聖書の探求(179) ヨシュア記 序(2) 名称、位置、記者、約束の地カナン、など

Ⅰ、ヨシュア記の名称

この書の主要人物に従ってヨシュア記と命名されています。

ヘブル語では、四つの形を持っています。

1.yehoshûá(イェホウシュウア)
2.yehōshuá(イェホウシュウア)(ヨシュア記1:1、その他全般)
3.hoshēá(ホシェーア) (申命記32:44)
4.yoshuá(イェシュウア) (ネヘミヤ記8:17)

七十人訳聖書では、この書名は「ヌンの子ヨシュア」となっており、ヴルガータ訳聖書では、「Liber Iosue」となっています。


上の絵は、Hult, Adolf,(1869-1943)により、1910年代に出版された「Bible primer, Old Testament, for use in the primary department of Sunday schools(旧約聖書初級読本、日曜学校の小学生クラスのために)」の挿絵。(アメリカの国会図書館、The Library of Congress蔵、Wikimedia Commonsより)

Ⅱ、正典におけるヨシェア記の位置

1.シリヤ語訳聖書では、ヨブ記がモーセの五書とヨシュア記の間に置かれています。これはモーセがヨブ記の記者であるとの信仰によったのです。

ヘブル語聖書では、モーセの五書の次にヨシュア記が続き、旧約聖書の第ニ区分の序となっています。これがヨシュア記の本来の位置です。

2.古代教会のギリシャ語聖書目録には、創世記からルツ記までを、八書(オクタチュウクス)としており、ラテン語聖書の目録では、創世記から士師記までを、七書(ヘプタチュウクス)としています。アンブロシウスも七書を採用していますが、これらの表現は、単に便宜上の用語でしかないと思われます。

教会では、モーセの律法の書とその後の書物との間の大きな区別は、実際にくずされたことはなかったようです。その理由は、明らかに、イエス・キリストご自身が、この区別を行なわれたからです。

3.アレキサンダー・ゲッディスが最初に、ヨシュア記とモーセの五書を一つの単位に含めたらしいのです。この時以来、多くの学者が五書よりも、むしろ六書を語るようになりました。

それ故、問題点は、ヨシュア記はモーセの五書と一まとまりをなすのか、それともイエス・キリストが区別されたモーセの律法と預言者とを区別するのが正しいのか、の点にあります。

しかし、六書という用語が正しくないことは、次の点から明らかです。

① ヨシュア記が歴史的に、かつてモーセの五書と一単位をなすものと考えられたという証拠は何もない。これに反し、モーセの律法の書はその後の書とは、いつも切り離されています。

a.ベン・シラの知恵は、律法と預言者を区別している。

b.ヨセフスはモーセの五書と、それに続くものとを明確に区別した。

C.この見解をイエス・キリストもとっておられ、決定的である。

d.一年毎、あるいは三年毎の律法朗読順序の中にはヨシュア記は含まれていない。しかし律法朗読順序に付加されたものの中にはヨシュア記からの抜粋が含まれていた。

② サマリヤ人はモーセの五書だけを引き継ぎ、ヨシュア記を引き継がなかった。これは六書というものがあったとすれば、説明できないことです。ヨシュア記がサマリヤ人に好意を示していることから(ヨシュア記24:1,32)、なお説明不能になります。

これはサマリヤ人がヨシュア記をモーセの律法の一部とは考えなかった決定的な証拠です。

③ モーセの五書には、ヨシュア記に現われない言語学的特色があります。

a.代名詞のhúが、男性にも、女性にも用いられています。

b.haélが、haéllehの代わりに用いられています。

C.エリコという名が、yerikoの代わりにyerekoと綴られています。

d.「イスラエルの神ヤーウェ」という句は、ヨシュア記には14回出てきますが、モーセの五書には極めて稀です。

これらの論拠は決定的なものではありませんが、それぞれ主張すべき有力な立場を持っています。

④ チャプマンは、「理想的イスラエルは、その聖書として六書を持つ」と述べ、「イスラエルが罪を犯さなかったならば、彼らは五冊の律法書とヨシュア記だけを読んでいたであろう」というNedarim22bの言葉を取り上げています。しかしチャプマンのこの解釈は間違っています。この言葉はハニナの子アダのものですが、彼はモーセの五書とヨシュア記をはっきり区別しています。彼がヨシュア記を取り上げた理由は、部族間のパレスチナの分割を記しているからです。それ故、アダの論点は、イスラエルが罪を犯さなかった場合に必要としたであろうと思われるモーセの五書に加わる唯一の書はヨシュア記だったというのであって、これは近代の六書説とは、全く異なったものです。

