聖書の探求(335) 列王記第一 2章1~25節 ダビデの遺言、ダビデの死、アドニヤの要求と死

エルサレムの旧市街のシオン門を出てすぐのところに「最後の晩餐」が行われたと言われる「二階の間」の建物があり、その下の階に「ダビデの墓」とされるものがあって、シナゴーグになっています。
2章は、ダビデの遺言とソロモン王国の確立です。
2章の分解
1~9節、ダビデの遺言
10~12節、ダビデの死
13~25節、アドニヤの要求と死
26,27節、エブヤタルの祭司罷免
28~34節、ヨアブの処刑
35節、ソロモンの新体制
36~46節、シムイの処分と王国の確立
1~9節、ダビデの遺言
1,2節、「ダビデの死ぬ日が近づいたとき、」これはダビデが間もなく死ぬことを意味していません。何年か経過する期間があり、歴代誌第一 22章6節から29章の終わりまで、即ち、神殿建設の準備をしたり、神殿での礼拝のための奉仕者を任命して組織したり、護衛隊を組織したりして、神殿において主を礼拝するためのあらゆる準備をするだけの十分な時間は残っていたのです。
Ⅰ列王 2:1 ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように言いつけた。
2:2 「私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。強く、男らしくありなさい。
聖書は「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、」(へブル9:27)と宣告しています。
パウロは殉教の死の時が来たことを自覚した時、テモテに次のように言いました。
「私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」(テモテ第二 4:6~8)
死が近いことを自覚する時、心の最も深いところにある大切なことを思い起こして言い残すものです。ダビデにとっては、王となったソロモンが主に忠実に歩み、霊的に成長し、王国を信仰的に恵まれたものとすることと、反逆の危険性のある者たちに警戒して王国の安定を計ることでした。
しかしダビデの詩篇などを通して強調されている点は、もっと個人的で信仰的なことです。イスラエルの王たちの基準はダビデの信仰となっています。その中でも特に、罪が示された時、ダビデがすぐに砕かれて、主に立ち戻ったことです。罪に陥らないことは最も良いことですが、しかし実際に大事なことは、罪に陥った時、すぐに心が砕かれて、神に立ち帰ることです。私たちは多くの弱さを持っており、サタンの激しい誘惑にも出会います。そのことの故に、罪に陥ることもあるでしょう。その時、心を頑なにせず、高慢にならず、自己主張せず、心砕かれて、へりくだり、イエス様の十字架をすぐに仰いで立ち上がることです。ダビデの模範はこの点にあります。
「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩篇51:17)
「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。」(ヨハネ第一 2:1)
3,4節、ダビデは、ダビデの王家が絶えることなく栄え、王国が栄え続けるためには、ソロモン自身が主の戒めを守り、主の道を守り、霊的に聖い生活を営み、また国民を同じ聖い信仰の道に、主に忠実な生活をするように導くことであると、ソロモンに教えています。
Ⅰ列王 2:3 あなたの神、【主】の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。
2:4 そうすれば、【主】は私について語られた約束を果たしてくださろう。すなわち『もし、あなたの息子たちが彼らの道を守り、心を尽くし、精神を尽くして、誠実をもってわたしの前を歩むなら、あなたには、イスラエルの王座から人が断たれない。』
王国の繁栄は軍隊を増強することでもなく、異教の国々と政略結婚を繰り返すことによって、連盟の関係を作り上げていくことでもなかったのです。後に、ソロモンは、神を離れて、後者のほうに移って行ってしまい、王国を分裂に追いやってしまったのです。
この聖い生活の発展と王国の繁栄の道は、すでに「モーセの書に書かれているとおり」でした。すでに主はモーセを通して啓示されていたのです。これに従って行くことだけが、栄光の道です。そしてソロモンは王となることによって、自分だけでなく、イスラエルの国民をも、この主の道を歩むように指導する責任を主に対して負っていたのです。
