聖書の探求(247) 士師記15章 サムソンのペリシテ攻撃、ジャッカルとたいまつ、ろばのあご骨による勝利

フランスの画家 James Tissot (1836-1902) による「Samson Slays a Thousand Men(サムソンは千人を打ち殺す)」(ニューヨークのJewish Museum蔵、Wikimedia Commonsより)


15章は、サムソンのペリシテ攻撃です。

15章の分解

1~8節、ジャッカルとたいまつによる攻撃
9~20節、レヒにおける戦い
9~13節、ユダの人によるサムソンの逮捕
14~20節、ろばのあご骨による勝利

1~8節、ジャッカルとたいまつによる攻撃

1節、「小麦の刈り入れの時」は、五月から六月の初め頃です。

この頃になると、サムソンの怒りもおさまり、多分、仲直りの贈り物としてか、普通の贈り物としてか、一匹の子やぎを持ってサムソンはティムナの彼の妻の家に行っています。

士 15:1 しばらくたって、小麦の刈り入れの時に、サムソンは一匹の子やぎを持って自分の妻をたずね、「私の妻の部屋に入りたい」と言ったが、彼女の父は、入らせなかった。

この時代の結婚の様式は、近代のように妻が夫の家に嫁いだり、夫と妻が新しい家庭を造ることとは異なり、夫は花嫁を花嫁の父の家にあずけて、夫が妻のもとに通うというものでした。ですから、サムソンもその習慣に従ったものと思われます。

ところが彼女の父は、サムソンを妻の部屋に入らせなかったのです。そして「私は、あなたがほんとうにあの娘を嫌ったものと思って、あれをあなたの客のひとりにやりました。」と弁解したのです。サムソンの怒りに燃えた姿を見れば、彼女の父がそう思ったのも無理からぬことかも知れませんが、公的手続きを踏んで行なわれた結婚を、夫のサムソンの承諾も得ず、他の男にその妻を与えたことは非難を免れないでしょう。これはサムソンにとって、公然とペリシテ人を攻撃してもよい理由となったのです。おそらく、妻の父も、妻自身も、サムソンはもう戻っては来ないと判断したのでしょう。しかしサムソンは怒りが解けると、戻って来たのです。

士 15:2 彼女の父は言った。「私は、あなたがほんとうにあの娘をきらったものと思って、あれをあなたの客のひとりにやりました。あれの妹のほうが、あれよりもきれいではありませんか。どうぞ、あれの代わりに妹をあなたのものとしてください。」

そこで、彼女の父親は、サムソンの怒りが再び燃え上がらないようにと、サムソンの妻の代用人として彼女に妹をサムソンの妻とするように勧めています。彼は「あれの妹のほうがもっときれいではありませんか。」と言っていますが、サムソンがこれを受け入れた形跡は見られません。

3節、「今度、私がペリシテ人に害を加えても、私には何の罪もない。」

士 15:3 すると、サムソンは彼らに言った。「今度、私がペリシテ人に害を加えても、私には何の罪もない。」

サムソンは自分が受けた屈辱的な、しかも不法な扱いに対して、彼がペリシテ人を攻撃することは正当なことだと判断して主張したのです。こうして争いは更に深刻化し、サムソンは自己破滅へと進んでいくのです。この発端は、彼が自分の肉的情愛によって、イスラエルの娘よりも、異教の娘を自分の妻に選ぶことにあったのです。それも両親の忠告も拒絶して。

「害を加える」という言葉は、文字通りには「粉々に砕く」ことを意味しています。彼は、主から力を受けていたのに、あたかも自分の力でペリシテを粉々にできるかのように高慢になっているところが見られます。

