音声:ヨハネの福音書(030) ベテスダ事件 5:1~9前
AD60年頃のエルサレムの50分の1の模型におけるベテスダの池の部分(イスラエル博物館にて)
ヨハネの福音書 5章1~9節前半
5:1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。
5:3 その中に大ぜいの病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者たちが伏せっていた。
5:5 そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。
5:6 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」
5:7 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」
5:8 イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」
5:9 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。 ・・・・・
【新改訳改訂第3版】
音声の最後の部分が途中で欠けていましたので、文章で記しておきます。
8節で、主が「取り上げなさい」と命じられた「床」とは、彼の罪深い過去のすべてを示しています。彼は、その床の上でどれほど他人をのろい、うらみ、自暴自棄になり、絶望していたでしょう。
主は、「そういう過去を切り捨てなさい」と命じられました。
そして、キリストにある新しい生活を始めなさいと言っておられるのです。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリント人への第二の手紙5:17 )
また、「床を取り上げて歩みなさい」とは、罪による絶望的な運命に対して、また、他人をのろう自暴自棄に対して、「挑戦しなさい」という命令です。
それは、自分の力ではできない。しかし、真の救い主イエス・キリストがそこにおられる。そして、その主が権威をもって語ってくださったのです。
そうですから、自然と、この男にも自信が持てるようになってきたのです。
そして、彼は、9節「すると、その人はすぐに立って、床を取り上げて歩き出した」のです。
これは、明らかに、この男が信じて従ったことを示しています。
しかし、10節をごらんなさい。
ヨハ 5:10 そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った。「きょうは安息日だ。床を取り上げてはいけない。」
人間は、「床を取り上げてはいけない」と、主イエスと反対のことを言っているのがわかります。
いつでも、私たちが、主イエスのことばに従おうとすると、周囲にいる人間は、主のことばと反対のことを命じて、主に従うことを止めさせようとします。
人の言葉に従ってはなりません。
この男が人の言葉に従っていれば、彼は永遠に滅んでしまったでしょう。
イエス・キリストのことばを信じて、従う時だけ、私たちは罪深い過去から解放され、新しい人生の歩みができるのです。
この男は、主イエスに出会ったという、生涯に一回だけのチャンスを生かしました。
先のサマリアの女も同じでした。
私たちは、主のみことばには、ただちに信じて、その如くに従わせていただきたい。その時にだけ、私たちには新しい生活があるのです。