7 私はユーフラテス川に行って、掘り、隠した所から帯を取り出したが、なんと、その帯は腐って、何の役にも立たなくなっていた。
13:8 すると、私に次のような【主】のことばがあった。
13:9 「【主】はこう仰せられる。わたしはユダとエルサレムの大きな誇りを腐らせる。
13:10 わたしのことばを聞こうともせず、自分たちのかたくなな心のままに歩み、ほかの神々に従って、それに仕え、それを拝むこの悪い民は、何の役にも立たないこの帯のようになる。
13:11 なぜなら、帯が人の腰に結びつくように、わたしは、イスラエルの全家とユダの全家をわたしに結びつけた。──【主】の御告げ──それは、彼らがわたしの民となり、名となり、栄誉となり、栄えとなるためだったのに、彼らがわたしに聞き従わなかったからだ。
──【主】の御告げ──」
【新改訳改訂第3版】
<礼拝メッセージの要点>
「主はこう仰せられる。わたしはユダとエルサレムの大きな誇りを腐らせる。」(エレミヤ13:9)
エレミヤは、挿囚がユダを腐らせるとは、考えていません。その捕囚に至らせた罪と偶像礼拝の堕落が、ユダを腐らせたと言っています。民は捕囚を嘆いていますが、捕囚は腐敗の結果であって、原因ではありません。
エルサレムの繁栄の崩壊を嘆いてはいけない。その繁栄の中での堕落こそ、嘆くべきです。
「わたしのことばを聞こうともせず、自分たちの頑なな心のままに歩み、ほかの神々に従って、それに仕え、それを拝むこの悪い民は、何の役にも立たないこの帯のようになる。」(エレミヤ13‥10)
このエレミヤの象徴的行動のメッセージは、繁栄して誇り高ぶっていたエレサレムの民の堕落と腐敗です。
罪の結果は、「この悪い民は、何の役にも立たないこの帯のようになる。」です。
イスラエルに対する神の本来の目的は、「…それは、彼らがわたしの民となり、名となり、栄誉となり、栄えとなるためだった」(エレミヤ13:11後半)のです。この目的は、モーセの時にシナイで示されています(出エジプト記19:5)。
しかし、神の民が異教徒のようになりたい、異教徒の王のように、王を持ちたいと求めることによって、神のご目的が軽視されるようになっていたのです。
私が他人を見て、他の人に倣って生きようとするなら、気をつけなければなりません。自分に対する、神のご計画を見失っているかもしれないからです。
私たちは神に聞き従う時、才能が花開き、恵みに成長するのです。
しかし、イスラエルは「彼らがわたしに聞き従わなかったからだ。」(エレミヤ13:11終わり)
この点で、エレミヤの帯の隠喩的メッセージは、偶像礼拝がたましいの堕落をもたらし、真の礼拝を破壊することを、実物教訓を用いて教えたのです。
それに対して、ヤーウェ礼拝は、賛美があり、聖さがあり、栄光の輝きがあり、神とお会いし、交わる、霊的経験があります。
そのために、罪の悔い改めが必要であること、即ち、真理と救いの神に立ち返ることが必要であることを、明らかに啓示したのです。
<今週の活用聖句>
テサロニケ第一、5章23節
「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。」
<集会案内>
◇3月28日(水)聖別会 午前10時半
その他の諸問題(3)
「信仰の更新」
<お知らせ>
4月1日(日)復活節礼拝 午前10時30分
私たちの救い主イエス様の復活を喜び、賛美と感謝に溢れて礼拝をささげましょう。また、礼拝後に感謝のお交わりの時を持たせていただきます。ご自由にご参加ください。退室はご自由です。
地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421