4,5節、まずサムソンは自分に与えられた強い力を使わず、頭を使っています。

士 15:4 それからサムソンは出て行って、ジャッカルを三百匹捕らえ、たいまつを取り、尾と尾をつなぎ合わせて、二つの尾の間にそれぞれ一つのたいまつを取りつけ、
15:5 そのたいまつに火をつけ、そのジャッカルをペリシテ人の麦畑の中に放して、たばねて積んである麦から、立穂、オリーブ畑に至るまでを燃やした。
15:6 それで、ペリシテ人は言った。「だれがこういうことをしたのか。」また言った。「あのティムナ人の婿サムソンだ。あれが、彼の妻を取り上げて客のひとりにやったからだ。」それで、ペリシテ人は上って来て、彼女とその父を火で焼いた。

当時、沢山いたジャッカル(狐か、山犬のような獣)を三百匹捕えて、尾と尾をつなぎ合わせて、その二つの尾の間に一つのたいまつを取り付け、そのたいまつに火をつけてペリシテ人の麦畑に放ったのです。一匹だけのジャッカルなら、尾に燃えるたいまつが付いていても、真直ぐに走って逃げ去れば、畑の被害はそれほど大きくならなかったでしょう。それを二匹ずつに結び付けたところにサムソンの知恵が働いています。尾に火を結び付けられたジャッカルは畑の中で荒れ狂い、走りまわり、収穫して束ねて積んである麦、まだ畑に生えている立穂、果樹園のオリーブの木まで、燃やしてしまったのです。

相手の畑に火をつけるという行為は、アブシャロムがヨアブを呼んでも来なかった時、アブシャロムは家来たちに命じて、彼の畑のそばにあったヨアブの大麦の畑に火をつけさせたことに見られます(サムエル記第二 14:29~33)。

6節、ペリシテ人は自分たちの畑を焼き払った犯人は、「あのティムナ人の婿のサムソンだ。」とすぐに分かり、その原因も、「あれが、彼の妻を取り上げて客のひとりにやったからだ。」とすぐに理解したのです。それで、ペリシテ人はサムソンの妻となるはずだった女とその父を火で焼いています。

士 15:6 それで、ペリシテ人は言った。「だれがこういうことをしたのか。」また言った。「あのティムナ人の婿サムソンだ。あれが、彼の妻を取り上げて客のひとりにやったからだ。」それで、ペリシテ人は上って来て、彼女とその父を火で焼いた。

サムソンの自分の肉的情愛による結婚相手の選択も、サムソンの妻となった人の父親の自分の知恵による判断と行動も、すべて破滅的な結果をもたらしています。ここに表わされている原理は、人の知恵による判断、選択、行動は、すべて破壊、破滅につながっていることです。

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」(箴言3:5)
のみことばを、今一度、しっかりと心につかむ必要があります。

7節のサムソンの言葉の中の、「あなたがたがこういうことをするなら」は、妻の父親が彼の妻を他の男に与えたことか、ペリシテ人が彼の妻を火で焼き殺してしまったことかは、分かりませんが、サムソンは更に激しく怒ったのです。そして彼は、「私は必ずあなたがたに復讐する。」と誓っています。

士 15:7 すると、サムソンは彼らに言った。「あなたがたがこういうことをするなら、私は必ずあなたがたに復讐する。そのあとで、私は手を引こう。」

「『悪に報いてやろう。』と言ってはならない。主を待ち望め。主があなたを救われる。」(箴言20:22)

「『彼が私にしたように、私も彼にしよう。私は彼の行ないに応じて、仕返しをしよう。』と言ってはならない。」(箴言24:29)

「復讐と報いとは、わたしのもの。それは彼らの足がよろめくときのため。彼らのわざわいの日は近く、来るべきことが、すみやかに来るからだ。」(申命記32:35)

「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』
もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12:19~21、参考ヘブル10:30)

他人のした悪に対して、自分で復讐する人は、自分も同じ破滅を受けることになるのです。しかし復讐をしないでいることは、本当に主の愛を必要とします。まして善をもって悪に打ち勝つためには、主の愛と力に満たされていないと、自分の決心と努力ではできません。

「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできるのです。」(マタイ19:26)

