週報No.2214 涙の預言エレミヤ書(120 最終回)「エレミヤの死と彼の預言の展望」 エレミヤ書 52:24~34

2019年12月29(日) 午前10時半

礼拝メッセージ  眞部 明 牧師

エレミヤ書 52:24~34
52:24 侍従長はさらに、祭司のかしらセラヤと次席祭司ゼパニヤと三人の入口を守る者を捕らえ、
52:25 戦士の指揮官であったひとりの宦官と、町にいた王の七人の側近と、一般の人々を徴兵する将軍の書記と、町の中にいた一般の人々六十人を、町から捕らえ去った。
52:26 侍従長ネブザルアダンは彼らを捕らえ、リブラにいるバビロンの王のもとへ連れて行った。
52:27 バビロンの王は彼らを打ち、ハマテの地のリブラで殺した。こうして、ユダはその国から捕らえ移された。
52:28 ネブカデレザルが捕らえ移した民の数は次のとおり。第七年には、三千二十三人のユダヤ人。
52:29 ネブカデレザルの第十八年には、エルサレムから八百三十二人。
52:30 ネブカデレザルの第二十三年には、侍従長ネブザルアダンが、七百四十五人のユダヤ人を捕らえ移し、その合計は四千六百人であった。
52:31 ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十五日に、バビロンの王エビル・メロダクは、彼が即位した年のうちに、ユダの王エホヤキンを釈放し、獄屋から出し、
52:32 彼に優しいことばをかけ、彼の位をバビロンで彼とともにいた王たちの位よりも高くした。
52:33 彼は囚人の服を着替え、その一生の間、いつも王の前で食事をした。
52:34 彼の生活費は、死ぬ日までその一生の間、日々の分をいつもバビロンの王から支給されていた。【新改訳改訂第3版】

<礼拝メッセージ>(一部分)

 信仰は、神のみことばを選び取って、それに従うことです。滅びるのは、神のみことばを拒んで自分の知恵や人の言葉に従うからです。

 なぜ、エレミヤは異邦人のバビロンの王に服従するように勧め、彼(ゼデキヤ)にエルサレムの都を開放するように迫ったのでしょうか。このエレミヤの勧めは、ユダヤ民族の幸いを裏切り、少なくともユダヤ民族に不忠節ではないでしょうか。

 ところで神が、ネブカデネザルに世界制覇の権力を授け、徐々に万国を服従させたことは、エレミヤの初期の預言を通して明白に証明されています。25章9節、27章6節、ネブカデネザルは「神のしもべ」とさえ呼ばれています。彼に敵することは、神に敵することでした。

 このように、権力がバビロンの王の手に移ったのは、イスラエルが没落し、バビロンによって神の民に懲らしめの刑罰を加えるためでした。

 この時点までは、人類の歴史はアブラハムの子孫を中心に動いていました。しかし、この時点以後、人類の歴史に「異邦人の時代」が始まったのです。

 エレミヤが、ネブカデネザルへの服従を、ユダヤ人の民に勧告したのは、神の懲らしめを受け入れて、異邦人による統治の時代を受け入れさせ、神のあわれみを受けるためでした。

 申命記32章8節によれば、元来、万民はイスラエルを中心とし、配置されるべきでした。「いと高き方が、国々に、相続地を持たせ、人の子らを、割り当てられたとき、イスラエルの子らの数に従って、国々の民の境を決められた。」

 「神である主はこう仰せられる。『これがエルサレムだ。わたしはこれを諸国の民の真中に置き、その回りを国々で取り囲ませた。』」(エゼキエル書5:5)

 神はイスラエル民族を中心にして、その回りに群れをなすはずでした。それなのに、今や、この神のご計画は破壊され、変革され、長く抑制されてきた異邦人の勢力が台頭してきたのです。

 このことは、神のなさっておられることであり、ネブカデネザルへの服従は、神のご意志への服従を意味していたのです。

 エレミヤ書の預言の大部分は、エレミヤの時代に関しています。ユダとバビロンの王と民、捕囚とそれに伴う事は、エレミヤの時代に成就しています。しかし、遠い未来に関するものもあります。それは、ただエレミヤから見て、未来であるだけでなく、私たちの時代から見ても、未来のものが含まれています。これらの預言は、これから成就してくるものです。

 最後に、預言者エレミヤの死について、先に少し触れておきましたが、もう少しお話しておきます。

 エレミヤの死については、聖書は一言も述べていません。言い伝えのようにエジプトで石打の刑で殺されたのか、それとも忠実な友人のバルクに見守られながら、臨終の床で息を引き取ったのかもしれません。しかし、「主の聖徒たちの死は主の目に尊い。」(詩篇116:15)ですから、どのような死に方をしたかは、何も記していません。

 それは、最後の敵である死に打ち勝たれ、死を滅ばされたイエス・キリストの十字架の死と復活に光を当てるだけで、十分でしょう。

 神の最大の関心は、ご自分のしもべたちの生涯と、彼らが成し遂げた信仰の働きです。

 神にとっては、ご自分のしもべがどのように生き、何を語り、どのように苦しんだのかの方が、どのように息絶えたのかよりも、重要なのです。その人が、生涯どのように生きたのかの方が、その人の地上最後の時の様子よりも、重要なのです。…

 預言者エレミヤは、信仰と忍耐を持って、罪がもたらした荒廃した世界での霊の戦いを終え、破られることのない永遠の安息の国に移ったのです(テモテ第二、4:7~8)。

 エレミヤのたましいが、四十年以上にわたって苦難に耐えて来た朽ちるべき体から解放されて、「よくやった。良い忠実なしもべだ。主人の喜びをともに喜んでくれ。」と言う主のその日の御声を聞いたのです。

 回復したユダヤ人は、エレミヤに特別な尊敬の思いを抱いていました。彼らは、エレミヤが主イエスと同じように、彼らのために執り成していてくれると、確信していました。…

 エレミヤは今も、天にあって、こうしてエレミヤの信仰を学んできた私たちの、これからの生涯のために執り成していて下さることは確かです。そして、主の再臨の時、主イエス様とともに、私たちを迎えて下さいます。これで、エレミヤ書を終わります。

<今週の活用聖句>

マルコの福音書10章45節
「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」

<集会案内>
         
◇「志道会」 毎聖日礼拝後30分くらい
◇2020年1月1日 元旦礼拝 午前10時半
  主に礼拝をささげ、信仰を新たにして、新年を始めましょう。

地の塩港南キリスト教会
横浜市港南区上永谷5-22-2 TEL/FAX 045(844)8421