聖書の探求(328) サムエル記第二 21章 三年の飢饉、サウル王の七人の子の処刑、ペリシテ人との戦い

フランスの画家James Tissot (1836–1902)による「Rizpah’s Kindness Toward the Dead(死んだ者に対するリツパのやさしさ)」(New YorkのJewish Museum蔵)


21章から24章までの本書の終わりの四章は、付録のようなもので、これまでの記録から漏れて残っている出来事を拾い集めて、補ったようなものです。この中にはダビデの治世に起きた重要な出来事を幾つか記しています。たとえば三年間の飢饉、ギブオン人の要求に答えてサウル王の七人の子をギブオン人に与えて処刑されたこと、ペリシテ人の巨人と戦ったことなどです。これらの記録は必ずしも年代順には記されていません。

これらの四章の記録は補遺的な性質のもので、イスラエルの歴史の動きは、20章26節で中断され、列王記第一 1章の「年を重ねて老人になった」ダビデ王の記録に引き継がれ、歴史の流れが再開されています。

21章の分解

1節、三年の飢饉
2~14節、サウル王の七人の子の処刑
15~22節、ペリシテ人との戦い

1節、三年の飢饉

Ⅱサム21:1 ダビデの時代に、三年間引き続いてききんがあった。そこでダビデが【主】のみこころを伺うと、【主】は仰せられた。「サウルとその一族に、血を流した罪がある。彼がギブオン人たちを殺したからだ。」

「ダビデの時代」とありますが、ダビデのどの時代であったかは明白に記されていません。7節を見ると、ヨナタンの子メフィボシェテがダビデの王宮で住むようになった後のことであると思われます。

ダビデは、この飢饉の原因や理由が分かりませんでした。そこで主のみこころを伺うと、サウルとその一族がギブオン人たちを殺したからであることが主から告げられました。

今の私たちにも、理由が分からずに苦難に会うことがあります。そういう時は、自分の知恵と考えで思い煩ったり、思い悩んでいないで、祈りつつ聖書を読み、聖霊に教えていただけるように、主に求めるのがよいでしょう。直接、自分に原因がなくても、わざわいに会うことがあります。

2~14節、サウル王の七人の子の処刑

2節、ダビデは主のみことばに従い、ギブオン人を呼び出し、何があったのかを確かめています。

Ⅱサム 21:2 そこで王はギブオン人たちを呼び出して、彼らに言った。──ギブオンの人たちはイスラエル人ではなく、エモリ人の生き残りであって、イスラエル人は、彼らと盟約を結んでいたのであるが、サウルが、イスラエルとユダの人々への熱心のあまり、彼らを打ち殺してしまおうとしたのであった。──

「ギブオンの人たちはイスラエル人ではなく、エモリ人の生き残りであって、イスラエル人は、彼らと盟約を結んでいたのではあるが、」

ヨシュア記9章で、ギブオン人はイスラエル人を恐れて、変装を企てて、イスラエル人に近づき偽りの証拠を提出してイスラエル人をだましたとは言え、「ヨシュアが彼らと和を講じ、彼らを生かしてやるとの盟約を結んだとき、会衆の上に立つ族長たちは、彼らに誓った。」(ヨシュア記9:15)のです。三日目に彼らの偽装は明らかになったのですが、全会衆は族長たちに向かって不平を言いましたが、ギブオン人たちとの盟約は無効だとは言いませんでした。むしろ族長たちは全会衆に、「『私たちはイスラエルの神、主にかけて彼らに誓った。だから今、私たちは彼らに触れることはできない。私たちは彼らにこうしよう。彼らを生かしておこう。そうすれば、私たちが彼らに誓った誓いのために、御怒りが私たちの上に下らないだろう。』族長たちが全会衆に、『彼らを生かしておこう。』と言ったので、彼らは全会衆のために、たきぎを割る者、水を汲む者となった。族長たちが彼らに言ったとおりである。」(ヨシュア記9:19~21)

この盟約は生きていて、続いていたのです。ところが、「サウルが、イスラエルとユダの人々への熱心のあまり、彼らを打ち殺してしまおうとしたのであった。」ここの記述以外にサウル王がギブオン人を殺害したという記録はどこにもありません。しかしサウルは神の前で結んだ盟約を犯してしまったのです。その結果、三年もの長い飢饉が起きたのです。