モーセは、王となる者に対して、次のように命じています。
「あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地にはいって行って、それを占領し、そこに住むようになったとき、あなたが、『回りのすべての国々と同じく、私も自分の上に王を立てたい。』と言うなら、あなたの神、主の選ぶ者を、必ず、あなたの上に王として立てなければならない。あなたの同胞の中から、あなたの上に王を立てなければならない。同胞でない外国の人を、あなたの上に立てることはできない。
王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。『二度とこの道を帰ってはならない。』と主はあなたがたに言われた。
多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。
彼がその王国の王座に着くようになったなら、レビ人の祭司たちの前のものから、自分のためにこのみおしえを書き写して、自分の手もとに置き、一生の間、これを読まなければならない。それは、彼の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばとこれらのおきてとを守り行なうことを学ぶためである。それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることがないため、また命令から、右にも左にもそれることがなく、彼とその子孫とがイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるためである。」(申命記17:14~20)
3節の「主のおきて」は、規定されている事柄で、後の慣習的な習わしのことです。
Ⅰ列王 2:3 あなたの神、【主】の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。
「その手、その足を洗う。彼らが死なないためである。これは、彼とその子孫の代々にわたる永遠のおきてである。」(出エジプト記30:21)
「命令」は、まず「十戒(出エジプト記20:1~17)」を指し、広い意味では、モーセの律法で、「あなたは…しなければならない。」と命じられている訓戒を指しています。
「定め」は、文字通りには「さばき」や「法令」を意味します。これらは特殊な場合に関する法廷の判決を指しています。これは主に、出エジプト記21章~23章に使われており、「もし…するなら」という構文の律法として記されています。
「さとし」は、特別な時には「十戒」を指しますが、一般的な意味では、神をあかしするすべての戒律を指しています。
「主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。」(詩篇19:7)
「あなたの恵みによって、私を生かしてください。私はあなたの御口のさとしを守ります。」(詩篇119:88)
ダビデは、モーセによってすでに与えられているこれらの啓示を心から守り行なうことが霊的な成長と、平和な王国の建設を保証することをソロモンに教えたのです。聖い生活は神のみこころに服従することによって実際に営まれ、それは豊かで満ち足りた生活、神を崇め、繁栄する生活を保証していることを、ダビデは自ら経験して、ソロモンに教えたのです。私たちが主の命じられたことに心からお従いする時、主もまた「私について語られた約束を果たしてくださろう。」ダビデの王家がイスラエルの王座から断たれないためには、ソロモンが主に忠実な模範を示し、ソロモンに続く息子たちが「主の道を守り、心を尽くし、精神を尽くして、誠実をもって」主の前を歩むことが、唯一の条件なのです。
5~9節は、ダビデがこれまでに処置、処分できないでいるヨアブ、バルジライの子らと、シムイについての処置をソロモンに委ねることでした。ソロモンがその治世の間に、神の知恵によって適切に処置し、王国の平和を保つようにという命令です。
5,6節は、ヨアブについての処分です。
Ⅰ列王 2:5 また、あなたはツェルヤの子ヨアブが私にしたこと、すなわち、彼がイスラエルのふたりの将軍、ネルの子アブネルとエテルの子アマサとにしたことを知っている。彼は彼らを虐殺し、平和な時に、戦いの血を流し、自分の腰の帯と足のくつに戦いの血をつけたのだ。
2:6 だから、あなたは自分の知恵に従って行動しなさい。彼のしらが頭を安らかによみに下らせてはならない。
