聖書の探求(252,253) 士師記19~21章 ギブアでの暴行、ギブアの滅亡、和解とベニヤミン族の復興

イギリスのイラストレーター Charles Joseph Staniland (1838–1916)による「Levite attempts to find lodging in Gibeah(ギブアで宿を探すレビ人)」(Wikimedia Commonsより)


士師記の最後の三章は、この時代の無法状態とベニヤミンとの悲惨な戦いを記しています。

19章、ギブアでの暴行
20章、ギブアの滅亡
21章、和解とベニヤミン族の復興

19章、ギブアでの暴行

19:1~9、夫を嫌って逃げたそばめ

ここでも、17、18章と同様に、レビ人とエフライムの山地が関わっており、更にここではユダのベツレヘムが関係しています。

この共通点の他に記録の設定には、当時の社会的、宗教的堕落が、イスラエル民族の中心的な部分にまで侵蝕していたことを示す目的が意図されていたと見られます。

1節では、再び「イスラエルに王がなかった時代のこと」と断っています。この記録を書いた記者は、この時代のイスラエルが主の主権はおろか、人間の王による秩序ある生活もなされていないことを憂えて、強調しているのが分かります。

この付録の部分の二つ目の悲劇は、エフライムの山地の奥に滞在していた、ひとりのレビ人がユダのベツレヘムからひとりの女を、そばめとしてめとったことから始まっています。二回にわたって、神に仕えるはずのレビ人が、問題が起きることに関わっていることは、レビ人の霊的質が低下していたことを表わしています。イエス様が「良いサマリヤ人」のお話をされた時にも、祭司とレビ人の偽善的態度を示しておられることを見ると、宗教家の堕落が目立っています。

士 19:1 イスラエルに王がなかった時代のこと、ひとりのレビ人が、エフライムの山地の奥に滞在していた。この人は、そばめとして、ユダのベツレヘムからひとりの女をめとった。

「そばめとして・・・・ めとった。」とは、合法的なそばめであった女奴隷を、第二番目の妻としたことです。彼女は第一の妻よりも、容易に離婚させられる可能性がありました(創世記21:10~14)。しかしモーセの律法では、女奴隷が妻とされた場合、彼女の権利を保護しています(出エジプト記21:7~11、申命記21:10~14)。

2節、「ところが、そのそばめは彼をきらって、彼のところを去り、」この部分の文語訳は「その妾彼に背きて姦淫を為し去て」となっています。

士 19:2 ところが、そのそばめは彼をきらって、彼のところを去り、ユダのベツレヘムの自分の父の家に行き、そこに四か月の間いた。

なぜ彼女が夫となったレビ人をきらったのかは分かりません。彼女は怒っていたようです。3節では、彼女の夫は彼女にねんごろに話して、なだめていますから、夫の側に原因があったのでしょう。しかし彼女は売春婦となって、ベツレヘムの自分の父の家に帰っています。なぜ彼女が売春婦になったのかは記されていません。快楽のためであったのか、それとも生きていくためだったのか。彼女はベツレヘムの父の家に帰って、四か月の間とどまっていました。

3節、彼女の夫は、彼女を引き戻すために、若者と一くびきのろばを連れてやって来ました。彼の父は、娘と夫との問題が解決すると思って、夫を喜んで迎え入れました。

士 19:3 そこで、彼女の夫は、ねんごろに話をして彼女を引き戻すために、若い者と一くびきのろばを連れ、彼女のあとを追って出かけた。彼女が夫を自分の父の家に連れて入ったとき、娘の父は彼を見て、喜んで迎えた。

4節、しかし彼女の父は、二人がベツレヘムを去るのを嫌がって、引き止めており、三日間とどまっています。再び、同じ問題が起きることを恐れたのかもしれません。

士 19:4 娘の父であるしゅうとが引き止めたので、彼は、しゅうとといっしょに三日間とどまった。こうして、彼らは食べたり飲んだりして、夜を過ごした。

5~8節、四日目も、五日目も、同じように引き止めています。

士 19:5 四日目になって朝早く、彼は出かけようとして立ち上がった。すると、娘の父は婿に言った。「少し食事をして元気をつけ、そのあとで出かけなさい。」
19:6 それで、彼らふたりは、すわって共に食べたり飲んだりした。娘の父はその人に言った。「どうぞ、もう一晩泊まることにして、楽しみなさい。」
19:7 その人が出かけようとして立ち上がると、しゅうとが彼にしきりに勧めたので、彼はまたそこに泊まって一夜を明かした。
19:8 五日目の朝早く、彼が出かけようとすると、娘の父は言った。「どうぞ、元気をつけて、日が傾くまで、ゆっくりしていなさい。」そこで、彼らふたりは食事をした。

9節、娘の父のしゅうとは、「ご覧なさい。もう日が暮れかかっています。どうぞ、もう一晩お泊まりください。もう日も傾いています。ここに泊まって、楽しみなさい。・・・・」と勧めています。

士 19:9 それから、その人が自分のそばめと、若い者を連れて、出かけようとすると、娘の父であるしゅうとは彼に言った。「ご覧なさい。もう日が暮れかかっています。どうぞ、もう一晩お泊まりなさい。もう日も傾いています。ここに泊まって、楽しみなさい。あすの朝早く旅立って、家に帰ればいいでしょう。」

この「日も傾いて」は、直訳では「日の野営」です。その意味は、「もう夜営のテントを張るべき時になっていますので」となります。これはイスラエル人が放浪時代に使っていた慣用句ですが、定住の生活をするようになっても、放浪時代の言葉を使っていたのです。

19:10~15、ギブアで日没

10,11節、レビ人の夫は、泊まりたくなかったので、しゅうとの言葉を振り切って強引に出発して、エブスすなわちエルサレムの向かい側に来た時、日が暮れて暗くなってきました。

