聖書の探求(319) サムエル記第二 12章 ナタンによる譴責、ダビデの告白と主の審判、ソロモンの誕生

イングランドの画家 William Hole(1846–1917)による「The Sorrow of King David(悲嘆にうめくダビデ王)」


この章は、預言者ナタンによるダビデの罪の譴責と、ダビデの告白、そして主の審判の宣言によって、ダビデの罪が解決されることを記しています。

12章の分解

1~12節、ナタンによる譴責(けんせき)
13~23節、ダビデの告白と主の審判
24~25節、ソロモンの誕生
26~31節、ダビデの総括的勝利

1~12節、ナタンによる譴責(けんせき)

1~4節、主はダビデの罪を解決するために、預言者ナタンをダビデのもとに遣わしました。

Ⅱサム 12:1 【主】がナタンをダビデのところに遣わされたので、彼はダビデのところに来て言った。「ある町にふたりの人がいました。ひとりは富んでいる人、ひとりは貧しい人でした。
12:2 富んでいる人には、非常に多くの羊と牛の群れがいますが、
12:3 貧しい人は、自分で買って来て育てた一頭の小さな雌の子羊のほかは、何も持っていませんでした。子羊は彼とその子どもたちといっしょに暮らし、彼と同じ食物を食べ、同じ杯から飲み、彼のふところでやすみ、まるで彼の娘のようでした。
12:4 あるとき、富んでいる人のところにひとりの旅人が来ました。彼は自分のところに来た旅人のために自分の羊や牛の群れから取って調理するのを惜しみ、貧しい人の雌の子羊を取り上げて、自分のところに来た人のために調理しました。」

ナタンの語った話は、ダビデの霊的心を呼び覚ますために、痛切に罪を感じ取らせるために、分かりやすい、しかも、すばらしいたとえ話でした。この話は、すぐにダビデの心を捕え、共感を呼び起こし、彼の霊的良心は甦りました。ダビデは、娘のように愛していた雌の子羊を奪われてしまった貧しい人に、深い同情を示し、彼の正義感によって激しい怒りを示してナタンに言いました。「主は生きておられる。そんなことをした男は死刑だ。」

Ⅱサム 12:5 すると、ダビデは、その男に対して激しい怒りを燃やし、ナタンに言った。「【主】は生きておられる。そんなことをした男は死刑だ。

しかしダビデは、それが自分自身なのだと、全く気づいていないのです。私たちはしばしば他人に対する基準は厳しく、自分に対するさばきの基準は非常に甘いのです。しかしこれは大変大きな罪です。

「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁(はり)には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」(マタイ7:1~5)

ナタンがダビデの所に遣わされたのは、ウリヤが殺されてから、そんなに月日が経っていなかったと思われますが、ダビデはあたかも自分の深刻な罪を忘れてしまっているかのようです。それは内心、苦しみつつ、何もなかったかのように振舞っていたのか、それとも、心に何も感じていなかったのか。詩篇32篇を見ると、前者のように思われます。

ナタンのたとえ話には、一頭の雌の子羊しか持っていない貧しい人と、羊や牛の群れを持っている富んでいる人とを登場させています。この貧しい人とはウリヤのことのようです。10節には「ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。」と言っていますから。富んでいる人とは、ダビデのことを言っていることは明らかです。

富んでいる人は、一人の旅人が自分の客として訪れた時、多くの自分の家畜の中から取って調理するのを惜しんで、貧しい人が自分の娘のように愛して、彼と同じ食べ物を食べ、同じ杯から飲み、彼のふところでやすんでいた一頭の雌の子羊を取り上げて、調理してしまった、と話しています。これは、貧しい隣人の愛と権利を無視した権力者の横暴です。

5,6節、ダビデの反応は早く、また正しかったのです。

Ⅱサム 12:5 すると、ダビデは、その男に対して激しい怒りを燃やし、ナタンに言った。「【主】は生きておられる。そんなことをした男は死刑だ。
12:6 その男は、あわれみの心もなく、そんなことをしたのだから、その雌の子羊を四倍にして償わなければならない。」

