聖書の探求(327) サムエル記第二 20章 シェバの反乱、ヨアブのアマサ殺害、反乱の鎮圧、ダビデの組織

オランダの画家 Jan Luyken (1649–1712)による「Joab doodt Amasa(ヨアブはアマサを殺す)」(Wikimedia Commonsより)
20~24章はダビデの晩年を扱っており、彼の生涯の後期を記しています。
20章は、ベニヤミン人ビクリの子シェバの反乱に際して、ヨアブがアマサをだまし打ちにする悲劇が記されています。
20章の分解
1~7節、シェバの反乱
8~13節、ヨアブのアマサ殺害
14~22節、反乱の鎮圧
23~26節、ダビデの組織と諸官
1~7節、シェバの反乱
Ⅱサム 20:1 たまたまそこに、よこしまな者で、名をシェバという者がいた。彼はベニヤミン人ビクリの子であった。彼は角笛を吹き鳴らして言った。「ダビデには、われわれのための割り当て地がない。エッサイの子には、われわれのためのゆずりの地がない。イスラエルよ。おのおの自分の天幕に帰れ。」
20:2 そのため、すべてのイスラエル人は、ダビデから離れて、ビクリの子シェバに従って行った。しかし、ユダの人々はヨルダン川からエルサレムまで、自分たちの王につき従って行った。
災いはアブシャロムの死で終わったわけではありませんでした。ダビデの勢力がまだ回復しないうちに反乱を企てようとする者がいました。その一人がベニヤミン人ビクリの子シェバでした。彼もゲラルの子シムイと同じベニヤミン人でサウルの滅亡によって、ダビデに恨みを抱いている者の一人でした。彼はイスラエルの人々とユダの人々が争っているのを利用しようとしていたのです。
聖書は「たまたまそこに、よこしまな者で名をシェバという者がいた。」と記しています。この表現の仕方は現代では偶然の出来事のように思われがちですが、ここではサタンの陰謀が暗示されているように見えます。あくまでもダビデに反逆する勢力が執拗にダビデに襲いかかろうとし ているように見えます。
シェバは再び、反乱を起こして国民を分裂させるために角笛を吹き鳴らして、イスラエルの部族を結集しています。彼は激しくダビデとの決別をイスラエルの人々に訴え、イスラエル人をダビデから引き裂いています。こうして一度はダビデを出迎えに来ていたイスラエル人は、ダビデから離れて、ビクリの子シェバに従って行っています。このように、人の言葉ですぐに態度を翻して別の人に従って行く人は、よこしまな者に欺かれて従いやすいのです。
パウロは、自分がいなくなると、すぐに偽りの教師に従って行ったガラテヤの信者たちに対して次のように言っています。
「私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。」(ガラテヤ1:6)
しかしユダの人々はイスラエルの人々のように心変わりせず、ヨルダン川からエルサレムまで自分たちの王ダビデに従っています。
3節、ダビデはエルサレムの自分の王宮に入ると、まず王宮の留守番に残しておいた十人のそばめに監視つきの家を与えて、養っています。彼女たちはアブシャロムから虐待を受けていたからです。しかしダビデは王として、敵対者に虐待された彼女たちのところには通わず、彼女たちは一生やもめとして暮らしたのです。
Ⅱサム 20:3 ダビデはエルサレムの自分の王宮に入った。王は、王宮の留守番に残しておいた十人のそばめをとり、監視つきの家を与えて養ったが、王は彼女たちのところには通わなかった。それで彼女たちは、一生、やもめとなって、死ぬ日まで閉じ込められていた。
こうして王宮で傷ついた者たちを慰めた後、ダビデはビクリの子シェバの新たな反乱を壊滅させるために、アマサに三日のうちにユダの人々を召集するように命じています。
Ⅱサム 20:4 さて、王はアマサに言った。「私のために、ユダの人々を三日のうちに召集し、あなたも、ここに帰って来なさい。」
20:5 そこでアマサは、ユダの人々を召集するために出て行ったが、指定された期限に間に合わなかった。
