聖書の探求(322) サムエル記第二 15章 アブシャロムは民の心を奪う、ダビデはエルサレムを去る

フランスの画家James Tissot (1836–1902)による「David Quits Jerusalem(ダビデはエルサレムを去る)」(New YorkのJewish Museum蔵、Wikimedia Commonsより)
15~19章の五つの章は、父ダビデの赦しに対してアブシャロムが反乱をもって報いた記録を記しています。しかしそれはダビデの罪に対して預言者ナタンを通して主が宣告された通りのことが行なわれたことを示しています。
「今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしをさげすみ、ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。主はこう仰せられる。『聞け。わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす。あなたの妻たちをあなたの目の前で取り上げ、あなたの友に与えよう。その人は、白昼公然と、あなたの妻たちと寝るようになる。』」(12:10,11)
15章の分解
1~12節、アブシャロム、民の心を奪う
13~37節、ダビデの逃亡
1~12節、アブシャロム、民の心を奪う
Ⅱサム15:1 その後、アブシャロムは自分のために戦車と馬、それに自分の前を走る者五十人を手に入れた。
1節、「その後」とは、「すぐに」「即座に」を意味しています。アブシャロムはダビデに会って、父の気持ちを確かめた後、ダビデが安心して油断していることを確かめると、すぐに、ダビデの方に向いていた国民の忠誠心を、王位継承者である自分の方に奪い取るための計画を公然と始めたのです。
彼はまず、戦争の力を誇示するために戦車と馬を手に入れ、また自分の側近となる者をも手に入れています。これらは王権を誇示するためのものです。彼は密かに王位を父から奪うための準備を始めたのです。
2節、「アブシャロムはいつも、朝早くから、門に通じる道のそばに立っていた。」
Ⅱサム 15:2 アブシャロムはいつも、朝早く、門に通じる道のそばに立っていた。さばきのために王のところに来て訴えようとする者があると、アブシャロムは、そのひとりひとりを呼んで言っていた。「あなたはどこの町の者か。」その人が、「このしもべはイスラエルのこれこれの部族の者です」と答えると、
15:3 アブシャロムは彼に、「ご覧。あなたの訴えはよいし、正しい。だが、王の側にはあなたのことを聞いてくれる者はいない」と言い、
15:4 さらにアブシャロムは、「ああ、だれかが私をこの国のさばきつかさに立ててくれたら、訴えや申し立てのある人がみな、私のところに来て、私がその訴えを正しくさばくのだが」と言っていた。
門は当時の役場であり、裁判所であり、公けの会議を開く所でもあり、ここで決められたことは、公的効力を持つのです。彼はここに毎日、朝早くから立つことによって、それまで、ダビデの所に訴えていた人々の訴えを自分で処理することによって、民の心をダビデから奪い取ることを企んだのです。民の信頼をダビデから切り離して自分の方に向けさせようとしたのです。アブシャロムは非常に頭のいい人で、綿密な計画を立てて、うまく行きそうでしたが、それが彼の命取りになったのです。彼の計画は綿密であっても、その動機と目的は神のみこころに反していたので、彼は命を失ったのです。王位は自分の策略で奪い取るものではなく、主から与えられるものです。主が与えて下さらないものを、自分の力で握っても、わざわいを招くだけです。また民の忠誠心や信頼も、わずかな期間の働きで得られるものではありません。命がけの献身と信仰によって与えられたものでなければ、すぐに偽りの仮面は剥がれてしまいます。アブシャロムの計画は巧妙でしたが、決して主に喜ばれるものではありませんでしたから、成功するかに見えましたが、自ら滅びを招いてしまったのです。
こうして、王の審判を受けるために王宮に来る人々に、自分が王の権威の座に着いたら、訴えに来た人々に有利な決定を下すとほのめかしていたのです。そして「王の側にはあなたのことを聞いてくれる者はいない。」とダビデを悪く言いふらしていたのです。
