聖書の探求(208) ヨシュア記19章 残りの六部族とヨシュアの相続地
カルメル山の上から東方向を臨むと緑豊かなイズレエル平原が広がっています。右下にヨクネアムの古代遺跡(テル・ヨクネアム)が見えます。更に右側には、写真には写っていませんが、古代メギドの遺跡(テル・メギド)やタボル山があり、左下にはキション川が流れています。ヨシュアの時代には、正面にゼブルン、右側にイッサカル、左側にアシェル、正面のずっと遠方にナフタリがあったものと思われます。
18章11節から19章は、イスラエルの七部族の地とヨシュアの相続地のリストが記されています。
18:11~28、ベニヤミン部族の地
19:1~9、シメオン部族の地
19:10~16、ゼブルン族の地
19:17~23、イッサカル族の地
19:24~31、アシェル部族の地
19:32~39、ナフタリ部族の地
19:40~48、ダン族の地
上の地図は、ヨシュア記13章~19章に基いて描かれた「 “twelve tribes of Israel” (イスラエルの12部族)」(ダン族が北に移動する前のもの)(Wikimedia Commonsより)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:12_Tribes_of_Israel_Map.svg
1~9節、シメオン部族の地
ヨシュア 19:1次にシメオンのため、すなわちシメオンの子孫の部族のために、その家族にしたがって、くじを引いた。その嗣業(相続地)はユダの子孫の嗣業(相続地)のうちにあった。 19:2その嗣業(相続地)として獲たものは、ベエルシバ(ベエル・シェバ)、すなわちシバ(シェバ)、モラダ、 19:3ハザル・シュアル(ハツァル・シュアル)、バラ、エゼム(エツェム)、 19:4エルトラデ、ベトル、ホルマ、 19:5チクラグ(ツィケラグ)、ベテ・マルカボテ、ハザルスサ(ハツァル・スサ)、 19:6ベテレバオテ(ベテ・レバオテ)、シャルヘン。すなわち十三の町々と、それに属する村々。 19:7またアイン、リンモン(リモン)、エテル、アシャン。すなわち四つの町々と、それに属する村々。 19:8およびこれらの町の周囲にあって、バアラテ・ベエル、すなわちネゲブのラマに至るまでのすべての村々。これがシメオンの子孫の部族の、その家族にしたがって獲た嗣業(相続地)である。 19:9シメオンの子孫の嗣業(相続地)は、ユダの子孫の領域のうちにあった。これはユダの子孫の分が大きかったので、シメオンの子孫が、その嗣業(相続地)を彼らの嗣業(相続地)の中に獲たからである。
シメオンの部族はイスラエルの歴史の中で、ほとんど影響を与えるようなことをしなかった。この部族についての、「わたしは彼らをヤコブのうちに分け、イスラエルのうちに散らそう。」(創世記49:7)という、ヤコブの預言は、成就しました。
彼らのうちの一部は放牧民となり、ヘブロンのすぐ北のゲドルの入口にまで行き、そこからさらに南下して、セイル山にまで行っていた(歴代誌上4:39,42)。
9節に、「これはユダの子孫の分が大きかったので、シメオンの子孫が、その嗣業(相続地)を彼らの嗣業(相続地)の中に獲たからである。」と記されています。
人は、自分が十分すぎるほど財産を持っていると、その財産を分かち与えることに喜びを感じて、分かち与えるかもしれません。マタイの福音書19章16~22節に記されている青年は、それさえしなかったのです。イエス様から、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」(マタイ19:21)と、促されたのに、彼は、「この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。」とマタイは言っています。その理由は、彼が「たくさんの資産を持っていたからである。」とマタイは言っています。
このことは、クリスチャンが財産を持っていてはいけないことを言っているのではありませんが、しかし、イエス様を信じて救われていて、イエス様の福音宣教のために、また貧しい人々を助けるために、自分の財産を使うことを惜しむ人が、神の国に入ることができるとは、聖書は書いていません。神の愛を心に宿していれば、そのようなことは、とても出来ないことだからです。
