聖書の探求(073b) レビ記 3章 和解のささげ物

3章は、和解のいけにえについて記していますが、これについては、7章11~34節にも詳しく記されていますので、ここでは簡単に学んでおきます。

レビ 3:1 もしそのささげ物が和解のいけにえの場合、牛をささげようとするなら、雄でも雌でも傷のないものを【主】の前にささげなければならない。
3:2 その人はささげ物の頭に手を置く。それは会見の天幕の入口の所でほふられる。そして、祭司であるアロンの子らは祭壇の回りにその血を注ぎかけなさい。
3:3 次に、その人は和解のいけにえのうちから、【主】への火によるささげ物として、その内臓をおおう脂肪と、内臓についている脂肪全部、
3:4 二つの腎臓と、それについていて腰のあたりにある脂肪、さらに腎臓といっしょに取り除いた肝臓の上の小葉とをささげなさい。
3:5 そこで、アロンの子らは、これを祭壇の上で、火の上のたきぎの上にある全焼のいけにえに載せて、焼いて煙にしなさい。これは【主】へのなだめのかおりの火によるささげ物である。
3:6 【主】への和解のいけにえのためのささげ物が、羊である場合、雄でも雌でも傷のないものをささげなければならない。
3:7 もしそのささげ物として子羊をささげようとするなら、それを【主】の前に連れて来る。
3:8 その人はささげ物の頭の上に手を置く。そして、それは会見の天幕の前でほふられる。アロンの子らは、その血を祭壇の回りに注ぎかけなさい。
3:9 その人はその和解のいけにえのうちから、【主】への火によるささげ物として、その脂肪をささげなさい。すなわち背骨に沿って取り除いたあぶら尾全部と、内臓をおおう脂肪と、内臓についている脂肪全部、
3:10 二つの腎臓と、それについていて腰のあたりにある脂肪、さらに腎臓といっしょに取り除いた肝臓の上の小葉とである。
3:11 祭司は祭壇の上でそれを食物として、【主】への火によるささげ物として、焼いて煙にしなさい。
3:12 もしそのささげ物がやぎであるなら、それを【主】の前に連れて来る。
3:13 その人はささげ物の頭の上に手を置く。そして、それは会見の天幕の前でほふられる。アロンの子らは、その血を祭壇の回りに注ぎかけなさい。
3:14 その人は、【主】への火によるささげ物として、そのいけにえから内臓をおおっている脂肪と、内臓についている脂肪全部、
3:15 二つの腎臓と、それについていて腰のあたりにある脂肪、さらに腎臓といっしょに取り除いた肝臓の上の小葉とをささげなさい。
3:16 祭司は祭壇の上でそれを食物として、火によるささげ物、なだめのかおりとして、焼いて煙にしなさい。脂肪は全部、【主】のものである。
3:17 あなたがたは脂肪も血もいっさい食べてはならない。あなたがたが、どんな場所に住んでも、代々守るべき永遠のおきてはこうである。」

和解のいけにえが他のいけにえと異なるところは、神にささげた残りを、祭司とささげた人が食べることができることです。和解のいけにえが意味するところは、神との交わりです。ある時は、救いを求める祈りであり、ある時は、感謝の祈りです。それ故、このいけにえは、キリストとの平和、交わり、和解を意味しています。

「和解」とは、ヘブル語で「シャローム」で、その語根は「無傷」とか、「健全」とか、「完全」を意味します。ここから、キリストとの和解による平安が意味されるようになりました。

ここで用いられている動物は、牛、羊、子羊、やぎです。ささげる人はどの動物でも用いることができました。また、ささげるいけにえの性別や年令は定められていません。

これらの動物から、神にささげられるものは、血と脂肪と腎臓、肝臓の上の小葉です。血はいのちを表わし、またキリストの血を予表していることは、すでにご存知でしょう。血を携えない者は、神との交わりに入ることができません。

3:2 その人はささげ物の頭に手を置く。それは会見の天幕の入口の所でほふられる。そして、祭司であるアロンの子らは祭壇の回りにその血を注ぎかけなさい。

ここでは、脂肪について詳しく記されています。

レビ 3:3 次に、その人は和解のいけにえのうちから、【主】への火によるささげ物として、その内臓をおおう脂肪と、内臓についている脂肪全部、
3:4 二つの腎臓と、それについていて腰のあたりにある脂肪、さらに腎臓といっしょに取り除いた肝臓の上の小葉とをささげなさい。

9節には、「背骨に沿って取り除いたあぶら尾全部」とあります。これは特に、パレスチナの羊が脂肪質の尾をもっていたからです。

レビ 3:9 その人はその和解のいけにえのうちから、【主】への火によるささげ物として、その脂肪をささげなさい。すなわち背骨に沿って取り除いたあぶら尾全部と、内臓をおおう脂肪と、内臓についている脂肪全部、