5節、「人が彼に近づいて、あいさつしようとすると、彼は手を差し伸べて、その人を抱き、口づけをした。」
15:5 人が彼に近づいて、あいさつしようとすると、彼は手を差し伸べて、その人を抱き、口づけをした。
段々と、アブシャロムは民の心を奪い取るようになり、彼は近づいて来てあいさつするのに、大げさな仕草で、手を伸ばして、その人を抱き、口づけしています。大げさな親切には下心が隠されていますから、特に気をつけなければなりません。これは、彼が王だけでなく、民をも欺いていたのです。
6節、「こうしてアブシャロムはイスラエル人の心を盗んだ。」
15:6 アブシャロムは、さばきのために王のところに来るすべてのイスラエル人にこのようにした。こうしてアブシャロムはイスラエル人の心を盗んだ。
これはアブシャロムの最大の犯罪です。これに対する神の審判は明確に下されました。彼は王をだまし、民をだまし、神をもだまして、民の心を盗み、王位を盗み、国をも盗もうとしたのです。物や金銭を盗むと、すぐに盗んだことが分かりますが、人の心は物ではありませんから、分からないと思っているし、それが盗みの犯罪だということに深く気づいていないのです。しかし人の心を盗むことは、最大の犯罪なのです。他人の悪口を言うこと、陰口を言うこと、悪い噂を話すことなどは、人の心を盗むことになります。
7~9節、四年間、十分、人の心を盗んだ後、アブシャロムは王に、彼がゲシュルにいた時に立てた誓願を果たすために、ヘブロンに行かせてくださいと、王を欺いています。
Ⅱサム 15:7 それから四年たって、アブシャロムは王に言った。「私が【主】に立てた誓願を果たすために、どうか私をヘブロンへ行かせてください。
15:8 このしもべは、アラムのゲシュルにいたときに、『もし【主】が、私をほんとうにエルサレムに連れ帰ってくださるなら、私は【主】に仕えます』と言って誓願を立てたのです。」
15:9 王が、「元気で行って来なさい」と言ったので、彼は立って、ヘブロンへ行った。
彼は主に誓願を果たすという信仰深い理由を付ければ、父ダビデは喜んで承諾してくれると読んでいたのです。
7節の「四年たって」をマソラテ本文の記述では「四十年後」であったとしています。これは、5章4節の「ダビデは…四十年間、王であった。」という、ダビデ王の全治世の期間が四十年続いたことと調和させようとしたのですが、それは不可能です。これについては、ギリシャ語の七十人訳とシリヤ語訳の読み方、すなわち「四年後」が正しいのです。へブル語では「四」に「イム」を付けると「四十」になります。それ故、マソラテ本文の読み方は筆写時の誤りであることは間違いありません。
10節、アブシャロムはヘブロンに着くと、密かにダビデに気づかれないように、イスラエルの全部族に使いを送って、「角笛の鳴る」合図を聞いたら、全国民が口々に「アブシャロムがヘブロンで王になった。」と叫んで宣言するように指示しています。こうして、父ダビデを王位から追い落とすことを狙ったのです。
Ⅱサム 15:10 そのとき、アブシャロムはイスラエルの全部族に、ひそかに使いを送って言った。「角笛の鳴るのを聞いたら、『アブシャロムがヘブロンで王になった』と言いなさい。」
「使い」はへブル語の「ラガル」で、「偵察する人、告げ口をする人」という意味です。アブシャロムが自分の王位就任宣言をするのにヘブロンを選んだのは、ヘブロンがイスラエルの王制度と深い関わりがあったからです。ダビデは、ヘブロンでユダの王となり(2:4)、全イスラエルの王となったのもヘブロンにおいてです(5:3,4)。また、七年六か月、ヘブロンでユダを治めています。ヘブロンはユダ族にとって由緒のある重要な中心地と思われており、おそらくアブシャロムはヘブロンで力強い援助が得られると考えたのでしょう。またヘブロンから指示を出すと、全イスラエルに王としての権威を効果的に発揮することができると考えたのでしょう。
11節、アブシャロムはエルサレムから二百人の人々をヘブロンに連れて来ていましたが、彼らはただ単に、招かれて行った人々であって、アブシャロムが王位を奪うという謀反について何も聞かされていない人々でした。
Ⅱサム 15:11 アブシャロムは二百人の人々を連れてエルサレムを出て行った。その人たちはただ単に、招かれて行った者たちで、何も知らなかった。
