週報No.2163 涙の預言エレミヤ書(71)「新しい町」エレミヤ書32:1~5

2019年1月6日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書32章1~5節
32:1 ユダの王ゼデキヤの第十年、すなわち、ネブカデレザルの第十八年に、【主】からエレミヤにあったみことば。
32:2 そのとき、バビロンの王の軍勢がエルサレムを包囲中で、預言者エレミヤは、ユダの王の家にある監視の庭に監禁されていた。
32:3 彼が監禁されたのは、ユダの王ゼデキヤがエレミヤに、「なぜ、あなたは預言をするのか」と尋ねたとき、エレミヤが次のように答えたからである。「【主】はこう仰せられる。『見よ。わたしはこの町をバビロンの王の手に渡す。それで、彼はこれを攻め取る。
32:4 ユダの王ゼデキヤは、カルデヤ人の手からのがれることはできない。彼は必ずバビロンの王の手に渡され、彼と口と口で語り、目と目で、彼を見る。
32:5 彼はまた、ゼデキヤをバビロンへ連れて行く。それでゼデキヤは、わたしが彼を顧みる時まで、そこにいる。──【主】の御告げ──あなたがたはカルデヤ人と戦っても、勝つことはできない。』」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

 その頃はバビロンの包囲中で、エレミヤは王の家にある監視の庭で、多分、鎖につながれていたことでしょう。

 そのような状況の時に、彼のおじの子ハナムエルがやって来て、「アナトテにある私の畑を買ってくれ。あなたには買い戻す権利があるのだから。」と頼まれる神の啓示を受けたのです。エルサレムが包囲されている危険な時は、土地の取り引きをするような時でないことは明らかです。しかも獄中の人間に、畑の買い取りを依頼することは、誰が考えても異常で、神の特別なメッセージが意味されていると、エレミヤは気づいたでしょう。

 間もなく、ハナムエルはやって来て、主のみことばの通りでしたので、エレミヤを驚かせました。エレミヤは、ハナムエルの依頼を神のみことばと知って、買い取り、契約を完了しました。しかし、ユダ王国は、滅亡寸前になっており、町も国土も荒廃するという、明確な啓示を受けて、王にも国民にも、エレミヤは明確に語り続けて来ました。四十年近くも、語ってきたのです。

 その本人が、語って来た内容に逆行する、あたかも畑を耕すことが必要になることを示すアナトテの畑を買うことは、誰の目にも理にかなわぬ、矛盾しているように見えます。エレミヤがこれまで預言して来たことと、彼が今、行なっていることとは、矛盾しているように見えます。神の突然のこの啓示は、エレミヤ自身を戸惑わせたことでしょう。これまで四十年間、エレミヤが語ってきた預言のメッセージは、間違っていなかったのでしょうか。しかし聖書は、エレミヤが迷ったとか、疑ったとか、一切記していません。

 エレミヤは、間もなくバビロン人の手に渡るであろう地、またエレミヤの手に返って来るにしても、七十年後であり、エレミヤが生きているはずもない畑の購入のために、入念に、証人を立てて、二通の証書を作り、一通は購入価格の記入した封印してあるもの、もう一通は証人たちの署名のある封印が押されていないものでした。これを土の器の中に入れて、バルクの管理にゆだねました。

 ごの二通の証書は、捕囚から帰って来るまで、開かれた形跡がありません。捕囚からの帰還者が、この証書を開く時、感情の高まりと、エレミヤへの尊敬と、みことばへの確信がこみ上げて来たでしょう。みことばの成就は、主のみわざを静めさせます。信仰者を奮い立たせます。

 しかし、エレミヤ自身は、この喜ばしい経験をすることはできませんでした。ユダの捕囚民が帰還した時には、エレミヤは地上を去っていたからです。エレミヤは、苦難の只中を神のご命令のままに進んで行きました。彼は主に信頼し、従うことによって、霊的開放感を味わうことができたのです。まことにエレミヤは、土の器であり、彼の内には神の宝を持っていたのです。

 神のみことばを真実に信じて従って行く生涯は、最高の財産を残すことになります。

 それ故に、エレミヤの預言のメッセージは、七十年後の捕囚からの帰還者に、主に対する信仰のいのちをもたらし、キリストの王国に彼の預言が引き継がれ、今日、エレミヤ書を読む時、聞く者の、私たちのたましいに霊的いのちを与えているのです。

 それはエレミヤのたましいの内に、キリストの死が働き、エレミヤのことばを通して、キリストのいのちが一人一人のたましいに注がれているからです。みことばを信じる人のたましいに、キリストのみことばの権威が注がれるのです。

 「ただ、おことばをいただかせてください。」(マタイ8:8)

 「彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物に触った。『お着吻にさわることでもできれば、きっとなおる。』と考えていたからである。すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出ていったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、『だれがわたしの着物にさわったのですか。』と言われた。」(マルコ5:27~30)

 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(ヨハネ12:24)

 「こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。『私は信じた。それゆえに語った。』と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じている故に語るのです。それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。」(コリント第二、4:12~14)

<今週の活用聖句>

テサロニケ人への手紙5章23節
 「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように、主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。」

<集会案内>

 ◇1月9日(水)聖別会 午前10時半
   旧約の聖化と新約の聖化(3)「聖潔の中身」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421