週報No.2227 希望の預言エゼキエル書(12)「エルサレム陥落の意味」 エゼキエル書 4:1~17

2020年3月22(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エゼキエル書 4:1~17
4:1 人の子よ。一枚の粘土板を取り、それをあなたの前に置き、その上にエルサレムの町を彫りつけよ。
4:2 それから、それを包囲し、それに向かって塁を築き、塹壕を掘り、陣営を設け、その回りに城壁くずしを配置せよ。
4:3 また、一枚の鉄の平なべを取り、それをあなたと町との間に鉄の壁として立て、あなたの顔をしっかりとこの町に向けよ。この町を包囲し、これを攻め囲め。これがイスラエルの家のしるしだ。
4:4 あなたは左わきを下にして横たわり、イスラエルの家の咎を自分の身の上に置け。あなたがそこに横たわっている日数だけ彼らの咎を負え。
4:5 わたしは彼らの咎の年数を日数にして三百九十日とする。その間、あなたはイスラエルの家の咎を負わなければならない。
4:6 あなたがその日数を終えたら、次にまた、あなたの右わきを下にして横たわり、ユダの家の咎を四十日間、負わなければならない。わたしは、あなたのために一年に対して一日とした。
4:7 それから、あなたは顔を、包囲されているエルサレムのほうにしっかりと向け、腕をまくり、これに向かって預言せよ。
4:8 見よ。わたしはあなたになわをかけ、あなたの包囲の期間が終わるまで寝返りができないようにする。
4:9 あなたは小麦、大麦、そら豆、レンズ豆、あわ、裸麦を取り、それらを一つの器に入れ、それでパンを作り、あなたがわきを下にして横たわっている日数、すなわち、三百九十日間それを食べよ。
4:10 あなたが食べる食物は、一日分二十シェケルを量って、一日一回それを食べよ。
4:11 あなたの飲む水も、一日分一ヒンの六分の一を量って、それを一日一回飲め。
4:12 あなたの食物は大麦のパン菓子のようにして食べよ。それを彼らの目の前で、人の糞で焼け。」
4:13 それから【主】は仰せられた。「このように、イスラエルの民は、わたしが追いやる国々の中で、彼らの汚れたパンを食べなければならない。」
4:14 そこで、私は言った。「ああ、神、主よ。私はかつて、自分を汚したことはありません。幼い時から今まで、死んだ獣や、野獣に裂き殺されたものを食べたことはありません。また、いけにえとして汚れている肉を口にしたこともありません。」
4:15 すると、主は私に仰せられた。「では、人の糞の代わりに牛の糞でやらせよう。あなたはその上で自分のパンを焼け。」
4:16 そして、私に仰せられた。「人の子よ。見よ。わたしはエルサレムで、パンのたくわえをなくしてしまおう。それで彼らはこわごわパンを量って食べ、おびえながら水を量って飲むであろう。
4:17 それはパンと水が乏しくなるからだ。彼らは自分たちの咎のために、みなやせ衰え、朽ち果てよう。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

ユダにとっての70年間の捕囚は、刑罰のためだけではなく、訓練と回復の準備のためでもあります。回復時期に彼らを待ち受けている困難を乗り越えていく期間があります。北王国イスラエルは当然、南王国ユダよりも、はるかに苦難が長期にわたるでしょう(エゼキエル書20:35~38)

全イスラエル民族は、しばらくの間、神の主権国家から除外され、神の選民という特権は剥奪され、権力は、異邦人のカルデヤ人のネブカデネザルの手に渡されてしまいました。こうして、神の主権が異邦人によって行使される時代に変わったのです。

今日、クリスチャンの信仰が失われることによって、異邦人の力に世界が動かされているのではないでしょうか。

第三は、4章9~17節です。

エゼキエルは、この象徴的行動を全部行なう期間、食べる食料と、水を準備しなければなりませんでした。しかしエルサレム包囲下における民の生活状態は、バビロンの兵糧攻めにあって、食料と水の不足はひどいものであったことを描いています。

9~11節は、一日分の食料の不足状態
「大麦のパン菓子のようにして…人の糞で焼け。」(エゼキエル書4:12)遊牧民の間では、家畜の糞を乾燥して、燃料にすることはよく行なわれていることでした。しかし人の糞を使うことはありませんでした。
人の糞で焼いたパンは、汚れた物とみなされました。「それから仰せられた。『このように、イスラエルの民は、わたしが追いやる国々の中で、彼らの汚れたパンを食べなければならない。』」(エゼキエル書4:13)

イスラエルの民は、散らされた国々で、汚れた物を食べさせられることになるのです。
「ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と官官の長に願った。」(ダニエル書1:8)ここでの汚れた食物とは、異教の偶像にささげた物のことです。異教の社会では、果物も野菜も穀物も牛も羊も、偶像にささげてから、市場で販売していたからです。

新約のコリントの教会でも、偶像にささげた肉を食べたことが大問題になっていました(コリント第一、10:18~83)。

糞で焼いて調理した物は、イスラエル人は汚れた食べ物の象徴として、食べませんでした。今でも、砂漠の遊牧民の間では、らくだの糞の乾燥した物を拾い集めて、調理の時の燃料にしていることがあります。

ユダヤ人にとって、モーセの律法で、食べてよいものと、食べてはいけないものと区別されています。ひづめの分かれていない物、反芻(はんすう)しない動物は汚れたものとして食べてはいけないものに決まっていました(レビ記11章、申命記14章)。
ペテロの経験(使徒の働き10:12~15)
「そこで、私は言った。『ああ、神、主よ。私はかつて、自分を汚したことはありません。幼い時から今まで、死んだ獣や、野獣に裂き殺されたものを食べたことはありません。また、いけにえとして汚れている肉を口にしたこともありません。』」(エゼキエル書4:14)

預言者エゼキエルは、バビロンの包囲によって、食料攻めに会い、その欠乏のために、雑穀類の穀物をかき集めて、腹を満たすように命じられました。更にパン菓子を焼く薪もなくなることから、民の前で、人の糞でパンを焼いて食べるように命じられています。これは民の汚れを例証するものであっても、預言者に汚れたことを行なうように命じられたのは、神の怒りの強さを示しています。

これには、さすがのエゼキエルも、ダニエルたちと同様に、汚れた食物を食べることに抗議して、人の糞から牛の糞に変えられています。神はエゼキエルを徹底的に試みられましたが、エゼキエルも率直に、ありのままに、訴えたのです。

神は私たちの気持ちや、意志を無視されるお方ではありません。

信仰には、愛も、謙遜も、忍耐も、勇気も、無限に深いものです。しかし、それを取り違えて、ややもすると、信仰ではなくて、無理してしまうことがあります。

主は、私の無理した、努力を求めておられるのではありません。私たちはいつでも、自分の心を率直に主に告げて、交わることが大事なのです。

預言者エゼキエルは、捕囚の只中であっても、異教の汚れを拒絶する勇気ある、大胆な信仰を示すべきであることを証ししたのです。

<今週の活用聖句>

マタイの福音書16章24節
「それから、イエスは弟子たちに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』」

<集会案内>

◇「志道者会」 毎聖日礼拝後30分くらい

◇ 3月25日(水)聖別会 午前10時半
「訓練された人々(7)成熟のしるし(3)ことば」

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