12節、アブシャロムは、ヘブロンに来た口実であった誓願のいけにえをささげている間に、再び人をやって、ダビデが信頼していた戦略家の議官(助言者)ギロ人アヒトフェルを、彼の町ギロ(ヘブロンから約八km離れていた)から、呼び寄せ、反乱軍を戦略的にも強化しています。
Ⅱサム 15:12 アブシャロムは、いけにえをささげている間に、人をやって、ダビデの議官をしているギロ人アヒトフェルを、彼の町ギロから呼び寄せた。この謀反は根強く、アブシャロムにくみする民が多くなった。
こうして、「この謀反は根強く、アブシャロムにくみする民が多くなった。」アブシャロムが圧倒的に強くなったことが明らかになって来ると、ダビデを離れて、アブシャロムに組する民が増えていったことを記しています。民はダビデの功績を忘れて、目先の強くなっている者に組したのです。
13~37節、ダビデの逃亡
Ⅱサム 15:13 ダビデのところに告げる者が来て、「イスラエル人の心はアブシャロムになびいています」と言った。
13節、「イスラエル人の心はアブシャロムになびいています。」という知らせがダビデの所に届きました。これは6節でアブシャロムがイスラエル人の心を盗んでいた働きの効果が現われて来ていたのです。一見、これはアブシャロムが成功し、彼に勝利が傾いていくかに見えました。
「心がなびく」は、アブシャロムの主張に賛成して、支援する者が急速に増えていたことを意味しています。
14節、ダビデの決断は早かった。エルサレムの町はアブシャロムに率いられた軍隊で間もなく包囲され、破壊されるでしょう。そうなることを避けるため、ダビデはすぐに逃げることを決断しました。
Ⅱサム 15:14 そこでダビデはエルサレムにいる自分の家来全部に言った。「さあ、逃げよう。そうでないと、アブシャロムからのがれる者はなくなるだろう。すぐ出発しよう。彼がすばやく追いついて、私たちに害を加え、剣の刃でこの町を打つといけないから。」
15節、ダビデは、自分のよく訓練された少人数の兵士だけを連れて、広い荒野に逃れて、有利に事を運ぶことを考えたのです。
Ⅱサム 15:15 王の家来たちは王に言った。「私たち、あなたの家来どもは、王さまの選ばれるままにいたします。」
こういう時はかえって大軍は邪魔になってしまうのです。家来たちも王が連れて行く兵士たちを選んでくれることに賛成しています。
ダビデは自分の罪のために預言者ナタンが予告した災いが彼の上にふりかかり始めたことを納得したので、この処置をとったものと思われます(12:10~11)。
16節、王のすべての家族は王に従ったけれども、王宮の留守番に十人のそばめを残しています。
Ⅱサム 15:16 こうして王は出て行き、家族のすべての者も王に従った。しかし王は、王宮の留守番に十人のそばめを残した。
17節、王と王に従う者たちは、ひとまずエルサレムの郊外にあった「町はずれの家」にとどまりました。「町はずれの家」は、ベテ・メルアクで、「遠くの家」という意味です。
Ⅱサム 15:17 王と、王に従うすべての民は、出て行って町はずれの家にとどまった。
アブシャロムは南のヘブロンから攻め上って来るでしょうから、ダビデはエルサレムの東門から出て、谷間の岩道に沿って、曲がりくねった道を逃げたものと思われます。
18節、しかしダビデはひとりで逃げたのではありません。彼の家臣の中でも、最も忠実な家来たちの一隊がダビデと共に行ったのです。
Ⅱサム 15:18 王のすべての家来は、王のかたわらを進み、すべてのケレテ人と、すべてのペレテ人、それにガテから王について来た六百人のガテ人がみな、王の前を進んだ。
ここに記されている六百人のダビデの護衛隊は新改訳では、ガテから王について来たガテ人のように記されていますが、サムエル記第一 27章2節でも、六百人のしもべがダビデと同行していますし、同30章9節でも六百人の部下がダビデと同行しています。この六百人のメンバーが同一人物であったかどうかは分かりませんが、その構成人物はおそらく、ここに記されているケレテ人、ペレテ人、ガテ人から成っていたのでしょう。この人たちは「勇士たち」(16:6、20:7、23:8)と呼ばれていますから、特に精鋭の軍人たちでした。特に、ガテの勇士たちは、ダビデがペリシテの地のツィケラグの町で生活していた頃、ダビデに心から仕えるようになった人たちであると考えられています。もしそうであるなら、ツィケラグでの生活は30年くらい前になりますから、30年間、彼らはダビデの家来として忠誠を尽くしていた勇士であり、ダビデが最も信頼している人々だったのです。その六百人の隊長は、ガテ人イタイで、イタイはダビデから最も信頼されている指揮官だったのです。日頃、一緒に働いていても、このような危機が起きる時、本当に忠誠心を持っている者がだれかが、はっきりするのです。ダビデの多くの家来たちは、アブシャロムの大軍の側についたのです。ダビデの片腕として働いていた戦略家のアヒトフェルも敵対者の側についたのです。こうして真の忠誠な者はだれかが明らかになったのです。
