プリント紹介 「預言書について」 A4 23枚

目次

Ⅰ 後預言者(書)
Ⅱ 預言
Ⅲ 預言の重要性
Ⅳ 預言が必要になった理由と目的
Ⅴ 預言者の召命とメッセージ
Ⅵ 預言の主旨
Ⅶ 預言の成就

以下、一部抜粋

預言書について

Ⅰ 後預言者(書)

A、預言書の第二区分

1、後預言者(書)(文書預言書)

 預言書は、初期の時代では、「預言者」と呼ばれていましたが、ここでは近代の呼び方の「預言書」と呼ぶことにします。

 「後」というのは、預言者が働いた歴史的年代に関して言っているのではなく、この区分(イザヤ書~マラキ書)が、前預言書(サムエル、ナタン、エリヤ、エリシヤなど、サムエル記、列王記第一、第二に記されている、預言書として文書になっていない部分)の後に続いているので、後預言書に分類されています。

2、この預言者たちが、文書預言者とされているのは、彼らが注目すべき文書の記者だからです。これらの預言は、不変の形で保存されるために記録されたのです。

 イザヤ書8:1「主は私に仰せられた。『一つの大きな板を取り、その上に普通の文字で、『マヘル・シャラル・ハシュ・バズのため』と書け。』」

 イザヤ書30:8「今、行って、これを彼らの前で板に書き、書物にこれを書きしるし、後の日のためとせよ。世々限りなく。」

 エレミヤ書30:2「イスラエルの神、主はこう仰せられる。『わたしがあなたに語ったことばをみな、書物に書き記せ。』」

 エレミヤ書36:1~20「書きしるせ。」「巻き物に書きしるした。」という言葉が繰り返されています。

 ハバクク書2:2「主は私に答えて言われた。幻を書きしるせ。これを読む者が急使として走るために、板の上にはっきり書きしるせ。」

3、エレミヤ書36:4「それでエレミヤは、ネリヤの子バルクを呼んだ。バルクはエレミヤの口述に従って、彼に語られた主のことばを、ことごとく巻き物に書きしるした。」

 エレミヤはバルクに口述筆記させています。

 イザヤ書8:16「このあかしをたばねよ。このおしえをわたしの弟子たちの心のうちに封ぜよ。」

 「たばねよ。」は、巻き物にされていたと思われます。

 これらの聖句は、各々の書が書かれた方法を示しているように思われます。しかし、弟子の信者の心のうちに刻み込み、封じることが大切です。

4、場合によっては、預言者は神の霊感によって、一連の長い預言(説教)を口で語った直後に、書き下ろしたこともあるようです。

 また、他の時には、口では語らずに、文書に書きしるしたこともあったようです。

〔歴史伝承学派の反対〕

 この学派は、ヘルマン・グンケルの著作に従って、「預言の原理は、語られた言葉である」と主張しました。

 グンケルの考えによれば、預言者は著作者ではなく、口述者であったとしています。

 しかし、シーセンによれば、「歴史伝承学派」の預言の方法を完全に拒否しています。
 本来、歴史伝承学派の主張は、懐疑論の一様式であり、極端に主観的であり、預言書にある美しい統一性と調和を、否定し、破壊するものです。

B、後預言書は、

1、イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、十二の小預言書(ユダヤ人たちは、この十二を 一巻と考えていました。)、この順序は、へプル語聖書やギリシャ語訳の七十人訳聖書の順序です。

2、しかし、BabaBatra(ババ バトラ ユダヤ人の伝承を記録したもの)14b では、 次のように述べています。

 「われわれの教師は、教えた。預言書の順序は、ヨシュア記、土師記、サムエル記、列王記、エレミヤ書、エゼキエル書、イザヤ書、十二預言書である。」(ダニエルは、外国の王に仕えた政治家だったので、預言者のうちに加えられなかったようです。)

3、しかし、この配列は、神学的理由に基づいています。Baba Bathraでは、次のように説明しています。
 
 「しかし実際は、イザヤがエレミヤやエゼキエルよりも先である。イザヤを最初に置くべきである。答-列王記は荒廃の記録で終わり、エレミヤは全書を通して荒廃について語り、エゼキエルは荒廃をもって始まり、慰めをもって終わっている。イザヤは全書をもって慰めについて語っている。我々は、荒廃は荒廃と、慰めは慰めと、まとめているのである。」

4、この順序は、またあるドイツ語聖書や、フランス語聖書に保存されています。

 それ故、伝統的マソラ(旧約聖書へブル語本文に関する学問的伝承)の順序(イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、十二小預言書)を変更する理由は全くありません。

以上、一部抜粋