聖書の探求(325) サムエル記第二 18章 ダビデの軍とアブシャロムの軍との戦闘、アブシャロムの悲劇的な死

フランスの画家James Tissot (1836–1902)による「Absalom Hanging on the Oak Tree(樫の木に引っ掛かるアブシャロム)」(New YorkのJewish Museum蔵)
本章は、ダビデの家来たちとアブシャロムの軍隊との戦闘と、アブシャロムの悲劇的な死が記されています。
18章の分解
1~4節、ダビデの戦士たち、三組に分かれて出陣
5節、ダビデのアブシャロムに対する配慮
6~8節、ダビデの軍の勝利
9~15節、アブシャロムの死
16~17節、戦闘の終結
18節、アブシャロムの記念碑
19~32節、ダビデへの報告
33節、ダビデの悲しみ
1~4節、ダビデの戦士たち、三組に分かれて出陣
Ⅱサム18:1 ダビデは彼とともにいる民を調べて、彼らの上に千人隊の長、百人隊の長を任命した。
1節、「ダビデは…民を調べて」は、ダビデが手元にいる彼の軍隊の実力を掌握したことを表わしています。彼らはこれからは逃亡者ではなく、軍隊として編成され、ダビデは千人隊の長、百人隊の長を任命して、戦いのための意識改革を行なっています。クリスチャンも群衆の一人として毎週の礼拝式に出席しているだけでなく、キリストの兵士(テモテ第二 2:3)として、キリストの証人として、証しする使命を持った人となるように信仰の意識改革が必要です。
2節、ダビデの軍隊は三分の一ずつ三組に分けられ、王の護衛の指揮をとっていたヨアブとその兄弟アビシャイと、ガテ人イタイに、それぞれ一組ずつをあずけて指揮をとらせています。
Ⅱサム 18:2 ダビデは民の三分の一をヨアブの指揮のもとに、三分の一をヨアブの兄弟ツェルヤの子アビシャイの指揮のもとに、三分の一をガテ人イタイの指揮のもとに配置した。王は民に言った。「私自身もあなたがたといっしょに出たい。」
ダビデは大軍隊を一人の人が指揮するのではなく、三組に分けて機動的に動けるようにしたのです。その上で、「私自身もあなたがたといっしょに出たい。」と言っています。おそらくこれはアブシャロムを案じてのことだと思われます。
3節、しかし民は、ダビデが戦場に出て来ることに反対しました。
Ⅱサム 18:3 すると民は言った。「あなたが出てはいけません。私たちがどんなに逃げても、彼らは私たちのことは何とも思わないでしょう。たとい私たちの半分が死んでも、彼らは私たちのことは心に留めないでしょう。しかし、あなたは私たちの一万人に当たります。今、あなたは町にいて私たちを助けてくださるほうが良いのです。」
敵はダビデの命だけを狙っていることを知っていたからです。敵はダビデの家来たちをいくら倒しても満足しません。「あなたは私たちの一万人に当たります。」は、ダビデの命は、ダビデの軍隊の命であることを言ったのです。もしダビデが戦場に出て殺されたら、いくら軍隊が残っていても敗北になってしまうからです。
「今、あなたは町にいて私たちを助けてくださるほうが良いのです。」は、万一、三組のうちどれか一組の軍隊が打ち破られた時、ダビデが司令本部にいて、すぐに応援にかけつけることができるようにしておくほうが大切なことだと言っています。こういう戦略が一般の兵士たちの間に行き渡っていたことは、彼らが相当にすぐれた戦士たちであったことを示しています。
4節、ダビデは、この非常に実践的な戦略のために、戦場に行くのを思いとどまったのです。そしてダビデの軍隊が百人ごと、千人ごと、各々の指揮官に従って出陣していくのを、ダビデはマハナイムの門のそばに立って見送ったのです。
Ⅱサム 18:4 王は彼らに言った。「あなたがたが良いと思うことを、私はしよう。」王は門のそばに立ち、すべての民は、百人、千人ごとに出て行った。
5節、ダビデのアブシャロムに対する配慮
Ⅱサム 18:5 王はヨアブ、アビシャイ、イタイに命じて言った。「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ。」民はみな、王が隊長たち全部にアブシャロムのことについて命じているのを聞いていた。