3節、ダビデはギブオン人の生き残りの人々に、「あなたがたのために、私は何をしなければならないのか。私が何を償ったら、あなたがたは主のゆずりの地を祝福できるのか。」と尋ねています。

Ⅱサム 21:3 ダビデはギブオン人たちに言った。「あなたがたのために、私は何をしなければならないのか。私が何を償ったら、あなたがたは【主】のゆずりの地を祝福できるのか。」

祝福は主から与えられるものですが、ここではギブオン人たちが「主のゆずりの地」イスラエル人の地を祝福するようになることを求めています。すなわち、互いの関係を回復し、仲直りし、赦し合うことができる時、主の祝福も回復するからです。

4節、ギブオン人たちは、「私たちとサウル、およびその一族との間の問題は、銀や金のことではありません。また私たちがイスラエルのうちで、人を殺すことでもありません。」と言って、金銀の賠償でもなく、ギブオン人がイスラエル人に仕返しをすることでもないと言っています。

Ⅱサム 21:4 ギブオン人たちは彼に言った。「私たちとサウル、およびその一族との間の問題は、銀や金のことではありません。また私たちがイスラエルのうちで、人を殺すことでもありません。」そこでダビデが言った。「それでは私があなたがたに何をしたらよいと言うのか。」

5,6節、「私たちを絶ち滅ぼそうとした者、私たちを滅ぼしてイスラエルの領土のどこにも、おらせないようにたくらんだ者、その者の子ども七人を、私たちに引き渡してください。私たちは主の選ばれたサウルのギブアで、主のために、彼らをさらし者にします。」

Ⅱサム 21:5 彼らは王に言った。「私たちを絶ち滅ぼそうとした者、私たちを滅ぼしてイスラエルの領土のどこにも、おらせないようにたくらんだ者、
21:6 その者の子ども七人を、私たちに引き渡してください。私たちは、【主】の選ばれたサウルのギブアで、【主】のために、彼らをさらし者にします。」王は言った。「引き渡そう。」

ギブオン人たちの要求は、民数記35章33節、「あなたがたは、自分たちのいる土地を汚してはならない。血は土地を汚すからである。土地に流された血についてその土地を贖うには、その土地に血を流させた者の血による以外はない。」に違反しているし、申命記24章16節、「父親が子どものために殺されてはならない。子どもが父親のために殺されてはならない。人が殺されるのは、自分の罪のためでなければならない。」に違反していましたが、ダビデはそれを許可しています。

しかしもし、サウルの息子たちや孫たちが、ギブオン人殺害に加わっていたのなら、その責任を取らせられることは合法となります。

しかしこれは、罪に対しては償(つぐな)いが要求されるという普遍の原則を十分に示しています。そしてすべての罪に対する償いは、神ご自身だけが、特に、罪なき神の御子イエス・キリストの十字架の死によってのみ出来るのです。

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。」(ローマ5:8~11)

「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:23)

7節と8節に、二人のメフィボシェテが記されています。

Ⅱサム 21:7 しかし王は、サウルの子ヨナタンの子メフィボシェテを惜しんだ。それは、ダビデとサウルの子ヨナタンとの間で【主】に誓った誓いのためであった。
21:8 王は、アヤの娘リツパがサウルに産んだふたりの子アルモニとメフィボシェテ、それに、サウルの娘メラブがメホラ人バルジライの子アデリエルに産んだ五人の子を取って、
21:9 彼らをギブオン人の手に渡した。それで彼らは、この者たちを山の上で【主】の前に、さらし者にした。これら七人はいっしょに殺された。彼らは、刈り入れ時の初め、大麦の刈り入れの始まったころ、死刑に処せられた。

7節のメフィボシェテはヨナタンの息子です。ダビデはヨナタンとの間で、彼の子孫を守る契約を主の前で結んでいたので、ヨナタンの息子のメフィボシェテをギブオン人に渡さなかったのです。

8節の、もう一人のメフィボシェテは、サウル王とアヤの娘リツパとの間に産まれた者です。この二人は甥(ヨナタンの子メフィボシェテ)と叔父の関係にありました。

ダビデは、リツパがサウルに産んだ二人の子どもと、サウルの娘メラブが産んだ五人の子をギブオン人に渡しています。

9節、この七人のサウル家の人々は、刈り入れ時の初め、大麦の刈り入れの始まった頃、山の上で主の前に殺され、さらし者にされています。この悲劇はサウルが王になって戦いに勝っている頃、熱気にはやって、意気込んで、ギブオン人にまで殺害の手を出してしまったことによるのです。自分の正義感や熱心さが行き過ぎて、他人を批判したり、さばいたりすれば、必ずその償いをさせられる時が来るのです。信仰には熱心さだけでなく、弁(わきま)えや慎重さ、健全性、愛とあわれみ、柔和や寛容が必要なのです。これらを失うと、サウルと同じ悲劇を招くことになります。