士 19:10 その人は泊まりたくなかったので、立ち上がって出て行き、エブスすなわちエルサレムの向かい側にやって来た。鞍をつけた一くびきのろばと彼のそばめとが、いっしょだった。
19:11 彼らがエブスの近くに来たとき、日は非常に低くなっていた。それで、若い者は主人に言った。「さあ、このエブス人の町に寄り道して、そこで一夜を明かしましょう。」

エルサレムは、ダビデがそこを占領するまでは、エブス人の居住地だったのですから、この時にはまだエブス人の町でした(エルサレムがエブスと呼ばれているのは、ここと、歴代誌第一 11:4,5だけです。)。ですから、イスラエル人にとっては危険でした。しゅうとの言葉は正しかったのです。エルサレムの手前で日没になったことは、彼らは日没の三時間くらい前にベツレヘムを出発したことになります。

12~15節、レビ人は、異邦人の町に泊まりたくなくて、イスラエル人の町ギブアか、ラマに泊まろうとして急いだのですが、ギブアの近くに来た時、日が沈んでしまいました。

士 19:12 すると、彼の主人は言った。「私たちは、イスラエル人ではない外国人の町には立ち寄らない。さあ、ギブアまで進もう。」
19:13 それから、彼は若い者に言った。「さあ、ギブアかラマのどちらかの地に着いて、そこで一夜を明かそう。」
19:14 こうして、彼らは進んで行った。彼らがベニヤミンに属するギブアの近くに来たとき、日は沈んだ。
19:15 彼らはギブアに行って泊まろうとして、そこに立ち寄り、町に入って行って、広場にすわった。だれも彼らを迎えて家に泊めてくれる者がいなかったからである。

ギブアはエルサレムの北6.4Kmにあり、現在のテル・エルフルです。そこはイスラエルの最初の王サウルの誕生地として知られていました(サムエル記第一 10:5,10)。この地は発掘されて、ギブアの最初のとりでは、イスラエルが征服してすぐに造られましたが、BC12世紀に破壊されたことが分かっており、その後二度目に築かれたサウルのとりでも発掘されており、聖書の記録が正確であることを証明しています。

レビ人はギブアに着いて泊まろうとしましたが、だれも旅人を迎え入れて泊めてくれる者がいなかったのです。それだけでなく、ギブアの町には、よこしまな者が沢山いたのです。ギブアの人々はエブス人より良いとは、決して言えない人々でした。形だけ神の民だと言っていても、ただそれだけで安心して近づくことはできません。

19:16~21、良い隣人となった老人

16,17節、彼らが暗くなった広場ですわっていた時、農作業を終えて家に帰っていたひとりの老人が声をかけました。

士 19:16 そこへ、夕暮れになって野ら仕事から帰ったひとりの老人がやって来た。この人はエフライムの山地の人で、ギブアに滞在していた。この土地の者たちはベニヤミン族であった。
19:17 目を上げて、町の広場にいる旅人を見たとき、この老人は、「どちらへおいでですか。どちらからおいでになったのですか」と尋ねた。

この老人もエフライムの山地の人で、ギブアに滞在している人でした。「この土地の者たちはベニヤミン族であった。」とあるのは、この親切な老人がベニヤミン人でないことを強調しています。

18~21節、レビ人は旅の途中の事情を話し、自分たちの食物やろばの飼葉もあるけれども、泊まる所だけを必要としていると話しています。これは宿泊以外、迷惑をかけませんと言っているのです。

士 19:18 そこで、その人は彼に言った。「私たちは、ユダのベツレヘムから、エフライムの山地の奥まで旅を続けているのです。私はその奥地の者です。ユダのベツレヘムまで行って来ました。今、【主】の宮へ帰る途中ですが、だれも私を家に迎えてくれる者がありません。
19:19 私たちのろばのためには、わらも飼葉もあり、また、私と、妻と、私たちといっしょにいる若い者とのためにはパンも酒もあります。足りないものは何もありません。」
19:20 すると、この老人は言った。「安心なさい。ただ、足りないものはみな、私に任せて。ただ広場では夜を過ごさないでください。」
19:21 こうして彼は、この人を自分の家に連れて行き、ろばに、まぐさをやった。彼らは足を洗って、食べたり飲んだりした。

18節で、「主の宮へ帰る途中です。」と言っている「主の」は「わたしの」という代名詞の接尾語が「ヤーウェ」の短縮形と、訳者が誤解したために、文語訳では「エホバの室」と訳し、新改訳でも「主の宮」と訳してしまっているのです。これは「私の家に帰るところです。」と訳すのが正しいのです。

親切な老人は、レビ人たちを自分の家に連れて行き、ろばに飼葉を与え、客となったレビ人たちの足を洗い、食事を与えて、もてなしています。アブラハムも旅人をもてなすことによって、主に仕えることができたのです(創世記18:1~8)。ラバンはアブラハムのしもべが与えた金の飾り輪を見た時、もてなしています。その動機の違いを伺い知ることができます。

「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。」(ヘブル13:2)

19:22~26、ならず者の虐待

士 19:22 彼らが楽しんでいると、町の者で、よこしまな者たちが、その家を取り囲んで、戸をたたき続けた。そして彼らは、その家の主人である老人に言った。「あなたの家に来たあの男を引き出せ。あの男を知りたい。」
19:23 そこで、家の主人であるその人は彼らのところに出て行って言った。「いけない。兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでくれ。この人が私の家に入って後に、そんな恥ずべきことはしないでくれ。

22節の「よこしまな者」の直訳は、「ベリアルの子たち」です。ベリアルは、新約聖書では、サタンを指したり、反キリストや、悪が受肉した者を指しますが(コリント第二 6:15)、ヘブル語では、「ベリ(beli)」は「ない」、「アル(yaal)」は「価値」を意味します。すなわち、「ベリアル」は「価値のない」という意味になります。ヘブル語は子音しか書きませんが、これに母音をつけて読むと、「ベリアル」と発音するのです。それ故、ここでは「よこしまな者」と訳していますが、それは、「真の価値のない、みだらな者たち」のことです。