しかしここでは、ユダ族が自分の相続地の一部をシメオン族に与えたのは、どうも愛によるというよりも、自分たちが管理する力よりも、あまりにも広い領域を持っていたためであると思われます。もしそのままだと、周囲の敵に対して、隙を与えることになります。ですから、自分の地の一部をシメオン族に分け与えることは、この二つの部族が互いに助け合って、自らの安全を守るのに役立ったのです。
「ユダはその兄弟シメオンと共に行って、ゼパテに住んでいたカナンびとを撃ち、それをことごとく滅ぼした。これによってその町の名はホルマと呼ばれた。」(士師記1:17)
まさに、「受けるよりは与える方が、さいわいである」(使徒20:35)なのです。他人に分かち与えて助けているように思っていますが、実際は、他人に分かち与えることによって、自分自身が守られているのです。あの青年役人のように、主から去っていく危険な誘惑から守られ、サタンが貧欲になるようにする誘惑から守られており、私たちの心の中から神の愛が去ってしまわないように守られているのです。神と富との両方に仕えて、二心になることから守られているのです。ですから、キリストの福音宣教のために自分の財産を献げ、弱い人たちや貧しい人たちに分け与える時、他人を助けていると思わないで、自分が数多くの危険や誘惑から守られ、助けられているのだと、計算する人は、幸いです。全能の神は、その人を祝福し続けるでしょう。しかし、自分の欲望を自分の神とし(ピリピ3:19)、自分のことだけを求める(ピリピ2:21)人は、わざわいです。そのような人の国籍が天にあるとは、聖書は言っていないのです。
私たちは、この地上で自分に与えられたものを、他の人と分かち合うことによって、愛と幸せを味わうことができるのです。このことを実行させていただきたいものです。
「自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。」(ピリピ2:4)
10~16節、ゼブルン部族の地
ヨシュア 19:10第三にゼブルンの子孫のために、その家族にしたがって、くじを引いた。その嗣業(相続地)の領域はサリデに及び、 19:11その境は西に上って、マララ(マルアラ)に至り、ダバセテ(ダベシェテ)に達し、ヨクネアムの東にある川に達し、 19:12サリデから、東の方、日の出の方に曲り、キスロテ・タボルの境に至り、ダベラテに出て、ヤピア(ヤフィア)に上り、 19:13そこから東の方、日の出の方に進んで、ガテヘペル(ガテ・ヘフェル)とイッタ・カジン(エテ・カツィン)に至り、リンモン(リモン)に進んで、ネアの方に曲る。 19:14北ではその境はハンナトン(ハナトン)に回り、イフタエル(エフタ・エル)の谷に至って尽きる。 19:15そしてカッタテ(カタテ)、ナハラル、シムロン、イダラ(イデアラ)、ベツレヘムなど十二の町々と、それに属する村々があった。 19:16これがゼブルンの子孫の、その家族にしたがって獲た嗣業(相続地)であって、その町々と、それに属する村々とである。
この地は、西と北西がアシェル族と接し(19:27)、北と北東はナフタリと接し(19:34)、南東と南はイッサカルと接しています(19:18~22)。
それ故、この地は、ナザレの北の、肥えた地域ですが、北の方で、幾分、孤立している感じがします。
ゼブルンについての記録は少ししかありませんが、カナン人に対する大いなる勝利を祝う歌の中で、「ゼブルンは命をすてて、死を恐れぬ民である。」(士師記5:18)と言われています。また、「ゼブルンからは五万人、皆訓練を経た軍隊で、もろもろの武具で身をよろい、一心にダビデを助けた者である。」(歴代誌上12:33)と言われていますが、ゼブルンは、おだやかで、平和な生活を愛する人々の仲間と一緒に働いている人々でした(歴代誌上12:40)。
ゼブルンと接する部族の人々は、礼拝の場所から、遠く離れており、不利な環境にいたように思われますが、周囲の部族と接触しつつ、神との良好な関係を保っていました。
17~23節、イッサカル部族の地