8節、「サムソンは彼らを取りひしいで、激しく打った。」とは、「彼らを全く粉々に切り刻んだ。」という意味です。

士 15:8 そして、サムソンは彼らを取りひしいで、激しく打った。それから、サムソンは下って行って、エタムの岩の裂け目に住んだ。

「それから、サムソンは下って行って、エタムの岩の裂け目に住んだ。」
エタムと名のつく地は、ベツレヘムのすぐ隣りにある町と、ユダからシメオンに至る所にある一つの村の名前にエタム(歴代誌第一 4:32)があります。しかしサムソンが下って行ったエタムがどこか特定することはできません。
この時は、サムソンは父の家に帰らず、エタムの岩の裂け目(多分、ほら穴のような場所)に住んでいます。

9~20節、レヒにおける戦い

9~13節、ユダの人によるサムソンの逮捕

9節、ペリシテ人は黙っていませんでした。

士 15:9 ペリシテ人が上って行って、ユダに対して陣を敷き、レヒを攻めたとき、

サムソンとティムナの娘との結婚という個人的なことから始まり、ついにペリシテ人とユダの人々との争いにまで発展してしまっています。

ペリシテ人は略奪の目的でユダを攻撃し、レヒに陣を敷いて攻めています。
「レヒ」とは、「ほお」とか、「下あご骨」という意味ですが、その場所がどこか特定することができません。

10節、不意のペリシテの侵略を受けたユダの人々は、ペリシテ人に侵略の理由を尋ねました。

士 15:10 ユダの人々は言った。「なぜ、あなたがたは、私たちを攻めに上って来たのか。」彼らは言った。「われわれはサムソンを縛って、彼がわれわれにしたように、彼にもしてやるために上って来たのだ。」

ペリシテ人は、「われわれはサムソンを縛って、彼がわれわれにしたように、彼にもしてやるために上って来たのだ。」と言っているのです。こうして人の怒りは止まるところを知らず、繰り返されていくのです。

11節、ユダの人々は、好戦的なペリシテ人との争いには関わりたくなかったし、この問題はサムソンの個人的な問題だったので、ペリシテ人の求めていることを受け入れて、サムソンを捕え、ペリシテ人の手に渡そうとしています。

士 15:11 そこで、ユダの人々三千人がエタムの岩の裂け目に下って行って、サムソンに言った。「あなたはペリシテ人が私たちの支配者であることを知らないのか。あなたはどうしてこんなことをしてくれたのか。」すると、サムソンは彼らに言った。「彼らが私にしたとおり、私は彼らにしたのだ。」

同じ神の民でも、自分に災禍が及んで来ると、仲間を敵の手に渡してしまうことも起き得るのです。ペテロも自分に迫害が及んで来ると危険を感じた時、イエス様を三度も否定してしまったのです。本当に、どこまで生死をともにすることができるかが、信仰の試みともなるのです。

ユダの人々は、サムソンが住んでいたエタムの岩場に三千人の仲間を送って、サムソンに面倒なことをしてくれたことに文句を言っています。彼らが三千人も行ったことは、サムソンの怪力を警戒し、たといサムソンが暴れても、三千人いれば力づくで捕えられると考えたからです。

ユダの人々の言い分は、サムソンがしてくれたことで、ユダ全体が大変迷惑しているということです。

「あなたはペリシテ人が私たちの支配者であることを知らないのか。」と言っていることは、ユダの人々がペリシテ人から解放されることを求めておらず、ペリシテ人の支配下に安住することを求めているように見えます。彼らは、この世の人たちと歩調を合わせ、信仰を鮮明にせず、できるだけ波風が立たないように、この世の力の支配力のもとに、奴隷となっていることを求めているのです。このことは、次のみことばに反しています。

「私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。」(出エジプト記33:16)

「見よ。この民はひとり離れて住み、おのれを諸国の民の一つと認めない。」(民数記23:9)

「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2)

サムソンの返事は、正当な復讐をしたのだという主張のようです。両者とも、信仰の本筋からはずれています。

12節、ユダの人々は、サムソンを保護するためではなく、自分たちがペリシテから被害を受けないために、サムソンを逮捕してペリシテ人に渡すために来たと、その目的を告げました。

