聖書の探求(242) 士師記12章 エフライム人の嫉妬とエフタの死、イブツァン、エロン、アブドン
士師記12章に登場する士師の名前をピンク色にしました。
12章の前半は、エフタの記事の続きで、エフライム人の嫉妬とエフタの死を記録しており、後半は三人の士師について簡単に記録しています。
12章の分解
1~6節、エフライム人の不満と嫉妬
7節、エフタの死
8~10節、イブツァン
11~12節、エロン
13~15節、アブドン
1~6節、エフライム人の不満と嫉妬
エフライム人は、8章のギデオンの時にも、不満の怒りをギデオンにぶっつけて、激しく責めていました。その時は、先の戦いがまだ続いていたために、ギデオンが穏やかに処理したのですが、エフタの場合、ギルアデ人はエフライムと戦い、四万二千人のエフライム人が倒されています。エフライムはイスラエルの十二部族の中で一番人口の多い部族で、自分たちがイスラエルの代表者であり、指導的力を持っていると高慢になっていたのです。高慢な性質を持っている者は、いつも不満をもらし、争いを引き起こす原因をつくるのです。彼らは主から受けた恵みを自分の力で得たように思い、真理の道に背いているのです。
このような人に対して、まわりの人々はギデオンのやり方か、エフタのやり方か、どちらかを採って処理しようとするのです。どちらも、心からは信頼されなくなるのです。一度、高慢な態度を取った者は、高慢な性質があるとみなされ、心の底から信頼されることがなくなります。ですから、いつも心が砕かれて、謙遜になっていることが大切なのです。高慢な人が、主のために有益な働きをしたことは未だかつてないのです。
1節、エフタがアモン人に対して大勝利をおさめた後、それを知ったエフライムは、再び、ねたみで心が燃え上がり、ツァフォン(北)へ行きました。ツァフォンの場所は、現在知られていません。
士12:1 エフライム人が集まって、ツァフォンへ進んだとき、彼らはエフタに言った。「なぜ、あなたは、あなたとともに行くように私たちに呼びかけずに、進んで行ってアモン人と戦ったのか。私たちはあなたの家をあなたもろとも火で焼き払う。」
そこで彼らはエフタに会い、高慢の極みを現わして、エフタを脅迫したのです。
「なぜ、あなたは、あなたとともに行くように私たちに呼びかけずに、進んで行ってアモン人と戦ったのか。私たちはあなたの家をあなたもろとも火で焼き払う。」
これが神の民としての同じ民に言うべき言葉でしょうか。むしろ、エフタが主の霊に用いられて勝利をおさめたことへの感謝があってもいいのではないかと思うくらいです。しかし、エフライムは全く逆で、自分たちが手柄を立てられなかったことに対する激しい嫉妬の故に怒りと憎しみで燃えていたのです。そして過激な迫害に出ることを宣言しています。これは明らかに宣戦布告と同じです。ギルアデ人の大将エフタとエフタの家を火で焼き払うというのですから。その責任はエフタが戦いの前にエフライムに呼びかけなかったからだと言って、エフタに責任を負わせています。
しかし、2節のエフタの返事を見ると、アモン人との戦いの時、エフライムをも呼び集めたのに、拒んで助けに来なかったのだと言っています。
士 12:2 そこでエフタは彼らに言った。「かつて、私と私の民とがアモン人と激しく争ったとき、私はあなたがたを呼び集めたが、あなたがたは私を彼らの手から救ってくれなかった。
これはおそらく、エフタがギルアデ人の大将に選ばれる前に、ギルアデの長老たちがエフライムにも助けを求めて、訴えていたことを言っているものと思われます。どちらにしても、エフライムはアモン人と戦う気は全くなかったのです。苦しんでいるギルアデ人を助けるつもりは全くなかったのです。
3節は、それ故、エフライムの攻撃的な挑戦は不当であると言っています。
士 12:3 あなたがたが私を救ってくれないことがわかったので、私は自分のいのちをかけてアモン人のところへ進んで行った。そのとき、【主】は彼らを私の手に渡された。なぜ、あなたがたは、きょう、私のところに上って来て、私と戦おうとするのか。」
・エフライムは最初からエフタとギルアデ人を助ける気がなかったことが分かったこと。
・エフタたちは自分のいのちをかけてアモン人と戦ったこと。
・主がアモン人をエフタたちに渡されたので勝ったこと。
・それ故、エフライムがエフタの所に上って来て、戦おうとする理由がない。それは不正不当であることを主張しています。
4節では、突然、エフタがギルアデ人をみな集めて、エフライムと戦ったことが記されています。
士12:4 そして、エフタはギルアデの人々をみな集めて、エフライムと戦った。ギルアデの人々はエフライムを打ち破った。これはエフライムが、「ギルアデ人よ。あなたがたはエフライムとマナセのうちにいるエフライムの逃亡者だ」と言ったからである。
それほどにエフタを怒らせたのは何か。それはエフライムがギルアデ人を次のようになじったからです。
「ギルアデ人よ。あなたがたはエフライムとマナセのうちにいるエフライムの逃亡者だ。」
高慢な人は、自分の言い分が通らず、自分の非が明らかになり、認めなければならなくなると、それを打ち消すために、相手を口ぎたなくののしり、あざけりの言葉を言うのです。