ヨシュア 19:17第四にイッサカル、すなわちイッサカルの子孫のために、その家族にしたがって、くじを引いた。 19:18その領域には、エズレル(イズレエル)、ケスロテ、シュネム、 19:19ハパライム(ハファライム)、シオン、アナハラテ、 19:20ラビテ、キション(キシュヨン)、エベツ、 19:21レメテ、エンガンニム(エン・ガニム)、エンハダ(エン・ハダ)、ベテパッゼズ(ベテ・パツェツ)があり、 19:22その境はタボル、シャハヂマ(シャハツィマ)、ベテシメシ(ベテ・シェメシュ)に達し、その境はヨルダン(ヨルダン川)に至って尽きる。十六の町々と、それに属する村々があった。 19:23これがイッサカルの子孫の部族の、その家族にしたがって獲た嗣業(相続地)であって、その町々と、それに属する村々とである。
この地の境界線は完全には記されていませんが、イッサカル族の地は、広大で肥沃なイズレエルの平原であったと思われます。
この地域は、パレスチナを征服しようとした侵略者が侵略の通路として、しばしば使っていました。
カナンの王ヤビンが、女預言者デボラとバラクと戦って敗れたのも、この地域においてでした(士師記4章)。
ギデオンがミデヤン人の軍隊を放ったのもこの地においてでした(士師記7章)。
サウル王が、ペリシテ人との最後の戦いをして敗れたのも、イッサカルの地のギルボア山でした(サムエル記上 31章)。
イッサカル族については、「イッサカルはたくましいろば、彼は羊のおりの間に伏している。彼は定住の地を見て良しとし、その国を見て楽しとした。彼はその肩を下げてにない、奴隷となって追い使われる。」(創世記49:14,15)と言われていますが、イッサカル族は、この地において、たえずエジプトと東方の脅威にさらされ、苦役を強いられていたのです。
24~31節、アシェル部族の地
ヨシュア 19:24第五に、アセル(アシェル)の子孫の部族のために、その家族にしたがって、くじを引いた。 19:25その領域には、ヘルカテ、ハリ、ベテン、アクサフ(アクシャフ)、 19:26アランメレク(アラメレク)、アマデ(アムアデ)、ミシャル(ミシュアル)があり、その境は西では、カルメルとシホル・リブナテに達し、 19:27それから東に折れて、ベテダゴンに至り、北の方ゼブルンと、イプタエル(エフタ・エル)の谷に達し、ベテエメク(ベテ・ハエメク)およびネイエルに至り、北はカブルにいで、 19:28更にエブロン、レホブ、ハンモン(ハモン)、カナを経て、大シドンに及び、 19:29それから、その境はラマに曲り、堅固な町ツロに至る。またその境はホサに曲り、海に至って尽きる。そして、マハラブ(マハレブ)、アクジブ、 19:30ウンマ(アコ)、アペク(アフェク)、レホブなど、二十二の町々と、それに属する村々があった。 19:31これがアセル(アシェル)の子孫の部族の、その家族にしたがって獲た嗣業(相続地)であって、その町々と、それに属する村々とである。
この地域は、最も肥沃な土壌で、豊作をもたらすエスドラエロン平原の北部に位置しています。また、敵が北の海から接近して来ても、思いのままに撃退することができました。
その後のアシェル族の歴史によれば、彼らは豊かになり、自ら、北の異教の地フェニキヤに接触して交わるようになり、物質的な豊かさの上に、異教の影響を受けて、はなはだしく堕落してしまいました。
「アセル(アシェル)はアッコ(アコ)の住民およびシドン、アヘラブ(マハレブ)、アクジブ、ヘルバ、アピク(アフェク)、レホブの住民を追い出さなかったので、アセル(アシェル)びとは、その地の住民であるカナンびとのうちに住んでいた。彼らが追い出さなかったからである。」(士師記1:31~32)
「アセル(アシェル)は浜べに座し、その波止場のかたわらにとどまっていた。」(士師記5:17)
アシェル族は、他のイスラエルの部族から遠く離れて住んでいたために、ダビデの時代には、イスラエルの各部族の長のリストの中にアシェルの名前が出ていないまでになっています(歴代誌上 27:16~22)。地理的に遠く離れていればいるほど、頻繁に交わる必要があり、関係を密にしていく必要があるのです。これを意識的にしていかないと、その民を失ってしまうことになります。
しかし、アシェルがダビデのリストに出てこないことは、アシェルが軍隊を持っていなかったからではありません。ダビデが全イスラエルの王として即位する時には、アシェルは四万人の軍隊を出して貢献しています(歴代誌上 12:36)。