士 15:12 彼らはサムソンに言った。「私たちはあなたを縛って、ペリシテ人の手に渡すために下って来たのだ。」サムソンは彼らに言った。「あなたがたは私に撃ちかからないと誓いなさい。」

サムソンはペリシテ人を恐れていなかったようです。ですから、ペリシテ人に渡されても困らないと思ったのです。ただ、ユダの人々に対してサムソンが無抵抗で縛られる時に、ユダの人々がサムソンに撃ちかかって、サムソンを殺さないことを誓わせています。主の力が内に満ちていた時、サムソンには敵に対する恐れが少しもなかったのです。少年ダビデが巨人ゴリヤテに立ち向かった時も、ダビデの心の中には信仰がみなぎっていたので、少しも恐れを感じていなかったのです(サムエル記第一 17:31~51)。

13節、ユダの人々はサムソンに、決して殺さないことを誓いました。こうして、サムソンは二本の新しい綱で縛られて、エタムの岩穴から引き上げ、ペリシテのレヒに連れて行かれたのです。

士 15:13 すると、彼らはサムソンに言った。「決してしない。ただあなたをしっかり縛って、彼らの手に渡すだけだ。私たちは決してあなたを殺さない。」こうして、彼らは二本の新しい綱で彼を縛り、その岩から彼を引き上げた。

サムソンはユダの人々と言い争うよりも、彼らの願いを受け入れ、彼らが満足するようにさせたのです。これは一見、サムソンの敗北のように見えますが、サムソン自身は内に主の力がみなぎっていたので、敗北感など少しもありません。むしろ勝利感に満ちて縛られていたのです。

ヤコブの息子ヨセフは奴隷に売られ、主人ポティファルの監獄に入れられましたが、主は彼とともにおられ、彼を栄える者にしてくださったのです(創世記39:2,3,21,23)。ヨセフには敗北感は見られません。いつも心に勝利の信仰が満ちているのを見ます。その秘訣は、「主がともにいてくださる」ことなのです。

14~20節、ろばのあご骨による勝利

14節、ユダの人々がサムソンを綱で縛って、レヒのペリシテ人の所に連れて来た時、ペリシテ人は大声をあげてサムソンに近づいて来ました。

それはペリシテ人の勝ち誇った喜びの声でしょう。そしてサムソンを嘲って、なぶりものにするためだったのでしょう。

士 15:14 サムソンがレヒに来たとき、ペリシテ人は大声をあげて彼に近づいた。すると、【主】の霊が激しく彼の上に下り、彼の腕にかかっていた綱は火のついた亜麻糸のようになって、そのなわめが手から解け落ちた。

その時、再び主の霊が激しくサムソンの上に下り、サムソンを縛っていた二本の新しい綱は火で燃えて融けた(ヘブル語の意味は、「解ける」ではなく、「融ける」です。)亜麻糸のように、パラパラと落ちたのです。

主の御霊に満たされている人を、牢獄に閉じ込めても、その人の霊魂を閉じ込めることはできず、その人の働きを止めることもできません。

15節、サムソンはすぐ側に、生新しいろばのあご骨を見つけて、手を差し伸ばして、それを取り、それを唯一の武器としたのです。

士 15:15 サムソンは、生新しいろばのあご骨を見つけ、手を差し伸べて、それを取り、それで千人を打ち殺した。

その、生新しいろばのあご骨は、おそらく、ペリシテ人がろばの肉を食べた後、残しておいたものでしょう。カラカラに乾いた骨なら、軽くて、こわれやすく、武器には使えなかったでしょう。