それは他人に対する裁きの判断だったからです。彼は激しく怒りを燃やして、「主は生きておられる。そんなことをした男は死刑だ。」と言っています。「死刑だ。」のへブル語の直訳は「死の息子である。」です。

そして奪われた雌の子羊は、律法によって規定されている賠償によって、「四倍にして償わなければならない。」と言っています。ダビデは賠償の律法も知識としては知っていたのです。

「牛とか羊を盗み、これを殺したり、これを売ったりした場合、牛一頭を牛五頭で、羊一頭を羊四頭で償わなければならない。」(出エジプト記22:1)

また新約聖書では、ザアカイも「だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」(ルカ19:8)と言っています。

7節、ナタンはダビデがこう答えた時、すかさず、王を恐れず、「あなたがその男です。」と、ダビデの心に神のメッセージを打ち込んだのです。

Ⅱサム 12:7 ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。イスラエルの神、【主】はこう仰せられる。『わたしはあなたに油をそそいで、イスラエルの王とし、サウルの手からあなたを救い出した。

こうして罪の話が自分のこととして受け止められなければ、救いは明確になりません。一般的な法則として理解していたり、だれか他人のこととして考えられている間は、主の赦しのみわざも、潔めのみわざも行なわれません。ですから、ナタンは単刀直入に、王であるダビデに「あなたがその男です。」と神の示しを宣言したのです。これはダビデにとって本当に有難いことでした。ナタンがいつまでも一般的な話や、他人事として話し続けていたら、ダビデは救われなかったかも知れません。しかしナタンには勇気が必要だったでしょう。もし王が怒り出したら、ナタンの命は危うくなるかも知れないからです。

しかしナタンは「イスラエルの神、主はこう仰せられる。」と言って、神のメッセージを語り続けました。この切り出し方は、旧約の預言者が主のご命令を告げる時によく用いたスタイルです。これによって、ダビデはナタンに怒りを向けることなく、主のみことばとして厳粛に受け止めたのです。今も、私たちが話す時は、自分の考えていることや感じたことをはなすのではなくて、神が語られていることを話さなければなりません。説教者や教師たちが、各々自分の考えを話すから、真理が曲げられていき、異端が生じたり、信仰から迷い出す人々を送り出してしまうのです。

主はダビデに、イスラエルの王として油注がれたところから、サウルの手から救い出されたこと、イスラエルとユダの全土をダビデの手に与えたことを思い起こさせています。「それでも少ないと言うのなら、わたしはあなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。」と言っておられます。

Ⅱサム 12:8 さらに、あなたの主人の家を与え、あなたの主人の妻たちをあなたのふところに渡し、イスラエルとユダの家も与えた。それでも少ないというのなら、わたしはあなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。

9節は、ダビデの行為が罪であることの理由を挙げています。

Ⅱサム 12:9 それなのに、どうしてあなたは【主】のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行ったのか。あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。あなたが彼をアモン人の剣で切り殺したのだ。

第一の理由は、主のことばをさげすみ、主の目の前に悪を行なったことです。明らかに、主の戒めを破って、他の人々に悪を行なうことは、神に対する罪なのです。

「主のことばを侮り、その命令を破ったなら、必ず断ち切られ、その咎を負う。」(民数記15:31)

「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。…おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。」(マタイ25:40,45)

ダビデは少年の頃から、ずっと主に信頼し、主に従い、主に祈り求めて、力も、恵みも勝利も主から受けて来たのです。しかし今回のことは、主から受けたのではなく、主に祈り求めることもせず、自分の肉の欲にまかせて、奪い取ったからです。

第二は、第一の理由を具体的に言っているのですが、最も忠実で、神を敬い、忠誠を尽くしていたヘテ人ウリヤを自分の剣ではなく、敵のアモン人の剣を用いて、卑劣なやり方で殺して、ウリヤの妻を自分の妻としたことです。

ここでは、神のみことばを軽視するところから罪に陥ることを教えています。9節は、主のみことばをさげすみ、軽視することは、主の目の前に悪となることを教えています。私たちが、主のみことばを心から信じて、従順に従うなら、「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。」(詩篇23:6)ダビデは晩年になって、この真理を深く悟るようになったのです。