10節、リツパの行動は、処刑された二人の息子を嘆きあわれむ気持ちがよく伝わってきます。

Ⅱサム 21:10 アヤの娘リツパは、荒布を脱いで、それを岩の上に敷いてすわり、刈り入れの始まりから雨が天から彼らの上に降るときまで、昼には空の鳥が、夜には野の獣が死体に近寄らないようにした。

リツパは処刑されて、さらし者にされている二人の息子たちの死体の側に座り、昼は空の鳥が死体に襲いかかるのを追い払い、夜には野の獣が死体に近寄らないように寝ないで番をしていたのです。何とも悲しい母の姿です。リツパのこの行動が何日続いたのかは聖書は記していませんが、リツパのこの行動がダビデに知らされることによって、ダビデはさらし者にされた者たちの骨を集めています。

また、リツパのこの行動は、「刈り入れの始まりから雨が天から彼らの上に降るときまで、」続いたと記しています。この雨が降り始めたことは、この処刑によって、飢饉に終わりが来たことの合図でもあったのです。

12~14節、ダビデはリツパの行動を聞くと、サウルとヨナタンの骨をヤベシュ・ギルアデから取ってきて(それまでペリシテ人がベテ・シャンの広場でサウルとヨナタンの死体をさらし者にしていたのを、ヤベシュ・ギルアデの人々が盗み取って保管していたのです。)七人の犠牲者たちの死体とともにベニヤミンにあるサウルの父キシュの墓に埋葬させています。

Ⅱサム 21:11 サウルのそばめアヤの娘リツパのしたことはダビデに知らされた。
21:12 すると、ダビデは行って、サウルの骨とその子ヨナタンの骨を、ヤベシュ・ギルアデの者たちのところから取って来た。これは、ペリシテ人がサウルをギルボアで殺した日に、ペリシテ人が彼らをさらしたベテ・シャンの広場から、彼らが盗んで行ったものであった。
21:13 ダビデがサウルの骨とその子ヨナタンの骨をそこから携えて上ると、人々は、さらし者にされた者たちの骨を集めた。
21:14 こうして、彼らはサウルとその子ヨナタンの骨を、ベニヤミンの地のツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬り、すべて王が命じたとおりにした。その後、神はこの国の祈りに心を動かされた。

聖書は、「その後、神はこの国の祈りに心を動かされた。」と記しています。罪は国を滅ぼします。罪をそのままにしていて、栄えることはありません。しかし罪をイエス様の十字架によって赦され、解決する時、主は私たちの祈りを聞かれ、みこころを動かされ、豊かな恵みを与えて下さるのです。

「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。」(箴言28:13)

15~22節、ペリシテ人との戦い

ダビデには次々と重大事件が続いていたのです。アブシャロムの反逆から始まって、シムイののろい、ダビデに従っていたユダの人々とイスラエルの人々との争い、ベニヤミン人ビクリの子シェバの反乱、ヨアブによるアマサの虐殺、そして先のサウルとその一族がギブオン人との盟約を破って殺害したことに対する三年間の飢饉、そしてサウルとヨナタンの遺骨を埋葬して終わった時、再びペリシテ人がダビデに戦いを仕掛けてきたのです。

15節、ダビデは家来を連れて下り、ペリシテ人と戦ったけれども、「ダビデは疲れていた。」

Ⅱサム 21:15 ペリシテ人はまた、イスラエルに戦いをしかけた。ダビデは自分の家来たちを連れて下り、ペリシテ人と戦ったが、ダビデは疲れていた。

先に挙げました、次々と起きた重大事件のため、ダビデは心身ともに休まる時なく、相当疲れが溜まっていたと思われます。

「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ書40:28~31)

16~22節には、ダビデの勇士たちの勇敢な勝利の実例が四つ記されています。このような勇士たちの働きなしには、ダビデの治世におけるすばらしい勝利と大繁栄はなかったでしょう。それもすべては主が彼ら一人一人に与えられた忠誠心と勇気と力によるのです。神の国の繁栄も聖霊と神の知恵と勇気ある力に満たされた人たちによるのです。

「そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。」(使徒6:3)

この箇所に記されている四人のペリシテ人は、22節によると、「これらの四人はガテのラファの子孫で、」あったと記されていますから、19節のガテ人ゴリヤテの兄弟ラフミもラファの子孫であったことがわかります。だとすると、ゴリヤテ自身(サムエル記第一 17:23以後)も五人目のガテのラファの子孫であったことがわかります。彼らは巨人でした。

16,17節、その一人、イシュビ・ベノブは、重さ三百シェケルの青銅の槍と新しい剣を帯びていた巨人の勇士で、ダビデを殺そうと狙っており、ダビデは殺されそうな危険な目に会っていました。しかしツェルヤの子アビシャイがダビデを助け、イシュビ・ベノブを打ち殺したのです。

Ⅱサム 21:16 それで、ラファの子孫のひとりであったイシュビ・ベノブは、ダビデを殺そうと考えた。彼の槍の重さは青銅で三百シェケル。そして彼は新しい剣を帯びていた。
21:17 しかし、ツェルヤの子アビシャイはダビデを助け、このペリシテ人を打ち殺した。そのとき、ダビデの部下たちは彼に誓って言った。「あなたは、もうこれから、われわれといっしょに、戦いに出ないでください。あなたがイスラエルのともしびを消さないために。」

その時、ダビデの部下たちはダビデに、その危険を考えて、「あなたは、もうこれから、われわれといっしょに、戦いに出ないでください。あなたがイスラエルのともしびを消さないために。」と誓って言っています。ペリシテ人はダビデ自身を狙っていたことがわかります。

18節、ペリシテ人のラファの子孫サフ(歴代誌第一 20:4では、シパイという名前になっています。)は、フシャ人シベカイによってゴブで打ち殺されています。

Ⅱサム 21:18 その後、ゴブでまたペリシテ人との戦いがあり、そのとき、フシャ人シベカイは、ラファの子孫のサフを打ち殺した。

19節、同じゴブでの戦いの時に、ガテ人ゴリヤテの兄弟ラフミを、ベツレヘム人ヤイルの子エルハナンが打ち殺しています。ラフミの槍の柄は、機織りの巻き棒のようであったとありますから、彼も巨人であったことがわかります。

Ⅱサム 21:19 ゴブでまたペリシテ人との戦いがあったとき、ベツレヘム人ヤイルの子エルハナンは、ガテ人ゴリヤテの兄弟ラフミを打ち殺した。ラフミの槍の柄は、機織りの巻き棒のようであった。

20,21節には、ガテでの戦いの時、名前の記されていないペリシテ人の勇士がいたことが記されています。

Ⅱサム 21:20 さらにガテで戦いがあったとき、そこに、手の指、足の指が六本ずつで、合計二十四本指の闘士がいた。彼もまた、ラファの子孫であった。
21:21 彼はイスラエルをそしったが、ダビデの兄弟シムアの子ヨナタンが彼を打ち殺した。
21:22 これら四人はガテのラファの子孫で、ダビデとその家来たちの手にかかって倒れた。

彼の手足の指が六本ずつで、合計二十四本指の闘士であったことが記されています。彼は神の民イスラエルをそしりましたが、ダビデの兄弟シムア(サムエル記第一 16:9ではシャマとなっています。)の子ヨナタン(ダビデの甥になります。)によって打ち殺されています。人をそしったり、ののしったりするのは、高慢のしるしです。高慢は滅びのしるしでもあります。主はへりくだる者に恵みを与えられるのです(ヤコブ4:6)。

「人の心の高慢は滅びに先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」(箴言18:12)

あとがき

大震災の後、日本人の心が不安な状態になっていることは事実でしょうが、しかし人々の心がイエス様の方に傾くようになったとは言えないようです。不安な状態のままで長く続くと、人々の心は段々と不満になり、そこにサタンが働くようになり、それまで助け合っていた人々が争うようになり、絶望して自殺する人や、異端や偽りの宗教が入り込むようになり、人の苦しみにつけ込んだサギが増えて、世の中がさらに混沌としてきます。
このような時、クリスチャンは引っ込んでいないで、「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:16)と愛の光を隣人に示していくことこそ大切です。

(まなべあきら 2011.5.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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