音声:信仰の列伝(20) アブラハムの試練 へブル人への手紙11章17~19節

オランダの画家 Anthony van Dyck (1599–1641)による「Abraham and Isaac(アブラハムとイサク)」(Wikimedia Commonsより)


2016年12月11日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ  眞部 明牧師

へブル人への手紙11章17~19節
11:17 信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。
11:18 神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、
11:19 彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。

<インフォメーション>

アブラハムに対する神の試みは、明白でした。

「神は仰せられた。『あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れてモリヤの地へ行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。』」(創世記22:2)

神の試みは、二つの点に集中しています。

第一は、アブラハムが最も愛しているひとり子イサクを求めておられることです。

主は、私に、主以外に私が心を向けているもの、執着しているものを取り除くことを求めておられます。これが手離せない時、私の信仰のテストは失敗に終わります。主の臨在も、導きも、交わりもなくなり、ここから堕落が始まり、放浪が始まるのです。

神の試みの矛先は、私が最も大切にしているもの、最も関心があるものに向けられるのです。

「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」(マタイ6:21)

主は、金持ちの青年に「あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。」(マタイ19:21)と言われたのに、この青年の心は、自分の多くの財産に捕われていたからです。

第二は、イサクを全焼のいけにえにすることが命じられています。

全焼のいけにえにすれば、再び取り戻すことができません。完全にアブラハムの手から放すことが命じられています。これは人情的に、常識的に、過酷すぎる試みです。

神の愛も、あわれみも見られない、残酷な神と思われてしまいます。

主は、血も涙もなく、徹底的に、父アブラハムの思いの中から、愛子イサクを取り除いてしまおうと求めておられるようです。そういう誤解を招いてしまいやすい。

私がこういう扱いを受けたら、主にとどまり続けるでしょうか。

主は決して、好い加減な、安易な信仰で、満足されないお方です。私が本当に、自分の肉の欲でなく、主を信じて、従い、復活を得るためには、主は、私にも、アブラハムと同じような試みをなさるでしょう。

…私の信仰がここに届くまで、信仰の試練は続きます。

<今週の活用聖句>

マタイの福音書22章37、39節
「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。」

 

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