もう一つの、旧約聖書での使われ方は、「死者の世界」を表わす場合です。サムエル記第二22章5節では、「滅びの川(直訳では、「ベリアルの川」)は、私を恐れさせた。」となっており、詩篇18篇4節でも同じ言葉が使われています。この直訳の意味は、「再び上がって来られない場所」あるいは「夜の主」を意味しています。

22~26節のいまわしい事件は、ソドムの事件とよく似ています(創世記19:4~9)。

23節の「悪いこと」のへブル語は、nebhalahで、これは単なる悪いことではなく、「乱
行」であり、「非道なことを行なうこと」です。

24,25節では、あの親切な老人がレビ人を守るために、自分の処女の娘とレビ人のそばめを連れ出すから、二人をはずかしめて、好きなようにしなさいと、言っています。そして、レビ人のそばめが外のベリアルの子たちに渡されています。これと同じことが創世記19章8節でも言われています。不信仰で無秩序な堕落した社会では、いつも飲み食いの歓待のほうが重んじられて、女性が虐待されているのです。これが堕落した社会の特徴です。
士 19:24 ここに処女の私の娘と、あの人のそばめがいる。今、ふたりを連れ出すから、彼らをはずかしめて、あなたがたの好きなようにしなさい。あの人には、そのような恥ずべきことはしないでくれ。」
19:25 しかし、人々は彼に聞こうとしなかった。そこで、その人は自分のそばめをつかんで、外の彼らのところへ出した。すると、彼らは彼女を犯して、夜通し、朝まで暴行を加え、夜が明けかかるころ彼女を放した。
19:26 夜明け前に、その女は自分の主人のいるその人の家の戸口に来て倒れ、明るくなるまでそこにいた。

そばめは、夜通し犯され、暴行を加えられ、夜明けになって、やっと解放されたけれど、家の戸口まで来るのがやっとで、そこで倒れて死んでしまったのです。

フランス人の画家 Gustave Doré (1832–1883)による「A Levite Finds a Woman’s Corpse(レビ人は女の死体を見つける)」(Wikimedia Commonsより)

19:27~30、イスラエル人の召集

27節「その女の主人」とは、支配人や夫を意味する言葉です。

士 19:27 その女の主人は、朝になって起き、家の戸を開いて、旅に出ようとして外に出た。見ると、そこに自分のそばめであるその女が、手を敷居にかけて、家の入口に倒れていた。
19:28 それで、彼はその女に、「立ちなさい。行こう」と言ったが、何の返事もなかった。それで、その人は彼女をろばに乗せ、立って自分の所へ向かって行った。

28,29節、彼は女に声をかけたけれども、すでに息絶えていました。彼がベツレヘムまで引き戻しに行ったにしては、彼女をならず者の手に渡したり、一晩中、外に出したままにしておいたりする行動は、理解できません。夫は自分の身の安全のために、妻を犠牲にしていたのです。これは当時の堕落した社会の慣習だったとして片付けることはできないでしょう。今日でも行なわれる危険性があるからです。

彼は彼女をろばに乗せて、自分の家に帰り、刀を取って、彼女の死体を十二の部分に切り分けて、イスラエルの国中に送りました。

士 19:29 彼は自分の家に着くと、刀を取り、自分のそばめをつかんで、その死体を十二の部分に切り分けて、イスラエルの国中に送った。

「切り分けて」は、いけにえの動物を切り分けるのと同じ言葉です(出エジプト記29:17、レビ記1:6,12、同8:20)。

サムエル記第一11章7節では、サウル王が一くびきの牛を切り分けて、イスラエルの国中に送り、アモン人と戦い、ヤベシュの人々を救うために「サウルとサムエルとに従って出て来ない者の牛は、このようにされる。」と言わせ、民は主を恐れて、いっせいに出て来たことが記されています。これはイスラエル国民全体の奮起を促したのでしょう。

Ⅰサム 11:7 彼は一くびきの牛を取り、これを切り分け、それを使者に託してイスラエルの国中に送り、「サウルとサムエルとに従って出て来ない者の牛は、このようにされる」と言わせた。民は【主】を恐れて、いっせいに出て来た。

女のからだはイスラエルの部族の数に合わせて、十二に切断されて、各部族のもとに送りつけられたのです。これはイスラエル国家の契約に従って、すべてのイスラエル人が行動を起こすように強く呼びかけたのです。これを見たイスラエル人はみな、恐怖とともに、厳粛な責任を感じて、立ち上がったのです。

士 19:30 それを見た者はみな言った。「イスラエル人がエジプトの地から上って来た日から今日まで、こんなことは起こったこともなければ、見たこともない。このことをよく考えて、相談をし、意見を述べよ。」

「イスラエル人がエジプトの地から上って来た日から今日まで」とは、イスラエルの建国を意味する出エジプト以来、起きたこともない、いまわしい事件だと言ったのです。

このギブアでの暴行事件は、後の時代に対しても悪の記念碑となってしまっています。
「イスラエルよ。ギブアの日々よりこのかた、あなたは罪を犯してきた。彼らはそこで同じことを行なっている。戦いはギブアで、この不法な民を襲わないだろうか。」(ホセア書10:9)

20章、ギブアの滅亡

20:1~11、イスラエル人の応答

士 20:1 そこで、ダンからベエル・シェバ、およびギルアデの地に至るイスラエル人はみな、出て来て、その会衆は、こぞってミツパの【主】のところに集まった。

この呼びかけに対して、イスラエル人は北から南まで、「ひとりの人のように」ミツパの主のところに集まった。ミツパはギブアから西の方に5Km離れた所にあります。ミツパはヨルダンの東にも同名の地がありますが(士師記10:17)、ここではヨルダンの東のミツパではありません。ミツパの意味は「物見のやぐら」です。

ギルアデの地(ヨルダンの東)のイスラエル人も集まって来ていますから、この衝撃が強かったことを示しています。

2節、「四十万の剣を使う歩兵」はイスラエルの男子のうちの十分の一に相当する者が軍隊に派遣されたものと思われます。

士 20:2 イスラエルの全部族、民全体のかしらたち、四十万の剣を使う歩兵が神の民の集まりに出た。

10節では、「イスラエルの全部族について、百人につき十人、千人につき百人、一万人につき千人をとって、」と言っています。因みに、民数記の人口調査の時には、イスラエルの男子で、軍務につくことのできる人数は、約六十万人でした。士師の時にはそれより約二十万人少なかったのです。