エフライムのあざけりの言葉は、少し説明しないと分からないでしょう。その意味はこうです。
「ギルアデ人よ。おまえたちはアモン人を打ち破ったことで自慢しているけれど、おそらく、本当のところは、アモン人がおまえたちを打ち破ったのではないか。本当の勝利者はどちらなのだ。冗談じゃない。笑わせるよ。おまえたちはイスラエルの恥さらしの逃亡者に見えるぜ。」
ここで「イスラエルとマナセ」と言っているのは、この二部族がヨセフの子孫であり、イスラエル人の代表名に使っているのです。最後には、マナセも取り去って(ギルアデ人はマナセの子孫だったから)、エフライムだけにして自分たちを誇っており、それに比べて、小数のギルアデ人をイスラエルの恥さらし者として、ののしり、嘲笑ったのです。マナセの子孫のギルアデ人がエフライムを高く持ち上げなかったので、ギルアデ人をヨセフの部族からの逃亡者のように見立てたのです。
この謂れもないあざけりとののしりを受けた時、エフタは戦いに踏み切ったのです。
高慢なエフライムは、口ほどになく、すぐにギルアデ人に打ち破られています。
5節、エフライムはギルアデ人を「逃亡者だ」と言って嘲りましたが、すぐにエフライム自身が逃亡者となり、ヨルダン川の渡し場の方に逃げて、自分たちの地に逃げ帰ろうとしたのですが、ギルアデ人はそれより先に渡し場を支配してしまったのです。戦略はギルアデ人の方がずっと優れていました。
士 12:5 ギルアデ人はさらに、エフライムに面するヨルダン川の渡し場を攻め取った。エフライムの逃亡者が、「渡らせてくれ」と言うとき、ギルアデの人々はその者に、「あなたはエフライム人か」と尋ね、その者が「そうではない」と答えると、
12:6 その者に、「『シボレテ』と言え」と言い、その者が「スィボレテ」と言って、正しく発音できないと、その者をつかまえて、ヨルダン川の渡し場で殺した。そのとき、四万二千人のエフライム人が倒れた。
そしてエフライムの逃亡者が「渡らせてくれ」と言う時、ギルアデ人はエフライムの方言的発音の仕方で、すぐにエフライム人を見分けて、捕えて、処刑したのです。
この渡し場を渡ろうとする人が来ると、ギルアデ人はその人に「あなたはエフライム人ですか。」と尋ねたのです。その人が「そうではない」と答えると、その人に「『シボレテ』と言え」と言いました。
「シボレテ」は「小川の流れ」あるいは「穀物の穂」を意味していました。ところが、エフライム人の方言は「sh」を「s」と発音していたので、すぐにその違いがばれてしまったのです。この「sh」を「s」に発音するなまりは、アモリ人やアラビヤ人にも見られます。エフライム人は「シボレテ」と言うところを、「スィボレテ」(重荷という意味)と発音してしまったのです。そのように発音した人は、捕えられて処刑され、エフライムの四万二千人の人がこの愚かな内乱で殺されたのです。愚かで高慢な言葉や態度を取る人は、同じような不必要なわざわいを招くのです。
これと同じことが、スコットランドとイングランドの国境での戦いの時にも起きました。スコットランドに侵入した北ウンブリヤ人は、その方言的発音によってすぐに発見され、即刻処刑された歴史があります。これも内乱による不必要なわざわいです。
第二次世界大戦の時も、フィリピン群島でアメリカの軍隊は、ゲリラ戦で捕えた日本の兵隊を他の東洋人と区別する時、これと同じ方法で、日本人が特に発音しにくい「エル」を発音させて区別し、処刑しています。
主イエスは、「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。」(マタイ7:21)と言われましたが、私たちは言葉上のアクセント(強調点)と、心と生活がいつも一致していたいものです。そうでないと、語る言葉はうわべだけのものになり、不誠実なものとなってしまいます。
7節、エフタの死
士 12:7 こうして、エフタはイスラエルを六年間、さばいた。ギルアデ人エフタは死んで、ギルアデの町に葬られた。
エフタは他の士師に比べると、短かく六年間、イスラエルを指導して死んでいます。
「ギルアデの町に葬られた。」とありますが、おそらく、「ギルアデのミツパ」であろうと思われます。
8~10節、イブツァン
士 12:8 彼の後に、ベツレヘムの出のイブツァンがイスラエルをさばいた。
イスラエルの九番目の士師はイブツァンです。彼については、ほとんど何も知られていません。
彼の出身地がベツレヘムと記されていますので、古代へブル人の伝説の中には、イブツァンはボアズ(ルツ記2:1)であるとするものがあります。しかし、このベツレヘムは、主イエス様がご降誕された南のユダヤのベツレヘムではなくて、北の、ナザレの北西11kmの現在のベイト・ラハムと呼ばれている所であると思われます。そこはゼブルンの地の南西の端で、あまり知られていない村です。
9節、彼には三十人の息子がいました。
士 12:9 彼には三十人の息子がいた。また彼は三十人の娘を自分の氏族以外の者にとつがせ、自分の息子たちのために、よそから三十人の娘たちをめとった。彼は七年間、イスラエルをさばいた。