それ故、六書は実体のないものに過ぎないというのが私たちの結論です。ヨシュア記はモーセの律法に属しているのではなく、前預言者に属しているのです。

[旧約聖書の歴史の位置】

第一期 創世時代 約2100年BCまで 創世記1~11章

.洪水前時代 約3500年BCまで
.洪水後時代 約3500年~2100年BC

第二期 族長時代 約2100~1850年BC 創世記12~50章

第三期 奴隷時代(在エジプト) 約1850~1446年BC 出エジプト記1~11章

第四期 荒野時代(出エジプトから) 約1446~1400年BC 出エジプト記12~申命記34章
第五期 カナン征服と定着時代 約1400~1350年BC ヨシュア記

第六期 士師時代 約1350~1050年BC 士師記、ルツ記、サムエル第一1~7章

第七期 統一王朝時代 約1050~931年BC サムエル第一8章~列王記第一11章

第八期 分裂王朝時代 約931~586年BC 列王記第一12章~列王記第ニ25章

・北イスラエル王国(ヤロブアム~ホセア 19王)931~721年BC
・南ユダ王国(レハブアム~ゼデキヤ 20王)931~586年BC

第九期 捕囚時代(在バビロン) 586~536年BC 列王記第二24,25章

第十期 再建時代 536~約400年BC エズラ記、ネヘミヤ記

Ⅲ、ヨシュア記について

1.前にも記しましたが、ヨシュア記は伝統的に、本書の名となっているヨシュアによって書かれたと信じられています。

そしてモーセの五書(ペンタチュウクス)に始まったイスラエルの歴史が何の中断もなく、ヨシュア記にまで続けられています。

ヨシュア記は時には、聖書の最初の五巻、すなわちモーセの五書と共に組み合わされて六書(ヘクサチュウクス)と呼ばれたことがありました。しかしその後に続く書物、すなわち、さらによくヨシュア記に類似点を持っている歴史書と一緒にするようになりました。

2.ヨシュア記と士師記とは、神政政治と呼ばれる政治形態、すなわち神が選ばれた代表者によって、神がその民を統治された歴史を記しています。

これらの書は、遊牧民としてのイスラエル民族の初期の生活と王政時代の確立した国民生活とをつなぎ合わせています。

3.イスラエルの歴史は、ヨシュア記を経て、各書巻につながっていき、旧約聖書の歴史的部分は、神政政治とその実際上の行政および選民として神の召命を受けながら、偶像礼拝に走り、目的に到達できなかった失敗を主題にしています。

Ⅳ、記者

否定的批評家の主張は、ヨシュア記は一人の記者が一つのまとまりでなく、モーセの五書の資料があるといい、ニつの主要な資料を考え出し、さらにBC5世紀の終わり頃と、BC3世紀と2世紀にも数々の加筆がなされたとするが、これを信用することはできません。
シュタイン・ミューラの言葉には信頼すべきことが含まれています。彼は、「批評家の文学的論議は根本的にヘブル人の宗教の進化論的発展に対する誤った宗教的先入観に基づいていて、これは支持できない。」

1.24章26節「ヨシュアはこれらの言葉を神の律法の書にしるし、大きな石を取って、その所で、主の聖所にあるかしの木の下にそれを立て、」は、ヨシュア記のある部分がヨシュア自身によって書かれたことを主張しています。

そしてこの24章26節は、24章1~25節の契約に関連しています。

2.ある部分は、実際に出来事を目撃した目撃者が書いているようです。

5章1節、「彼らを渡らせられた」(ある写本は「我ら」となっている。)

5章6節、「主は彼らの先祖たちに誓って、われわれに与えると」

15章4節「これが彼らの南の境である。」

7~8章の詳細な記録などからして、私たちが結論できるところは、ヨシュア自身によって記された基礎があったということです。

3.しかし現在の形のヨシュア記においては、ヨシュアが死んだ後に起きた諸事件を含んでいますから、全部をヨシュアが記したということはできません。

(ヨシュアが死んだ後の諸事件)

カレブのヘブロン征服(ヨシュア記15:14、士師記1:10)

オテニエルのデビル征服(ヨシュア記15:15~19、士師記1:11~15)

ダン部族のレシュム征服(ヨシュア記19:47、士師記1:35、18章)

ヨシュアの死とエルアザルの死(ヨシュア記24:29,33)