ダビデは、ヨアブ、アビシャイ、イタイの将軍たちに、「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ。」と頼むように命じています。これはアブシャロムの命を取らないように、殺さないようにという命令です。この命令は、将軍たちだけでなく、民がみな聞いていたとありますから、ダビデは大声で、繰り返して強調したのです。
ダビデは反逆して自分を殺そうとしている息子アブシャロムに対してさえ、その反逆を赦すあわれみの心を持っていたのです。これは神様が私たちの罪を赦して下さる、あわれみ深さを表わしています。
「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。」(ローマ5:8~10)
6~8節、ダビデの軍の勝利
6節、戦いは「エフライムの森」で行なわれました。
Ⅱサム 18:6 こうして、民はイスラエルを迎え撃つために戦場へ出て行った。戦いはエフライムの森で行われた。
「エフライムの森」と呼ばれる所はヨルダン川の東、マハナイムの近くにありました。この森の樫の木にアブシャロムの頭がひっかかり、宙づりになったところを殺されてしまったのですが、この地には樹木が茂っており、ヨルダン川の西にあるエフライムの領地と同じ特徴があったので、エフライムの森と呼ばれるようになっていたのです。
7,8節、ダビデの側としても、この戦いは決して防御的な戦いではなく、アブシャロムの大軍を打ち負かしています。
Ⅱサム 18:7 イスラエルの民はそこでダビデの家来たちに打ち負かされ、その日、その場所で多くの打たれた者が出、二万人が倒れた。
18:8 戦いはこの地一帯に散り広がり、この日、剣で倒された者よりも、密林で行き倒れになった者のほうが多かった。
この時の戦いは非常に激しく、おそらく両軍の死者だと思われますが、二万人が倒れたと言っています。わずか一日で、しかも限られた地域で、二万人の戦死者が出たことは、どんなに激しい戦いだったかを物語っています。
この日の戦いは、剣で倒された者よりも、密林で行き倒れになった者のほうが多かった、と記されています。先の第二次世界大戦においても、戦いで戦死した人よりも、密林の中をさまよい、疲労と飢えで餓死した人のほうが多いと言われています。その苦しみがどんなに辛いものだったかは、言語に絶するものがあります。
9~15節、アブシャロムの死
9節を見ると、アブシャロムとダビデの家来とが不意に出会っています。アブシャロムには護衛兵がついていなかったようです。こういうところが、大軍であっても、よく訓練されていない寄せ集めの軍隊の欠陥です。ダビデの兵士たちの助言(18:3)と比べると、その違いがよく分かります。
Ⅱサム 18:9 アブシャロムはダビデの家来たちに出会った。アブシャロムは騾馬に乗っていたが、騾馬が大きな樫の木の茂った枝の下を通ったとき、アブシャロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになった。彼が乗っていた騾馬はそのまま行った。
アブシャロムは王権を表わす騾馬(ラバ)に乗っていましたが、その騾馬が大きな樫の木の茂った枝の下を通った時、彼の頭が樫の木に引っ掛かり、彼の乗っていた騾馬はそのまま行ってしまい、彼は宙づりになってしまったのです。彼の長い髪の毛が枝に巻きついてしまったのでしょう。彼は突然、敵の前で無防備の宙づりになってしまったのです。彼が高慢な思いを抱き、父の王権を狙ったことが、この悲劇の死を招いたのです。
「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」(箴言18:12)
「…神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」(ペテロ第一 5:5)
10節、ダビデの兵士の中のひとりの男がヨアブに、アブシャロムが樫の木に引っ掛かっていることを報告しました。
Ⅱサム 18:10 ひとりの男がそれを見て、ヨアブに告げて言った。「今、アブシャロムが樫の木に引っ掛かっているのを見て来ました。」
11節、ヨアブはその男に「いったい、おまえはそれを見ていて、なぜその場で地に打ち落とさなかったのか。私がおまえに銀十枚と帯一本を与えたのに。」と言っています。