こうして、今やこの逆境に会った時に、このペリシテ人たちがダビデの助けとなったのです。
「あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。」(マタイ5:7)
19~20節、ダビデは谷底の道を進みながら、イタイと話し、なんとかして彼を帰らせようとしています。
Ⅱサム 15:19 王はガテ人イタイに言った。「どうして、あなたもわれわれといっしょに行くのか。戻って、あの王のところにとどまりなさい。あなたは外国人で、それに、あなたは、自分の国からの亡命者なのだから。
15:20 あなたは、きのう来たばかりなのに、きょう、あなたをわれわれといっしょにさまよわせるに忍びない。私はこれから、あてどもなく旅を続けるのだから。あなたはあなたの同胞を連れて戻りなさい。恵みとまことが、あなたとともにあるように。」
ダビデは自分の罪の責任のためにイタイとガテ人の勇士たちを、自分と一緒に逃亡して、さまよわせることはできないと思ったのです。イタイが自分の国に帰っても、彼のこれまでの忠誠に傷がつくことはありません。ダビデは彼とガテの勇士たちの責任をすべてはずして、この亡命の逃亡から解放したのです。
「きのう来たばかりなのに」とは、ごく最近ダビデの従者になったことを意味していません。イタイたちには今回の逃亡に加わる責任はないことを言ったまでです。彼らが元々ユダヤ人のダビデの家来でなかったことを言ったのです。ですから、そこまで責任を果たさなくてもよいと言ったのです。
21節、これに対するイタイの答えは、驚くべき忠誠を示しています。
Ⅱサム 15:21 イタイは王に答えて言った。「【主】の前に誓います。王さまの前にも誓います。王さまがおられるところに、生きるためでも、死ぬためでも、しもべも必ず、そこにいます。」
「主の前に」の「主」は、イスラエルの契約者なる神の御名「ヤーウェ」です。この主の御名を使ったイタイは、ダビデ王に忠誠を尽くしていただけでなく、へブル人の神を信じる信仰者に改宗していたと思われます。
これと同じように、生命と死をも捨てて、忠誠の誓いをした人がいます。それはルツとエステルです。
「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」(ルツ記1:16,17)
「…たとい法令にそむいても、私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」(エステル記4:16)
22節、ダビデはイタイの忠誠に深く感動して、彼が一緒に従って来ることを許し、イタイとその部下と、彼らの妻子も連れて進んだのです。
Ⅱサム 15:22 ダビデはイタイに言った。「それでは来なさい。」こうしてガテ人イタイは、彼の部下全部と、いっしょにいた子どもたち全部とを連れて、進んだ。
23節、彼らが進んで行く時、エルサレムとその周辺の人々は大きな声を上げて泣いていたのです。
Ⅱサム 15:23 この民がみな進んで行くとき、国中は大きな声をあげて泣いた。王はキデロン川を渡り、この民もみな、荒野のほうへ渡って行った。
一行はエルサレムの東門を出て、暗い谷間の道を進み、エルサレムの東の境界となっている谷の川、キデロン川を渡り、荒野に出て、ヨルダン川の方に向かって東に進んでいます。やがてヨルダン川を渡った東の地のマハナイムの丘にあったエフライムの森で、アブシャロムの軍隊と対決することになるのです。
このルートは、ダビデから約千年後、再びエルサレムの門から「拒まれた王イエス様」が出て来て、暗い谷間の道を進み、オリーブ山の坂道をたどられたのです。