3~7節では、女の夫であるレビ人が、事の次第を説明しています。

士 20:3 ──ベニヤミン族は、イスラエル人がミツパに上って来たことを聞いた──イスラエル人は、「こんな悪い事がどうして起こったのか、話してください」と言った。
20:4 殺された女の夫であるレビ人は答えて言った。「私は、そばめといっしょに、ベニヤミンに属するギブアに行き、一夜を明かそうとしました。
20:5 すると、ギブアの者たちは私を襲い、夜中に私のいる家を取り囲み、私を殺そうと計りましたが、彼らは私のそばめに暴行を加えました。それで彼女は死にました。
20:6 そこで私は、そばめをつかみ、彼女を切り分け、それをイスラエルの相続地の全地に送りました。これは、彼らがイスラエルの中で、みだらな恥ずべきことを行ったからです。
20:7 さあ、あなたがたイスラエル人のすべてよ。今ここで、意見を述べて、相談してください。」

8~11節、集まったイスラエル人たちは武力をもって、ベニヤミン人たちに報復することで団結しています。すぐに武力をもって解決しようと団結するところにも、イスラエル人の信仰が失われていることを表わしています。

士 20:8 そこで、民はみな、こぞって立ち上がって言った。「私たちは、だれも自分の天幕に帰らない。だれも自分の家に戻らない。
20:9 今、私たちがギブアに対してしようとしていることはこうだ。くじを引いて、攻め上ろう。
20:10 私たちは、イスラエルの全部族について、百人につき十人、千人につき百人、一万人につき千人をとって、民のための糧食を持って行かせ、民がベニヤミンのギブアに行って、ベニヤミンがイスラエルでしたこのすべての恥ずべき行いに対して、報復させよう。」
20:11 こうして、イスラエル人はみな団結し、こぞってその町に集まって来た。

フランスの画家 James Tissot (1836-1902)による「The Israelites Declare Vengeance(イスラエル人は復讐を宣言)」(ニューヨークのJewish Museum蔵)

20:12~16、ベニヤミン人の結集

イスラエル人はベニヤミン人に、ギブアで残虐なことをした「あのよこしまな者たち」を引き渡すように要求しています。ここで渡していれば、彼らが処刑されて、事は終わったのでしょうが、ベニヤミン人は同族のイスラエル人の要求をはねつけたばかりでなく、イスラエル人と戦うために、ギブアに戦う者を集めたのです。

士 20:12 それから、イスラエルの諸部族は、ベニヤミンの諸族のすべてに人をやって言わせた。「あなたがたのうちに起こったあの悪い事は、何ということか。
20:13 今、ギブアにいるあのよこしまな者たちを渡せ。彼らを殺して、イスラエルから悪を除き去ろう。」ベニヤミン族は、自分たちの同族イスラエル人の言うことに聞き従おうとしなかった。
20:14 それどころか、ベニヤミン族は町々からギブアに集まり、イスラエル人との戦いに出て行こうとした。
20:15 その日、ベニヤミン族は、町々から二万六千人の剣を使う者を召集した。そのほかにギブアの住民のうちから七百人の精鋭を召集した。

15節を見ると、二万六千人の剣を使う者が集められています。35節と46節では、「ベニヤミンの中で倒れた者はみなで二万五千人、剣を使う力ある者たちであった。」(46節)となっていますから、多くの訳本には、15節の集められた兵士の人数も二万五千人にするものもあります。

ベニヤミン部族は、イスラエル全体の中でも小さい部族で、人口はイスラエル全体の十七分の一にしかすぎなかったのです。すなわち成人男子は三万五千四百人(民数記1:37)ですから、ほとんど大部分の男子が戦いに加わったことになります。
「そのほかにギブアの住民のうちから七百人の精鋭を召集し」ています。

16節、ギブアの七百人の精鋭は、石投げの名手です。「左きき」は、「両手利き」のようです。

士 20:16 この民全体のうちに、左ききの精鋭が七百人いた。彼らはみな、一本の毛をねらって石を投げて、失敗することがなかった。

「彼らは勇士たちの中で、戦いの加勢をした人々であり、弓を持った者、石投げ、弓矢に、右手も左手も使う者で、サウルの同族、ベニヤミンの出であった。」(歴代誌第一12:1~2)

20:17~28、イスラエル人の敗走

士 20:17 イスラエル人は、ベニヤミンを除いて、剣を使う者四十万人を召集した。彼らはみな、戦士であった。

18節、イスラエル人はベテル(「神の家」という意味)に行って、どの部族が最初に上って行って戦うべきかを伺っています。主のお答えは「ユダが最初」でした。

士 20:18 イスラエル人は立ち上がって、ベテルに上り、神に伺って言った。「私たちのため、だれが最初に上って行って、ベニヤミン族と戦うのでしょうか。」すると、【主】は仰せられた。「ユダが最初だ。」

19~21節、イスラエル人はギブアでベニヤミンと戦ったけれども、ベニヤミンの兵士のほうがすぐれていて、イスラエル人二万二千人をその日のうちに殺しています。

士 20:19 朝になると、イスラエル人は立ち上がり、ギブアに対して陣を敷いた。
20:20 イスラエル人はベニヤミンとの戦いに出て行った。そのとき、イスラエル人はギブアで彼らと戦うための陣ぞなえをした。
20:21 ベニヤミン族はギブアから出て来て、その日、イスラエル人二万二千人をその場で殺した。