つまり、彼らは大きな出来事の時以外は、イスラエルの神の家族の仲間たちとの交わりをあまりしていなかったのです。そのことが、彼らを異教のフェニキヤに向かわせ、堕落に向かわせたのです。人が物質的に豊かになり、神の家族との交わりをおろそかにするようになる時、必ず異教のこの世と交わるようになり、はなはだしい堕落に陥るようになるのです。
32~39節、ナフタリ部族の地
ヨシュア19:32第六に、ナフタリの子孫のために、その家族にしたがって、くじを引いた。 19:33その境はヘレフから、すなわちザアナニイム(ツァアナニム)のかしの木から起り、アダミ・ネケブ(アダミ・ハネケブ)および、ヤブネル(ヤブネエル)を経て、ラクムに至り、ヨルダン(ヨルダン川)に至って尽きる。 19:34そしてその境は西に向かって、アズノテ・タボルに至り、そこからホッコク(フコク)に出る。南はゼブルンに接し、西はアセル(アシェル)に接し、東はヨルダン(ヨルダン川)のユダに達する。 19:35その堅固な町々は、ヂデム(ツィディム)、ゼル(ツェル)、ハンマテ(ハマテ)、ラッカテ(ラカテ)、キンネレテ(キネレテ)、 19:36アダマ、ラマ、ハゾル(ハツォル)、 19:37ケデシ(ケデシュ)、エデレイ、エンハゾル(エン・ハツォル)、 19:38イロン(イルオン)、ミグダルエル、ホレム、ベテアナテ、ベテシメシ(ベテ・シェメシュ)などで、十九の町々と、それに属する村々があった。 19:39これがナフタリの子孫の部族が、その家族にしたがって獲た嗣業(相続地)であって、その町々と、それに属する村々とである。
ナフタリ族の地は、ゼブルンの北部に位置し、ガリラヤ湖の北の高地にありました。
ここも作物の収穫の多い地で、自由な性格と強い民族が出ています。女預言者デボラを助けたバラクはこの地の出身です(士師記4:6)。
「ナフタリはベテシメシの住民およびベテアナテの住民を追い出さずに、その地の住民であるカナンびとのうちに住んでいた。」(士師記1:33)
この記事は、ナフタリは肥沃な土地を相続したけれど、彼らは、自分たちに対する神のご計画を、ほとんど重視しなかったことを示唆しています。信仰的に大きな特権を受けていながら、それを重視せず、目先の豊かさや幸いに心を向けてしまっている信仰者はわざわいです。やがて彼らは主の戒めに不服を言うようになり、主から離れて行くようになります。
彼らは、自分たちの聖なる神を礼拝し、周囲の国々に主をあかしするための積極的な努力をしなかったのです。
ナフタリは、その町々がガリラヤ湖とその周辺にあったために、新約聖書中では、その名が異彩を放っており、福音の活躍の場となっています。
「そしてナザレを去り、ゼブルンとナフタリとの地方にある海べの町カペナウムに行って住まわれた。これは預言者イザヤによって言われた言が、成就するためである。『ゼブルンの地、ナフタリの地、海に沿う地方、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤ、暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった』」(マタイ4:13~16)
マタイによれば、イエス様がカペナウムで生活されることによって、イザヤが預言したことが成就したのだと言っています。
しかし彼らはすでに神のことばを聞き、神を知っており、まわりの人々に光を照らすことが出来たはずの人たちなのに、なおも暗やみの中に座っていることで満足していたのです。これは、今日、教会に集まっている人々に当てはめて考えるべきではないでしょうか。
40~48節、ダン部族の地
ヨシュア 19:40第七に、ダンの子孫の部族のために、その家族にしたがって、くじを引いた。 19:41その嗣業の領域には、ゾラ(ツォルア)、エシタオル(エシュタオル)、イルシメシ(イル・シェメシュ)、 19:42シャラビム(シャアラビン)、アヤロン、イテラ、 19:43エロン、テムナ(ティムナ)、エクロン、 19:44エルテケ、ギベトン、バアラテ、 19:45エホデ(エフデ)、ベネベラク、ガテリンモン(ガテ・リモン)、 19:46メヤルコン(メ・ハヤルコン)、ラッコン(ラコン)、およびヨッパ(ヤフォ)と相対する地域があった。 19:47ただし、ダンの子孫の領域は、彼らのために小さかったので、ダンの子孫は、上って行き、レセム(レシェム)を攻めてそれを取り、つるぎにかけて撃ち滅ぼし、それを獲てそこに住み、先祖ダンの名にしたがって、レセム(レシェム)をダンと名づけた。 19:48これがダンの子孫の部族の、その家族にしたがって獲た嗣業(相続地)であって、その町々と、それに属する村々とである。
