音声:使徒の働き(032) 邪悪立返 3:24~26
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使徒の働き
3:24 また、サムエルをはじめとして、彼に続いて語ったすべての預言者たちも、今の時について宣べました。
3:25 あなたがたは預言者たちの子孫です。また、神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける』と言って、あなたがたの父祖たちと結ばれたあの契約の子孫です。
3:26 神は、まずそのしもべを立てて、あなたがたにお遣わしになりました。それは、この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださるためなのです。」【新改訳改訂第3版】
(たけさんの一口まとめ)
ペテロの説教も最後のしめくくりの部分になりました。
ペテロは、実に見事に締めくくっています。
神様の目的をズバリと言い放っているのです。
25節は、3種類の子孫についての話しです。
一つ目は、預言者たちの子孫。神のみことばやいましめを直接受けていたユダヤ人のことですが、大いなる特権を受けていたのに、それを特権とは思いませんでした。
次は、アブラハムの子孫です。アブラハムは、神の示す地へいきなさいと言われ、どこへ行くのか分からないのに出ていきました。つまり、信仰によって、偶像を捨てて神の国をえらびとった人、つまり、信仰の子孫です。アブラハムは何度も信仰を更新して神の大きな祝福を受け、その祝福は、キリスト・イエスによって異邦人に及び、地上のすべての民族の基となりました。私たちもアブラハムの子孫であり、信仰によって、約束の御霊を受けています。
三つ目は契約の子孫です。契約はアブラハム、律法はモーセ。契約の方が先で430年後にモーセによって律法が与えられましたが、契約は有効であり続けました。そして、イエス・キリストにより、アブラハムの契約が更新され、律法は終わりました。私たちは、キリストの契約の子孫です。
神はその一人子イエスを人として地上にお遣わしくださり、イエスは、私たちを救うために十字架に架けられ、贖いの死をとげられました。神は私たち一人一人を救い出すためにすべての力を注がれたのです。それほどまでにされたのは、何故でしょうか?
それは、神は愛だからです。私たちが考えている程度のものではないモーレツな愛です。
この熱烈な神の愛に対して、私たちはどうお答えすればいいのでしょうか?
それは、ただ、うれしくお受けするだけ、つまり、「すみません」ではなく、「ありがとう」と言って受け取るだけでいいのです。イエス様が、私たち一人一人を祝福し、邪悪な生活から立ち返らせてくださる、これが神の愛です。
私が自分の努力で心を入れ替えて正しい人間になるのではなく、イエス様が祝福してくださるので私の生活が邪悪な滅びに至る生活から解放されるのです。
以上が、25~26節に書かれた内容ですが、これには続きがあると思われます。
それは、詩編1:1~3
1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
詩編1:1節は、使徒3:26節と同じことを言っていますが、その後の2~3節の部分が、ペテロが最後に話したかったことではないでしょうか。
私たちは、神の愛に満たされると、聖霊とイエス様のみことばといのちの水を受けて、何をしても栄える生涯へと進んで行くことができます。
目先の出来事がどうであっても、何をしても、その人の心には栄光の日々が待っています。
更に、神の愛に満たされて邪悪な生活から解放されるだけではなく、周りの方々にも恵みを分かちあい、約束の御霊を共にすることのできる生涯を送らせて頂きたいと思います。
写真は、イタリアの画家Lorenzo Veneziano (1336–)が1370年頃に描いた「Apostle Peter Preaching(説教する使徒ペテロ)」(ベルリン美術館蔵)
(参照聖句)
創
12:1 ・・・「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。
ヘブル 11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。
創
22:16 仰せられた。「これは【主】の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、
22:17 わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。
22:18 あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
ガラ
3:6 アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。それと同じことです。
3:7 ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。
3:8 聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される」と前もって福音を告げたのです。
3:9 そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。
ガラ 3:14 このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。
ガラ 3:16 ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。
ガラ
3:17 私の言おうとすることはこうです。先に神によって結ばれた契約は、その後四百三十年たってできた律法によって取り消されたり、その約束が無効とされたりすることがないということです。
3:18 なぜなら、相続がもし律法によるのなら、もはや約束によるのではないからです。ところが、神は約束を通してアブラハムに相続の恵みを下さったのです。
ヘブル 7:18 一方で、前の戒めは、弱く無益なために、廃止されましたが、
ヘブル 7:28 律法は弱さを持つ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た誓いのみことばは、永遠に全うされた御子を立てるのです。
ヘブル 8:13 神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます。
ピリ
2:6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
2:8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
詩
1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。