Ⅱサム 18:11 ヨアブはこれを告げた者に言った。「いったい、おまえはそれを見ていて、なぜその場で地に打ち落とさなかったのか。私がおまえに銀十枚と帯一本を与えたのに。」
ヨアブは最初から反逆者アブシャロムを殺すつもりでいたのです。ダビデの「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ。」と言った命令に従うつもりはなかったのです。
王からの忠告を無視して、自分の考えや自分の感情に従って行動する人は、最も危険な人です。ヨアブは「反逆者は殺さなければならない。」という自分の論理に固執していた人です。この点で、ヨアブは将軍であり、司令官ではありましたが、これを報告した一人の無名の兵士よりも劣る心しか持っていなかったのです。
12,13節、その報告した男はヨアブに、「たとい、私の手に銀千枚をいただいても、王のお子さまに手は下せません。王は私たちの聞いているところで、あなたとアビシャイとイタイとに、『若者アブシャロムに手を下すな。』と言って、お命じになっているからです。」と言って、ヨアブが与えると言った報酬の百倍の銀千枚でも、ほうびによっては動かないことを告白しました。
Ⅱサム 18:12 その男はヨアブに言った。「たとい、私の手に銀千枚をいただいても、王のお子さまに手は下せません。王は私たちの聞いているところで、あなたとアビシャイとイタイとに、『若者アブシャロムに手を出すな』と言って、お命じになっているからです。
18:13 もし、私が自分のいのちをかけて、命令にそむいていたとしても、王には、何も隠すことはできません。そのとき、あなたは知らぬ顔をなさるでしょう。」
将軍が不忠実なのに対して、無名の兵士の中にダビデ王の心が分かっている忠実な人がいたのです。こういう人がダビデの本当の助け手となったのです。彼は、アブシャロムが王の息子であることと、王が「若者アブシャロムに手を出すな。」と言われた二つの理由をあげて、アブシャロムを殺さなかったのです。彼は自分の心の中に信仰による節度を持って生きている人だったのです。
またもし、彼がダビデの命令に背いてアブシャロムを殺していたら、王の目にそれを隠すことはできないし、彼が王の前に引き出されて咎められる時も、ヨアブは彼を弁護せず、知らん顔をするでしょうと、ヨアブの冷淡さを見抜いています。
14節、ヨアブはこの男の忠実な言葉に心をとめず、アブシャロムを殺すことだけに向かっています。
Ⅱサム 18:14 ヨアブは、「こうしておまえとぐずぐずしてはおられない」と言って、手に三本の槍を取り、まだ樫の木の真ん中に引っ掛かったまま生きていたアブシャロムの心臓を突き通した。
「こうしておまえとぐずぐずしてはおられない。」と言って、手に三本の槍を取り、まだ樫の木の真中に宙づりになったままで生きていたアブシャロムを見つけて、彼の心臓に三本の投げ槍を突き通したのです。
15節、その後、ヨアブの道具持ちの十人の若者たちも、アブシャロムを、おそらく剣を使ったと思われますが、打ち殺しています。
Ⅱサム 18:15 ヨアブの道具持ちの十人の若者たちも、アブシャロムを取り巻いて彼を打ち殺した。
ヨアブに従っていた者も、ヨアブと同じ性質を持つ者だったのです。私たちはイエス様を信じる者ですが、それとともに、どのような人の指導を受けるかによって、またどのような性質の人とともに働くか、従うかによって、大きな影響を受けてしまうのです。ヨアブは見かけは非常にすぐれた将軍であり、手柄も沢山立てているし、人々から信頼もされ、王からも頼りにされている人でしたが、その心は、愛もあわれみもなく、強暴な人だったのです。自分の強さに自信のある人でした。彼はいつも自分の考え通りにする意志の強い人でしたが、忠実さや愛やあわれみの心の欠けている人でした。彼の道具持ちの若者も同じような行動をする人になっていたのです。これはアブシャロムが木に引っ掛かっているのを発見して報告した男とは全く反対の性質です。
16~17節、戦闘の終結
16節、アブシャロムの死を確認したヨアブは角笛を吹き鳴らして、アブシャロムの追い散らされていた軍隊を追撃するのを止めさせました。
