週報No.2207 涙の預言エレミヤ書(114)「高ぶる者の破滅」 エレミヤ書 50:41~51:4

2019年11月10日 (日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書50:41~51:4
50:41 見よ。一つの民が北から来る。大きな国と多くの王が地の果て果てから奮い立つ。
50:42 彼らは弓と投げ槍を堅く握り、残忍で、あわれみがない。その声は海のようにとどろく。バビロンの娘よ。彼らは馬に乗り、ひとりのように陣ぞなえをして、あなたを攻める。
50:43 バビロンの王は、彼らのうわさを聞いて気力を失い、産婦のような苦しみと苦痛に捕らえられる。
50:44 「見よ。獅子がヨルダンの密林から水の絶えず流れる牧場に上って来るように、わたしは一瞬にして彼らをそこから追い出そう。わたしは、選ばれた人をそこに置く。なぜなら、だれかわたしのような者があろうか。だれかわたしを呼びつける者があろうか。だれかわたしの前に立つことのできる牧者があろうか。」
50:45 それゆえ、バビロンに対してめぐらされた【主】のはかりごとと、カルデヤ人の国に対して立てられたご計画を聞け。必ず、群れの小さい者まで引きずって行かれ、必ず、彼らの牧場はそのことでおびえる。
50:46 バビロンの捕らえられる音で地は震え、その叫びが国々の間でも聞こえた。
51:1 【主】はこう仰せられる。「見よ。わたしはバビロンとその住民に対し、破壊する者の霊を奮い立たせ、
51:2 他国人たちをバビロンに送る。彼らはこれを吹き散らし、その国を滅ぼす。彼らは、わざわいの日に、四方からこれを攻める。」
51:3 射手には弓を張らせ、よろいを着けてこれを襲わせよ。そこの若い男を惜しむことなく、その全軍を聖絶せよ。
51:4 刺し殺された者たちが、カルデヤ人の国に倒れ、突き刺された者たちが、そのちまたに倒れる。
【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部)

メド・ペルシャのクロス王の軍隊は、バビロンを包囲し、町に侵入し、一人も逃すなと命じられています。クロス王の軍隊は、弓が得意だったようです。バビロンの攻撃は、先に「主に向かい、イスラエルの聖なる方に向かって高ぶったからだ。」と言われています。
神に油注がれた人や神の民を、攻撃したり、傷つけたりすることは、どんな理由があっても、してはなりません。必ず神のさばきが下ります。さばきは、神に任せましょう。

ダビデはサウル王からねたまれ、いのちを狙われ、追跡されてもサウルを刺し殺すチャンスがあっても、サウル王に刃を向けることを決してしませんでした。「彼は部下に言った。『私が、主に逆らって、主に油注がれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。彼は主に油そそがれた方だから。』」(サムエル記第一24:6)

「愛する者たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それはこう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12:19~21)

「それゆえ、その日、その若い男たちは町の広場に倒れ、その戦士もみな、断ち滅ぼされる。-主の御告げ-」(エレミヤ50:30)

メド・ペルシャのクロス王によって、高慢と残虐に満ちて、誇っていたバビロン帝国が倒される日が来た。エレミヤにとっては、なお、将来のことでしたが、目の前でバビロンが滅んでいくのを見ているかのように、預言しています。

「高ぶる者よ。見よ。わたしはあなたを攻める。-万軍の神、主の御告げ- あなたの日、わたしがあなたを罰する時が来たからだ。」(エレミヤ50:31)

「あなたの日」は七十人訳では「あなたのさばきの時が来た。」バビロンは「高ぶる者よ」と呼ばれています。

再び、バビロンの重大な罪が繰り返して、指摘されています。29節前半「主に向かい、イスラエルの聖なる方に向かって高ぶったからだ。」31節「高ぶる者よ。」32節「高ぶる者はつまずき倒れ」
成功者、勝利者で、高ぶらない人は一人もいないでしよう。その高ぶりが、その人が滅びる人であることを示しています。

「高ぶりは破滅に先だち、心の高慢は倒れに先立つ。」(箴言16:18)「神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」(ヤコブ4:6)「同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」(ペテロ第一、5:5)

聖書のメッセージは、一貫して明確です。主は、高ぶる者を、必ず、強制的に打ち砕かれます。イスラエルとユダの民も、国の崩壊と捕囚という刑罰を受けて、やっとへりくだって、偶像礼拝を捨てて、主に立ち返ったのです。これを見ていたバビロンの王たちが賢ければ、同じ道を歩まず、自分からへりくだっていたことでしょう。しかし、主の道具として用いられたとしても、勝利を重ね、繁栄して来ると、高慢にならない人はほとんどいません。

箴言30:7~9は、絶妙な祈りです。

33~34節は、イスラエルとユダの民への励ましのみことばです。

「彼らを贖う方は強く、その名は万軍の主。主は、確かに彼らの訴えを支持し、この国をいこわせるが、バビロンの住民を震え上がらせる。」(エレミヤ50:34)

捕囚が長かったとはいえ、神は冷酷な審判者ではなく、彼らを贖う方です。「贖う」とは「買い戻す」という意味で。罪と滅びから買い戻して下さる救い主イエス・キリストを予表する言葉です。その預言の中で、イスラエルとユダの民にとっては、万軍の主は平和の神となられますが、高ぶる者バビロンにとっては、恐れと不安の神となるのです。こうして、エレミヤの預言の中に、イエス・キリストを表わす預言が多く見られるようになっています。「その名は万軍の主」です。気落ちし、望みを失っていた捕囚の民に、「間もなく解放の日が来る。希望を高く持て。万軍の主があなたがたを贖うから。」と約束されたのです。これは日々に圧迫を受けている者たちにとって、この解放の約束は決して小さいことではありません。地獄から天国に移されるような経験です。

主に信頼している者は、失望させられることがありません。

「なぜなら、聖書にこうあるからです。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」(ペテロ第一、2:6)

<今週の活用聖句>

箴言18章12節、
「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」

<集会案内>

◇「志道会」 毎聖日礼拝後30分くらい

◇11月13日(水)聖別会 午前10時半
「神との和解の条件(2)福音の招き

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421