週報No.2149 涙の預言エレミヤ書(59)「エレミヤとハナヌヤ」エレミヤ書28:1~4

2018年10月7日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書28章1~4節
28:1 その同じ年、すなわち、ユダの王ゼデキヤの治世の初め、第四年の第五の月に、ギブオンの出の預言者、アズルの子ハナヌヤが、【主】の宮で、祭司たちとすべての民の前で、私に語って言った。
28:2 「イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。わたしは、バビロンの王のくびきを打ち砕く。
28:3 二年のうちに、わたしは、バビロンの王ネブカデネザルがこの所から取って、バビロンに運んだ【主】の宮のすべての器をこの所に帰らせる。
28:4 バビロンに行ったエホヤキムの子、ユダの王エコヌヤと、ユダのすべての捕囚の民も、わたしはこの所に帰らせる。──【主】の御告げ──わたしがバビロンの王のくびきを打ち砕くからだ。」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

神が語っておられないことを、ハナヌヤが勝手に、神のみことばだと言って語ることは、神の主権の乱用であり、不法をなすことであり、人々を欺くことであり、真実な神に対する悔い改めの動機を奪うことです。

ハナヌヤの結末は、ハナヌヤ自身だけでなく、彼に聞き従った王や、首長たちや、国民にとっても、安全でも平和でもなく、破滅でした。

預言の真偽の問題は、熱心さ、真面目さや、自信がある態度にあるのではなく、真の神経験と、主に忠実で、従順であることにかかっています。

預言者は、影響力の強い存在でした。しかし、ユダ王国が急速に傾き、末期症状の状態になると、預言者たちも、自分の食欲に従って、王と首長たちの気に入るようなことを、神のことばだと言って語り、平和と繁栄が直ぐにやって来ると、偽りの預言を続けたのです。現代人は、直ぐに幸せがやって来るという錯覚に踊らされていませんか、これは、不健全なまやかしの誘惑です。

今の教会でも、会衆が喜ぶ話をして、表面的に恵まれたように思えても、エレミヤのように、罪の悔い改めの勧めをし、心と生活の方向転換をして、イエス・キリストの十字架による救いと、みことばと、聖霊を信じて従うことを、熱心に語り、信仰に導かなければ、クリスチャンは永遠のいのちも、キリストの平安も、神の愛も持つことができません。永遠の御国へ入ることができません。

安易な救いの道は、聖書には約束されていません。

心を尽くして、主イエス様を愛し、隣人を愛し、互いに赦し合い、重荷を負い合い、主にある交わりをしていて、主とお会いする礼拝ができるのです。

エルサレムとユダの民が、神の審判を受けた原因は、エレミヤの預言を拒んで、偽預言者の語ることに従ったからです。

殆どの人が、自分に厳しいことを言う人よりも、自分に都合の良いことを言ってくれる人に従うでしょう。そうして滅んでいくのです。

「彼らは主を否んでこう言った。『主が何だ。わざわいは私たちを襲わない。剣もききんも、私たちは、見はしない。預言者たちは風になり、みことばは彼らのうちにない。彼らはこのようになる。』」(エレミヤ書5:12~13)

<今週の活用聖句>

箴言3章5節
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」

<集会案内>

◇10月10日(水)聖別会  午前10時半
聖潔とは何か(22)
「聖潔の道を歩む(10)」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421