10章のヤイルにも三十人の息子がいたのが思い出されます。しかしイブツァンには更に三十人の娘がいて、自分の氏族以外の者に嫁がせ、自分の息子たちのために、よそから三十人の娘たちを娶っています。
彼の息子たち、娘たちの婚姻について、他の氏族との婚姻を強調していることが目立ちます。これは彼が政略的安定を考えていたのかもしれません。もし彼が無名の村の出身者であったなら、自分の地位を固めるために、各氏族との関係を強化したかったこともあり得ることでしょう。
彼は七年間イスラエルをさばいて、自分の郷里に葬られています。
士 12:10 イブツァンは死んで、ベツレヘムに葬られた。
11~12節、エロン
士 12:11 彼の後に、ゼブルン人エロンがイスラエルをさばいた。彼は十年間、イスラエルをさばいた。
エロンは十番目の士師で、ゼブルン人です。エロンという名前は、「テレビンの木」あるいは「かしの木」という意味です。
エロンという名をつけた人は旧約聖書中、ほかに二人います。
一人は、ゼブルンの第二子のエロンです(創世記46:14、民数記26:26)。
もう一人は、エサウの妻の一人になったバセマテの父、ヘテ人エロン(創世記26:34,36:2、こちらではエロンの娘はアダと呼ばれています。)です。
エロンは十年間イスラエルをさばいた後、死んで、ゼブルンの地のアヤロンに葬られています。
士 12:12 ゼブルン人エロンは死んで、ゼブルンの地のアヤロンに葬られた。
ヘブル語のエロンの綴り方について、この2節の中に二つの綴り方がされており、11節のエロンは12節のアヤロンと同じ子音で綴られ、ただ母音だけが異なっています。このことは、エロンがそこに葬られたことによって、その場所がアヤロンと名づけられたことを暗示しています。もう一つのアヤロンは南のダンにあり(ヨシュア記19:43)、これは別の所です。
13~15節、アブドン
士 12:13 彼の後に、ピルアトン人ヒレルの子アブドンがイスラエルをさばいた。
アブドンは十一番目の士師です。彼はピルアトン人ヒレルの子です。アブドンという名前は「奴隷」という意味があります。これはベニヤミン人の名前の中に見られます(歴代誌第一 8:23,30)。
14節、アブドンには四十人の息子と三十人の孫がいました。
士 12:14 彼には四十人の息子と三十人の孫がいて、七十頭のろばに乗っていた。彼は八年間、イスラエルをさばいた。
彼もヤイルやイブツァンと同じように多くの息子を持っていました。彼もその地域の豪族で権力者を目指していたのでしょう。
彼は七十頭のろばに乗っていました。ヤイルも三十頭のろばに乗っていました(10:4)。士師の時代は羊や牛ではなく、農耕や戦いの労力となるろばが、その勢力を表わすものとなっていたのです。
彼は八年間、イスラエルをさばいた後、死んで、アマレク人の山地にあるエフライムの地のピルアトンに葬られています。
士 12:15 ピルアトン人ヒレルの子アブドンは死んで、アマレク人の山地にあるエフライムの地のピルアトンに葬られた。
ピルアトンは彼の故郷だったからです。ピルアトンはシェケムの西約10kmの所、今のウェラ・アタです。この地はエフライムの領地にあり、「アマレク人の山地にある」と言われているのは、その近くに南の砂漠の遊牧民の共同体が住んでいたことを言っています。
あとがき
イラク問題が世界の悩みの種になっています。これは現在のテロ問題に始まったのではなく、歴史的に見る必要があります。AD622年マホメット教の出現により、アラビヤのイスラム勢力が東方(コンスタンチノープル)教会の地域に侵攻し、さらにローマ教会が東西に分裂するに及んで、イスラムはキリスト教を脅かすほどの勢力に発展し、中東全域を掌握してしまいました。
彼らは中世の教会が堕落して衰えていくに従って、侵略を繰り返し東南アジアにまで広がり、世界で有数の勢力にまでのし上がったのです。その上、近代には彼らの支配する地に石油が埋蔵されていることが分かり、イスラム社会の一般人は貧しくても、国家は巨大な富を持つようになり、武器は中東に流れ込んだのです。
経済的に低迷していたヨーロッパとアジアの国々と、ソ連の時代の政府は、彼らの石油と富を得るために兵器をイスラム諸国に売ったのです。こうしてイスラム勢力には十分な武器が整ったのです。多くの科学者が彼らの協力者に雇われたのです。
しかし昔、エジプト、アッシリヤ、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマの諸帝国がその力が頂点に達した時、滅んでいったように、1400年続いたイスラムの勢力は衰える時が来ているのかもしれません。キリスト教に敵対していた共産主義は猛威をふるった後、70年間で急速に衰えました。
しかしクリスチャンはこれを傍観しているだけでなく、私たちに与えられた、みことばの宣教を励ませていただきたいものです。
(まなべあきら 2004.6.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)
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