ダンは、相続を受ける最後の部族として記されています。
ダンの最初の相続地は、シャロン平原の南の低地でした。しかし「アモリ(エモリ)びとはダンの人々を山地に追い込んで平地に下ることを許さなかった。」(士師記1:34)
47節、「ダンの子孫の領域は、彼らのために小さかったので」となっていますが、実際上は、南部のダン族の地は失われてしまったのです。それで、「ダンの子孫は、上って行き、レセム(レシェム)を攻めてそれを取り、つるぎにかけて撃ち滅ぼし、それを獲てそこに住み、先祖ダンの名にしたがって、レセム(レシェム)をダンと名づけた。 」とあります。ダンの二度目の地はヨルダン川の源流の近くにあります。この地も、肥沃な土地の一つで、「北パレスチナの麦畑と園」と言われています。
イスラエル北部のダンの古代遺跡(テル・ダン)には、ヘルモン山の雪解け水が勢いよく流れる清流があり、この水はヨルダン川を経て、ガリラヤ湖に流れ込んでいます。
ダンの町についての出来事が記されているのは、列王記上15章20節の、「ベネハダデ(ベン・ハダデ)はアサ王の言うことを聞き、自分の軍勢の長たちをつかわしてイスラエルの町々を攻め、イヨンとダンとアベル・ベテ・マアカおよびキンネレテ(キネレテ)の全地と、ナフタリの全地を撃った。」で最後になっています。
さらにダンについては、「ダンからベエルシバ(ベエル・シェバ)に至るまで」(サムエル記下 3:10、同17:11、同24:2、列王記上 4:25、歴代誌下 30:5)という言い方によって、イスラエルの領土の北端を示す言葉として使われています。この言い方は、歴代のイスラエルの王たちがダンの地をイスラエルの領土として認識していたことを示しています。ちなみに南端のベエル・シェバは、アブラハムが命名し、しばしば滞在した地として知られています(創世記21:31~33、同22:19)。イサクもそこに住んでいました(創世記26:23、33、同28:10)。
これらのイスラエルの全部族によって占領された領土の範囲は、およそ南北に二四〇キロメートル、東西に六四キロメートルという広大な広さになります。
しかし、ダンについては霊的なことがほとんどありません。
「ダンの人々は刻んだ像を自分たちのために安置し」(士師記18:30、列王記第一 12:28~30、列王記第二 10:29、アモス書8:14)
これらの記録から、ダンの人々が主なる神を捨てて、偶像礼拝をしていたことは明らかです。彼らは、相続地を受けたことも、自分たちの力で勝ち取ったと思ったのでしょう。主に感謝することもしなかったのでしょう。また彼らのための主のご計画も、彼らにとっては、少しも魅力ある、すばらしいものとは思わなかったのです。
女預言者デボラは、「なぜ、ダンは舟のかたわらにとどまったか。」(士師記5:17)と質問しています。これは、主がカナンの王ヤビンとその将軍シセラと戦われた時、ダンとアシェルは、助けを求めている周囲の人々の訴えに対して、無反応で、戦いに援軍を送って来なかったのです。彼らは神の戦いのために加わろうとしなかったのです。それはダンの人々の心が主から離れてしまっていることを示しています。
だれかが、主のご計画によって、開拓宣教を始めると、遠く離れていても、すぐに祈りや献金をもって応援に加わる人は幸いです。もし、すべての信仰者がこのように応じるなら、主の働きは急速に進むでしょう。しかし多くの人々は、ダンやアシェルのように、気乗りがせず、無反応なのです。ダンは、他の人々が神のために戦っている時、何の関心も示さなかったのです。神のために戦っている人の苦労は仲々、分からないものです。それだけに、関心を持って積極的に加わってほしいものです。そうすれば、神の宣教のみわざは、もっともっと早く進み、救われる人も多く起こされてきて、一緒にハレルヤの賛美を歌うことができるようになります。ともに喜び、ともに感謝するキリストの家族が増えてくるのです。自分たちだけ恵みを受けていれば、それでいいという人間には、なりたくないものです。
