週報No.2356 詩篇(56) 22篇「弱さを思いやることができる大祭司」 22:12~18

2022年9月11日(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

詩篇 22:12~18
22:11 どうか、遠く離れないでください。苦しみが近づいており、助ける者がいないのです。
22:12 数多い雄牛が、私を取り囲み、バシャンの強いものが、私を囲みました。
22:13 彼らは私に向かって、その口を開きました。引き裂き、ほえたける獅子のように。
22:14 私は、水のように注ぎ出され、私の骨々はみな、はずれました。私の心は、ろうのようになり、私の内で溶けました。
22:15 私の力は、土器のかけらのように、かわききり、私の舌は、上あごにくっついています。あなたは私を死のちりの上に置かれます。
22:16 犬どもが私を取り囲み、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。
22:17 私は、私の骨を、みな数えることができます。彼らは私をながめ、私を見ています。
22:18 彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

12~21節は、直接加えられた苦痛による極度の苦悶を訴えています。ここで、この詩の内容が変わります。

前半の1~11節では、神はダビデの苦境に目を留められず、人々はダビデを人として扱わず、ダビデは屈辱に打ちひしがれていましたが、12節からは、ダビデの苦痛の訴えが肉体的苦痛へと、変わっていきます。

ここからの極度の苦痛は、先のたましいの恐ろしい孤独感に変わって、野蛮な群集がほえて迫って来る獅子のようにダビデを取り囲んでいるという、強い印象を表わしています。ダビデは、自分を苦しめている者を、今にも自分をむさぼり食おうとする猛獣に例えています。

「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」(Ⅰペテロ5:8)

14~15節「私は、水のように注ぎ出され、私の骨々はみな、はずれました。私の心は、ろうのようになり、私の内で溶けました。私の力は、土器のかけらのように、かわききり、私の舌は、上あごにくっついています。あなたは私を死のちりの上に置かれます。」

これは、ダビデの肉体の弱り果てた状態と、全く気力を失った不安な状態を表わしています。間もなく、死によって、体が飛び散ってしまいそうな、危うい状態になっています。これは十字架上のイエス・キリストを見ているかのようです。

十字架を穴の中に落として打ち立てる時、激しく揺り動かされ、肉も骨もみな、はずれてしまうのです。このような残酷な苦痛は、普通の人間は耐えることができず、失神してしまいます。しかし、主イエスは、苦しみの杯を最後の一滴まで飲み尽くされたのです。

私たちが「恵みの御座」(ヘブル4:16)にひれ伏す時、イエス・キリストが如何なる苦難を受けて、その「恵みの御座」を備えて下さったかを、よく覚えようではありませんか。

霊において、主の苦しみの杯を飲み、暗黒と抑圧と迫害がいつ臨んでも、イエス・キリストによって強められようではありませんか。

主イエスが十字架にかかられた時、主のお体のあらゆる肢体が苦しんだように、霊的なキリストのからだであるクリスチャン一人ひとりも、同じように苦しむでしょう。しかし、主イエスのお体は、あらゆる苦難と悲しみとによって、損なわれることなく、栄光と力の中に現われたように、キリストのからだである教会も、燃える炉の中を通ってきよめられるでしょう。

14節では、尊いメシヤは、恐ろしい、たましいが沈むことと、溶かされることを、経験させられたのです。

「人の心は病苦をも忍ぶ。しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。」(箴言18:14)

自分のたましいから神の恵みが取り去られてしまい、神に見捨てられてしまい、よみに落とされるような試練は、最も過酷な試練です。

私の罪を負って十字架にかかられた主が、父なる神に「どうして私をお見捨てになったのですか。」と叫ばれたのも、深刻な状態になっておられたことを示しています。なぜなら、人が死のうとする時は、最も神を必要としているからです。

この朝、私たちは、十字架の血潮を携えて、御父に近づき、へりくだって、栄光の主を崇め、賛美しようではありませんか。

主イエスは、私たちの誰よりも、はるかに低くされ、苦しみを受けられました。彼は、私たちの弱さを思いやることのできる、真実な大祭司です。

神の愛から遠ざかっていると感じている人は、主イエスに近づき、十字架に信頼して下さい。主イエス様は、決して失望させることはありません。私たちのたましいは、しばしば気力を失い、主の御顔の光を求めます。その時、迷わず、偉大なる大祭司の同情にすがろうではありませんか。

主イエスの愛は、私の全ての心労を洗い去り、私のたましいは、主の力におおわれ、安らかにされます。

16節「犬どもが私を取り巻き、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。」

突然、ダビデは、敵対者たちに対する評価を下しました。苦悩しているダビデを見て嘲(あざ)笑っている群集どもを「犬ども」と払いのけています。

パウロも、悪い働き人たち、パウロの福音宣教の働きを妨害している人々、肉体にユダヤ主義の儀式の割礼を受けなければ救われないと、イエス・キリストの十字架を信じる信仰による救いを否定するユダヤ主義者たちを、「犬」と呼んでいます(ピリピ3:2)。

<今週の活用聖句>

へブル人への手紙4章15~16節
「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。・・・ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」

<集会案内>

◇9月14日(水)聖別会(109)午前10時半
地上で経験できるキリストのみわざ(6)「自分中心の自我からの解放」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421

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牧師 真部 明