Ⅱサム 18:16 ヨアブが角笛を吹き鳴らすと、民はイスラエルを追うのをやめて帰って来た。ヨアブが民を引き止めたからである。
17節、ヨアブの部下たちは反乱の張本人であった王子のアブシャロムを樫の木から取り降ろし、森の中の深い穴に投げ込み、その上に非常に大きな石くれの山を積み上げて埋葬しています。これは王の子を埋葬するにはふさわしくないやり方です。これはアブシャロムを反逆者として侮辱している埋葬の仕方です。
Ⅱサム 18:17 人々はアブシャロムを取り降ろし、森の中の深い穴に投げ込み、その上に非常に大きな石くれの山を積み上げた。イスラエルはみな、おのおの自分の天幕に逃げ帰っていた。
またアブシャロムが率いて来たイスラエルの大軍はみな、恐れて各々自分の天幕に逃げ帰って行きました。
18節、アブシャロムの記念碑
Ⅱサム 18:18 アブシャロムは存命中、王の谷に自分のために一本の柱を立てていた。「私の名を覚えてくれる息子が私にはいないから」と考えていたからである。彼はその柱に自分の名をつけていた。それは、アブシャロムの記念碑と呼ばれた。今日もそうである。
アブシャロムには自分の名を継いでくれる息子がいなかったようです。それで、彼は存命中、息子の代わりに自分の名を残すために、自分の名をつけた一本の柱を王の谷に立てていました。それはアブシャロムの記念碑と呼ばれるようになり、本書が記された時にはなお、エルサレムの町の外側のキデロンの谷に立っていました。
14章27節には、「アブシャロムに、三人の息子と、ひとりの娘が生まれた。」と記されていますが、その息子たちは幼児期か、少年期に死んでしまったものと思われます。
19~32節、ダビデへの報告
19節、ツァドクの子アヒマアツは足が早かったので、「私は王のところへ走って行って、主が敵の手から王を救って王のために正しいさばきをされたと知らせたいのですが。」とヨアブに願っています。
Ⅱサム 18:19 ツァドクの子アヒマアツは言った。「私は王のところへ走って行って、【主】が敵の手から王を救って王のために正しいさばきをされたと知らせたいのですが。」
20節、しかしヨアブは「きょう、あなたは知らせるのではない。ほかの日に知らせなさい。きょうは、知らせないがよい。王子が死んだのだから。」と言って、拒否しています。
Ⅱサム 18:20 ヨアブは彼に言った。「きょう、あなたは知らせるのではない。ほかの日に知らせなさい。きょうは、知らせないがよい。王子が死んだのだから。」
ヨアブは拒否した理由を明らかにしていませんが、アヒマアツはダビデと親しい関係にあり、27節ではダビデも「あれは良い男だ。良い知らせを持って来るだろう。」と期待しているほどでしたから、そのようなアヒマアツが王の息子の死を報告に行くのはふさわしくないと思ったのです。
21節、そこでヨアブはクシュ人(エチオピヤ人のこと)にダビデへの報告を命じています。このような悲報は、エチオピヤ人の奴隷の仕事としてふさわしいと考えたのです。
Ⅱサム 18:21 ヨアブはクシュ人に言った。「行って、あなたの見たことを王に告げなさい。」クシュ人はヨアブに礼をして、走り去った。
22~23節、それでもアヒマアツはダビデに知らせたかったのです。
Ⅱサム 18:22 ツァドクの子アヒマアツは再びヨアブに言った。「どんなことがあっても、やはり私もクシュ人のあとを追って走って行きたいのです。」ヨアブは言った。「わが子よ。なぜ、あなたは走って行きたいのか。知らせに対して、何のほうびも得られないのに。」
18:23 「しかしどんなことがあっても、走って行きたいのです。」ヨアブは「走って行きなさい」と言った。アヒマアツは低地への道を走って行き、クシュ人を追い越した。
29節を見ると、アヒマアツはアブシャロムの死を正確に知らなかったのです。ただ何か大きな騒ぎがあったことだけを知っていたことと、ダビデの部下たちが勝利をおさめたことだけでも、逸早く(いちはやく)ダビデに伝えたかったのです。
ヨアブは仕方なしにアヒマアツに走って行くことを許可しています。アヒマアツはヨルダンの低地への道を走って行き、途中、クシュ人を追い越していますから、相当走るのが早かったのです。
24節、ダビデはマハナイムの二つの門の間に坐っていました。