ダビデの時は六百人の勇士の一行が同行していましたが、主イエス様の時には従者はわずか十一人の弟子たちでした。しかも、その中から選ばれた三人(ペテロ、ヨハネ、ヤコブ)でさえ、ゲッセマネの園で、ただ一人も目を覚まして、主と苦悶を共にして祈ることができる者はいなかったのです。
「わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ。国々の民のうちに、わたしと事を共にする者はいなかった。」(イザヤ書63:3)
それ故、ダビデが追放されたことは、ユダヤ人に拒まれた主イエス様の型(予表)です。
24節、祭司ツァドクとレビ人たちは、神の契約の箱を運び出していました。それによって町の民も出て行ってしまっていたのです。
Ⅱサム 15:24 ツァドクも、すべてのレビ人といっしょに、神の契約の箱をかついでいたが、神の箱をそこに降ろした。エブヤタルも来て、民が全部、町から出て行ってしまうまでいた。
25~29節、ダビデはツァドクに、神の箱を町に戻すように命じています。
Ⅱサム 15:25 王はツァドクに言った。「神の箱を町に戻しなさい。もし、私が【主】の恵みをいただくことができれば、主は、私を連れ戻し、神の箱とその住まいとを見せてくださろう。
15:26 もし主が、『あなたはわたしの心にかなわない』と言われるなら、どうか、この私に主が良いと思われることをしてくださるように。」
15:27 王は祭司ツァドクにまた言った。「先見者よ。あなたは安心して町に帰りなさい。あなたがたのふたりの子、あなたの子アヒマアツとエブヤタルの子ヨナタンも、あなたがたといっしょに。
15:28 よく覚えていてもらいたい。私は、あなたがたから知らせのことばが来るまで、荒野の草原で、しばらく待とう。」
神の箱は神の民に必要であり、もし主がダビデに恵みを与えてくださるなら、主はダビデをエルサレムに連れ戻してくださり、神の箱と天幕を見せてくださるでしょう。もし、自分が神のみこころにかなわないなら、「この私に主が良いと思われることをしてくださるように。」と言って、祭司ツァドクとその息子たちをエルサレムに帰るように命じています。そして28節では、ツァドクに重要な任務を与えています。「よく覚えてもらいたい。私は、あなたがたからの知らせのことばが来るまで、荒野の草原で、しばらく待とう。」アブシャロム軍の戦略や動向を知らせてくれるように頼んだのです。「荒野の草原」は、「荒野の浅瀬」という意味で、ヨルダン川を渡る地点のことを言っています。そこにダビデはしばらくとどまっていて、知らせを待ったのです。
ダビデが神の箱をエルサレムに戻したのは、幾つかの理由が考えられます。
1、神の契約の箱は、神の民との神の契約を象徴していたからです。
2、神の恵みを得たいと願う人々の心と生活に必要だったからです。
3、ダビデ自身の個人的利益よりも、主のみこころを重要視したからです。
29節、そこでツァドクとエブヤタルは神の箱をエルサレムに持ち帰って、そこにとどまっていたのです。
15:29 そこで、ツァドクとエブヤタルは神の箱をエルサレムに持ち帰り、そこにとどまっていた。
30節、「ダビデはオリーブ山の坂を登った。」オリーブ山はエルサレムの都の東のキデロンの谷を越えて、すぐの所にそそり立っています。ダビデとその一行は、おそらくその日の朝早く、その坂の斜面をよじ登ったのです。
Ⅱサム 15:30 ダビデはオリーブ山の坂を登った。彼は泣きながら登り、その頭をおおい、はだしで登った。彼といっしょにいた民もみな、頭をおおい、泣きながら登った。
ダビデも一緒にいた民もみな、頭をおおい、泣きながら登っています。ダビデは、はだしで登ったと記されています。これは逃げることが緊急だったことを表わしているのと、ダビデの悲しみや苦痛を表わしているのでしょう。
31節、やがてダビデのもとに「アヒトフェルがアブシャロムの謀反に荷担している。」という知らせが届きました。
Ⅱサム 15:31 ダビデは、「アヒトフェルがアブシャロムの謀反に荷担している」という知らせを受けたが、そのとき、ダビデは言った。「【主】よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。」