その理由は二つです。一つは、ヨアブがアブネルをだまし打ちにして殺したことです(サムエル記第二 3:27)。アブネルはダビデと契約を結び、安心して平和のうちに帰路についていたのを、ヨアブがヘブロンに呼び戻し、だまし打ちにしたのです。それは自分の兄弟アサエルの復讐だったのです。
もう一つは、アマサがダビデの命令を受けてユダの人々を三日のうちに召集するために出て行ったけれども、指定された期限に間に合わなかったのです。ダビデはこの時、ビクリの子シェバの反乱を恐れていたので、アビシャイにシェバを追うように命じたのです。この時、ダビデはヨアブを用いなかったのです。それがヨアブに不満だったのか、期限を守れなかったアマサを怒っていたのか、ギブオンの大きな石のそばでアマサと出会った時、ヨアブはアマサに挨拶の口づけをするかに見せかけて、右手でアマサのひげをつかんで、彼の下腹を一突きにして殺してしまったのです(サムエル記第二 20:4~10)。
ダビデはアブネルに対しても、アマサに対しても、彼らの身を保護し、安全に守る責任があったのに、ヨアブは私的な復讐心と激しい衝動によって、二人の正しい人を殺してしまい、その血の責任をダビデに負わせてしまったのです。この二人の不当な殺人に対するヨアブの責任はまだ問われていませんでした。神の正義がまだなおざりにされたままになっていたのです。それは必ず、更にヨアブの乱行によって王国にわざわいをもたらすことになるでしょう。そこでダビデはソロモンに神が与えてくださった知恵を使って、ヨアブに適切な刑罰を下すようにと指示したのです。ヨアブはダビデの働きの初期には、ダビデを助けて大きな貢献をしたのですが、後期には、ダビデをしのぐほどの権力を持ち、野心と残虐さが目立ち、わざわいの原因の人物となってしまいました。まことに残念な人です。力を持って来た時、人は最も危険な状態にあります。ダビデも一時、罪を犯しその危険に陥ったのです。
7節は、ギルアデ人バルジライの子らに恵みをもって報いるようにという指示です。ダビデは自分に愛とあわれみを施してくれた者に対する恩を決して忘れることがありませんでした。
Ⅰ列王 2:7 しかし、ギルアデ人バルジライの子らには恵みを施してやり、彼らをあなたの食事の席に連ならせなさい。私があなたの兄弟アブシャロムの前から逃げたとき、彼らは私の近くに来てくれたからだ。
ダビデが息子アブシャロムの反逆を受けてマハナイムに逃げた時、バルジライはダビデとその一行に必要な物を与えて助けました(サムエル記第二 17:27~29)。ダビデがエルサレムに帰る時、バルジライを王宮に迎え入れたかったのですが、八十歳の高齢であったので断られ、彼の子キムハムを王宮に客として招くことにしたのです。これはダビデの友情に対する報いの仕方でした(サムエル記第二 19:31~40)。しかしダビデはこれだけではバルジライの行為に十分に報いているとは思っていなかったのです。自分が本当に苦しかった時に受けた愛とあわれみの助けを、すぐに忘れてしまうダビデではありませんでした。恐らく、バルジライはすでに世を去っていたでしょう。そしてダビデも高齢になり、死の時のために備えていたのです。しかし前の世代のダビデとバルジライの友情は、ダビデとヨナタンの友情と同じように永く続けられるべきだったのです。このことをソロモンに命じて「ギルアデ人バルジライの子らには恵みを施してやり、彼らをあなたの食事の席に連ならせなさい。」と言ったのです。受けた恵みをすぐに忘れ、踵を返して反逆する者が多い中で、いつまでも、後代の子孫にまでも愛と友情を保っていくのは、何とうるわしいことでしょうか。こうでなければ本当の信仰者とは言えないでしょう。
8,9節で、ベニヤミン人ゲラの子シムイは、ダビデがアブシャロムの反逆に会って逃げ落ちて行く時、ダビデを激しくのろい、無礼な態度を取った人物です(サムエル記第二 16:5~13)。
Ⅰ列王 2:8 また、あなたのそばには、バフリムの出のベニヤミン人ゲラの子シムイがいる。彼は、私がマハナイムに行ったとき、非常に激しく私をのろった。しかし、彼は私を迎えにヨルダン川に下って来たので、私は【主】にかけて、『あなたを剣で殺さない』と言って彼に誓った。
2:9 だが、今は、彼を罪のない者としてはならない。あなたは知恵のある人だから、彼にどうすれば彼のしらが頭を血に染めてよみに下らせるかを知るようになろう。」
ダビデはこの時も、彼の従者たちがシムイを罰して殺すことを許可しませんでした。アビシャイはダビデに、「シムイは、主に油そそがれた方をのろったので、そのために死に値するのではありませんか。」と言っています。ダビデがこれまでサウル王に刃向かわなかったのは、サウル王が主に油そそがれた方であったことを理由にしていたので、アビシャイのこの進言は的を射ています。しかしダビデは次のように答えています。
