音声:信仰の列伝(24) 王の命令を恐れない信仰 へブル人への手紙11章23節

2017年1月22日(日) 午前10時半
礼拝メッセージ  眞部 明牧師

へブル人への手紙11章23節
11:23 信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした。

<インフォメーション>

「神はこの助産婦たちによくしてくださった。それでイスラエルの民はふえ、非常に強くなった。助産婦たちは神を畏れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。また、パロは自分のすべての民に命じて言った。『生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。』」(出エジプト記1:20~22)

ここには私が、この世の権力や勢力に打ち勝つ方法が記されています。それは、この世の権力を恐れないことです。ペテロはこの世を恐れたために、三度も「主を知らない」と言って、主を否定してしまいました。

「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は、守られる。」(歳言29:25)

人を恐れると、主を否定したり、この世と妥協して、この世と調子を合わせたり、主を捨てて逃げてしまいます。

「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。私はすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)

「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(ヨハネ第一、5:4~5)

恐れを持てば、その瞬間から、敗北しています。とは言うものの、恐れを抱かない人はいないでしょう。恐れるから、注意したり、警戒して、危険を避けるのです。

恐れが不信仰につながると、ペテロのように主を三回も否定してしまいます。しかし恐れのうちに、主イエスを迎え入れるなら、世に打ち勝つ信仰の力を受けます。

主イエスは、何度も弟子たちに「恐れてはならない」と命じられました。ガリラヤ湖の嵐の時にも、「わたしだ、恐れることはない」と言われ、主が十字架にかかられる直前にも、「心を騒がすな」と言われました。

恐れると、私は信仰が動揺して意気消沈してしまい、意欲や勇気を失わせてしまいます。神の光も、塩気も失わせてしまいます。

主を内に持って、恐れを追い出していただき、忍耐して、勇敢に信仰を活用していくと、必ず、主が全てのことを益に変えて下さり、祝して下さり、勝利を与えて下さいます。

他人の批判の言葉にも、恐れたり、怒ったり、恨んだり、失望しないようにしましょう。過剰に反応しないことです。

主に信頼して、勝利を確信していましょう。

病気にも、困難にも、失望せず、落胆せず、主はあわれみ深い善のお方で、良き事しかなさらないお方です。ヨセフのように、苦難しか起きないように見えていても、神はくすしい事をご計画しておられます。パウロは、病の中で、弱さの内に主の力を経験したのです。私たちも同じ経験をするのです。

ただ恐れて、不信仰になることだけが、私をギブアップさせるのです。

<今週の活用聖句>

ヨハネの手紙第一、4章18節
「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」

写真は、プロイセンの版画家Bernhard Rode (1725–1797)による「Moses Set Out on the Nile in a Reed Basket(葦のかごに入れられてナイル川に流されるモーゼ)」(Wikimedia Commonsより)

地の塩港南キリスト教会
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