聖書の探求(207) ヨシュア記18章 まだ征服していない七部族への勧告、ベニヤミン族の相続地

ユダ族とヨセフ族(マナセとエフライム)は南と北の地域に、そしてガドとルベンとマナセの半部族はヨルダンの東の地に、すでに相続地を受けていました。残り七部族はまだ、割り当て地を占領していませんでした。18章と19章には、この七部族の相続地の地域が記されています。


上の絵は、1860年に出版された「Die Bibel in Bildern(絵解き聖書)」のJulius Schnorr von Carolsfeld (1794–1872)による木版画イラスト。ヨシュア記18章のくじをひくところを描いた部分(Wikimedia Commonsより)


1~10節、残る七部族への勧告
11~28節、ベニヤミン族のための相続地

1~10節、残る七部族への勧告

1節、「・・・全会衆は、・・・ シロに集まり、そこに会見の幕屋を立てた。」

ヨシュア 18:1そこでイスラエルの人々の全会衆は、その地を征服したので、シロに集まり、そこに会見の幕屋を立てた。

イスラエル人はシロに集会の幕屋を建てて、そこを礼拝の中心地としました。幼いサムエルは、母ハンナに連れらわて、このシロの幕屋のエリのもとに来たのです。それ故、シロでの礼拝は相当、長い間続いたことになります。

この「会見の幕屋」の「会見」という言葉は、ギリシャ語の七十人訳聖書では、マタイの福音書16章18節の「わたしの教会」の「教会(ギリシャ語で、エクレシア)」と同じ語です。

「エクレシア」は、神の民として、この世から選び出され、聖別された教会の性格を示すのに最も正確な言葉として考えられています。パウロは、この教会を表わすのに、ガラテヤ6章16節で、「神のイスラエル」という表現を用いています。この両方の言葉を合わせると、「エクレシア」は、全面的に神の所有となっている民によって構成されている集団という意味になります。

「エクレシア」というギリシャ語は、一般には、ギリシャの都市において、伝令官によってラッパで召集された人々の集まりをさしていました。彼らは国家の法令のもとに市民としての資格を持っている人々でした。これがイスラエル人に当てはめられた場合、その国民とは、この世の人々の中から、神によって呼び集められた国民を意味しています。

この「エクレシア」と呼ばれている神の民としての国民は、神が、他の異教の神々とは全く異なるお方であり、独一の神であることをあかしすべきであり、

また、神のみことばを永遠に保ち、神の贖(あがな)いの約束の有効性をあかしし続けるべきであり、

神の義を受け、神を礼拝する真の敬虔な生活を営むことによって、まわりの世の中の異教世界の原理とは全く異なる原理で生きていることをあかしすべきなのです。

ヨシュアは、残りの七部族が相続地を占領する前に、シロでイスラエルの全会衆が主に礼拝するために、会見の幕屋を建てた。ヨシュアは、主を礼拝することを第一に、最優先させたのです。彼は残りの怠惰な七部族が相続地を占領しに行くのを待っていなかったのです。

私たちは、主に仕えるのに、「もっと、これが出来るようになったら」、「もっと、あれができるようになったら」と言っていないでしょうか。それは決して謙遜な態度ではありません。主を礼拝し、主に仕え、主に従うのに、あとにしていい理由などないのです。もし、ヨシュアが主を礼拝することを後回しにしていれば、神の民は大きく道を誤ることになったでしょう。私たちは霊的なことより、この世の仕事を優先していませんか。

「まず神の国と神の義とを求めなさい。」(マタイ6:33)

神を第一にしているということは、教会の集会に休まず出席していればいいと言っているのではありません。あなた自身の内に主を宿し、生活において主に従い、あなた自身の思いも、生活態度も行動も、すべてを主にささげた生活をすることです。これが霊的な礼拝なのです。そして、このことは、イエス様を信じたから、しなければと決心して頑張って出来るものではありません。一日、二日なら、心掛けでも出来るでしょう。しかし、一生涯となると、人間の決心と力では続くものではありません。自分の決心、努力、心掛けでやっている間は信仰ではありません。信仰の力とは、私の内心宿って下さる神のご性質によって力が流れ出て、それが生活の態度や行動となって現われてくることを言うのです。

「しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。」(コリント第二 4:7)