サムソンは、そのお粗末な武器で、敵のペリシテ人を千人、打ち殺しています。ダビデは川原で拾った五つの石のうちの一つで、ペリシテの巨人ゴリヤテを倒しています。

主が用いられる武器は、いつも取るに足りないものばかりです。それは武器が誇らないためです。神の御手に握られる武器は、それ自体がすぐれた才能を持っていることよりも、主のみこころのままに、何にでも、どこででも、どのようにでも、主に任せて自由に用いられることが必要なのです。
自分を誇り、自分の力や才能に頼る人は、主に用いられません。主の栄光を奪ってしまうからです。ですから、主は、取るに足りない無学の凡人を用いられるのです。

「彼らがペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。」(使徒4:13)

「兄弟たち。あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
しかし神は知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。
これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。」(コリント第一 1:26~29)

16節は、サムソンの勝利の歌です。

士 15:16 そして、サムソンは言った。「ろばのあご骨で、山と積み上げた。ろばのあご骨で、千人を打ち殺した。」

勝利の歌としては、
出エジプト記15章1~18節、紅海を渡った時のモーセとイスラエル人の歌
出エジプト記15章21節、ミリヤムの歌
士師記5章、デボラとバラクの歌
サムエル記第一、18章7節、イスラエルの女たちの歌
この他に、ヨハネの黙示録には多くの小羊(イエス・キリスト)の勝利の歌が記されています。

17節、サムソンは勝利の歌を歌い終わった後、そのろばのあご骨を投げ捨てています。

士 15:17 こう言い終わったとき、彼はそのあご骨を投げ捨てた。彼はその場所を、ラマテ・レヒと名づけた。

私たちは、主に用いられた後、いつまでも未練がましく、昔の地位や権力にしがみつこうとしてはなりません。主が必要としている間は、全力を尽くして奉仕しなければなりませんし、その後も、全生涯を通して主に仕えていくことは大切ですが、その地位や立場は、時が来て、ふさわしい神の器が備えられたら、バトンタッチしていく必要があります。しかしなお背後にあって見守り、必要に応じて指導する必要がありますが。未練でしがみつくことと、必要な指導を続けることとは同じではありません。しかし、ろばのあご骨は主の使命を果たしたなら、その働きを終える時が来るのです。

彼はその勝利の場所を「ラマテ・レヒ」と名づけました。その意味は「レヒの丘、すなわち、あご骨の丘」です。ヘブル語の「レヒ」は、「あご」を意味します。

18節、サムソンは、力強い働きをした後、「ひどく渇きを覚え」ました。

士 15:18 そのとき、彼はひどく渇きを覚え、【主】に呼び求めて言った。「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えられました。しかし、今、私はのどが渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。」

その時、彼が主に呼び求めた叫びは、カルメル山でバアルの預言者たちと戦って大勝利を得た後のエリヤの主に対する訴えとよく似ております。

「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」(列王記第一 19:4)

サムソンも、エリヤも、力を出し切って奉仕し、心身共に、疲れ果てていたのです。その時、エリヤはイゼベルの使者から、「あすの今ごろまでに、あなたのいのちを」取ると脅迫されたのです。それで、先の悲惨な訴えを主にしたのです。

サムソンは、だれかから脅迫の声を聞いたわけではありませんが、
「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えられました。しかし、今、私はのどが渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。」(士師記15:18)
と訴えたのです。サムソンは前半で、主の力を受けて、ペリシテ人に大勝利したことを告白しているのに、後半では絶望的なことを言っています。私たちも、しばしばここに陥っていないでしょうか。これまで何度となく、主によって勝利を体験していても、困難が来る度に、先に勝利を経験した時の信仰を活かすことができずに、「もう、だめです。どうしたらいいか分かりません。」と訴えていないでしょうか。すぐに、「死ぬ。死ぬ。」と言い出す人もいます。

エリヤも、サムソンも、敵の強さを知っていました。それは尋常の強さではなかったのです。だからこそ、神の力によって勝利したのです。しかし二人とも、大勝利はしたものの、その戦いはあまりにも激しく、心身共に力を出し尽くして、疲れ果てていたのです。特に、神経をすり減らして働き、心力を失っている時、信仰にスキが出来てしまいます。サタンはそれを見逃しません。自分に自信を失わせ、信仰を働かせることができなくなり、あの悲惨な訴えをするようになるのです。
エリヤのような信仰の勇者でも、サムソンのような力のある人でも、信仰にスキができると、自暴自棄になってしまうのです。