5節、しかしアマサは指定された三日の期間が過ぎても帰って来ませんでした。こうしてアマサは将軍としての資格を失ってしまったのです。アマサが遅れた理由を聖書は記していませんが、彼は8節でギブオンまでシェバを追っていたヨアブの前に現われていますから、アマサがダビデの命令に忠実でなかったと言えるでしょう。
6節、アマサが間に合わなかったので、ダビデはアビシャイに命じています。
Ⅱサム 20:6 ダビデはアビシャイに言った。「今や、ビクリの子シェバは、アブシャロムよりも、もっとひどいわざわいを、われわれにしかけるに違いない。あなたは、私の家来を引き連れて彼を追いなさい。でないと彼は城壁のある町に入って、のがれてしまうだろう。」
もはやユダの全軍を召集する時間がないので、ダビデの家来を引き連れてシェバを追跡するように命じています。早くしないと、シェバは城壁のある町に逃げ込んで捕えることができなくなり、アブシャロムよりももっとひどいわざわいをダビデに仕掛けるに違いないと言っています。
この時、ダビデがヨアブにではなく、アビシャイにこの命令を与えたのは、ヨアブが先に、ダビデの命令に従わずに、アブシャロムを殺害してしまっていたからです。ダビデはその不忠実さの故に、ヨアブを選ばなかったのです。ヨアブは将軍の地位からはずされ、降格させられていたのでしょう。
7節、アビシャイは、ヨアブの部下と、ケレテ人とベレテ人と、すべての勇士たちとを連れてシェバの追跡を始めています。
Ⅱサム 20:7 それで、ヨアブの部下と、ケレテ人と、ペレテ人と、すべての勇士たちとは、アビシャイのあとに続いて出て行った。彼らはエルサレムを出て、ビクリの子シェバのあとを追った。
こういう重大な危機の緊急の時、命がけで、すぐに働いてくれる部下がいたことは、ダビデにとって重要なことでした。
8~13節、ヨアブのアマサ殺害
Ⅱサム 20:8 彼らがギブオンにある大きな石のそばに来たとき、アマサが彼らの前にやって来た。ヨアブは自分のよろいを身に着け、さやに納めた剣を腰の上に帯で結びつけていた。彼が進み出ると、剣が落ちた。
この追跡にはヨアブも加わっていました。ヨアブがギブオンにある大きな石のそばまでシェバを追跡して来た時、アマサとばったり出会っています。ヨアブはアマサを自分を降格させたライバルと思っていたようです。ヨアブは以前、サウル王の将軍だったアブネルと親しい振りをして殺害したように(3:27)、アマサをも殺害してしまったのです。
8節の後半は、「ヨアブは自分のよろいを身に着け、さやに納めた剣を腰の上に帯で結びつけていた。彼が進み出ると、剣が落ちた。」と、不明瞭な書き方をしていますが、10節では「アマサはヨアブの手にある剣に気をつけていなかった。ヨアブが彼の下腹を刺したので、」とありますから、明らかにヨアブはアマサに気づかれないように、腰の上に結びつけていた剣のさやを落としたのです。
9節、そして親しそうにアマサに「兄弟。おまえは元気か。」と言って、挨拶の口づけをしようとして右手でアマサのひげをつかんだと記しています。
Ⅱサム 20:9 ヨアブはアマサに、「兄弟。おまえは元気か」と言って、アマサに口づけしようとして、右手でアマサのひげをつかんだ。
20:10 アマサはヨアブの手にある剣に気をつけていなかった。ヨアブが彼の下腹を刺したので、はらわたが地面に流れ出た。この一突きでアマサは死んだ。それからヨアブとその兄弟アビシャイは、ビクリの子シェバのあとを追った。
ヨアブは親しさを装い、右手でアマサのひげをつかんで逃げられなくし、二人が近づいた時、ヨアブの左手は腰の剣の束を握り、剣の先をアマサの下腹に向けて、一気に刺したのです。これは愛と親しさを装った卑劣な行為です。イスカリオテのユダも、イエス様に口づけを装って裏切っています。愛と親切を装う裏切りは最も卑劣な行為です。
11節、このような卑劣なことをする年老いたヨアブにも喜んで従う若者がいたのです。彼は「ヨアブにつく者、ダビデに味方する者は、ヨアブに従え。」と言っています。
Ⅱサム 20:11 そのとき、ヨアブに仕える若い者のひとりがアマサのそばに立って言った。「ヨアブにつく者、ダビデに味方する者は、ヨアブに従え。」
この若者は王の心も、神のみこころも弁(わきま)えず、年老いた将軍ヨアブに傾倒していたのです。こういう人は危険な人物になります。