ユダヤ人の伝承によれば、

エルアザルが、ヨシュアの死の記事を、ピネハスが、エルアザルの死の記事を書き加えたと言われています。

それ故、ヨシュア記は現在の形では、すべてがヨシュアの手によったものではありませんが、非常に古いものであることは明白です。本書は神の霊感のもとで、本書に記されている大部分の事件を目撃した人によって記されたものであると、結論することができます。

4.ユダヤのタルムッド法典によれば、ヨシュア記の最後の五つの節(24:29~33、ヨシュアとエルアザルの死と埋葬の部分)を除いて、ヨシュアが書いたと記されています。

Ⅴ、約束の地力ナン

1.神の選民イスラエルに、その嗣業として授けられた国土に対して、しばしば使われた名称

①「カナン」(出エジプト記6:4、申命記32:49)

士師の時代の後まで、ヨルダン川と地中海との間にある土地に対して、一般的に用いられた名称

②「イスラエルの人々の地」(ヨシュア記11:22)

③「イスラエルの相続地」(士師記2:6)

④他の人々は、特に、BC586年後、この国土をパレスチナと呼びました。パレスチナはペリシテのギリシャ語形です。

⑤今日のパレスチナ
アジアとアフリカとの間に横たわる、およそ南北288km、地中海とヨルダン川の間の48kmから80kmの間の土地で、
その境界は、

アブラハムに(創世記15:18)

モーセに(出エジプト記23:31)

モーセからイスラエルに(民数記34:2~15、申命記1:7~8)

上記のように言われて、与えられたように、ユーフラテス川にまで達していた。

⑥士師記以後は、その領域は一般に「ダンからベエル・シェバ」に至る地域とされていた。(士師記20:1)

ヨシュアの時代のイスラエル地図(「バイブルガイドー目で見て分かる聖書」マイク・バーモント著、いのちのことば社より)

2、地形について

ヨルダンの西側の国土は、自然に北部、中部、南部の三区域に分かれています。

更に、北のダンから南のベエル・シェバに走っている山脈によって、東から西へ五区域に分かれています。                                  一

①北にシャロン、南にペリシテを含む海岸沿いの平野

②海岸沿いの平野の背後にある低い丘陵地帯である山腹の丘陵

③北端から、かつてイスラエルが放浪した荒野に至る中央山脈

④ヘルモン山から死海に至るヨルダンの渓谷

⑤ギルアデとして知られているヨルダン川の東側の地域、すなわち東ヨルダン高原

3、戦略上から言えば、

パレスチナは、エジプトと東方諸国(創世記37:25)との主要貿易路であり、肥沃な三日月地帯の西端近くに位置しています。

ヘブル人がカナンを侵略した時、彼らはエジプトなど他のものとは、はっきり区別された文明を持った多くの小都市王国があるのを発見しました。この地方はその歴史の転換期にあったので、まだ放浪の民族に攻撃されやすく、また連合して、その辺境を守備することができませんでした。

BC1400年頃、この時代のカナンの王がエジプトの支配者に書き送ったアマルナの手紙は、ハビリという恐ろしい国民がこの国土を侵略していると語っています。これらの土板は、カナン人の側から見たイスラエルによる攻略の貴重な記録です。

4、カナン人

①パレスチナのすべての住民に対する一般的意味で使用されています。

②海辺とヨルダンの岸辺に住んでいた一部族を表わすために、しばしば使われています。(民数記13:29)

③ヨシュア記3章10節は、この地に住んでいたその他の六部族、ヘテ人、ヒビ人、ペリ
ジ人、キルガシ人、エモリ人、エブス人について語っています。

これらの人々のうち、ヘテ人は北方からの侵入者であって、ヘブロン周辺に定着したものであることが知られています。エブス人はエルサレム付近に住んでおり、エモリ人はヨルダン川の東側に定住していました。

Ⅵ、カナン入国の教訓

イスラエルの子孫がカナンに入ったことは、クリスチャンに多くの教訓を与えています。

カナンは、私たちが待ち望む、永遠の住まいである「さらにすぐれた国」(ヘブル11:10,16)の型です。

更に、はっきりしていることは、カナンは多くの点で、イエス・キリストにある私たちの受けることのできる現在の恵みを示しています、私たちは現在の生活の中で、この良き地、キリストにある恵みの中に入るようにと召されているのです。

「それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか。」(ヘブル4:1)

「4:9こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。 4:10なぜなら、神の安息にはいった者は、神がみわざをやめて休まれたように、自分もわざを休んだからである。 4:11したがって、わたしたちは、この安息にはいるように努力しようではないか。そうでないと、同じような不従順の悪例にならって、落ちて行く者が出るかもしれない。」(ヘブル4:9~11)