Ⅱサム 18:24 ダビデは二つの門の間にすわっていた。見張りが城壁の門の屋根に上り、目を上げて見ていると、ただひとりで走って来る男がいた。
18:25 見張りが王に大声で告げると、王は言った。「ただひとりなら、吉報だろう。」その者がしだいに近づいて来たとき、
見張りが城壁の門の屋根に上って目を上げて見ていると、ただ一人で走って来る男が見えました。ダビデは「ただひとりなら、吉報だろう。」と言いました。走って来る者があれば、それは伝令か、それとも、戦いに敗れた逃亡者のいずれかです。逃亡者なら、何人か一緒でしょう。一人なら、それは勝利の伝令に違いないと考えたのです。
26節、見張りは、もう一人の男が走って来るのを見つけました。戦いの時には続けて伝令が来ることは、よくあったのです。
Ⅱサム 18:26 見張りは、もうひとりの男が走って来るのを見た。見張りは門衛に叫んで言った。「ひとりで走って来る男がいます。」すると王は言った。「それも吉報を持って来ているのだ。」
27節、先に走って来る人がツァドクの子アヒマアツであることが分かると、ダビデ王は安心したのです。伝令は伝える言葉だけでなく、伝令者自身が伝令のメッセ―ジを表わしていたのです。
Ⅱサム 18:27 見張りは言った。「先に走っているのは、どうやらツァドクの子アヒマアツのように見えます。」王は言った。「あれは良い男だ。良い知らせを持って来るだろう。」
「あれは良い男だ。良い知らせを持って来るだろう。」とは、そのことです。私たちがイエス様を証しする時、証しの言葉の前に、私たち自身が主を証しするメッセージとなっているのです。伝令者は伝令の内容にふさわしい人でなければならないのです。伝令者を見ることによって、知らせを聞く前に、良い知らせか、悪い知らせかを早く判断する必要があるからです。
28節、アヒマアツはクシュ人の伝令を追い越して、先にダビデのもとに着きました。
Ⅱサム 18:28 アヒマアツは大声で王に「ごきげんはいかがでしょうか」と言って、地にひれ伏して、王に礼をした。彼は言った。「あなたの神、【主】がほめたたえられますように。主は、王さまに手向かった者どもを、引き渡してくださいました。」
彼は地にひれ伏して、王に礼をしていますが、彼は伝えるべき肝心のメッセージを持っていなかったのです。ただダビデの軍が勝ったということしか伝えていません。
熱心に教会の働きをしていても、正確にキリストの福音を体験しないまま、聖書の真理をよく知らないままに、その一部分を偏って教えたり、話したりするなら、聞く人や学ぶ人を惑わせてしまいます。クリスチャンは、牧師と信徒とを問わず、もっともっと聖書の真理を知り、イエス・キリストの贖(あがな)いの真理を自ら体験した上で、証しをし、説教をし、教える必要があります。そうでないとアヒマアツと同じになってしまいます。使徒の働き18章24~28節のアポロはそういう人でした。彼は雄弁で熱心で聖書に通じているとは言っても、ヨハネのバプテスマしか知らない人でした。ですから、アポロの指導を受けていたエペソの十二人の信者たちは聖霊経験があることすら、知らなかったのです。今日、教会に長い間通っていても、聖霊経験を知らない人が沢山いることは残念なことです。これが今日の教会に力がない最大の原因なのです。
29~32節、ダビデ王の関心事はダビデ軍の勝利ではなくて、「若者アブシャロムは無事か。」ということでした。これに対してアヒマアツは肝心なことを伝えることができなかったのです。
Ⅱサム 18:29 王が、「若者アブシャロムは無事か」と聞くと、アヒマアツは答えた。「ヨアブが王の家来のこのしもべを遣わすとき、私は、何か大騒ぎの起こるのを見ましたが、何があったのか知りません。」
18:30 王は言った。「わきへ退いて、そこに立っていなさい。」そこで彼はわきに退いて立っていた。
中心の焦点がぼけたり、はずれているメッセージは聞く人を失望させるだけです。アヒマアツは人が好くて、善良な人で、走るのが早かったのですが、役に立つ人ではなかったのです。私たちは、主のお役に立つ証人にならせていただきたいものです。
「ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」(テモテ第二 3:21)
