聖書の探求(182) ヨシュア記1章10~18節 民への伝達、民の応答とヨシュアへの激励、勇敢についての教訓

上の絵は、フランスのJames Jacques Joseph Tissot (French, 1836-1902) により描かれた「Joshua Gives the Signal for the Attack(ヨシュアは攻撃の合図を知らせる)」(ニューヨークのThe Jewish Museum蔵、https://thejewishmuseum.org/より)

10~11節、民への伝達

1、伝達の順序 主→ヨシュア→民のつかさたち→民

主イエス様が五千人以上の人々にパンを与えられた時は、主イエス様→弟子たち→人々

2、伝達の内容

①命令であること
②仕事の内容(出発のために糧食の準備をすること)
③時間(三日のうちに)
④成功の鍵(あなたがたの神、主)

ヨシュアは民の心を備える必要があると悟りました。そしてこの命令を与えたのです。ヨシュアは主に忠実な人で、行動の人でした。主からご命令と約束を受けると、すぐに、民のつかさたちに命じて、民に活動の準備をするように求めました。

つかさたちもヨシュアが語ったのと同じ勝利を確信したものと思われます。そうでなかったら、この大きな戦いに出動しなかったはずですから。民のつかさたちの組織については、申命記16章18節、20章5,9節、31章28節などに見られます。

ヨシュアは、主の同行の保証を受けていましたけれども、民全体で、自分たちがなすべき分があることを自覚していたのです。各々がなすべき分を果たす時にだけ、主は民とともに行かれて戦ってくださることを、ヨシュアは気づいていました。

このことは今日の私たちにも十分当てはまることです。自分のなすペき分を果たさないで、主の助けを祈り求めていても、主は助けてくださらないでしょう。勝利と成功を期待するには、自分のなすべき分を果たした後、主のみわざを待ち望むことと深い関係があることは明らかです。

12~15節、二部族半(ルベン、ガド、マナセ)への勧告

ルベン、ガド、マナセの半部族は、モーセの時代にヨルダンの東に産業の地を受け取っていました(民数記32章、申命記3:12~20)。

その時、彼らがヨルダンの東に産業の地を受け取る条件としたことを、ヨシュアは14節で再確認して実行させようとしています。

もともと彼らもヨルダン川を渡って行って、カナンの地で各々の産業を受け取るはずだったので、この条件を果たすことは彼らの義務であり、責任でした。

とかく、自分の要求を通すために、示された条件を受諾しますが、その後、自分たちの生活が安定してくると、わざわざ危険な、苦しい代価は払いたくないと言い出して、その条件をうやむやにして果たさないことが多いものです。しかしここではヨシュアはきちんと、約束した条件を果たさせようとしています。それを果たさなければ、イスラエルの部族の間で不満がつのってくる危険があります。それでもこの二部族半は妻子と家畜をヨルダンの東に残すことが出来るのですから、より安全であったと考えたかもしれません。しかし勇士たちは、戦いの間は、家族からも離れていなければならないし、家畜の世話も妻子にまかせることになります。そこで勇士たちはカナン征服を出来るだけ早く終わらせて家族の所に帰るために熱心に戦うことになるでしょう。ヨシュアは彼らに強制するような口調では話していません。彼は「主のしもベモーセがあなたがたに命じて・・・ことばを思い出しなさい。」(13節)と訴えただけでした。

もし彼らがこのモーセの命令に忠実に従わないなら、彼らは信仰を全く失っており、主のお役に立つ望みは全くないということになります。万一、そうであるなら、彼らを強制的にカナンでの戦いに加わらせると、彼らが敗北の原因になってしまうでしょう。

16~18節、民の応答とヨシュアへの激励

二部族半は、新しい指導者ヨシュアに対して服従と忠誠を誓いました。17節では、「私たちはモーセに聞き従ったように、あなたに聞き従います。」と告白しています。この応答にはヨシュアも励まされたと思います。

18節では、「あなたの命令に逆らい、あなたが私たちに命じるどんなことばにも聞き従わない者があれば、その者は殺されなければなりません。」

このことばを見ると、彼らは命がけでヨシュアの指導に従って行くつもりだったことが分かります。

「ただ、あなたの神、主が、モーセとともにおられたように、あなたとともにおられますように。」(17節)

初期のイスラエル人は、主の御霊がとどまっている人だけを指導者として受け入れ、従っていったのです。もし、ヨシュアにモーセと同じように主の御霊がとどまっているという証拠が見られるなら、いのちをかけて従って行くことを明らかにしたのです。それで彼らはヨシュアが確信と勇気を持ってくれるように、「ただ強く、雄々しくあってください。」と言ったのです。今日の教会の指導者もかくありたいものです。

こうしてヨシュアは、神からと、人からの両方から激励を受けたのです。

主の臨在のご同行と激励と助けとともに、多くの同信の友の祈りと助けによって、働きは進められて行くのです。これらのことなしに、先に進むことはできません。私たちにはイエス様の愛とご同行が与えられているのですから、互いに重荷を分かち合いつつ、自分をむなしくして、へりくだり、献身と信仰を新にして前進しようではありませんか。そうすれば、心はいつも恵みで満たされており、勝利も与えられます。

(勇敢についての教訓)

ヨシュアはモーセの後継者(民数記27:18、申命記34:9)であり、イスラエルの民を神の嗣業の地に導き入れ、彼らのためにカナンの地を征服する働きが彼にゆだねられていました。

そのヨシュアが必要としていたものは、信仰です。すなわち、彼らにその地を与えると約束された神に対する確証となっている信頼と、彼に託されているこの使命を遂行するための勇気です。

勇気は聖書の中に繰り返し述べられています。「恐れるな」という言葉は非常に多く記されています。

大胆は、事を行ないそれを成し遂げる上で、勇気の大切な要素です。神のために働いたすべての成功者はこれを持っていました。

パウロはこの大胆さを持っていましたが、もっと大胆に福音が語れるように祈り求めています。

勇気はその根底に堅固な信仰があります。そしてその信仰は神のみことばの土台の上に立っているのです。

ヨシュアはアイの敗北の後にこのことを学んで、神の約束のみことばを握る信仰を持ち直しています(ヨシュア記7:10~16)。

ヨシュアは神のみことばではなく、アイを偵察した人々の言葉に従って敗北した時、彼はひどく絶望的になってしまっています。これは、神のみことばを握らずに戦った時に、いつも味わう苦い経験です(ヨシュア記7:8,9)。

しかし彼は再び、神のみことばを握り直して勇敢に立ち上がっています。これこそ、神のみことばに深く根ざした信仰と勇気の結合です。

恐れている者、心くじけている者は、何も成し遂げることはできません。

恐怖は敗北です。ヘブル人への手紙11章には、神と罪以外、何も恐れない信仰の勇者たちの列伝が記されています。

最後に、勇気とは関係ないように見えますが、ペテロの手紙第ニ、1章5~7節に記されているものを持っていると、実らないということはなくなると言われています。これもまたみことばに深く根ざした信仰によるものであることは明らかです。

あとがき

桜が散って、若葉の季節になりました。時の流れを感じさせられます。早く、この日本にも若い霊的リーダーが沢山起きて欲しいものです。支援会ニュースの裏面の「うれしいお知らせ」にもご紹介しましたが、聖書の探求、メッセージテープ、本を通して、霊の目が開かれてきている方が、まだ多くはありませんが、確実に次々と起こされてきています。本気で聖書に取り組みたいと思っておられる方は、まだまだ沢山おられるに違いありません。お友達にもご紹介いただければ幸いです。
ヨシュア記、いかがですか。

(まなべあきら 1999.5.1)

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