しかしダンは、自分たちが肥沃な地を相続して、豊かになった時、それ以上に霊的恵みを求めようとはせず、神のご計画のために働こうとも思わなかったのです。ヨハネの黙示録7章5~8節に、神の印を額に押されたイスラエルの部族の名前が列記されていますが、その中に、ダンの部族がないのが気がかりです。
預言者イザヤは、「万軍の主の熱心がこれをなされるのである。」(イザヤ9:7)と言いましたが、私たちも、主の熱心のために、熱心になる者とならせていただきたいものです。
パウロは、次のように言っています。
「このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。」(テトス2:14)
49~50節では、最後にヨシュアが自分の地を相続したことを記しています。
ヨシュア 19:49こうして国の各地域を嗣業(相続地)として分け与えることを終ったとき、イスラエルの人々は、自分たちのうちに、一つの嗣業(相続地)を、ヌンの子ヨシュアに与えた。 19:50すなわち、主の命に従って、彼が求めた町を与えたが、それはエフライムの山地にあるテムナテ・セラ(ティムナテ・セラフ)であって、彼はその町を建てなおして、そこに住んだ。
その地は、カレブと同じく山地でした。ヨシュアはエフライムの部族だったので(民数記13:8)、エフライムの山地にあるティムナテ・セラフ(その地は、ティムナテ・ヘレスとも呼ばれていた。)でした。ヨシュアは百十才で死に、その地に葬られています(ヨシュア記24:30、士師記2:8,9)。
それにしても、ヨシュアは一番最初に、自分の相続地を取っても、だれも文句は言わなかったでしょうに、彼はイスラエルの部族全員に、相続地を与えた後に、自分の相続地を受け取っています。
50節の「主の命に従って」とは、モーセの五書の中には、ヨシュアの働きに対する報酬については、何も記されていませんが、ヨシュアが自分の相続地を受け取ることについては、神のご命令に従って、受け取っていたことを示しています。主はご自分の忠実なしもべに、休み所を与えないはずがありません。勿論、モーセやパウロのように、この地上の休み所ではふさわしくなくて、天の休み所に入れられる人もいるでしょう。
「わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(ヨハネ14:2~3)
ヨシュアは主のご命令に従って、自分の相続地を求めています。神のみこころに従って求める時、イスラエル人もみな、心から喜んで、その地をヨシュアに与えたのです。イスラエルの側から言うなら、最後に、ヨシュアに相続地を受け取らせないで、感謝をこめて最初に与えるべきだったのではないでしょうか。こういうところを見ても、神が立てた指導者をおろそかにしているイスラエル人が、ヨシュアを失った時、神から離れて行くことを予感させます。アブラハムより先に自分の地を取ったロトの結末も、思い知らされます。自分たちの指導者を粗末に扱う民が、神から祝福を受けることなど、考えられないことです。士師記はその事実を描いています。
ヨシュアの側から言えば、第一に神、第二に他の人々、最後に自分を置きました。ですから、ヨシュアは「わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」(ヨシュア記24:15)と言うことができたのです。
51節は、この地の分割が、だれの目にも公正公平に行なわれたことを示しており、だれも不平不満を言えない方法で行なわれたことを示しています。
ヨシュア19:51これらは、祭司エレアザル(エルアザル)、ヌンの子ヨシュア、およびイスラエルの子孫の部族の族長たちが、シロにおいて会見の幕屋の入口で、主の前に、くじを引いて分け与えた嗣業(相続地)である。こうして地を分けることを終った。
とかく、権利や財産の相続については、信仰者であっても、目がくらんで自分中心になりやすいものです。いつでも「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。」(ヨブ記1:21)と言える者でありたいものです。
(まなべあきら 2001.8.1)
(聖句は口語訳聖書より)
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