22~25節、イスラエル人は再び奮い立って、戦いの備えをしていますが、今度は夕方まで主の前で泣いて、主に「私は再び、私の兄弟ベニヤミン族に近づいて戦うべきでしょうか。」と伺っています。第一回目の戦いで敗北したので、確信を失っていたのでしょう。しかし主のお答えは、「攻め上れ。」でした。しかし次の日も、一万八千人のイスラエル人が殺されています。聖書は「これらはみな、剣を使う者であった。」と記しています。
士 20:22 しかし、この民、イスラエル人は奮い立って、初めの日に陣を敷いた場所で、再び戦いの備えをした。
20:23 そしてイスラエル人は上って行って、【主】の前で夕方まで泣き、【主】に伺って言った。「私は再び、私の兄弟ベニヤミン族に近づいて戦うべきでしょうか。」すると、【主】は仰せられた。「攻め上れ。」
20:24 そこで、イスラエル人は次の日、ベニヤミン族に攻め寄せたが、
20:25 ベニヤミンも次の日、ギブアから出て来て、彼らを迎え撃ち、再びイスラエル人のうち一万八千人をその場で殺した。これらの者はみな、剣を使う者であった。

ベニヤミンの残虐な罪は罰しなければなりませんが、神の民の同族が戦うことが神のみこころでないことは明らかです。ですから、刑罰のためという理由があっても、多くの犠牲を払わなければならなくなるのです。戦いは大きな軍事力だけでは勝てないのです。

26~28節、三度目の戦いの前には、「すべてのイスラエル人は、全民こぞって」とありますから、大群衆がベテルに行って、泣き、夕方まで断食し、全焼のいけにえと和解のいけにえを主の前にささげて、主に「私はまた、出て行って、私の兄弟ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。それとも、やめるべきでしょうか。」と伺っています。

士 20:26 それで、すべてのイスラエル人は、全民こぞってベテルに上って行って、泣き、その所で【主】の前にすわり、その日は、夕方まで断食をし、全焼のいけにえと和解のいけにえを【主】の前にささげた。
20:27 そして、イスラエル人は【主】に伺い、──当時、神の契約の箱はそこにあった。
20:28 当時、アロンの子エルアザルの子ピネハスが、御前に仕えていた──そして言った。「私はまた、出て行って、私の兄弟ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。それとも、やめるべきでしょうか。」【主】は仰せられた。「攻め上れ。あす、彼らをあなたがたの手に渡す。」

この時、主は「攻め上れ。あす、彼らをあなたがたの手に渡す。」と約束されました。一回目と二回目は、攻め上ることだけを命じられましたが、勝つことは約束されませんでした。しかしイスラエル人が自らの罪を悔い改め、断食して祈り、主に自分たちを全くささげて備えた時、主は勝利を約束されたのです。

「神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。」(詩篇147:10,11)

27,28節には、イスラエル人がベテルに行った理由として、当時、神の契約の箱がそこにあったこと(士師記には、ここにだけ記されています)と、アロンの子エルアザルの子ピネハスが祭司の務めをしていたことを記しています。このピネハスがエルアザルの息子なら(民数記25:1~13)、この出来事は士師の時代の相当早い時期に起きたことを示唆しています。しかし「・・・の子」は、直接の子ではなく、その子孫を表わす場合もありますから、断定することはできませんが、この場合、前者であったことが推測されます。

「ピネハス(Pinehas)という名は、エジプト語を起源にした言葉で、「ヌビア人」とか「黒い皮膚の人」という意味です。イスラエル人の中で、エジプト名をつけられていたのはレビの部族だけです。たとえばモーセや、このピネハスです。

29~48節、ベニヤミン族の敗北

三日目には、主から勝利の約束を受けたので勇気づけられましたが、先の戦いよりずっと慎重になり、ギブアの周りに伏兵を置いています。この戦略はヨシュアたちがアイとの戦いで用いたのに、よく似ています(ヨシュア記8:1~23)。

士 20:29 そこで、イスラエルはギブアの回りに伏兵を置いた。
20:30 三日目にイスラエル人は、ベニヤミン族のところに攻め上り、先のようにギブアに対して陣ぞなえをした。
20:31 すると、ベニヤミン族は、この民を迎え撃つために出て来た。彼らは町からおびき出された。彼らは、一つはベテルに、他の一つはギブアに上る大路で、この前のようにこの民を打ち始め、イスラエル人約三十人を戦場で刺し殺した。

イスラエル軍は、三隊に分けられていました。一隊はベテルに、第二隊はギブア(これはギブアではなくて、ギブオンと読むべきだと思われます。なぜなら、ギブアはベニヤミンの陣のある所だからです。)に、第三隊はバアル・タマルです。バアル・タマルはユダとベニヤミンの国境にあり、その意味は「しゅろの主」です。カナンの偶像の名に因んで、そう呼ばれていたのです。

士 20:32 ベニヤミン族は、「彼らは最初のときのようにわれわれに打ち負かされる」と思った。イスラエル人は言った。「さあ、逃げよう。そして彼らを町から大路におびき出そう。」
20:33 イスラエル人はみな、その持ち場を立ち、バアル・タマルで陣ぞなえをした。一方、イスラエルの伏兵たちは、自分たちの持ち場、マアレ・ゲバからおどり出た。

フランスの画家 James Tissot (1836-1902)による「An Ambuscade(待ち伏せ攻撃)」(ニューヨークのJewish Museum蔵)


ベニヤミン族は前回同様、たやすく勝つつもりで出て来て、イスラエル人を約三十人刺し殺しました。ベニヤミン族は、今回も大勝利すると思ったのですが、イスラエル人は逃げるふりをして、彼らをギブアの町から、大路におびき出しました。その間に伏兵たちは移動し、一隊はマアレ・ゲバ(「ゲバの西」あるいは「ゲバの草原」)からベニヤミン族に襲いかかり、他の部隊の一万人のイスラエルの精兵はギブアに突入し、町に残っていた者たちを剣の刃で打ち殺し、町に火をつけ、のろしを上げたのです。