「ツェルヤの子らよ。あれは私のことで、あなたがたには、かかわりのないことだ。あなたがたは、きょう、私に敵対しようとでもするのか。きょう、イスラエルのうちで人が殺されてよいだろうか。私が、きょう、イスラエルの王であることを、私が知らないとでもいうのか。」(サムエル記第二 19:22)
ダビデはこの時は、シムイのことを慎重に取り扱ったのです。ダビデはシムイに「あなたを殺さない。」(同19:23)と言いましたが、「あなたを赦す。」とは言っていません。ダビデは、シムイのののしりは、ダビデ個人に対することよりも、「主に油そそがれた王」であるダビデに逆らったことであったことを深く心に留めていたのです。ですから、シムイの問題はまだ処理されていない問題として、ソロモンが神の知恵によって、正すようにと指示したのです。シムイは命乞いをしただけで、安易にダビデの怒りは解けたと思ったのでしょうが、彼は本心から自分の罪を悔い改め、心砕かれて神の王国の建設のために忠実に力を尽くすという、真実な態度を見せていません。
主の「油注がれた者」をののしったり、反逆したり、攻撃したりする悪い行動をした者に対しては、神の正義の道理の刑罰が必ず下るのです。シムイの時のように、すぐには刑罰が下されなくても、そしてダビデが「殺さない。」と約束しても、神の正義のルールが必ず働くのです。このことを私たちは十分に弁(わきま)えて、安易に自分の考えと、感情にまかせて、他人を批判したり、さばいたり、ののしったりすることは決してしてはなりません。神の御目は節穴ではないからです。
「主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。」(詩篇33:13)
10~12節、ダビデの死
Ⅰ列王 2:10 こうして、ダビデは彼の先祖たちとともに眠り、ダビデの町に葬られた。
ダビデは、シオンの山のダビデの町に埋葬されました。ペンテコステの日に、ペテロは、「兄弟たち。先祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあります。」(使徒2:29)と言って、その時、ダビデの墓はだれにでも分かる形として存在していたことを示しています。このダビデの墓は、キリストの復活の証拠として使われています。ダビデが詩篇16篇10,11節で言った「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。」は、イエス様の復活の預言であったことを、ダビデの墓を用いて証明したのです。
Ⅰ列王 2:11 ダビデがイスラエルの王であった期間は四十年であった。ヘブロンで七年治め、エルサレムで三十三年治めた。
ダビデの治世の四〇年間を、ヘブロンでの七年間(ユダの王として)と、エルサレムでの三十三年間(全イスラエルの王として)の二つに分けています。
Ⅰ列王 2:12 ソロモンは父ダビデの王座に着き、その王位は確立した。
ダビデは王位継承について万全の準備をしていたので、ダビデの死後、ソロモンの王位は揺らぐことがなく、確立できたのです。
13~25節、アドニヤの要求と死
39節を見ると、13節から46節までのアドニヤとエブヤタルとヨアブとシムイに対する処置は、三年間にわたる出来事だったことが分かります。本書の記者は3章からのソロモンの治世について書き始める前に、年代順にはかまわずに、ダビデがソロモンに命じた遺言の実行を書き記しています。このように年代順にとらわれずに歴史的出来事を書き記すことは、へブルの歴史書ではよく使われている方法です。
アドニヤがソロモン王の母バテ・シェバのもとに来て、ダビデに仕えていたシュネム人の女アビシャグを自分の妻に求めたことが、一つの大きな事件をひき起こしたきっかけになっています。
Ⅰ列王 2:13 あるとき、ハギテの子アドニヤがソロモンの母バテ・シェバのところにやって来た。彼女は、「平和なことで来たのですか」と尋ねた。彼は、「平和なことです」と答えて、
2:14 さらに言った。「あなたにお話ししたいことがあるのですが。」すると彼女は言った。「話してごらんなさい。」
2:15 彼は言った。「ご存じのように、王位は私のものであるはずですし、すべてのイスラエルは私が王となるのを期待していました。それなのに、王位は転じて、私の弟のものとなりました。【主】によって彼のものとなったからです。
2:16 今、あなたに一つのお願いがあります。断らないでください。」彼女は彼に言った。「話してごらんなさい。」