「・・・ 尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。それは、あなたがたが、・・・ 神の性質にあずかる者となるためである。」(ペテロ第二 1:4)

「わたしはこのために、わたしのうちに力強く働いておられるかたの力により、苦闘しながら努力しているのである。」(コロサイ1:29)

「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。 」(ローマ12:1)

こうして、イスラエル人は、シロにおいて、定期的に、規則的に、主を礼拝するようになりました。それは、彼らが、いつも神との関係を信仰によって保ち、偶像礼拝に陥らず、主をあかしする生活を続けるためです。これが、イスラエルの民が、奴隷だったエジプトの地を出て、カナンに入国した目的だったからです。私たちの信仰生活の目的も何なのか、今一度、点検し直しておく必要がないでしょうか。

2,3節、七部族はまだ、相続地をしっかり自分のものにしていなかった。

18:2その時、イスラエルの人々のうちに、まだ嗣業(相続地)を分かち取らない部族が、七つ残っていたので、 18:3ヨシュアはイスラエルの人々に言った、「あなたがたは、先祖の神、主が、あなたがたに与えられた地を取りに行くのを、いつまで怠っているのですか。 18:4部族ごとに三人ずつを出しなさい。わたしはその人々をつかわしましょう。彼らは立っていって、その地を行き巡り、おのおのの嗣業(相続地)のために、それを図面にして、わたしのところへ持ってこなければならない。 18:5彼らはその地を七つの部分に分けなければならない。ユダは南のその領地にとどまり、ヨセフの家は北のその領地にとどまらなければならない。 18:6あなたがたは、その地を七つに分けて、図面にし、それをここに、わたしのところへ持ってこなければならない。わたしはここで、われわれの神、主の前に、あなたがたのために、くじを引くであろう。 18:7レビびとは、あなたがたのうちに何の分をも持たない。主の祭司たることが、彼らの嗣業(相続地)だからである。またガドとルベンとマナセの半部族とは、ヨルダンの向こう側、東の方で、すでにその嗣業(相続地)を受けた。それは主のしもべモーセが、彼らに与えたものである」。18:8そこでその人々は立って行った。その地の図面を作るために出て行く人々に、ヨシュアは命じて言った、「あなたがたは行って、その地を行き巡り、それを図面にして、わたしのところに持って帰りなさい。わたしはシロで、主の前に、あなたがたのために、ここでくじを引きましょう」。

2節に「まだ嗣業(相続地)を分かち取らない」と書いてありますが、それは3節、「主が、あなたがたに与えられた地を取りに行くのを、いつまで怠っているのですか。」だったからです。これは非難され、責められるべきことです。

彼らはイスラエルの全軍で、おおよそ全部のカナン人を追放することで、満足していました。しかし彼ら自身が個人個人の生活の範囲において信仰で戦わなければならなくなると、信仰の勇気も、意気込みも失ってしまっていたのです。

教会の仲間のみんなと一緒にいる間は、勇敢で、意欲的で、熱心に奉仕している人が、個人的な生活において、信仰で戦わなければならないことには、怠惰で、消極的になって、この世に妥協してしまっている人を見かけます。このことは、みんなで一致して戦うことに意味がないのではない。教会で共に恵みを受け、力を受け、共に働き、共に戦ったことは、各々の個人生活において、活用され、継続されていく必要があることを示しているのです。しかしもし、信仰が、教会生活のレベルだけで止まっていて、個人の生活において活用されることがなければ、その信仰は中身のないものになり、表面だけのものになってしまいます。
ヨシュアは、この沈滞状態から脱出させるために行動計画を立てて、実行させています。
それは、部族ごとに三人の者を選び出して、各々、自分たちが攻め取るべき地を偵察して、ヨシュアに報告書を提出することを命じました。教会の集会で聞いているメッセージが教会の働きだけにとどまらず、信仰者各人の個々の生活に関係のあるものであることに気づかないと、信仰は空しく消えてしまいます。

9節、このことは、注意深く、最後まで実行された。

ヨシュア 18:9こうしてその人々は行って、その地を経めぐり、町々にしたがって、それを七つの部分とし、図面にして、書物に書きしるし、シロの宿営におるヨシュアのもとへ持ってきた。
ヨシュアは、彼らが提出した報告リストに基づいて、七つの部族に具体的に、彼らがどこを勝ち取ればいいのかを割り当てています。