すると退却していたイスラエルの全軍は引き返して戦い、ベニヤミン族が振り返ってギブアの町を見ると、町全体から煙が上がっていたので、あわてて、うろたえ、北の荒野の方に逃げようとしましたが、イスラエル人に包囲されて追いつめられてしまい、ヌア(七十人訳による。ヘブル語では「メヌハ」)から東の方にギブアの向こう側まで踏みにじられてしまい、この時、ベニヤミンの力ある者たち一万八千人が殺され、生き残りの者は更に荒野に向かってリモンの岩まで逃げましたが、そのうち五千人が大路で打ち殺され、更に残りの者はギデオムまで追跡されて、二千人が打ち殺されました。

士 20:34 こうして、全イスラエルの精鋭一万人がギブアに向かってやって来た。戦いは激しかった。ベニヤミン族は、わざわいが自分たちに迫っているのに気がつかなかった。
20:35 こうして、【主】がイスラエルによってベニヤミンを打ったので、イスラエル人は、その日、ベニヤミンのうち二万五千百人を殺した。これらの者はみな、剣を使う者であった。
20:36 ベニヤミン族は、自分たちが打ち負かされたのを見た。イスラエル人がベニヤミンの前から退却したのは、ギブアに対して伏せていた伏兵を信頼したからであった。
20:37 伏兵は急ぎギブアに突入した。伏兵はその勢いに乗って、町中を剣の刃で打ちまくった。
20:38 イスラエル人と伏兵との間には、合図が決めてあって、町からのろしが上げられたら、
20:39 イスラエル人は引き返して戦うようになっていた。ベニヤミンは、約三十人のイスラエル人を打ち殺し始めた。「彼らは、きっと最初の戦いのときのように、われわれに打ち負かされるに違いない」と思ったのである。
20:40 そのころ、のろしが煙の柱となって町から上り始めた。ベニヤミンは、うしろを振り向いた。見よ。町全体から煙が天に上っていた。
20:41 そこへ、イスラエル人が引き返して来たので、ベニヤミン人は、わざわいが自分たちに迫っているのを見て、うろたえた。
20:42 それで、彼らはイスラエル人の前から荒野のほうへ向かったが、戦いは彼らに追い迫り、町々から出て来た者も合流して、彼らを殺した。
20:43 イスラエル人はベニヤミンを包囲して追いつめ、ヌアから東のほうギブアの向こう側まで踏みにじった。
20:44 こうして、一万八千人のベニヤミンが倒れた。これらの者はみな、力ある者たちであった。
20:45 また残りの者は荒野のほうに向かってリモンの岩に逃げたが、イスラエル人は、大路でそのうちの五千人を打ち取り、なお残りをギデオムまで追跡して、そのうちの二千人を打ち殺した。
20:46 こうして、その日ベニヤミンの中で倒れた者はみなで二万五千人、剣を使う力ある者たちであった。
20:47 それでも、六百人の者は荒野のほうに向かってリモンの岩に逃げ、四か月間、リモンの岩にいた。

この日、ベニヤミン族の中で殺された者は二万五千百人(35節)とも、二万五千人(46節)とも言われています。これは概数を言っていると思われます。
最初のベニヤミンの兵士は二万六千人とギブアの住民の七百人の、合計二万六千七百人でした。(15節)
殺された者の数は、一万八千人(44節)と五千人と二千人(45節)の合計約二万五千人となります。

それでも、47節では、六百人の者が、荒野の方に向かってリモンの岩にまでたどり着き、四か月間、リモンの岩にいたと記されています。リモンの岩は、エルサレムから北北東に20Km行った所、北のベテルからは東に5Kmくらいの所にあります。そこは北と西と南が峡谷によってさえぎられており、石灰岩の絶壁の高地で、逃亡者が住むことができるようなほら穴が沢山あります。
六百人の生き残りの者は四か月間、そこにとどまっていたものと思われます。ここは現在ラマン(あるいはロモン)村として残っています。

48節、勝ったイスラエル人たちは、ベニヤミン族の領地に行き、無傷の町も、家畜も、見つかったものすべてを剣で殺し、すべての町々に火を放って焼いています。

士 20:48 イスラエル人は、ベニヤミン族のところへ引き返し、無傷のままだった町をはじめ、家畜、見つかったものすべてを剣の刃で打ち、また見つかったすべての町々に火を放った。

この時のギブアの破滅は、1922~1923年、アメリカの考古学者の発掘によって証明されています。

21章、和解とベニヤミン族の復興

士 21:1 イスラエル人はミツパで、「私たちはだれも、娘をベニヤミンにとつがせない」と言って誓っていた。

1節、イスラエル人はミツパで、「イスラエル人の娘をベニヤミン人にとつがせない。」と誓っていました。これは残ったわずかのベニヤミン人の男子が結婚できなくなってしまい、ベニヤミン人が完全に消滅してしまうことになります。

2,3節、そのことに気づいたイスラエル人は神の契約の箱のあったベテルに行って、夕方まで神の前にすわり、声をあげて激しく泣いています。

士 21:2 そこで、民はベテルに来て、そこで夕方まで神の前にすわり、声をあげて激しく泣いた。
21:3 そして、彼らは言った。「イスラエルの神、【主】よ。なぜイスラエルにこのようなことが起こって、きょう、イスラエルから一つの部族が欠けるようになったのですか。」

4節、ベテルとミツパは近くで、すぐに移動することができたのです。

士 21:4 翌日になって、民は朝早く、そこに一つの祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげた。

「そこに一つの祭壇を築き」とは、ベテルにではなく、ミツパに祭壇を築いたものと思われます。なぜなら、20章26節には、すでに祭壇があり、いけにえをささげていたからです。

5~12節では、もう一つの重大な問題が持ち上がっています。それは今回のベニヤミン族との戦いに、「イスラエルの全部族のうちで、ミツパの主の集まりに出て来なかった者は、必ず殺されなければならない。」という「重い誓いを立てていた」と言っています。これは「特に厳粛な誓い」のことです。