2:17 彼は言った。「どうかソロモン王に頼んでください。あなたからなら断らないでしょうから。シュネム人の女アビシャグを私に与えて私の妻にしてください。」
2:18 そこで、バテ・シェバは、「よろしい。私から王にあなたのことを話してあげましょう」と言った。
アドニヤがアビシャグを自分の妻に求めた理由について、記者は何一つ解説していませんから、よく説教などで語られていることはすべて推測によるものです。
一つの見解は、王国の王位は主によって弟のソロモンに与えられました。アドニヤはそれを承知せざるを得なかったのですが、なお不満であったとするものです。彼は利己的な野心を抱き続け、神のみこころを知りつつも、それを心からは受け入れておらず、もう一度、王位を得る機会をうかがっていたと見る見解です。アドニヤはアビシャグを妻に求めることによって、王位をソロモンから奪うための巧妙な動きをしていたと考えられています。アビシャグはダビデ王の妻ではありませんでしたが、王室の后の宮の一人として王に仕えていたアビシャグがアドニヤの妻として認められたなら、アドニヤはソロモンを王位から追い出すための武器を握ったことになるでしょう。国民はその意思表示を知ることになります。当時の慣習では、王に即位する者は、前の王の後宮を支配することによって、王位を勝ち取ったことの象徴的しるしとしていたのです。たとえばアブネルがサウル王のそばめリツパと通じたことによって、サウル王の息子イシュ・ボシェテと反目になっています(サムエル記第二 3:7~11)。またダビデの息子アブシャロムがダビデ王に反乱を起こした時も、アブシャロムはダビデがエルサレムに残しておいたそばめたちの所に入っています(サムエル記第二 16:22)。この行為は自分が王としての支配権を握ったことを象徴的に示すためなのです。
もう一つの見解は、アドニヤは単純な男だったから、ただアビシャグを愛していただけで、アビシャグを妻にしたいと申し出たのだとする見解です。どちらが事実であるかを判断する材料はありません。
ここで私たちが注意しなければならない点は、たといアドニヤが王位を狙う野心を持たず、ただアビシャグを愛していただけで、アビシャグを妻にしたいと求めたとしても、当時の慣習や感覚では、アドニヤはソロモンを王位から追い出して、自分が王位を狙っていると受け取られることは、当然のことなのです。このことは前例もあったことなので、アドニヤは十分、このことを知っていたはずです。それなのに敢えて、この行動に出たことは、彼が本当に思慮の浅い人だったのか、それともやはり彼に野心があったと疑われても仕方がないでしょう。彼はこのことの故に、命を落としてしまったのです。
また、アドニヤが直接、ソロモンに求めないで、ソロモンの母バテ・シェバに求めたのも、バテ・シェバのほうがだましやすいと考えたからではないかと、疑われてしまいます。彼は自分には野心がないことを十分に明らかにしないで、この求めをしてしまっています。
バテ・シェバは彼に「平和なことで来たのですか。」と尋ねています。なぜなら、アドニヤは自分の息子ソロモンを脅かす人物であると、強く警戒していたからです。
「平和」はへブル語の「シャローム」で、そのもともとの意味は、完全な状態を表わしています。ここではアドニヤの訪問が争いの目的でないのか、よい目的かどうかを最初に尋ねたのです。
彼はバテ・シェバから願いを話すように言われた時、素直に自分に野心が全くないことを言わず、却って王位に対する未練がましいことを言ってしまっています。この言葉を見ても、アドニヤは、潔(いさぎよ)い、賢い人だったとは思えません。
この話を聞いたバテ・シェバは、アドニヤの話をそのまま受け止めたのか、彼に同情したのか、彼にだまされたのかは、分かりません。
Ⅰ列王 2:19 バテ・シェバは、アドニヤのことを話すために、ソロモン王のところに行った。王は立ち上がって彼女を迎え、彼女におじぎをして、自分の王座に戻った。王の母のためにほかの王座を設けさせたので、彼女は彼の右にすわった。
2:20 そこで、彼女は言った。「あなたに一つの小さなお願いがあります。断らないでください。」王は彼女に言った。「母上。その願い事を聞かせてください。お断りしないでしょうから。」
2:21 彼女は言った。「シュネム人の女アビシャグをあなたの兄のアドニヤに妻として与えてやってください。」
