週報No.2127 涙の預言エレミヤ書(37)「霊的備え」エレミヤ書16:1~9

2018年5月6日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

涙の預言エレミヤ書(37)「霊的備え」エレミヤ書16:1~9

エレミヤ書16章1~9
16:1 次のような【主】のことばが私にあった。
16:2 「あなたは妻をめとるな。またこの所で、息子や娘を持つな。」
16:3 まことに、【主】は、この所で生まれる息子や娘につき、また、この国で、彼らを産む母親たちや、彼らを生ませる父親たちについて、こう仰せられる。
16:4 「彼らはひどい病気で死ぬ。彼らはいたみ悲しまれることなく、葬られることもなく、地面の肥やしとなる。また、剣とききんで滅ぼされ、しかばねは空の鳥や地の獣のえじきとなる。」
16:5 まことに【主】はこう仰せられる。「あなたは、服喪中の家に入ってはならない。悼みに行ってはならない。彼らのために嘆いてはならない。わたしはこの民から、わたしの平安と、──【主】の御告げ──いつくしみと、あわれみとを取り去った。
16:6 この国の身分の高い者や低い者が死んでも葬られず、だれも彼らをいたみ悲しまず、彼らのために身を傷つけず、髪もそらない。
16:7 だれも、死んだ者を悔やむために葬儀に出て、パンを裂くこともなく、その父や母を慰める杯を彼らに飲ませることもないだろう。
16:8 あなたは宴会の家に行き、いっしょにすわって食べたり飲んだりしてはならない。」
16:9 まことにイスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。「見よ。わたしは、この所から、あなたがたの目の前で、あなたがたが生きているうちに、楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声を絶やす。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>
  
 この章では、神のみことばがどのように、エレミヤの行動、生活に、指示が出されているかを見ていきましょう。

「あなたは妻をめとるな。またこの所で、息子や娘を持つな。」(エレミヤ16:2)

 このご命令が、ヨシヤ王の治世中に与えられたものであるとすれば、その時すでにエレミヤは結婚して、家庭を築いていてもおかしくない年齢になっていたのです。

 ヨシヤの治世の十三年に召命を受けた時、エレミヤが14~15才の若さであったとすれば、ヨシヤの死の時には、エレミヤは30~31才になっていたはずです。それまでエレミヤは、預言の任務に没頭し、独身の預言者だったのです。

 主がエレミヤに結婚を思いとどまらせた理由は、「まことに、主は、この所で生まれる息子や娘につき、また、この国で、彼らを産む母親たちや、彼らを生まれさせる父親たちについて、こう仰せられる。『彼らはひどい病気で死ぬ。彼らはいたみ悲しまれることなく、葬られることもなく、地面の肥やしとなる。また、剣とききんで滅ぼされ、しかばねは空の鳥や地の獣のえじきとなる。』」のみことばに表わされています。

 破滅が、国土をおおいかぶそうとしています。罪は、刑罰を刈り取ろうとしています。

 こういう状態で、ユダに生まれた幼子は、剣か、病か、飢えで死んでしまい、埋葬されることもなく、猛禽や野の獣に食い尽くされてしまうのです。

 いつの時代でも、戦争や捕虜、捕囚、堕落による神のさばきの時代に、生まれた子どもたちや両親たち家族全員が、悲しみから抜け出せなくなります。

 ここで主が、意図されていることは、

 第一は、いのちの誕生も、死も、人間の肉の行ないとしてではなく、神の神聖なみわざとして、行ないたいのです。

 それ故に、堕落と戦争と荒廃の中では、生まれないほうがいい、という神のみこころを示されたのです。

 わが子を迎え入れようとする両親は、二つの責任を果たさなければなりません。
一つは、幼子たちが、安心して暮らせる平和な家庭、社会、平和な世界をつくる責任があります。
もう一つは、すべての子どもは、罪人として生まれてきますから、主の救いに導かなければなりません。そのために、真剣に祈り、自ら真実な証しの生活をする責任があります。

 それ故、エレミヤが独身でいたことは、当時のユダの民に下される審判は、恐ろしく厳しい神のさばきであることを示しているのです。

<今週の活用聖句>

テサロニケ第一、5章23節 「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。」

<集会案内>

◇5月9日(水)聖別会 午前10時半
 その他の諸問題(9)
「聖潔に反対しているような聖句」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421