士 21:5 そこで、イスラエルの人々は、「イスラエルの全部族のうちで、【主】のところの集まりに上って来なかった者はだれか」と言った。彼らがミツパの【主】のところに上って来なかった者について、「その者は必ず殺されなければならない」と言って、重い誓いを立てていたからである。
21:6 イスラエル人は、その兄弟ベニヤミンのことで悔やんだ。それで言った。「きょう、イスラエルから、一つの部族が切り捨てられた。
21:7 あの残った者たちに妻をめとらせるにはどうすればよいだろうか。私たちは【主】にかけて、彼らに娘をとつがせないと誓ったのだ。」
21:8 ついで、彼らは言った。「イスラエルの部族のうちで、どこの者がミツパの【主】のところに上って来なかったのか。」見ると、ヤベシュ・ギルアデからは、ひとりも陣営に、その集まりに、出ていなかった。
21:9 民は点呼したが、ヤベシュ・ギルアデの住民はひとりもそこにいなかった。
21:10 会衆は、一万二千人の勇士をそこに送り、彼らに命じて言った。「行って、ヤベシュ・ギルアデの住民を、剣の刃で打て。女や子どもも。
21:11 あなたがたは、こうしなければならない。男はみな、そして男と寝たことのある女はみな、聖絶しなければならない。」

そこで民は点呼してみると、ヤベシュ・ギルアデからは、ひとりも陣営に来ていないことが分かりました。ギルアデのヤベシュは、ヨルダン川の東で、ベテシャンの東南15Km、ワディエルヤベシュ川の河畔にある山岳地帯です。現在のエドディルにあったと思われています。

この箇所では、ベニヤミンの残った兄弟たちに妻をめとらせることと、ヤベシュ・ギルアデの住民を打つことが入り混じって書かれてあるので、この二つを関係づけて、ヤベシュを攻撃したかに思う人もいるかもしれませんが、これは、事件が起きた後に書いていますので、この二つの事件が後に関係を持つようになったことを記しているのであって、この二つの事件は別々に行なわれたものと思われます。すなわち、ベニヤミンの残った兄弟たちに妻を与えるために、ヤベシュを攻撃したのではないということです。

イスラエル人の重要で厳粛な誓いは、ヤベシュの住民を全滅させることを実行させるほど、イスラエル人を動かす力を持っていました。彼らは一万二千人の勇士を送り、ヤベシュの女も、子どもも、すべての住民を剣の刃で打ち殺しました。「男と寝たことがある女はみな、聖絶しなければならない。」とあるのは、将来、ヤベシュ人が生まれて、復讐されることを恐れたからでしょう。

12節、こうしてヤベシュ・ギルアデの住民のうち、「男と寝たことがなく、男を知らない若い処女四百人」が見つけ出され、シロの陣営に連れて行かれました。彼女たちはどんなに不安で、恐怖に包まれていたことでしょうか。

士 21:12 こうして、彼らはヤベシュ・ギルアデの住民のうちから、男と寝たことがなく、男を知らない若い処女四百人を見つけ出した。彼らは、この女たちをカナンの地にあるシロの陣営に連れて来た。

13~14節、それからイスラエルの全会衆は、リモンの岩に逃げ込んで四十日間、そこにとどまっていた六百人のベニヤミン人に和解を呼びかけ、ベニヤミン族が絶えてしまわないために、生かしておいたヤベシュの娘たちを彼らの妻に与えたのです。

士 21:13 それから、全会衆は、リモンの岩にいるベニヤミン族に使いをやり、彼らに和解を呼びかけたが、
21:14 そのとき、ベニヤミンは引き返して来たので、ヤベシュ・ギルアデの女のうちから生かしておいた女たちを彼らに与えた。しかし、彼らには足りなかった。

今日の私たちが考えるとヤベシュの娘ひとり一人の人権を無視した行動ですけれど、当時はそれが平気で行なわれていたのです。健全な信仰が失われると、女性の人権が失われたり、捕虜や奴隷の人権が無視されることが、すぐに現われてきます。今日でも、子どもや妻に対する虐待が多くなっているのも、人々の心に信仰がないことによっているのです。

後に、ベニヤミン人だったサウルがイスラエルの王となった時、ヤベシュ・ギルアデがアモン人ナハシュに戦いを仕かけられました。ヤベシュの長老の使者はサウルのいるギブアに来て、それを告げて助けを求めました。その時、サウルはイスラエルとユダの人々を集めて、アモン人を打って、ヤベシュ人を助けています(サムエル記第一 11章)。

また、サウル王の死体がペリシテのベテ・シャンの城壁にさらし者になっているのを聞いた時、ヤベシュ・ギルアデの住民は、夜通し歩いて行って、サウルの死体と、その息子たちの死体をベテ・シャンの城壁から取りはずして、ヤベシュに運んで、そこに葬っています(サムエル記第一 31:11~13)。このように、ベニヤミンとヤベシュ・ギルアデ人との間に親密な交わりがあったのは、ヤベシュの四百人の処女の娘たちとベニヤミンの生存者との結婚があったからです。

更に、根拠は定かではありませんが、ヤベシュ・ギルアデの人々が、イスラエル人に加わってベニヤミン族と戦わなかったのは、それ以前にもヤベシュとベニヤミンの間に親しい関係があったからではないかと思われます。

士 21:15 民はベニヤミンのことで悔やんでいた。【主】がイスラエルの部族の間を裂かれたからである。
21:16 そこで、会衆の長老たちは言った。「あの残った者たちに妻をめとらせるにはどうしたらよかろう。ベニヤミンのうちから女が根絶やしにされたのだ。」
21:17 ついで彼らは言った。「ベニヤミンののがれた者たちの跡継ぎがなければならない。イスラエルから一つの部族が消し去られてはならない。

しかし、ベニヤミン人の妻となる娘は足りなかったのです。16節を見ると、ベニヤミン人の中から女が根絶やしにされていました。それは先に、ベニヤミン人がレビ人のそばめを殺していたからであるかも知れません。このベニヤミン人に対する刑罰的攻撃は過酷でした。激しい怒りによって、ベニヤミン族を攻撃したイスラエルの長老たちは、イスラエルの中から一つの部族(ベニヤミン)が消し去られてしまうのではないかと、今度は自分たちが悩まなければならなくなったのです。