20節で、バテ・シェバがソロモンに、「あなたに一つの小さなお願いがあります。断わらないでください。」と言って、アビシャグをアドニヤの妻に与えてやってくれるように頼んでいます。これを表面的に見ると、彼女はアドニヤに同情していたように見えますが、しばしば王宮で行なわれる会話は儀式的な言い回しがされています。19節のソロモンが王母におじぎをしたり、王母に王座を設けているのを見ますと、周りにも家来たちがいて、非常に儀式的に会見が行なわれています。これは私たちの親子の話し合いという状況ではありません。バテ・シェバは内心、ソロモンが一番危険な人物を取り除く時が来たことを悟って喜んでいたのかも知れません。そして彼女の願いと主のみこころが公表されることを待ち望んでいたことを暗示しているようでもあります。ある人たちは、バテ・シェバはアドニヤにだまされていたと考えていますが、バテ・シェバはダビデ王の妻となり、ソロモン王の母となっていたのですから、当時の王位の継承問題に特別に関心があったはずで、前の王の後宮を自分の妻とする者が、新しい王の地位を獲得したしるしであるとする当時の慣習を知らなかったはずはありません。ですから、バテ・シェバがアドニヤにだまされていたとするのは考えにくいのですが、その可能性が全くないとしてしまうこともできません。とにかく、このことは推測でしかありません。
Ⅰ列王 2:22 ソロモン王は母に答えて言った。「なぜ、あなたはアドニヤのためにシュネム人の女アビシャグを求めるのですか。彼は私の兄ですから、彼のために、王位を求めたほうがよいのではありませんか。彼のためにも祭司エブヤタルやツェルヤの子ヨアブのためにも。」
ソロモンは母に「なぜ、あなたはアドニヤのためにシュネム人アビシャグを求めるのですか。彼は私の兄ですから、彼のために、王位を求めたほうがよいのではありませんか。彼のためにも祭司エブヤタルやツェルヤの子ヨアブのためにも。」と言っています。
この言葉をソロモンが怒って言ったと受け止めることもできますが、聖書は怒って言ったとは記していません。周りにいた家来たちからアドニヤにソロモンの考えがもれていくことを恐れて、このように言ったことも考えられます。しかしこの言葉によって、ソロモンはアドニヤが王位を狙って申し出たと判断したことは明らかです。そしてアドニヤの側についた祭司エブヤタルと将軍ヨアブの名を挙げていることは、いよいよ、ダビデの言い付け通り、彼らを処罰すべき時が来たと、ソロモンが判断したことを暗示しています。
23~25節、ソロモンは主の前にのみ、自分の決断を告白しています。彼はだれにも相談しませんでした。
Ⅰ列王 2:23 ソロモン王は【主】にかけて誓って言った。「アドニヤがこういうことを言って自分のいのちを失わなかったら、神がこの私を幾重にも罰せられるように。
2:24 私の父ダビデの王座に着かせて、私を堅く立て、お約束どおりに、王朝を建ててくださった【主】は生きておられる。アドニヤは、きょう、殺されなければなりません。」
2:25 こうして、ソロモン王は、エホヤダの子ベナヤを遣わしてアドニヤを打ち取らせたので、彼は死んだ。
ソロモンはアドニヤに、「彼がりっぱな人物であれば、彼の髪の毛一本でも地に落ちることはない。しかし、彼のうちに悪があれば、彼は死ななければならない。」(1:52)と言っておいたのです。しかしアドニヤはこれを忠実に守らなかったのです。ソロモンは自分を通してダビデの王朝が続いていくことは、神がお定めになったことだと確信していたのです。これは正しいことでしたが、ソロモンは父ダビデの信仰を生涯、継承することをしなかったので、残念です。
ソロモンはエホヤダの子ベナヤに命じて、その日のうちにアドニヤを処刑させています。自分にふさわしい弁(わきま)えを持たずに、分を越えたことを求めたり、主張する人は、自ら滅びを招くことになります。
あとがき
聖書の探求の読者の方々から、「いつも首を長くして待っています。」「聖書の探求も新しい書に入りました。これを機に、こちらも毎日少しずつ読み進んでいきたいと思います。みことばが心の糧となってとどまりますように祈りつつ。」「イエス様の導きの中で真理を語り続けておられる貴教会のために主を崇めております。ますます耳ざわりのよい話に傾く時代に、地の塩としての働きのために用いられますように。」など、お励ましのおことばをいただき、本当に力づけられています。こういうお便りをいただけることは、本当に主からの恵みです。二倍も、三倍もの力を受けて、奉仕が続けられます。他にも多くの方々が、お祈りをもって支えて下さっていることを感謝しております。
(まなべあきら 2012.2.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)