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(テモテ第二 3:16,17)
王は続いて遅れて入って来たクシュ人の伝令に同じ質問をしました。
Ⅱサム 18:31 するとクシュ人が入って来て言った。「王さまにお知らせいたします。【主】は、きょう、あなたに立ち向かうすべての者の手から、あなたを救って、あなたのために正しいさばきをされました。」
18:32 王はクシュ人に言った。「若者アブシャロムは無事か。」クシュ人は答えた。「王さまの敵、あなたに立ち向かって害を加えようとする者はすべて、あの若者のようになりますように。」
クシュ人の伝令は息子を思う父ダビデの心を理解せず、不躾に「王さまの敵、あなたに立ち向かって害を加えようとする者はすべて、あの若者のようになりますように。」と報告しました。この報告は、ダビデ王を深い悲しみの中に投げ込んだのです。
33節、ダビデの悲しみ
Ⅱサム 18:33 すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」
ダビデはアブシャロムが死んだのを聞いた時、身震いして、門の屋上に上り、そこで泣きながら、「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」と言い続けて、激しく嘆いています。
ダビデはできることなら、息子の反逆の罪のために、自分の命を喜んで捨てたかったのです。しかし彼は、そうすることができなかったのです。私たちの救い主イエス・キリストは、ダビデのように、私たちの身代わりになることを願われただけでなく、実際に神に対して反逆の罪を犯してきた私たちのために、ご自身の命を十字架の上で捨ててくださったのです。
「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。」(ローマ5:8~10)
「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(ペテロ第一 2:24)
「キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりになったのです。それは、肉において死に渡され、霊においては生かされ、私たちを神のみもとに導くためでした。」(ペテロ第一 3:18)

現在のエルサレムの神殿の東側にあるキデロンの谷には、「アブシャロムの墓」と呼ばれる大きな建築物があります。これは、第二サムエル記18:18に、”アブシャロムは存命中、王の谷に自分のために一本の柱を立てていた。「私の名を覚えてくれる息子が私にはいないから」と考えていたからである。彼はその柱に自分の名をつけていた。それは、アブシャロムの記念碑と呼ばれた。今日もそうである。”とあることから、この名で呼ばれるようになったということですが、実際に建てられたのは第二神殿時代末期(AD1世紀)、あるいは、ハスモン時代(BC2-1世紀)と推定されており、アブシャロムの墓ではないようです。(ご参考:たけさんのイスラエル紀行「Abshalom’s Tomb(アブシャロムの墓)」)
あとがき
昨今の火山の噴火、中東、エジプト、リビヤの混乱、ニュージランドの大地震、そして三月十一日の東北関東大地震と、次々に起きると、どうしても次の聖句を思い出します。
「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。」(マタイ24:7,8)
一九二三年(大正一二年)九月一日の関東大震災(神奈川県相模湾沖震源)、神戸・淡路の大震災、新潟大地震、宮崎の家畜伝染病と火山の噴火、中国大地震、ニュージランド大地震、そして今回の日本で最大の東北関東大地震。次は駿河湾を中心に起きる大地震かと、だれもが恐れます。イエス様の再臨はもう間近いのではないでしょうか。緊急、福音宣教。
(まなべあきら 2011.5.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)
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