週報No.2208 涙の預言エレミヤ書(115)「砕かれるバビロン」エレミヤ書 51:5~26

2019年11月17日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書 5~26
【新改訳改訂第3版】
エレ
51:5 しかし、イスラエルもユダも、その神、万軍の【主】から、決して見捨てられない。彼らの国は、イスラエルの聖なる方にそむいた罪に満ちていたが。
51:6 バビロンの中から逃げ、それぞれ自分のいのちを救え。バビロンの咎のために断ち滅ぼされるな。これこそ、【主】の復讐の時、報いを主が返される。
51:7 バビロンは【主】の御手にある金の杯。すべての国々はこれに酔い、国々はそのぶどう酒を飲んで、酔いしれた。
51:8 たちまち、バビロンは倒れて砕かれた。このために泣きわめけ。その痛みのために乳香を取れ。あるいはいやされるかもしれない。
51:9 私たちは、バビロンをいやそうとしたのに、それはいやされなかった。私たちはこれを見捨てて、おのおの自分の国へ帰ろう。バビロンへの罰は、天に達し、大空まで上ったからだ。
51:10 【主】は、私たちの正義の主張を明らかにされた。来たれ。私たちはシオンで、私たちの神、【主】のみわざを語ろう。
51:11 矢をとぎ、丸い小盾を取れ。【主】はメディヤ人の王たちの霊を奮い立たせられた。主の御思いは、バビロンを滅ぼすこと。それは【主】の復讐、その宮のための復讐である。
51:12 バビロンの城壁に向かって旗を揚げよ。見張りを強くし、番兵を立てよ。伏兵を備えよ。【主】ははかりごとを立て、バビロンの住民について語られたことを実行されたからだ。
51:13 大水のほとりに住む財宝豊かな者よ。あなたの最期、あなたの断ち滅ぼされる時が来た。
51:14 万軍の【主】はご自分をさして誓って言われた。「必ず、わたしはばったのような大群の人をあなたに満たす。彼らはあなたに向かって叫び声をあげる。」
51:15 主は、御力をもって地を造り、知恵をもって世界を堅く建て、英知をもって天を張られた。
51:16 主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。
51:17 すべての人間は愚かで無知だ。すべての金細工人は、偶像のために恥を見る。その鋳た像は偽りで、その中に息がないからだ。
51:18 それは、むなしいもの、物笑いの種だ。刑罰の時に、それらは滅びる。
51:19 ヤコブの分け前はこんなものではない。主は万物を造る方。イスラエルは主ご自身の部族。その御名は万軍の【主】である。
51:20 「あなたはわたしの鉄槌、戦いの道具だ。わたしはあなたを使って国々を砕き、あなたを使って諸王国を滅ぼす。
51:21 あなたを使って馬も騎手も砕き、あなたを使って戦車も御者も砕き、
51:22 あなたを使って男も女も砕き、あなたを使って年寄りも幼い者も砕き、あなたを使って若い男も若い女も砕き、
51:23 あなたを使って牧者も群れも砕き、あなたを使って農夫もくびきを負う牛も砕き、あなたを使って総督や長官たちも砕く。
51:24 わたしはバビロンとカルデヤの全住民に、彼らがシオンで行ったすべての悪のために、あなたがたの目の前で報復する。──【主】の御告げ──
51:25 全地を破壊する、破壊の山よ。見よ。わたしはおまえを攻める。──【主】の御告げ──わたしはおまえに手を伸べ、おまえを岩から突き落とし、おまえを焼け山とする。
51:26 だれもおまえから石を取って、隅の石とする者はなく、礎の石とする者もない。おまえは永遠に荒れ果てる。──【主】の御告げ──【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部)

 ここに示されていることは、バビロンのように世界を制覇するほどに栄えていても、神に属さない者は滅びてしまい、神に属する者は一時衰えても、時が来ると必ず回復する事実を教えています。

「義を求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。」(イザヤ書51:1)

「私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は、私のほうに身を傾け、私の叫びを聞き、私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。」(詩篇40:1~2)

主を追い求め続けて、滅んだ人は一人もいません。日本には、主イエスを信じて生涯を全うする人が少ないので目立たないだけです。

 「バビロンの中から逃げ、それぞれ自分のいのちを救え。バビロンの咎のために断ち滅ぼされるな。これこそ、主の復讐の時、報いを主が返される。」(エレミヤ書51:6)

 主は、ご自分の民を過激に攻撃したバビロンに復讐されます。主がバビロンのさばきを始められる時、捕囚民の残りの民は「バビロンから逃げる」ように、命じられています。

 イスラエルとユダの捕囚民は、祖国に帰って、エルサレムと神の国の再建に当たるのですから、メド・ぺルシャの軍隊による攻略に巻き込まれて、バビロンの兵士に間違われ、命を落とすようなことがあってはなりません。回復されたイスラエルの使命を果たすことができません。しかしこういう動乱の時には、必ずと言っていいほど、大繁栄したバビロンを見物しようとする者が現われるのです。
そういう、愚か者が巻き添えになって行くのです。

 今日は最後に、「主の栄光」について、少しお話します。

 「私たちはみな顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(コリント第二、3:18)

 神の栄光とは、何でしょうか。幕屋の至聖所に安置されていた契約の箱の一番上の、小羊の血を注いでいた贖罪所に現わされていた神の臨在による全ての輝きを、シェキナと呼んでいたのがその原型です。それ故、神の栄光とは神の臨在による全ての輝きを現わしています。神秘的輝きも、霊的人格的輝きも、可視的輝きも、全て含まれています。

 rあなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」(コリント第一、3:16)

 しかし、私たちは聖霊の内住によって、私たち自身が神の神殿となり、たましいの内にシェキナの輝きを経験できるようにして下さったのです。迫害者サウロもこの経験をしたのです。

 私たちが経験できる内なるシェキナ(栄光)の輝きは、キリストの愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制など、ガラテヤ5:22~23に記されている御霊の実のすべてです。

 「『光が、やみの中から輝き出よ。』と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。」(コリント第二、4:6)

 しかし、顔おおいがかけられていると、この輝きは経験できません。この顔おおいとは何か。

 モーセが仕えた奉仕は、律法によるものでしたが、パウロは3章7節で、「やがて消え去る栄光」であったと言っています。

 律法学者、パリサイ人が教えている律法に従った大半のユダヤ人は、この世の神に顔おおいがかけられ、内なる御霊による栄光の経験ができなかったのです。

 私たちにとっても、自分の知恵による理解や納得に従っていたり、みことばと聖霊によらず、教理的に正しい答えを出せたことで安心していたり、正しく儀式を守っていても、栄光の輝きを経験できません。弟子のペテロは「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と正しい答えができても、主の栄光を経験していませんでした。

 みことばと聖霊の信仰が必要なのです。

 私たちは毎日、この内住の御霊による栄光の輝きを内に経験することによって、「主と同じかたちに姿を変えられて行きます。」

 これは、神が最初に人を創造された時、人を神ご自身に似たものた創造されたことに基づいているのです。

 「主と同じかたち」とは、「心を尽くして主を愛すること」と「隣人を愛する心を持つこと」です。主と同じアガペーの性質を持つことです。これは自分の努力と決心ではできません。

 「これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」

みことばと聖霊の信仰を活用して、自分の内に主のシェキナの輝き、愛、喜び、平安、謙遜、赦し合うことなどを、経験しましょう。

<今週の活用聖句>

箴言18章12節、
「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」

<集会案内>
         
◇「志道会」 毎聖日礼拝後30分くらい
◇11月20日(水)聖別会 午前10時半
  「神との和解の条件(3)すべての人」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421