信仰者の中には、神のみことばのメッセージを聞いても、それを毎日の自分の個人生活にどう当てはめて活用すればいいのか、分からない人がいます。こういう人には、手取り、足取りして、みことばの活用の仕方、「あなたはどこで、どのようにみことばを活用すればいいのか」を教える必要があります。そうしないと、自分自身の生活を勝ち取ることが出来ないのです。

11~28節、ベニヤミン族の相続地

ちなみに、他の部族は、
19:1~9、シメオン族の相続地
19:10~16、ゼブルン族の相続地
19:17~23、イッサカル族の相続地
19:24~31、アシェル族の相続地
19:32~39、ナフタリ族の相続地
19:40~48、ダン族の相続地
19:49~50、最後に、ヨシュアは自分の地を得た(エフライムの山地のティムナテ・セラフ)

相続地の分割に当たって、くじを用いたことは、以前に記した通りです。分割は二段階に行なわれているようです。

10節を見ると、まず、七つの部族のためのくじが引かれています。

ヨシュア18:10ヨシュアはシロで、彼らのために主の前に、くじを引いた。そしてヨシュアはその所で、イスラエルの人々に、それぞれの分として、地を分け与えた。

このくじは、七つの部族の各族長によってではなく、ヨシュア自身によって、シロで主の前に、彼らのためにくじが引かれています。これは、各部族間の争いが生じないための配慮でしょう。そしてこのくじが厳正に行なわれたことを「シロで主の前に」と記していることによって表わしています。それだけヨシュアは重大な責任を果たしたのです。そこにリーダーとしてのヨシュアの指導力を見ることができます。これはヨシュアにしか出来なかったことです。

次に、11節では、ベニヤミン部族の諸民族がくじを引いたことが記されています。

ヨシュア18:11まずベニヤミンの子孫の部族のために、その家族にしたがって、くじを引いた。そしてそのくじによって獲た領地は、ユダの子孫と、ヨセフの子孫との間にあった。

これはヨシュアによって、ベニヤミン族に割り当てられた相続地の中から、ベニヤミン族の諸氏族が更に細分別して各々の受け取る地のくじを引いたのです。この時は、ヨシュアではなく各民族がくじを引いています。指導者は大筋においては方針を示すことができますが、各自の詳細なことについては、各自が自分に適用して実行に移さなければならないのです。

ベニヤミン部族の相続地は、ユダ族とヨセフ族の間にありました。この言い方は、地理的位置を示しているだけではなく、ユダ族とヨセフ族が分割の基準になっているように思われます。

12~20節は、ベニヤミン族の北側、西側、東側の境界線を記しています。

ヨシュア18:12すなわち、その北の方の境は、ヨルダンに始まり、エリコの北のわきに上り、また西の方の山地をとおって上り、ベテアベンの荒野に達して尽きる。 18:13そこから、その境はルズに進み、ルズの南のわきに至る。ルズはベテルである。ついでその境は下ベテホロンの南の山にあるアタロテ・アダルに下り、 18:14西の方では、ベテホロンの南にある山から南に曲り、ユダの子孫の町キリアテ・バアルに至って尽きる。キリアテ・バアルはキリアテ・ヤリム(キルヤテ・エアリム)である。これが西の方の境であった。 18:15また南の方は、キリアテ・ヤリム(キルヤテ・エアリム)の端に始まり、その境はそこからエフロンにおもむき、ネフトア(メ・ネフトアハ)の水の源に至り、 18:16ついでその境は、レパイム(レファイム)の谷の北の端にあるベンヒンノム(ベン・ヒノム)の谷を見おろす山の端に下り、進んでエブスびとのわきの南、ヒンノム(ベン・ヒノム)の谷に下り、また下ってエンロゲルに至り、 18:17北に曲ってエンシメシ(エン・シェメシュ)におもむき、アドミムの坂に対するゲリロテにおもむき、ルベンびとボハンの石に下り、 18:18ベテアラバのわきを北に進んで、アラバに下り、 18:19その境は、ベテホグラの北のわきに進み、ヨルダンの南端で、塩の海の北の入海に至って尽きる。これが南の境である。 18:20ヨルダンは東の方の境となっていた。これがベニヤミンの子孫の、その家族にしたがって獲た嗣業(相続地)の四方の境である。

