週報No.2209 涙の預言エレミヤ書(116)「主の報復」エレミヤ書 51:36~50 + 信仰について

2019年11月24日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書 51:36~50
51:36 それゆえ、【主】はこう仰せられる。「見よ。わたしはあなたの訴えを取り上げ、あなたのために報復する。わたしはその海を干上がらせ、その泉をからす。
51:37 バビロンは石くれの山となり、ジャッカルの住みかとなり、恐怖、あざけりとなる。
51:38 彼らは共に、若獅子のようにほえ、雄獅子のように叫ぶ。
51:39 彼らがいらだっているとき、わたしは彼らに宴会を開き、彼らを酔わせて踊らせ、永遠の眠りについて、目ざめないようにする。──【主】の御告げ──
51:40 わたしは彼らを、子羊のように、また雄羊か雄やぎのように、ほふり場に下らせる。
51:41 ああ、バビロンは攻め取られ、全地の栄誉となっていた者は捕らえられた。ああ、バビロンは国々の間で恐怖となった。
51:42 海がバビロンの上にのしかかり、その波のざわめきにそれはおおわれた。
51:43 その町々は荒れ果て、地は砂漠と荒れた地となり、だれも住まず、人の子が通りもしない地となる。
51:44 わたしはバビロンでベルを罰し、のみこんだ物を吐き出させる。国々はもう、そこに流れ込むことはない。ああ、バビロンの城壁は倒れてしまった。
51:45 わたしの民よ。その中から出よ。【主】の燃える怒りを免れて、おのおの自分のいのちを救え。
51:46 そうでないと、あなたがたの心は弱まり、この国に聞こえるうわさを恐れよう。うわさは今年も来、その後の年にも、うわさは来る。この国には暴虐があり、支配者はほかの支配者を攻める。
51:47 それゆえ、見よ、その日が来る。その日、わたしは、バビロンの刻んだ像を罰する。この国全土は恥を見、その刺し殺された者はみな、そこに倒れる。
51:48 天と地とその中のすべてのものは、バビロンのことで喜び歌う。北からこれに向かって、荒らす者たちが来るからだ。──【主】の御告げ──
51:49 バビロンは、イスラエルの刺し殺された者たちのために、倒れなければならない。バビロンによって、全地の刺し殺された者たちが倒れたように。
51:50 剣からのがれた者よ。行け。立ち止まるな。遠くから【主】を思い出せ。エルサレムを心に思い浮かべよ。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

 「バビロンは石くれの山となり、ジャッカルの住みかとなり、恐怖、あざけりとなる。」(エレミヤ書51:37)

 バビロンの残忍な行為に対する報復として、恐怖の審判が宣告されています。その結果、東方の覇者だったバビロンは、瓦礫の山となり、山犬の住みかとなり、恐怖と嘲りとなるのです。

 37節の預言は、歴史と現代の考古学によって、この預言の正確さを証明しています。バビロンはこれまでに見た最も繁栄した都市国家であり、その力と栄華の絶頂を極めたと言ってもいいでしょう。このバビロンの滅亡について、エレミヤは預言したのですが、その実現は七十年を待たなければなりませんでした。

 しかし、その後のバビロン滅亡の歴史の事実は、エレミヤの預言が決定的に正確であることを証明しています。

 イギリスの考古学者レヤードの調査と、エレミヤの預言とを比べると、あらゆる項目において一致しています。

1、川底の葦が火で焼かれたこと(51:32)
2、飛脚がほかの飛脚に走り継いだこと(51:31)
3、バビロンの勇士たちがいら立っているとき、彼らを酔わせ、目覚めないように眠らせたこと(51:39)
4、バビロンの都の跡は、幾世紀にもわたって荒れ地となったこと(51:43)
など、詳細な点まで、一致しています。

 「彼らはぶどう酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石の神々を賛美した。すると突然、人間の手の指が現われ、王の宮殿の塗り壁の、燭台の向こう側の所に物を書いた。王が物を書くその手の先を見たとき、王の顔色は変わり、それにおびえて、腰の関節がゆるみ、ひざはがたがた震えた。」(ダニエル書5:4~6)

「その夜、カルデヤ人の王ベルシャツァルは殺され、メディヤ人ダリヨスが、およそ六十二歳でその国を受け継いだ。」(ダニエル書5:30~31)

 今日の最後には、信仰についてお話します。

 聖書の信仰は、神との契約に基づいた信仰です。

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」(ヨハネ14:6)

「そこで、イエスはまた言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です。羊は彼らの言うことを聞かなかったのです。わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。』」(ヨハネ10:7~9)

 主なる神は、イエス・キリストの十字架によって、私たちと契約を結んで下さいました。それ故、主イエスが私の罪のために、身代わりとなって、罪の刑罰の代価を払って下さったことを信じる時、神との契約は成立するのです。永遠のいのちが与えられて、神との交わりが始まります。その真理を明確に記しているのが、聖書のことばです。聖書のことばは、神との契約書です。

 主イエスを信じるとは、自分の内に描いているイエス・キリストのイメージを信じるのではありません。自分で考えているキリスト教の思想を信じるのではなく、神が啓示して下さった契約書である聖書のみことばを信じることが信仰です。

 そして、もう一つ大事なことがあります。それは、この神との契約を実際に私の内に成し遂げて下さる聖霊を信じることです。

 「信じる」ことは一瞬のうちに完了しますが、信仰の実を結ぶためには、信仰を継続更新することが必要です。

 「信仰を更新して下さい」と言うと、心の思いの中だけで新たにするだけで、実際生活で活用する人が少なかったのです。信仰は、心の中だけで新たにしても、実りません。 「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。」(マタイ7:24~25)

 「たましいが離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は死んでいるのです。」(ヤコブ2:26)

 信仰は、主の恵みを受け入れることから始まり、その受けた恵みを実際生活で活用することによって、更新し、完結し、実を結びます。私はこれまで、信仰の活用を勧めて来ましたが、嫌がる人もいました。しかしこれは私の考えではなく、イエス様のご命令です。それとともに、信仰を活用している人は、上手下手は別として、確かに苦難を乗り越えて、成長しておられます。

 実りある生活とは、信仰を活用する生活のことです。

<今週の活用聖句>

箴言18章12節、
「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」

<集会案内>
         
◇「志道会」 毎聖日礼拝後30分くらい
◇11月27日(水)聖別会 午前10時半
  「神との和解の条件(4)人間の応答」

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421