週報No.2226 希望の預言エゼキエル書(11)「見張り人と囚人の任務」 エゼキエル書 3:16~27

2020年3月15(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エゼキエル書 3:16~27
3:16 七日目の終わりになって、私に次のような【主】のことばがあった。
3:17 「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。
3:18 わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪者に悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。
3:19 もしあなたが悪者に警告を与えても、彼がその悪を悔い改めず、その悪の道から立ち返らないなら、彼は自分の不義のために死ななければならない。しかしあなたは自分のいのちを救うことになる。
3:20 もし、正しい人がその正しい行いをやめて、不正を行うなら、わたしは彼の前につまずきを置く。彼は死ななければならない。それはあなたが彼に警告を与えなかったので、彼は自分の罪のために死に、彼が行った正しい行いも覚えられないのである。わたしは、彼の血の責任をあなたに問う。
3:21 しかし、もしあなたが正しい人に罪を犯さないように警告を与えて、彼が罪を犯さないようになれば、彼は警告を受けたのであるから、彼は生きながらえ、あなたも自分のいのちを救うことになる。」
3:22 その所で【主】の御手が私の上にあった。主は私に仰せられた。「さあ、谷間に出て行け。そこでわたしはあなたに語ろう。」
3:23 私はすぐ、谷間に出て行った。すると、そこに、【主】の栄光が、かつて私がケバル川のほとりで見た栄光のように、現れた。それで私はひれ伏した。
3:24 しかし、霊が私のうちに入り、私を立ち上がらせた。主は私に語りかけて仰せられた。「行って、あなたの家に閉じこもっていよ。
3:25 人の子よ。今、あなたに、なわがかけられ、あなたはそれで縛られて、彼らのところに出て行けなくなる。
3:26 わたしがあなたの舌を上あごにつかせるので、あなたは話せなくなり、彼らを責めることができなくなる。彼らが反逆の家だからだ。
3:27 しかし、わたしは、あなたと語るときあなたの口を開く。あなたは彼らに、『神である主はこう仰せられる』と言え。聞く者には聞かせ、聞かない者には聞かせるな。彼らが反逆の家だからだ。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

「しかし、霊が私のうちにはいり、私を立ち上がらせた。主は私に語りかけて仰せられた。『行って、あなたの家に閉じこもっていよ。』」(エゼキエル書3:24)

エゼキエルは、任務地に遣わされる前に、「あなたの家に閉じこもって」この世の全てのものから離れて、神とともにいる交わりを深めるように、命じられています。…

私たちには、忙しければ忙しいほど、この世と離れて、神と深く交わる時と場所が必要です。それをいつ取るべきか、私が申し上げるべきことではありません。これは、教育的に教えられるべきものではありません。教訓的に学んでも、効果がありません。各々が喜んで、自発的に、たましいが主に飢え渇いて、主と交わる時間を取って経験することによって、その大切さを知るのです。教訓的にやってみても、表面的な交わりしかできません。

3:25でも「人の子よ。今、あなたに、なわがかけられ、あなたはそれで縛られて、彼らのところに出ていけなくなる。」と言われています。これは、22、23節のケバル川の幻を見た後で命じられています。その意味は、エゼキエルは、預言者として、捕囚民として、見張り人としての任務を負うだけでなく、四つ目の重要な任務を負わせられることを指しています。果してエゼキエルが立派な器だったとしても、そんなに多くの過重な任務を負うことが出来るでしょうか。

第四番目の任務は、神のみことばに捕えられた、囚人です。彼は神のみことば自体によって、縛られてしまったのです。
「しかし、わたしは、あなたと語るときあなたの口を開く。あなたは彼らに、『神である主はこう仰せられる。』と言え。聞く者には聞かせ、聞かない者には聞かせるな。彼らが反逆の家だからだ。」(エゼキエル書3:27)
彼が口を開くときだけ、彼は語ることができ、神が彼にメッセージを与えない時は、何も話さなくなるのです。

8:25では、エゼキエルは、なわがかけられ、縛られて、捕囚民の所に出て行けなくなります。エゼキエルは、民を励まし、慰めに行こうとしても、行けなくされてしまうのです。

この意味で、エゼキエルは神のみことばを語る預言者であるのに、神が彼の口を開いて、捕囚民に回復のメッセージが与えられるまでは、神の囚人として、閉じ込められてしまったのです。この沈黙は、エルサレムの陥落まで続きました。

「私たちが捕囚となって十二年目の第十の月の五日、エルサレムからのがれた者が、私のもとに来て、『町は占領された』と言った。
そののがれた者が来る前の夕方、主の御手が私の上にあり、朝になって彼が、私のもとに来る前に、私の口は開かれた。こうして、私の口は開かれ、もう私は黙っていなかった。」(エゼキエル書33:21~22)

その後、エゼキエルは口を開いて、エルサレムと祖国の将来の回復のため、栄光に満ちた希望のメッセージを語ることができたのです(エゼキエル書24:25~27)。

BC587年より前のエゼキエルのメッセージは、背教の町エルサレムに対する神のさばきと滅びのメッセージに閉じ込められていました。それ故、彼の第四の任務は、実際の囚人になるのではなく、神のみことばに閉じ込められてしまう霊的に神の囚人となることでした。ちょっと分かりにくい任務です。

エゼキエルの心のように、神に捕えられて、神のしもべとなってしまったドイツの宗教改革者に、マルティン・ルターがいます。彼はヴォルムスの議会で証言台に立った時、こう叫んだのです。「私の良心は、神のことばによって捕えられてしまいました。…何一つ取り消すことができません。…私はここに立っています。私はこれ以外のことをすることができません。神よ、私を助けたまえ。アーメン。」と、告白しています。この証言は、世界的に知られるようになり、「我ここに立つ」という伝記的な本になりました。

預言者エゼキエルに与えられた四つの任務は、

第一に、「行って、神のみことば、すなわち、神の審判と、神に立ち返ることを語る」ことです。

第二は、「行って、座ること」神と交わり、神のご訓練を受けることです。このことなしに、神の救いをもたらすことができません。

第三は、「行って、見張り人になること」です。地の塩、世の光として、世界の見張り人として、メッセージを発信し続けることです。

第四の任務は、「行って、神のみことばに捕えられた、しもべとなること」です。

私たちも、それぞれに任務が与えられています。その任務は、エゼキエルのように変わることもあります。その任務を弁(わきま)えて、忠実に従いたいものです。

<今週の活用聖句>

コリント人への手紙第二、4章7節
「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」

<集会案内>

◇「志道者会」 毎聖日礼拝後30分くらい

◇ 3月18日(水)聖別会 午前10時半
「訓練された人々(6)成熟のしるし(2)気分」

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