これを見ると、ベニヤミン族の北側の境界は、エフライム族の南側の境界と接しており、ベニヤミンの南側の境界は、ユダ族の北側の境界と接しています。東側の境界はヨルダン川で、西側はベテ・ホロンに面する山地です。こうして、小さいベニヤミンの部族は、大きな強い、エフライムとユダの部族によって守られるようにして、その間にあったのです。ここにもあわれみ深い主のご配慮があるように思われます。主を愛し、信頼する心をもって受けとめれば、必ず、主のご配慮が見えて来るのです。

21~28節には、ベニヤミンの諸民族が受け継いだ相続地の町々と村々を記しています。

ヨシュア18:21ベニヤミンの子孫の部族が、その家族にしたがって獲た町々は、エリコ、ベテホグラ、エメクケジツ(エメク・ケツィツ)、 18:22ベテアラバ(ベテ・ハアラバ)、ゼマライム(ツェマライム)、ベテル、 18:23アビム、パラ、オフラ、 18:24ケパル・アンモニ(ケファル・ハアモナ)、オフニ、ゲバ。すなわち十二の町々と、それに属する村々。 18:25またギベオン(ギブオン)、ラマ、ベエロテ、 18:26ミヅパ(ミツパ)、ケピラ(ケフィラ)、モザ(モツァ)、 18:27レケム、イルピエル(イルペエル)、タララ(タルアラ)、 18:28ゼラ(ツェラ)、エレフ、エブスすなわちエルサレム、ギベア(ギブアテ)、キリアテ・ヤリム(キルヤテ・エアリム)。すなわち十四の町々と、それに属する村々。これがベニヤミンの子孫の、その家族にしたがって獲た嗣業(相続地)である。

エリコ、ベテル、ギブオン、ラマ、ミツパ、エルサレムの名前は、旧約聖書を読む人々には、親しみのある町々です。

エリコは、イスラエル人がカナンの地に入って来て、最初に信仰によって大勝利を経験した(ヨシュア記6章)、永遠に記憶されている町の名前です。

ベテルは、古い名前はルズで、ヤコブが、兄エサウを避けて、母リベカの兄ラバンの所に行く途中、石を枕にして眠っていた時に、主がヤコブに現われてくださった所です。ヤコブはその場所をベテル(神の家)と名づけたのです(創世記28:10~22)。

ギブオン(ギベオン)は、ヨシュアが痛い思いをさせられたギブオン(ギベオン)人の出身地であり(ヨシュア記9章)、主がソロモンに夢のうちに現われてくださって、神の知恵と判断力とを与えられた記念すべき地です(列王記上 3:5~15)。

ラマは、最後の士師であり、最初の預言者であるサムエルの故郷です。サムエルはラマでイスラエルをさばき、主のために一つの祭壇を築いています(サムエル記上 7:17)。

ミツパも、サムエルの活躍した場所として有名です(サムエル記上 7:5~12,16)。

エルサレムの古い名前はエブスで、エブス人の居住地で、難攻不落の要塞の町でしたが、ここはダビデによって完全に征服され、イスラエルの中心都市として栄えることになるのです。

このベニヤミン部族は、「年若いベニヤミン」(詩篇68:27)と言われており、イスラエルの初代の王となったサウルも謙遜な時代には、「わたしはイスラエルのうちの最も小さい部族のベニヤミンびとであって・・・」(サムエル記上 9:21)と言っています。

しかし、このベニヤミン族は、イスラエルの他のすべての部族を敵にまわして戦うという大惨事を起こしてしまい、ベニヤミンはイスラエルの一つの部族として存続することが危ぶまれる状態になったことがあるのです(士師記20~21章)。このことは、ヤコブが「ベニヤミンはかき裂くおおかみ、朝にその獲物を食らい、夕にその分捕物を分けるであろう」(創世記49:27)と預言したことによって、ベニヤミン族の気性の激しい性質をよく表わしています。

この部族は、最も小さい部族でありながらも、最初の王を出し、新約聖書においては、使徒パウロ(サウロ)を生み出した栄誉ある部族であることも、心に留める必要があるでしょう。しかし何とも、危険を感じさせる、気性の激しい部族でもあるのです。

(まなべあきら 2001.6.1)
(聖句は、口語訳聖書より)


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