12節、アマサは大路の真中に血まみれになってころがされていましたから、来る者がみんな立ち止まって見るので、この若者はアマサの死体を大路から野原に運んでいます。
Ⅱサム 20:12 アマサは大路の真ん中で、血まみれになってころがっていた。この若い者は、民がみな立ち止まるのを見て、アマサを大路から野原に運んだ。そのかたわらを通る者がみな、立ち止まるのを見ると、彼の上に着物を掛けた。
それでも、かたわらを通る者がみな立ち止まって見るので、アマサの死体の上に着物をかけています。アマサの死を覆い隠したのです。
13節、それで、ビクリの子シェバの追撃は進んで行ったのです。
Ⅱサム 20:13 アマサが大路から移されると、みなヨアブのあとについて進み、ビクリの子シェバを追った。
14~22節、反乱の鎮圧
14節、シェバはイスラエルの全部族の領地を通り抜けて北上し、ダンの少し西にあるナフタリの領地の北端にあるアベル・ベテ・マアカ(へブル語では、「アベルとベテ・マアカ」となっています。)まで逃げています。この町は堅固に要塞化されていましたから、シェバはここに逃げ込むと安全と思っていたのでしょう。
Ⅱサム 20:14 シェバはイスラエルの全部族のうちを通って、アベル・ベテ・マアカへ行った。すべてのベリ人は集まって来て、彼に従った。
「すべてのベリ人は集まって来て、彼に従った。」この「ベリ人」は「ビクリ人」と読み替えることもできます。ビクリはシェバの父であり、シェバの同族の者たちが彼に味方して集まって来たのです。
15節、シェバの反乱は失敗でした。シェバのもとに集まった同族の者たちは、ヨアブの軍隊に太刀打ちできるものではなかったからです。
Ⅱサム 20:15 しかし、人々はアベル・ベテ・マアカに来て、彼を包囲し、この町に向かって塁を築いた。それは外壁に向かって立てられた。ヨアブにつく民はみな、城壁を破壊して倒そうとしていた。
追撃者の人々のある者はこの町の外壁に塁を築いて攻めようとしていたし、ヨアブの部下たちは城壁を破壊して倒そうとしていました。
16節、そのまま放っておくと、この町は破壊されてしまい、滅ぼされてしまうでしょう。
Ⅱサム 20:16 そのとき、この町から、ひとりの知恵のある女が叫んだ。「聞いてください。聞いてください。ヨアブにこう言ってください。ここまで近づいてください。あなたにお話ししたいのです。」
招かれざる客のために、自分たちの町が破壊されて大変だと思った、一人の知恵ある女がヨアブとの会談を求めて来ました。この会談はこの女の人、一人の考えではなかったでしょう。町の人々を代表して、この知恵ある女の人が選ばれたのだと思われます。
Ⅱサム 20:17 ヨアブが彼女のほうに近づくと、この女は、「あなたがヨアブですか」と尋ねた。彼は答えた。「そうだ。」すると女は言った。「このはしためのことばを聞いてください。」彼は答えた。「私が聞こう。」
20:18 すると女はこう言った。「昔、人々は『アベルで尋ねてみなければならない』と言って、事を決めるのがならわしでした。
18節、ヨアブたちがいきなり武力で町を破壊することに対して、攻撃の理由などを話し合って、事を決めるのがイスラエルのならわしではないかと、申し入れています。
Ⅱサム 20:19 私は、イスラエルのうちで平和な、忠実な者のひとりです。あなたは、イスラエルの母である町を滅ぼそうとしておられます。あなたはなぜ、【主】のゆずりの地を、のみ尽くそうとされるのですか。」
19節、そして彼女は、「私は、イスラエルのうちで平和な、忠実な者のひとりです。」と言って、平和と忠実を強調して、争いを好まないことを主張しています。そしてなぜ「イスラエルの母である町」「主のゆずりの地」を滅ぼし、飲み尽くそうとしているのかを問うています。この時点では町の人々はなぜ突然ヨアブの軍隊がこの町を滅ぼそうとし始めたのか、理解していなかったのです。
Ⅱサム 20:20 ヨアブは答えて言った。「絶対にそんなことはない。のみ尽くしたり、滅ぼしたりするなど、とてもできないことだ。