10~12節、主はダビデのこの罪の結果、ダビデの家にわざわいの及ぶことを宣告しています。

Ⅱサム 12:10 今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしをさげすみ、ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。』
12:11 【主】はこう仰せられる。『聞け。わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす。あなたの妻たちをあなたの目の前で取り上げ、あなたの友に与えよう。その人は、白昼公然と、あなたの妻たちと寝るようになる。
12:12 あなたは隠れて、それをしたが、わたしはイスラエル全部の前で、太陽の前で、このことを行おう。』」

自分の心の欲に従った結果、何のわざわいも受けないですむことはありません。

まず、ダビデがアモン人の剣で、ウリヤを殺し、主をさげすんだために、ダビデの家から剣が離れなくなると言われています。このことは、すぐにアムノンの事件と彼が殺害されたこと(13章)、アブシャロムの反乱(14~19章)、ダビデの王位を狙った息子たちの争いが続いたのです(列王記第一 1章)。

第二に、ダビデの家の中から、ダビデ自身の上にわざわいが起きると言われています。それはダビデがしたように、ダビデの妻たちが白昼公然とダビデの王位を狙っていた息子アブシャロムに奪われることになったのです(16:21~22)。このわざわいが、見知らぬ外部の敵から来るのではなく、自分の家庭や自分の友、自分の仲間から来るので、その苦しさは更に厳しいものになります。

第三に、ダビデは隠れてしたのでしたが、主はダビデにイスラエル全部の前で、太陽の前で、このことを行なう、と言われています。これは息子アブシャロムの王位を狙った反逆のために、ダビデはエルサレムから逃れて、アブシャロムの襲撃を受けたことを指しているようです。

ダビデの罪は、ダビデ自身とダビデの家族と、イスラエル全体に大きなわざわいと混乱を引き起こしたのです。特に、息子たちが次々とわざわいや反逆を起こしたことは、ダビデの家の最大の悲劇となりました。しかし主は約束通りダビデの王国を継承させてくださいました。ダビデ王国はイスラエルの全歴史を通して、最も栄えた王国となり、キリストの王国のひな型となったのです。これはダビデが罪を悔い改め、主に立ち帰ったからです。主の赦しと潔めには、大いなる無限の恵みと祝福が伴います。ダビデ王国の繁栄が継承したことは、その事実を証明しています。

13~23節、ダビデの告白と主の審判

13節、ダビデの悔い改めと信仰の回復は、即刻的であり、完全なものでした。

Ⅱサム 12:13 ダビデはナタンに言った。「私は【主】に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「【主】もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。

自分の罪が示された時、何の言い訳も、弁解もせず、すぐに「私は主に対して罪を犯しました。」と、ありのままの姿で主の御前に出たのです。ダビデは自分の罪を人の前に隠すことができても、神の御前に隠すことができないことを改めて悟ったのです。彼は素直な心で神の御前に出たのです。これこそ主の赦しを受ける最も大切な条件です。

そればかりでなく、ダビデはウリヤの妻を奪い、ウリヤを殺した罪が、主の御旨と律法に対する反逆の罪であることを悟ったのです。ただ、自分が道徳的に悪い罪を犯したと思っているだけでは、また他人に迷惑をかけたり、苦しみを与えたと思っているだけでは、主の赦しを受けることができません。それが主に対する罪であることを悟り、その罪のためにイエス様が十字架にかかってくださったことを信じる時、罪は赦されるのです。この点で、ダビデの悔い改めと信仰は、健全で的を得ています。

預言者ナタンは、ダビデのこの告白を聞いた時、すぐに「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。」と主の赦しを宣言したのです。

「罪を見過ごす」とは、罪を見逃すことではありません。出エジプト記12章13節の「わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。」と同じです。これは「あがない(身代わりの代価を払って、赦し、救い出してくださること)」を意味しています。

14節、ダビデの罪は赦されても、その罪によって引き起こされた結果が、わざわいとなって残ります。

Ⅱサム 12:14 しかし、あなたはこのことによって、【主】の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ。」