おそらくこの知らせはツァドクによるものと思われます。この時、ダビデは「主よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。」と祈っています。この祈りは後に答えられているのです。こういう緊急で、絶望的な中でも、主に祈ることを忘れなかったダビデの信仰は本物です。一時、信仰に熱心でも、教会から離れたり、人との交わりが途絶えると、信仰を失ってしまう人がいますが、そのような根を下ろしていない人は実を結ぶことがありません。自分が置かれた状況や環境によって変わる人の信仰は、本物ということができません。ダビデのこのひと言の祈りが絶望的状態を勝利に向かわせたのです。
32節、「ダビデが、神を礼拝する場所になっていた山の頂に来た」は、ダビデがオリーブ山の頂上で祈っていたことを意味しています。そして一行はよじ登って来た疲れで、山頂で休んでいたのです。
Ⅱサム 15:32 ダビデが、神を礼拝する場所になっていた山の頂に来た、ちょうどその時、アルキ人フシャイが上着を裂き、頭に土をかぶってダビデに会いに来た。
ちょうどその時、アルキ人フシャイが上着を裂き、頭に土をかぶってダビデに会いに来たのです。フシャイも、最も深い悲しみを表わしています。
フシャイも長い間、ダビデの友人であり、アヒトフェルと同様に、戦略において、そのすぐれた知恵が注目されている人でした。彼もまた、自ら進んで、ダビデとともに逃亡することを望んでダビデに会いに来たのです。
33節、ダビデは「もしあなたが、私といっしょに行くなら、あなたは私の重荷となる。」と、冷淡な言い方をしていますが、その心はうれしかったでしょう。
Ⅱサム 15:33 ダビデは彼に言った。「もしあなたが、私といっしょに行くなら、あなたは私の重荷になる。
しかしフシャイにつらい思いをさせたくなかったことと、荒野で人数が増えることは食糧にも、行動にも負担になることは事実です。
34~36節、それよりも、アブシャロムのもとに行って、アヒトフェルの戦略の助言を打ちこわす働きができるではないかと進言しています。
Ⅱサム 15:34 しかしもし、あなたが町に戻って、アブシャロムに、『王よ。私はあなたのしもべになります。これまであなたの父上のしもべであったように、今、私はあなたのしもべになります』と言うなら、あなたは、私のために、アヒトフェルの助言を打ちこわすことになる。
15:35 あそこには祭司のツァドクとエブヤタルも、あなたといっしょにいるではないか。あなたは王の家から聞くことは何でも、祭司のツァドクとエブヤタルに告げなければならない。
15:36 それにあそこには、彼らのふたりの息子、ツァドクの子アヒマアツとエブヤタルの子ヨナタンがいる。彼らをよこして、あなたがたが聞いたことを残らず私に伝えてくれ。」
先のダビデの祈りに、主がすぐに答えて下さっています。ダビデは鋭く、そのことを読み取って、フシャイに進言したのです。フシャイは祭司ツァドクとエブヤタルと協力して働き、ダビデに知らせてくれるように頼んだのです。このことが、ダビデとその一行の命を守り、勝利に導いたのです。
37節、ダビデの友フシャイがエルサレムの町に帰った頃、ヘブロンからエルサレムに向かっていたアブシャロムもエルサレムに着いたのです。ですから、ツァドクやフシャイのことは、何も知らなかったのです。
Ⅱサム 15:37 それで、ダビデの友フシャイは町へ帰った。そのころ、アブシャロムもエルサレムに着いた。
ダビデは、アブシャロムがエルサレムに着く前に、ヨルダン川の岸辺近くの安全な所まで身を避けていたのです。
あとがき
聖書の探求をお読みくださって、聖書のみことばの大切さ、価値高さを実感されるようになられた方。地の塩の本、CD、聖書の探求など、一日も休むことなく学んでおられる方もいてくださり、主が働いていてくださることに大いに励まされています。
お友だちが地の塩のメッセージ・テープで罪を気づかされた証しをしてくださり、お二人で涙を流して、主にある良き交わりをされて感謝にあふれておられる、お知らせもいただきました。このような証しを聞かせていただけることは、私にとっても天にある喜びを味わわせてくれます。「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」(ルカの福音書15:10)
(まなべあきら 2011.1.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)