週報No.2157 涙の預言エレミヤ書(67)「新しい喜び」エレミヤ書31:7~20

2018年12月2日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書31章7~20節
31:7 まことに【主】はこう仰せられる。「ヤコブのために喜び歌え。国々のかしらのために叫べ。告げ知らせ、賛美して、言え。『【主】よ。あなたの民を救ってください。イスラエルの残りの者を。』
31:8 見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中には目の見えない者も足のなえた者も、妊婦も産婦も共にいる。彼らは大集団をなして、ここに帰る。
31:9 彼らは泣きながらやって来る。わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。わたしは彼らを、水の流れのほとりに導き、彼らは平らな道を歩いて、つまずかない。わたしはイスラエルの父となろう。エフライムはわたしの長子だから。」
31:10 諸国の民よ。【主】のことばを聞け。遠くの島々に告げ知らせて言え。「イスラエルを散らした者がこれを集め、牧者が群れを飼うように、これを守る」と。
31:11 【主】はヤコブを贖い、ヤコブより強い者の手から、これを買い戻されたからだ。
31:12 彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、穀物と新しいぶどう酒とオリーブ油と、羊の子、牛の子とに対する【主】の恵みに喜び輝く。彼らのたましいは潤った園のようになり、もう再び、しぼむことはない。
31:13 そのとき、若い女は踊って楽しみ、若い男も年寄りも共に楽しむ。「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。
31:14 また祭司のたましいを髄で飽かせ、わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。──【主】の御告げ──」
31:15 【主】はこう仰せられる。「聞け。ラマで聞こえる。苦しみの嘆きと泣き声が。ラケルがその子らのために泣いている。慰められることを拒んで。子らがいなくなったので、その子らのために泣いている。」
31:16 【主】はこう仰せられる。「あなたの泣く声をとどめ、目の涙をとどめよ。あなたの労苦には報いがあるからだ。──【主】の御告げ──彼らは敵の国から帰って来る。
31:17 あなたの将来には望みがある。──【主】の御告げ──あなたの子らは自分の国に帰って来る。
31:18 わたしは、エフライムが嘆いているのを確かに聞いた。『あなたが私を懲らしめられたので、くびきに慣れない子牛のように、私は懲らしめを受けました。私を帰らせてください。そうすれば、帰ります。【主】よ。あなたは私の神だからです。
31:19 私は、そむいたあとで、悔い、悟って後、ももを打ちました。私は恥を見、はずかしめを受けました。私の若いころのそしりを負っているからです』と。
31:20 エフライムは、わたしの大事な子なのだろうか。それとも、喜びの子なのだろうか。わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。──【主】の御告げ──
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

 神の恵みが与えられる所には、いつも新しい喜びがわき上がるのです。これには、救いの教理の理解や納得や、水の洗礼を受けただけでは、この新しい喜びはありません。それには、最初の時だけでなく、いっも毎日、主イエス様の血潮を仰いでいることと、心にみことばが聖霊によって光となって、生活の中で活用していることが必要です。こうなっていれば、あなたの信仰は生きています。みことばが生活の中で活用されていないと、信仰が知識となってしまっていて、眠ってしまっているか、死んでいます。

 この救いと回復の喜びによって、四種類の人々が神の感動を受けます。

 第一は、8~9節、苦しめられている人、
 第二は、10~14節、落胆している人、
 第三は、15~17節、寂しい人、
 第四は、18~20節、元気のない人です。

 第一の苦しめられている人は、8節で「目の見えない人、足の不自由な人、妊婦、産婦」と表現されています。

「見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中には目の見えない者、足のなえた者、妊婦も産婦もともにいる。彼らは大集団をなして、ここに帰る。」

 彼らは北の国バビロンの捕囚から帰って来たばかりの人たちで、大集団です。

 彼らは泣きながらやって来る。わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。わたしは彼らを水の流れのほとりに導き、彼らは平らな道を歩いて、つまずかない。わたしはイスラエルの父となろう。エフライムはわたしの長子だから。」(エレミヤ31:9)

 彼らは悲しいから泣いているのではありません。喜びの涙を流して、帰って来るのです。彼らの涙の悔い改めは、救いをもって答えられます。そのこと自体が、捕囚民へのメッセージとなります。喜びの歌声、恵みに満たされた心、主の国での満ち足りた経験となります。「慰めながら連れ戻る」は、神の救いを受けた者は、たましいのいやしとからだの健康とが与えられるので、ますます祈り求めるように、という意味です。

 神は彼らに、いのちの水を与えて、霊肉を刷新し、毎日の生活の歩みに平らな道をお与えになります。これは与えられた恵みを、毎日、活用することによって実を結ばせます。活用しないでいると、今、与えられている恵みも失われていきます。

 多くのクリスチャンが、より簡単な、毎日の信仰の活用をしないで、より難しい、自分の知恵で考えた哲学的思考に信仰の確信を得ようとしているから、確信が得られないのです。これらすべての祝福は、神が私たちの天の父であるから、与えられるのです。
自分の知恵や考えでもたらされるものではありません。

 確かに、エレミヤのこれらの恵み深いことばは、苦しめられている者には励ましとなったのです。ダニエルや彼の友人たちは、捕囚の状態の中で、信仰を活用することによって、クロス王の時に回復を勝ち取ったのです。

「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:31~33)

 このみことばは、教会の集会に出席していれぱよい、ということを言っているのではありません。神の愛をもって、隣人を愛しなさい。世の光、地の塩になりなさい。人々の心に光を照らしなさいと、命じられたのです。

【お知らせ】

☆12月23日(日)聖誕節礼拝 午前10:30
    礼拝後 クリスマス感謝会 
  どうぞ、お気軽にご参加下さい。

☆クリスマス感謝献金のお願い
 主イエス様の御降誕の恵みと、今年も一年間、恵みの中で守られたことを感謝して、クリスマス感謝献金を実施します。信仰と感謝を込めてお加わり頂ければ幸いです。
  この献金は、教会の牧師費や光熱費、その他の諸経費のために使わせていただきます。

<今週の活用聖句>

エレミヤ書31章3節
「主は遠くから、私に現われた。『永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。』」

<集会案内>

 ◇12月5月(水)聖別会  午前10時半
     聖書的聖潔(4)
      「贖罪の計画」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421