1、この地は、安息の地であって、荒野でさまよっていた時とは違う生涯です(申命記6:10,11)。
2、この地は、豊かな地です(申命記8:7~10)。
3、この地は、活ける水の地です(申命記8:7)。
4、この地は、約束の勝利の地です(申命記11:25)。

これは確かに、イエス・キリストにあって、私たちが受けることのできる恵みの型であって、主イエスは、この安息を私たちの霊魂に与えて下さるのです。

私たちのために御子を惜しまずに与えてくださった神は、御子に添えて、すべてを与えてくださると私たちに約束されています。

「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。」(ローマ8:32)

キリストはご自分のもとに来て、活ける水を飲もうとする者には、聖霊を与えると約束されました。

主はまた、ご自身の導きに生涯をゆだねる人には、勝利を与えると約束されました。

神のご目的は、各信仰者が聖霊と力に満たされて、勝利の生活を送ることであり、私たちが常にキリストにとどまり続けるなら、このご目的は達成されます。

誘惑や試練、戦いのない生活は来ませんが、主によって勝つ生活が与えられます。試練の中でも、主の平安を持つことのできる生活が約束されています。

神のご経綸(ご支配によるご計画)においては、キリストの血によって贖(あがな)われた(イエス様の身代わりの十字架によって救われた)人々は、すでに神に受け入れられているばかりでなく、「キリストにあって、満ち満ちている(全備している)」(コロサイ2:10)者となっているのです。

しかし、私たち人間の側では、信仰を持って、それを自分のものとしなければなりません。

Ⅶ、モーセの後継者ヨシュア

モーセの死後、ヨシュアがイスラエルの指導者となりました。彼は多年、モーセの従者であり、モーセから信頼された同労音でしたが、今や、モーセの後継者となったのです。
彼の任務は、神の民をその約束の地に導き入れることでした。

1、ヨシュアは、ヌンの子で、エフライム部族の出身でした。
2、彼の幼名はホセア(民数記13:8,16)で、その意味は「救助者」でしたが、モーセによってヨシュア(その意味は「救助者になるヤーウェ」)と変えられました。

この名はBC1400年頃のアマルナの手紙にも現われています。

3、

①出エジプトの後、間もなく、アマレク人との戦いの時、ヨシュアはモーセから司令官に任命されました(出エジプト記17:8~16)。

②彼はモーセに従って、神の山であるシナイ山に登りました(出エジプト記24:13、32:17)。

③イスラエルの人々が金の子牛の偶像を拝んで罪を犯した後、ヨシュアはモーセのしもべとして幕屋を離れないで守っていました(出エジプト記33:11)。

④モーセがカナンの地に十二人の偵察隊を派遣した時、ヨシュアはエフライム部族の代表として選ばれました(民数記13:8、14:6,38)。そして、神がこのイスラエルの民にカナンの地を占領させてくださると確信して報告したのはヨシュアとカレブだけであった。

4、モーセの死の直前に、主はヨシュアに向かって、「あなたはイスラエルの人々をわたしが彼らに誓った地に導き入れなければならない。それゆえ強くかつ勇ましくあれ。わたしはあなたと共にいるであろう。」(申命記31:23)と言われました。

後になって、この神の任命が確認されたのは、神がイスラエル国民を召集して、ヨルダン川を渡って、モーセがただ見るだけを許された地に導いて行け(ヨシュア記1:2~9)と命じられた時でした。

主は再び、モーセとともにいたように、ヨシュアとともにいる。またこれからの任務を果たすに当たって、ヨシュアに逆らうことができる者はいない、とヨシュアを勇気づけられました。

あとがき

今年も多くの方々から年賀状をいただきましたが、一枚一枚お礼状を書くのを省略させていただいて、ここにお礼申し上げます。新しい年、読者の皆様、おひとりお一人の上に豊かな恵みが与えられますようにお祈り申し上げます。

今年も、はや信仰の戦いは始まっていることと思います。主の栄光を現わすことができますように。年末には、聖書の探求を一号からお申し込み下さった方もいらっしゃいますし、私共の本を同窓会でプレゼントするために多数お申し込み下さった方もいます。前回私共の本から、信仰に導かれた方もいらっしゃるというお知らせもいただきました。メッセージテープで目が開かれた人もいます。今年も最後まで執筆できますように。

(まなべあきら 1999.2.1)

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