ダビデの罪は主の御名を汚したので、主の敵に大いに侮りの心を起こさせてしまうことになったのです。また生まれて来る子どもは死んでしまいました。

ここでは、13節の罪の赦しの宣言と、14節の子どもの死のことは同時に語られたようになっていますが、「子どもの死」についてのことは、多分一年ぐらい経過してナタンが再び来訪して告げたものと考えられています。ここに見られる、罪に対する神の態度は、人の良心に効果的に、しかも率直に語りかけておられます。

また罪は赦されても、罪の結果、わざわいが残ることも語られました。このわざわいを乗り越えて、恵みと祝福を回復するには、真実な信仰の歩みを続けることだけです。

15節、ウリヤの妻がダビデに産んだ子は、産まれた後に病気になりました。

Ⅱサム 12:15 こうしてナタンは自分の家へ戻った。【主】は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を打たれたので、その子は病気になった。

聖書は、「主は、…子を打たれたので、その子は病気になった。」と言っています。「生まれた子には罪はないのに」と思われる人は多いでしょう。その通りです。しかし親の罪の結果、子どもがその苦しみを負わなければならなくなることは、今も現実にあります。しかし今ではイエス様の十字架の恵みがありますから、子どもも主の救いを受けて、幸せを経験することができます。しかし罪は子孫にわざわいを残すことを、よくよく心に留めておかなければなりません。

16,17節、ダビデは自分の罪のために、罪のない幼子が苦しんでいるのを見て、彼は今更に自分の愚かさと罪深さを悟ったようです。そして、その子の回復のために、「神に願い求め、断食をして、引きこもり、一晩中、地に伏して」主に祈っていたのです。

Ⅱサム 12:16 ダビデはその子のために神に願い求め、断食をして、引きこもり、一晩中、地に伏していた。
12:17 彼の家の長老たちは彼のそばに立って、彼を地から起こそうとしたが、ダビデは起きようともせず、彼らといっしょに食事を取ろうともしなかった。

ダビデが最も信頼している家来たちが見かねて、ダビデを慰め、食事をするように勧めましたが、彼は起き上がることも、食事をとろうともしなかったのです。彼は自分の犯した罪の重さを身に感じていたのです。

18節、「七日目に子どもは死んだ。」主はその子をご自分のみもとに携え上げられたのです。ダビデの手に与えなかったのです。こうすることによって、ダビデの自覚はより一層深いものになったのです。

Ⅱサム 12:18 七日目に子どもは死んだが、ダビデの家来たちは、その子が死んだことをダビデに告げるのを恐れた。「王はあの子が生きている時、われわれが話しても、言うことを聞かなかった。どうしてあの子が死んだことを王に言えようか。王は何か悪い事をされるかもしれない」と彼らが思ったからである。

ダビデの家来たちは、その子が死んだことをダビデに告げるのを恐れました。それは、その子のために断食し、地にひれ伏して主に祈り求めているダビデの必死の姿を見ていたからです。「王は何か悪い事をされるかもしれない。」とは、ダビデ王が自殺をするかもしれないと恐れたことを暗示しています。

19節、しかしダビデの家来たちが、ひそひそ話し合っているのを見て、子どもが死んだことを悟ったのです。そして「子どもは死んだのか。」と率直に尋ねました。彼らは「なくなられました。」と答えたのです。

Ⅱサム 12:19 しかしダビデは、家来たちがひそひそ話し合っているのを見て、子どもが死んだことを悟った。それでダビデは家来たちに言った。「子どもは死んだのか。」彼らは言った。「なくなられました。」

20節、「子どもが死んだ」ことを聞くと、ダビデは自分を害することをせず、かえって地から起き上がり、からだを洗って身に油を塗り、着物を着替え、主の宮に入り、礼拝をしてから、自分の家に帰り、食事をとっています。

Ⅱサム 12:20 するとダビデは地から起き上がり、からだを洗って身に油を塗り、着物を着替えて、【主】の宮に入り、礼拝をしてから、自分の家へ帰った。そして食事の用意をさせて、食事をとった。

