週報No.2258 希望の預言エゼキエル書(42)「神の憤り」 21:8~17
2020年10月25日(日) 午前10時半
礼拝メッセージ 眞部 明 牧師
エゼキエル書 21:8~17
21:8 ついで、私に次のような【主】のことばがあった。
21:9 「人の子よ。預言して言え。主はこう仰せられると言え。剣、一振りの剣が研がれ、みがかれている。
21:10 虐殺のために研がれ、いなずまのようにそれはみがかれた。われわれはそれを喜ぼうか。わたしの子の杖も、すべての木のように、退けられる。
21:11 その剣はみがかれて手に握られ、それは、研がれて、みがかれ、殺す者の手に渡される。
21:12 叫べ。泣きわめけ。人の子よ。それはわたしの民の上に下り、イスラエルのすべての君主たちの上に下るからだ。剣への恐れがわたしの民に起こる。それゆえ、あなたはももを打って嘆け。
21:13 ためされるとき、杖まで退けられたなら、いったいどうなることだろう。──神である主の御告げ──
21:14 人の子よ。預言して手を打ち鳴らせ。剣を二倍にし、三倍にして、人を刺し殺す剣とし、大いに人を刺し殺す剣として、彼らを取り囲め。
21:15 彼らの心が震えおののくように、彼らのすべての門に、つまずきをふやせ。ああ、わたしは剣の先をいなずまのようにして、虐殺のためにみがきをかける。
21:16 あなたの顔の向くところ、右に向け、左に向けて切りまくれ。
21:17 わたしもまた、手を打ち鳴らし、わたしの憤りを静めよう。【主】であるわたしが語るのだ。」
【新改訳改訂第3版】
<礼拝メッセージ>(一部分)
「わたしもまた、手を打ち鳴らし、わたしの憤りを静めよう。主であるわたしが語るのだ。」(エゼキエル書21:17)
そのバビロンの猛威には、神ご自身の怒りが込められていると、言っています。
私たちの主イエス・キリストの十字架には、神の愛とともに、私の罪に対する神の御怒りが注がれているのです。その神の御怒りは、イエス様が「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。)」(マタイ27:46)と叫ばれるほど、残酷なものでした。イエス様の十字架は信じる私たちにとっては神の愛ですが、私の罪を背負って下さったイエス様ご自身にとっては、父なる神に見捨てられ、途絶えたことのない御父との交わりが途絶えてしまうほどの厳しい御怒りだったのです。
父なる神は、主イエス・キリストが十字架にかかって、私たちの罪のなだめの供え物となって下さる前は、旧約の獣のいけにえで満足していたのではありません。獣のいけにえは、イエス・キリストの身代わりの十字架が必要であることを教えるための予表でしかありませんでした。・・・・
「私は何をもって主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のいけにえ、一歳の子牛をもって、御前に進み行くべきだろうか。主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の犯したそむきの罪のために、私の長子をささげるべきだろうか。私のたましいの罪のために、私に生まれた子をささげるべきだろうか。」(ミカ書6:6~7)と、ミカは訴えています。
それなのに人間は、獣のいけにえをささげて、神を満足させている、律法を満足させているという態度を取っていたのです。その上に偶像礼拝を行なって来たので、神の怒りは頂点に達したのです。
これについて、パウロはローマ3:25で、神が本当に望んでおられる「なだめの供え物」は、キリスト・イエスの十字架の血による「なだめの供え物」です。それ故、獣のいけにえをささげていた間は、神は「今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがしてこられた」のです。
ヘブル書10:11~14、それ故、獣のいけにえをささげている間、人間は神の御怒りの刑罰を受けるペき状態が続いていたのです。しかし人間はそれを悟っていませんでした。律法に従っていけにえをささげているから、神を満足させていると思っていたのです。
ヨハネは次のように言っています。「この方こそ、私たちの罪のための、-私たちの罪だけでなく全世界のための、-なだめの供え物なのです。」(ヨハネ第一、2:2)
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(ヨハネ第一、4:10)
神は、キリストのなだめの供え物によってのみ、私の罪を赦され、きよめられ、神の義を私たちに与えられ、永遠のいのちを与えられ、ご自分の性質を与えられて、お喜び下さり、満足して下さるのです。
私たちが、より豊かな永遠のいのちを持つためには、そして神に満足していただき、神を喜ばせるためには、御子イエス・キリストの十字架のなだめの供え物による以外にはありません。
「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」(エペソ2:3)
エゼキエルが、このバビロン軍の野蛮で残虐な行為を歌にしたのは、バビロンの強さをほめたたえるためではありません。
人間の罪に対する、神の怒りの激しさ、厳しさを表わすためです。その罪の厳しい代価を、神ご自身が人となられて、十字架にかかって、払って下さったのです。
パウロは、次のように言っています。
「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためです。」(ローマ3:25~26)
私たちも、洗礼を受けていることで満足せず、主に喜んでいただける礼拝者となろうではありませんか。
「ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」(エペソ5:27)
<今週の活用聖句>
ヨハネの手紙第一、4章10節
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
<集会案内>
◇10月28日(水)聖別会(11) 午前10時半
「聖霊のバプテスマ(1)」
地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421
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