すなわち、血と脂肪はすべて、神のものでした(17節)。

レビ 3:17 あなたがたは脂肪も血もいっさい食べてはならない。あなたがたが、どんな場所に住んでも、代々守るべき永遠のおきてはこうである。」

なぜ、神が血と同じように、脂肪をこのように細く求められたのかというなら、脂肪は「貯えられた動物の富」と考えられていたからです。旧約においては、脂肪は最高の豊かさと最良のものを意味していました。神は最良のものをささげることを求められたのです。それは「傷のないもの」(1、6節)をささげなければならないと言われていることにも通じています。

レビ 3:1 もしそのささげ物が和解のいけにえの場合、牛をささげようとするなら、雄でも雌でも傷のないものを【主】の前にささげなければならない。

3:6 【主】への和解のいけにえのためのささげ物が、羊である場合、雄でも雌でも傷のないものをささげなければならない。

「ささげ物の頭の上に手を置く」(2、8、13節)ことは、ささげる人の身代わりとなることを意味します。

3:2 その人はささげ物の頭に手を置く。それは会見の天幕の入口の所でほふられる。そして、祭司であるアロンの子らは祭壇の回りにその血を注ぎかけなさい。

3:8 その人はささげ物の頭の上に手を置く。そして、それは会見の天幕の前でほふられる。アロンの子らは、その血を祭壇の回りに注ぎかけなさい。

3:13 その人はささげ物の頭の上に手を置く。そして、それは会見の天幕の前でほふられる。アロンの子らは、その血を祭壇の回りに注ぎかけなさい。

それは、自分自身をささげる信仰をもって、動物のいけにえをささげることを示しています。私たちは、賛美のいけにえでも、感謝のささげものでも、口先だけや、物をささげるだけでなく、自分自身をささげる信仰でささげなければなりません。
「それを食物として、主への火によるささげ物として」(11、16節)神は、人によって食事を与えられる必要はありません。

3:11 祭司は祭壇の上でそれを食物として、【主】への火によるささげ物として、焼いて煙にしなさい。

3:16 祭司は祭壇の上でそれを食物として、火によるささげ物、なだめのかおりとして、焼いて煙にしなさい。脂肪は全部、【主】のものである。

偶像には食物を供えたりしますが、これと混同してはいけません。「食物として」とは、和解のいけにえを、神と礼拝者との交わりの食事と見たてておられるのです。

17節の「代々守るべき永遠のおきて」は、レビ記中、17回出てきます。

レビ 3:17 あなたがたは脂肪も血もいっさい食べてはならない。あなたがたが、どんな場所に住んでも、代々守るべき永遠のおきてはこうである。」

これは儀式の方法そのものを言っているのではなく、和解のいけにえの儀式が教えている霊的意味を示して言われているのです。異端の中には、神のことばの中に意味されている重要な内容を無視して、ただ表面のことばだけを守るように強調するものがあります。この点において、現代のクリスチャンは、神にささげることの意味をもっと深く、もっと真剣に考えるべきではないでしょうか。

真の礼拝者はこの和解のいけにえをささげることによって、神の祝福と力を継続的に受け、神との交わりにおける誠実さが確立され、保証されるようになるのです。

あとがき

栄光、ただ主に。

積極的にあかしをしない生活をしていると、信仰が「守り」一辺倒の自己防衛的なものなってしまいます。そしてこれが日本のキリスト教の特長ではないかと思います。一時的に熱心にあかしをし、伝道する人は数多くいます。しかし、しばらく続けて効果が出てこないと、失望して中断してしまいやすいのではないでしょうか。効果があっても、なくても、十年、二十年と積極的に攻めの伝道姿勢を保つには、忍耐が必要です。

その最大の敵は自分です。結果が仲々見えてこないと失望し、断念しやすい自分に打ち勝つことが、勝利を得る信仰の秘訣です。私たちは伝道が困難な原因は外部にあると思い込んでいます。しかし実は内部にも強敵がいたのです。私たちが消極的になって、教会の内側に閉じこもり、守りの姿勢をとる時、弱体化します。クリスチャンと教会は何らかの方法において、積極的な攻めの姿勢をとり続ける必要があります。学びに、祈りに、賛美に、あかし、伝道において積極的であって下さい。

(まなべあきら 1990.4.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の絵は、オランダの MARIAN VAN DER KRUIJTさんにより描かれた「Instructions God gave for the peace offering(神様から示された和解のささげ物の手順)」(Freebibleimagesより。参照:https://www.freebibleimages.org/illustrations/mk-peace-offering/)


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