ヤコブは「エリヤは、私たちと同じような人でしたが」(ヤコブの手紙5:17)と言っていますが、これはエリヤにも信仰を働かせず、自信を失い、自分の敗北を予測して嘆き、自暴自棄になるような、弱さを持っていた人物だったことを言ったのです。鉄の塊も炉の外に出すと、ただの冷たいものでしかなくなります。火の中にある時だけ、燃えて輝く力を発揮するのです。

大勝利のあとに注意、疲れすぎに注意、神経をすり減らせることに注意、このような時は、サタンにねらわれやすいのです。

19節、このように悲惨な叫びをあげている者を、主は見捨てませんでした。

士 15:19 すると、神はレヒにあるくぼんだ所を裂かれ、そこから水が出た。サムソンは水を飲んで元気を回復して生き返った。それゆえその名は、エン・ハコレと呼ばれた。それは今日もレヒにある。

エリヤには、食物と水を与え、睡眠も与えました。二度もそうされました(列王記第一 19:5~8)。サムソンにはエン・ハコレの水をあたえたのです。信仰者は霊的なことが一番大切と認識していますから、身体の健康状態などをおろそかにしがちです。過労から来る霊的障害が大きいことに気づいていないのです。健康な食事を採り、必要な休息をとり、必要な睡眠をとることは、健全な霊的状態を保つことに不可欠なことを私たちは十分、認識すべきです。

「神はレヒにあるくぼんだ所を裂かれ、そこから水が出た。」「くぼんだ所」のへブル語は、「モルタル」で、そこは、土を混ぜ合わせたりする場所と思われ、「茶わん」のように中央が凹状に、へこんでおり、地表の空洞といった感じでした。それはレヒという丘にありました。神はこのくぼみの地面を裂かれ、水を出されたのです。

ある人は、レヒは「あご骨」という意味だから、ろばのあご骨から水が出たのだと言いますが、この解釈は、「エン・ハコレ(「叫び求めた者の泉、水源」という意味)」は、「それは今日もレヒにある。」という記録に照らすと、不可能です。

20節、サムソンが、全面的にペリシテ人を制圧していた期間は二十年です。

士15:20 こうして、サムソンはペリシテ人の時代に二十年間、イスラエルをさばいた。

この言葉がここに書いてあることは、この後、サムソンは落ち目になっていくことを暗示しています。サムソンは二十年間、力ある勝利者としてイスラエルを指導して来たのです。しかしヨシュアの時以来、イスラエルは力による安定を求めて来ていますが、神のみことばが深く教えられなくなってしまっているのです。それはイスラエルの信仰に変調を起こし、偶像礼拝と捕囚の下敷きをつくっていったのです。
今日、クリスチャンはカリスマ的力を求めて、神のみことばをしっかり身につけていく信仰をおろそかにしていないでしょうか。ここに将来の教会とクリスチャンの姿を予表するものがあるように思われます。今、一度、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」(マタイ4:4)をしっかり心にとめて、みことばに真剣に取り組む必要があるのではないでしょうか。

あとがき

旧約聖書には、戒めや規定が沢山記されています。それらは主なる神に近づく道を予表しています。それとともに、人がそれを守ろうとしても(形の上では守っていても)、霊的実質においては、守る力がないことを悟らせて、イエス・キリストの救いの恵みに導くためのものです。それ故、これを「旧約」と呼んだのです。
新約に至って、私たちはイエス様の十字架の贖いと、みことばの約束と聖霊の内住(これらを真理と呼ぶことができますが)によって、罪の支配からも、律法に縛られることからも、解放されて、自由を経験しているのです。互いに赦し合うことも、自分と同じように隣人を愛することにおいても、水を得た魚の如く、美しく生きるのです。

(まなべあきら 2004.10.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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