更に彼らは、イスラエル人の間で「ベニヤミンに妻を与える者はのろわれる。」と誓っていた(18節)ので、自分たちの手足を縛って、身動きがとれなくなってしまっていたのです。

士 21:18 しかし、私たちの娘を彼らにとつがせることはできない。イスラエル人は、『ベニヤミンに妻を与える者はのろわれる』と言って誓っているからだ。」

過剰な怒り、過剰な刑罰は、却って自分を苦しめ、身動きできなくし、自分が責任を取らなければならなくなるのです。

19~24節は、次の手段を描いています。

19節、イスラエルの長老たちは、おそらくベニヤミンのまだ妻を得ていなかった二百人の人々に語りかけたのでしょう。

士 21:19 それで、彼らは言った。「そうだ。毎年、シロで【主】の祭りがある。」──この町はベテルの北にあって、ベテルからシェケムに上る大路の日の上る方、レボナの南にある──
21:20 それから、彼らはベニヤミン族に命じて言った。「行って、ぶどう畑で待ち伏せして、
21:21 見ていなさい。もしシロの娘たちが踊りに出て来たら、あなたがたはぶどう畑から出て、めいめい自分の妻をシロの娘たちのうちから捕らえ、ベニヤミンの地に行きなさい。

「そうだ。」とは、毎年、神の契約の箱があったシロで祭りがあることを思い出したことを示しています。この「祭り」は直訳では「宮詣で」です。これは、仮庵の祭りが変形したもので、この地方ではぶどうの収穫を祝う祭りでした(士師記9:27)。エルカナとその家族も、この祭りのために毎年、シロに詣でていました(サムエル記第一 1:3)。

シロは、ベテルの北にあり、ベテルからシェケムに上る大路の日の上る方(すなわち、東)、レボナの南にありました。
この祭りでは、シロの娘たちが刈り入れの祝いの踊りを踊るために、家々から出て来たのです。

この時をねらって、ベニヤミンの兄弟たちはぶどう畑で待ち伏せしていて、シロの娘が出て来たところを、うしろから捕え、各々の自分の妻として連れて行きなさいと、命じています。この時も、シロの娘たちに対しても、各々の人権を無視して、人さらいのような略奪結婚が繰り返されています。このようにでもしなければ、ベニヤミン族を救うことができなくなってしまっていたのです。それというのも、レビ人のそばめを虐待するという愚かな罪から始まっていたのです。

「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」(ヤコブ1:14~15)

22節、長老たちは、シロの娘の父や兄弟たちが苦情を言って来ることも予想していました。それに対しては、
「私たちのため、彼らに情けをかけてやってください(彼らをゆるしてやってください。)。」と言っています。そしてシロの人々に二つの理由を告げています。

士 21:22 もし、女たちの父や兄弟が私たちに苦情を言いに来たら、私たちは彼らに、『私たちのため、彼らに情けをかけてやってください。私たちは戦争のときに彼らのひとりひとりに妻をとらせなかったし、あなたがたも娘を彼らに与えませんでした。もしそうしていたら、あなたがたは、罪に定められたでしょう』と言います。」

一つは、ベニヤミン人が戦争によって、娘たちを奪ったのではないこと、
もう一つは、シロの人々がミツパでの重大な誓いを破って、娘たちをベニヤミン人の妻にしたという咎(とが)を受けないですむことです。そればかりではなく、シロの人は、イスラエルの部族の一つ、ベニヤミン族を再興するという、恵みにあふれていることを成し遂げたことになります。

もし、ベニヤミン人に、ヤベシュの四百人の娘たちとシロの娘が妻として与えられなかったなら、ベニヤミン人は絶滅してしまって、新約の時代の異邦人の宣教者パウロが生まれることができなかったのです(ローマ11:1、ピリピ3:5)。このような混乱状態の中においても、時代を越えた主の摂理の御手を見ることができます。
私たちはだれも、遠い将来を見通すことはできませんが、真理に従うことは大きな価値があるのです。

23,24節、これによって争いは終わり、各々自分の相続地に帰り、特にベニヤミン人は町々を再建していったのです。

士 21:23 ベニヤミン族はそのようにした。彼らは女たちを自分たちの数にしたがって、連れて来た。踊っているところを、彼らが略奪した女たちである。それから彼らは戻って、自分たちの相続地に帰り、町々を再建して、そこに住んだ。
21:24 こうして、イスラエル人は、そのとき、そこを去って、めいめい自分の部族と氏族のところに帰って行き、彼らはそこからめいめい自分の相続地へ出て行った。

サムエル記第一、11章の頃(BC1025年頃)には、ヤベシュの人々も、ベニヤミン族の人々も、相当増えていたのです。互いに主の愛とあわれみを持って助け合うなら、必ず主の恵みを受けて繁栄していくのです。

25節は、17章6節の繰り返しの引用です。

士 21:25 そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。

士師記の締め括りにも、士師記の時代の最悪の特徴を示して、終わっています。
私たちの時代も、士師記の時代とあまり変わりません。ますます、みことばに従った信仰が人々の心に根を下していくことが必要です。
時がよくても悪くても、みことばを宣べ伝えさせていただきましょう(テモテ第二 4:2)。

(士師記 完了)

あとがき

使徒の働きを読みますと、人々の心が生き生きとし、社会が良くなり、明るく躍動した時には、必ず、神のみことばが広がっていっている時です。
昨今、日本では若者たちの集団自殺や幼い子を殺す大人の悲惨な事件が相次いでいます。これは人の心に神が創造された重要なものが欠けていることが最大の原因です。
モーセが神のみことばを語り続けた時、民は恵みを受けました。ヨシュアは神のみことばを語ることをせず、カナン七族と戦い続けましたが、この時代はまだモーセの教えを受けていた者が生きていたので恵みは保たれました。しかし神のみことばが語られなかったことは、士師記の時代に、はっきり現われてきたのです。そして再びサムエルによって神のみことばが語られるに至ったのです。

(まなべあきら 2005.3.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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