子どもが生きている間は、主があわれんでくださって、子どもを助けてくださるかもしれませんから、ダビデは断食して祈り続けました。しかし主は、先にお命じになられた通りに、子どもを取り去られたのです。主のみわざが行なわれてしまったなら、もはや悲しみや苦しみを引きずって祈り求めても、主の顧みはありません。彼はスパッと過去のことを切り離して、新しい信仰の門出をしたのです。

「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、」(ピリピ3:13)

21節、しかし家来たちは、このダビデの一転した変わり様を理解することができませんでした。人情で考えていたからです。

Ⅱサム 12:21 すると家来たちが彼に言った。「あなたのなさったこのことは、いったいどういうことですか。お子さまが生きておられる時は断食をして泣かれたのに、お子さまがなくなられると、起き上がり、食事をなさるとは。」

ダビデが子どものために悲しみ続けていたら、人間味があつくて納得したのでしょう。しかしダビデはこの時、明確な信仰を取り戻していたのです。もうすでに主のみわざが行なわれ、主の決裁が行なわれてしまって、過去のことになってしまったことに、いつまでも未練を残しておくことは、信仰を妨げることを知っていたのです。ダビデは過去の罪が解決されたなら、いつまでもそのことを言っている人ではありませんでした。彼は新しい心を持って前に向かって進み始めたのです。

家来たちは、ダビデの取った行動が不可解でしたので、ダビデに質問しました。
「あなたのなさったこのことは、いったいどういうことですか。お子さまが生きておられる時は断食をして泣かれたのに、お子さまがなくなられると、起き上がり、食事をなさるとは。」

このように信仰によって過去のことに心をいつまでも捕われていないで、心を転換して、前のものに向かって進もうとしている人は、人情深い人から見ると、心の冷淡な人に見えたり、浅薄な人に見えたりするのです。人の情けはしばしば信仰を見えなくしてしまいやすいのです。

22,23節、ダビデの答えは、単純でしたが、信仰に満ち溢れていました。

Ⅱサム 12:22 ダビデは言った。「子どもがまだ生きている時に私が断食をして泣いたのは、もしかすると、【主】が私をあわれみ、子どもが生きるかもしれない、と思ったからだ。
12:23 しかし今、子どもは死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか。私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない。」

子どもが生きている時は、主がダビデの必死のへりくだった祈りを聞かれて、あわれみを施し、子どもをいやしてくださるかもしれないという希望があったからです。しかし子どもが死んでしまった今は、ダビデがなお悲しみと断食の祈りを続けていても、その子を呼び戻すことができません。

「私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない。」
この言葉は、旧約聖書の中に見られる、人の死後の霊魂について書かれている明確な記録の一つです。人の死後も、その人の霊魂は生きて存在しているのです。

「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。」(詩篇16:10)

ダビデはその子の死の事実に直面した時、子どもが生きている間は、その子が主のあわれみを受けていやされるように断食して必死に主に祈り願いました。
しかし、子どもが死んだ時、ダビデは罪のもたらす死の結末を受け入れたのです。

「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:23)

さらに彼は信仰によって、死んだ子どもの霊魂のいのちが主のみもとにあることを信じて、この死の結果を乗り越えたのです。

「アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。』」(ルカ16:25)

「イエスは、彼に言われた。『まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。』」(ルカ23:43)

24,25節、ソロモンの誕生

Ⅱサム 12:24 ダビデは妻バテ・シェバを慰め、彼女のところに入り、彼女と寝た。彼女が男の子を産んだとき、彼はその名をソロモンと名づけた。【主】はその子を愛されたので、
12:25 預言者ナタンを遣わして、【主】のために、その名をエディデヤと名づけさせた。

24節、「ダビデは妻バテ・シェバを慰め」とあります。バテ・シェバもその子を失ったことで、ひどく悲しんでいたのでしょう。主はダビデとバテ・シェバの結婚を祝され、男の子ソロモンが与えられています。「主はその子を愛された。」とありますから、主はこの結婚を祝されたことが分かります。