20:21 そうではない。実はビクリの子で、その名をシェバというエフライムの山地の出の男が、ダビデ王にそむいたのだ。この男だけを引き渡してくれたら、私はこの町から引き揚げよう。」するとこの女はヨアブに言った。「では、その男の首を城壁の上からあなたのところに投げ落としてごらんにいれます。」
20,21節、ヨアブは町を滅ぼすのが目的でないことを知らせました。そして真の理由を語ったのです。「実はビクリの子で、その名をシェバというエフライムの山地の出の男が、ダビデ王にそむいたのだ。この男だけを引き渡してくれたら、私はこの町から引き上げよう。」
彼女はヨアブに「では、その男の首を城壁の上からあなたのところに投げ落としてごらんにいれます。」と答えています。
Ⅱサム 20:22 この女はその知恵を用いてすべての民のところに行った。それで彼らはビクリの子シェバの首をはね、それをヨアブのもとに投げた。ヨアブが角笛を吹き鳴らしたので、人々は町から散って行って、めいめい自分の天幕へ帰った。ヨアブはエルサレムの王のところに戻った。
22節、「この女はその知恵を用いてすべての民のところに行った。」は、秘密のうちにシェバを捕える相談をしたことを言っているようです。そして約束通り、シェバの首をはねて、ヨアブのもとに投げたので、ヨアブは角笛を吹き、町への攻撃は中止され、軍隊はエルサレムに引き揚げ、兵士たちは自分の天幕に帰り、ヨアブはエルサレムのダビデ王のもとに報告に戻ったのです。報告に行ったのは、命じられていたアビシャイではなく、ヨアブであり、ヨアブは自分の手柄にしたのでしょう。
23~26節、ダビデの組織と諸官
この章の締め括りの4節に、ダビデの王国の組織と諸官の名前が記されています。
ダビデの組織は8章16~18節にも、歴代誌第一 18章14~17節にも記されています。少しずつ違いがありますが、それはその時の任命によって異なったものと思われます。
23節で、ヨアブは、イスラエルの全軍の長として、かえり咲いて第一の地位を占めています。
Ⅱサム 20:23 さて、ヨアブはイスラエルの全軍の長であった。エホヤダの子ベナヤはケレテ人とペレテ人の長。
エホヤダの子ベナヤは、いつもダビデの部下として忠実に活躍していたケレテ人とペレテ人の長となっています。ケレテ人とペレテ人は他のユダの人々とは別の組織になっています。
Ⅱサム 20:24 アドラムは役務長官。アヒルデの子ヨシャパテは参議。
24節のアドラムは役務長官。「役務長官」は、文字通りの意味では、「割り当て仕事を監督する者」あるいは、「強制労働を監督する者」です。アヒルデの子ヨシャパテは毎日の出来事の記録係をしていたものと思われます。
Ⅱサム 20:25 シェワは書記。ツァドクとエブヤタルは祭司。
25節の、シェワは、列王記第一 4章3節では「シシャ」となっており、歴代誌第一 18章16節では「シャウシャ」となっており、書記を務めています。ツァドクとエブヤタルは祭司です。
Ⅱサム 20:26 ヤイル人イラもダビデの祭司であった。
26節の「ダビデの祭司」と訳されている語は、通常では「祭司」を意味しますが、ここでは祭司は成り立ちません。祭司はアロンの子孫がなるように定められていたからです。8章18節でも、「ダビデの子らは祭司であった。」と記されていますが、ダビデの子どもが祭司になるはずがありませんから、ここでは「ダビデの大臣」とか、「ダビデの首席補佐官」を意味していたと思われます。
あとがき
3月11日の大震災以後、未信者の方の中にも、祈りたい気持ちになっている方が増えているようです。ある姉妹は未信者の夫が祈っているのを見て、「だれに祈ったの。」と尋ねると、「神様と仏様。」と答えたので、「がっかりした。」と言われました。しかし大震災以後、多くの人々の心に不安、恐れ、希望が持てない状態が続いていることは確かです。このような時、サタンが働きやすいので私たちはしっかりと福音の証しをしましょう。
私たちの信仰は、「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。」(テサロニケ第一 5:23)です
(まなべあきら 2011.6.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)