週報No.2132 涙の預言エレミヤ書(42)「砕かれたびん」エレミヤ書19:1~9

2018年6月10日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

涙の預言エレミヤ書(42)「砕かれたびん」エレミヤ書19:1~9

エレミヤ書19章1~9節
19:1 【主】はこう仰せられる。「行って、土の焼き物のびんを買い、民の長老と年長の祭司のうちの数人といっしょに、
19:2 『瀬戸のかけらの門』の入口にあるベン・ヒノムの谷に出かけ、そこで、わたしがあなたに語ることばを呼ばわって、
19:3 言え。『ユダの王たちとエルサレムの住民よ。【主】のことばを聞け。イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。見よ。わたしはこの所にわざわいをもたらす。だれでも、そのことを聞く者は、耳鳴りがする。
19:4 彼らがわたしを捨ててこの所を見分けがつかないほどにし、この所で、彼らも彼らの先祖も、ユダの王たちも知らなかったほかの神々にいけにえをささげ、この所を罪のない者の血で満たし、
19:5 バアルのために自分の子どもたちを全焼のいけにえとして火で焼くため、バアルの高き所を築いたからである。このような事は、わたしが命じたこともなく、語ったこともなく、思いつきもしなかったことだ。
19:6 それゆえ、見よ、その日が来る。──【主】の御告げ──その日には、この所はもはや、トフェテとかベン・ヒノムの谷とか呼ばれない。ただ虐殺の谷と呼ばれる。
19:7 また、わたしはこの所で、ユダとエルサレムのはかりごとをこぼち、彼らを敵の前で、剣で倒し、またいのちをねらう者の手によって倒し、そのしかばねを、空の鳥や地の獣にえじきとして与える。
19:8 また、わたしはこの町を恐怖とし、あざけりとする。そこを通り過ぎる者はみな、色を失い、そのすべての打ち傷を見てあざける。
19:9 またわたしは、包囲と、彼らの敵、いのちをねらう者がもたらす窮乏のために、彼らに自分の息子の肉、娘の肉を食べさせる。彼らは互いにその友の肉を食べ合う。』
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

エレミヤは、ユダとエルサレムの崩壊の預言を、7:1~8:3で、神殿の門に立って、説教していました。その時は、悔い改めの勧告が強調されていましたが、今回の説教には、悔い改めの招きも、希望のことばも、全く見られません。

今や、ユダとエルサレムの民は、救いと滅亡を分ける分水嶺を踏み越えて、滅亡の坂を転がり始めていたのです。

それは、彼らが主のあわれみを拒んで、悔い改めなかったからです。主に立ち返らなかったからです。

すべての人は、主に立ち返る決断をすべき時があります。

真理と偽りとの戦いで、どちらを選ぶか、決断すべき時があります。

主なるメシヤは、偉大な救いの恵みを備えて下さいました。私はこれを受け取るか、拒むか、決めなければなりません。

いつまでも躊躇していることは、許されていません。タイム・リミットがあります。

やぎは左に、羊は右に、分けられる時が来ます。

明確に、光を選択しなかった者は、闇を選択した者として、ゲヘナに入れられてしまうのです。

この重大な決断の時を越えてしまったら、二度と、永遠を選ぶ、決断のチャンスはないのです。

<今週の活用聖句>

へブル人への手紙3章7~8節
「ですから、聖霊が言われるとおりです。『きょう、もし御声を聞くならば、荒野で試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。』」

<集会案内>

◇6月13日(水)聖別会 午前10時半
聖潔とは何か(5)
「自分のカで潔めようとする危険」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421