ダビデはその男の子に「ソロモン」という名前を付けました。その意味は「平和を好む」です。
しかし主は預言者ナタンを遣わして、その子の名をエディデヤと名付けています。その意味は「主の愛された者」です。しかしその後、エディデヤの名前はほとんど使われることはなく、ソロモンの名前が使われています。その理由は分かりません。しかし主に愛されて育った子どもは幸せです。

「少年サムエルはますます成長し、主にも、人にも愛された。」(サムエル記第一 2:26)

「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。」(ルカ2:52)

26~31節、ダビデの総括的勝利

この章の最後の区分では、ダビデの個人的な事情から離れて、11章1節につながるアモン人との戦いの勝利に戻っています。

26節、将軍ヨアブはアモン人のラバと戦い、アモン人の王の町を攻め取るのに成功しています。

Ⅱサム 12:26 さて、ヨアブはアモン人のラバと戦い、この王の町を攻め取った。

27節、この町は「水の町」と呼ばれています。

Ⅱサム 12:27 ヨアブはダビデに使者を送って言った。「私はラバと戦って、水の町を攻め取りました。

「水の補給源を守っているとりで」の町です。ここをヨアブに攻め取られたアモン人は水がなくなったために長く持ちこたえることができなくなっていたのです。

28節、この町が陥落する前に、ヨアブはダビデに使者を送って、民の残りの者たちを集めて、この町の最後のとどめを刺してくれるようにと言っています。

Ⅱサム 12:28 しかし今、民の残りの者たちを集めて、この町に対して陣を敷き、あなたがこれを攻め取ってください。私がこの町を取り、この町に私の名がつけられるといけませんから。」

もしヨアブが単独で陥落させてしまうと、その町にヨアブの名を人々が付けてしまうからです。ヨアブは王が名誉を受けるために敬意を表わしたのです。この当たりではまだヨアブは弁(わきま)えがありました。

29節、そこでダビデは民のすべてを集めて、ラバを攻め取り、またアモン人の他の町々も攻め取ったのです。

Ⅱサム 12:29 そこでダビデは民のすべてを集めて、ラバに進んで行き、これと戦って、攻め取った。

30節はアモン人の王の王冠の重さが金一タラントで、宝石がはめこまれていたと記しています。

Ⅱサム 12:30 彼は彼らの王の冠をその頭から取った。その重さは金一タラントで、宝石がはめ込まれていた。その冠はダビデの頭に置かれた。彼はまた、その町から非常に多くの分捕り物を持ってきた。

これはアモン人の王が相当の権力と富を持っていたことを示しています。その王冠はダビデの頭に置かれ、その町から非常に多くの分捕り物を持って帰っています。

31節には、その町の人々を捕虜にして、石のこぎりや、鉄のつるはし、鉄の斧を使う仕事をさせたり、れんが作りの重労働につかせています。

Ⅱサム 12:31 彼はその町の人々を連れてきて、石のこぎりや、鉄のつるはし、鉄の斧を使う仕事につかせ、れんが作りの仕事をさせた。ダビデはアモン人のすべての町々に対して、このようにした。こうして、ダビデと民のすべてはエルサレムに帰った。

ある人々は、あまりにひどい重労働を強制的にさせているので、これを比喩的描写として解釈していますが、これを事実でないとする根拠は見当りません。ダビデはアモン人の捕虜を強制労働に使ったのでしょう。イスラエル人もエジプトで奴隷であった間は、れんが作りをさせられていました。このようなことは、捕虜や奴隷にされた者に対して、しばしば行なわれていたのです。

あとがき

私がトラクトを配る時に首にかけているバックの肩のベルトがこの夏、白く塩がついていました。私の身体から出た汗の塩分です。改めて、私の身体に塩があって、私のいのちが保たれていることが分かりました。この塩が不足すると私は死んでしまいます。私の霊魂も同じです。主が「塩けをなくしたら、もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」(マタイ5:13)と言われた通りです。私が何を話し、何を書くか以上に、私自身に主の塩を持つ人になっていることが大事だと悟らされました。その上で、「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。」(コロサイ4:6)

(まなべあきら 2010.10.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】より)


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