週報No.2193 涙の預言エレミヤ書(100)「最後のメッセージ」エレミヤ書44:1~14

2019年8月4日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書44:1~14
44:1 エジプトの国に住むすべてのユダヤ人、すなわちミグドル、タフパヌヘス、ノフ、およびパテロス地方に住む者たちについて、エレミヤにあったみことばは、次のとおりである。
44:2 「イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。『あなたがたは、わたしがエルサレムとユダのすべての町に下したあのすべてのわざわいを見た。見よ。それらはきょう、廃墟となって、そこに住む者もない。
44:3 それは、彼らが悪を行ってわたしの怒りを引き起こし、彼ら自身も、あなたがたも先祖も知らなかったほかの神々のところに行き、香をたいて仕えたためだ。
44:4 それでわたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを早くからたびたび送り、どうか、わたしの憎むこの忌みきらうべきことを行わないように、と言ったのに、
44:5 彼らは聞かず、耳も傾けず、ほかの神々に香をたいて、その悪から立ち返らなかった。
44:6 それで、わたしの憤りと怒りが、ユダの町々とエルサレムのちまたに注がれて燃え上がり、それらは今日のように廃墟となり荒れ果ててしまった。』
44:7 それで今、イスラエルの神、万軍の神、【主】は、こう仰せられる。『あなたがたは自分自身に大きなわざわいを招こうとしているのか。なぜユダの中から男も女も、幼子も乳飲み子も断ち、残りの者を生かしておかないようにするのか。
44:8 なぜ、あなたがたの手のわざによってわたしの怒りを引き起こし、寄留しに来たエジプトの国でも、ほかの神々に香をたき、あなたがた自身を断ち滅ぼし、地のすべての国の中で、ののしりとなり、そしりとなろうとするのか。
44:9 あなたがたは、ユダの国とエルサレムのちまたで行ったあなたがたの先祖の悪、ユダの王たちの悪、王妃たちの悪、あなたがたの悪、妻たちの悪を忘れたのか。
44:10 彼らは今日まで心砕かれず、恐れず、わたしがあなたがたとあなたがたの先祖の前に与えたわたしの律法と定めに歩まなかった。』
44:11 それゆえ、イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。『見よ。わたしは、わたしの顔をあなたがたからそむけて、わざわいを下し、ユダのすべての民を断ち滅ぼそう。
44:12 わたしは、寄留しにエジプトの国へ行こうと決心したユダの残りの者を取り除く。彼らはみな、エジプトの国で、剣とききんに倒れて滅びる。身分の低い者も高い者もみな、剣とききんで死に、のろい、恐怖、ののしり、そしりとなる。
44:13 わたしは、エルサレムを罰したと同じように、エジプトの国に住んでいる者たちを、剣とききんと疫病で罰する。
44:14 エジプトの国に来てそこに寄留しているユダの残りの者のうち、のがれて生き残る者、帰って行って住みたいと願っているユダの地へ帰れる者はいない。ただのがれる者だけが帰れよう。』」
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージの要点>

「イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『あなたがたは、わたしがエルサレムとユダのすべての町に下したあのすべてのわざわいを見た。見よ。それらはきょう、廃墟となって、そこに住む者もない。』」(エレミヤ書44:2)

エレミヤは、最近、ユダから来た人々の、エルサレム崩壊の厳しい体験に訴えています。経験の記憶や記録は、しばしば歴史上の事実としての、神の厳しい裁きに私たちの目を覚まさせます。

現在では、戦争の悲惨さや、原発の事故の悲惨さや、地震、災害の悲惨さを語り継ぐことはしていても、神の審判の警告を語る人はいません。

バベルの塔の崩壊、ノアの洪水、ソドムとゴモラの崩壊、アッシリヤ、バビロン、ローマによる、神の民の崩壊など、現実生活で気にする人はひとりもいないでしょう。

しかし、エレミヤはそうではなかった。
エジプトの崩壊、バビロンの侵略、ユダの民のエジプトへの逃亡は、彼らの運命を決定付けるものでした。

私たちの今日あすの運命を決定付けるものは、お金だけであるはずがありません。私が毎瞬、神を選ぶか、何を選ぶかによっているはずです。

エレミヤは、神を選ぶことを、自分もしていたし同胞のユダヤ人にもさせたかったのです。

「それは、彼らが悪を行なってわたしの怒りを引き起こし、彼ら自身も、あなたがたも先祖も知らなかったほかの神々のところに行き、香をたいて仕えたためだ。」(エレミヤ書44:3)

この厳しい、恐ろしい崩壊の原因は、ユダの人々が悪を行ない、偶像に香をたき、偶像に仕えたためでした。これは17節に記されている「天の女王」と呼んでいるもので、「大いなる母」,とも呼ばれていて、おそらくアシェタロテか、それと同類の偶像と思われます。

「それでわたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを早くからたびたび送り、どうか、わたしの憎むこの忌みきらうべきことを行なわないように、と言ったのに、」(エレミヤ書44:4)

ユダの民には、エルサレムの都が廃墟になるという前科があったにも関わらず、神はご自分のしもべの預言者たちを忍耐強く、何度も遣わして、警告されましたが、彼らは聞かなかったのです。神の警告を頑迷に拒んで、神の憎まれる、忌み嫌われている偶像を拝み続けたのです。神がみこころを尽くして命じておられるご要求を踏みにじったのです。

今、日本でも、普通の人と思われる人が、テロリストのような恐ろしい事件を起こしています。これは私たちは、自分の内に神の御霊を持たないと、怒りや憎しみやサタンの霊を抱くことを示しています。

アダムとエバが、神に背いた時、神を失い、愛を失い、互いに不満を抱き、助け合うことを失い、死に支配されたのです。

これは、私が神を失うとどういう性質の人間になるのかを示しています。

人が神を失うと、すぐにカインは、ねたみの故に弟のアペルを殺害しました。

神を心に失っている人の性質を、聖書はこう言っています。
「ああ、あなたはきよう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなけれぱなりません。それで、私こ出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」(創世記4:14)

「彼らは聞かず、耳も傾けず、ほかの神々に香をたいて、その悪から立ち返らなかった。」(エレミヤ書44:5)

偶像礼拝は、ただ神の律法を破るということにとどまらず、神を畏れ敬う霊性を、即ち、主を愛し、信じて従う、従順な人格性を失わせてしまうのです。

偶像礼拝は、人のたましいを、主に対して、心頑なにしてしまうのです。

「というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。肉にある者は神を尊ばせることができません。」(ローマ8:7~8)

どうか、皆さんは、いつも心に、御霊による思い、いのちと平安を持って、生活を、お仕事を営んで下きい。そうすれば、心を充実させて、神を喜ばせる、実りのある人になります。間違いなく、なります。

<今週の活用聖句>

ローマ人への手紙8章6節
「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。」

<集会案内>

◇8月7日(水) 聖別会 午前10時半
「福音的追求(3)」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421