聖書の探求(032a) 創世記37章 ヨセフがエジプトに売られるまで

この章は父ヤコブのもとにおけるヨセフの生活と兄たちによってエジプトに売られるまでの出来事が記されています。

1.ヨセフに対する兄弟の憎悪(1~11節)

4、5、8節に「憎む」、11節に「ねたむ」という言葉が記されています。

創 37:4 彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。
37:5 あるとき、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。
37:8 兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。
37:11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。

(ヨセフが憎まれ、ねたまれた理由)

(a) ヨセフの正義感(告げ口)の故に(1,2節)

創 37:1 ヤコブは、父が一時滞在していた地、カナンの地に住んでいた。
37:2 これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、彼の兄たちと羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らといっしょにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。

2節から、ダン、ナフタリ、ガド、アシュル(35:25,26)などが共にいたことが分かります。ヨセフは彼らの悪行を父に告げたのです。

創 35:25 ラケルの女奴隷ビルハの子はダンとナフタリ。
35:26 レアの女奴隷ジルパの子はガドとアシェル。これらはパダン・アラムでヤコブに生まれた彼の子たちである。

主イエスも、この世の人々の悪事を指摘したために、彼らに憎まれました(ヨハネ7:7)

ヨハ 7:7 世はあなたがたを憎むことはできません。しかしわたしを憎んでいます。わたしが、世について、その行いが悪いことをあかしするからです。

(b) 父ヤコブの特別な愛の故に(3,4節)

創 37:3 イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた。
37:4 彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。

「そでつきの兵服」とは王衣のような特別の衣です。普通の衣は短い着物です。 ダビデの娘タマルは、そでつきの長服を着ていました(サムエル記第二13:18)。

Ⅱサム 13:18 彼女は、そでつきの長服を着ていた。昔、処女である王女たちはそのような着物を着ていたからである。召使いは彼女を外に追い出して、戸をしめてしまった。

主イエスも天の父に愛され、特別の衣、すなわち聖霊を着ておられました(マタイ3:16,17)。

マタ 3:16 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
3:17 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」

この王衣、すなわち聖霊を着た者は、自分の働きを止めて神に働いていただきますから、もはや労働服を着ないのです(ヘブル4:10)。

ヘブル 4:10 神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。

主イエスは、ただ人々の罪を示すばかりではなく、聖霊によって人々にできないことをしたので、人々にねたまれ、憎まれました。

(c) 神の選びの故に(5~11節)

ヨセフは夢を告げたために、ますます憎まれるようになりました(5節)。

創 37:5 あるとき、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。

(ヨセフの夢)

(1) 束のおじぎ(6~8節)

創 37:6 ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。37:7 見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」
37:8 兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。

ヨセフは兄弟たちの束が自分の束のまわりに立って、おがんだという夢を見て、これを話したので、兄たちからますます憎まれるようになりました。これはヨセフが兄弟たちを治める権威が与えられることを示していたからです。8節で、兄たちは「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」と言いましたが、主イエスの場合も同じです。「この人に、私たちの王にはなってもらいたくありません。」(ルカ19:14)というのは、人間の神に対する反逆心を示しています。

ルカ 19:14 しかし、その国民たちは、彼を憎んでいたので、あとから使いをやり、『この人に、私たちの王にはなってもらいたくありません』と言った。

主イエスが人々を治める権威があることを示せば示すほど、ますます人々は反逆心を現わし、主イエスを憎んだのです。

(2)日と月と十一の星が伏し拝む(9~11節)

創 37:9 ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです」と言った。
37:10 ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」
37:11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。

ヨセフは再び、日と月と十一の星が自分を拝んだ夢を見て、これを父と兄たちに話しました。父ヤコブは「私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」(10節)と言ってヨセフを叱りました。
ヤコブはヨセフの夢を十分に理解していませんでしたし、また兄たちはますますヨセフをねたみ、憎むようになりました。主イエスもユダヤ人に、特にパリサイ人にねたまれ、憎まれました。

2.ヨセフに対する父の依頼 (12~17節)

創 37:12 その後、兄たちはシェケムで父の羊の群れを飼うために出かけて行った。
37:13 それで、イスラエルはヨセフに言った。「おまえの兄さんたちはシェケムで群れを飼っている。さあ、あの人たちのところに使いに行ってもらいたい。」すると答えた。「はい。まいります。」
37:14 また言った。「さあ、行って兄さんたちや、羊の群れが無事であるかを見て、そのことを私に知らせに帰って来ておくれ。」こうして彼をヘブロンの谷から使いにやった。それで彼はシェケムに行った。
37:15 彼が野をさまよっていると、ひとりの人が彼に出会った。その人は尋ねて言った。「何を捜しているのですか。」
37:16 ヨセフは言った。「私は兄たちを捜しているところです。どこで群れを飼っているか教えてください。」
37:17 するとその人は言った。「ここから、もう立って行ったはずです。あの人たちが、『ドタンのほうに行こうではないか』と言っているのを私が聞いたからです。」そこでヨセフは兄たちのあとを追って行き、ドタンで彼らを見つけた。

ヤコブはヘブロンに住んでいましたが、彼はシェケムに土地を持ち、息子たちをシェケムで家畜を飼うために行かせていました。そこでヨセフを行かせて、彼らが仕事をきちんとしているかどうか調べさせたのです。兄たちはいつも悪事を働いていたからです。
このヨセフの役割はちょうど主イエスの役割と同じです。主イエスは父なる神よりご自身の民に遣わされました(ヨハネ1:11)。

ヨハ 1:11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。

しかし人間は主イエスを受け入れませんでした。また主イエスのたとえ話(ルカ20:9~16)では、ユダヤ人は神のぶどう園の収穫を自分のものにして、神に返すことをしなかったので、ひとりのしもべ(旧約の預言者たち)と愛する息子(主イエス)を収穫を受け取るために遺わされています。しかしどちらも受け入れられませんでした。

ルカ 20:9 また、イエスは、民衆にこのようなたとえを話された。「ある人がぶどう園を造り、それを農夫たちに貸して、長い旅に出た。
20:10 そして季節になったので、ぶどう園の収穫の分けまえをもらうために、農夫たちのところへひとりのしもべを遣わした。ところが、農夫たちは、そのしもべを袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。
20:11 そこで、別のしもべを遣わしたが、彼らは、そのしもべも袋だたきにし、はずかしめたうえで、何も持たせないで送り帰した。
20:12 彼はさらに三人目のしもべをやったが、彼らは、このしもべにも傷を負わせて追い出した。
20:13 ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』
20:14 ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』
20:15 そして、彼をぶどう園の外に追い出して、殺してしまった。こうなると、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。
20:16 彼は戻って来て、この農夫どもを打ち滅ぼし、ぶどう園をほかの人たちに与えてしまいます。」これを聞いた民衆は、「そんなことがあってはなりません」と言った。

ヨセフの行程は、ヘブロンの谷からシェケムヘ、そしてさらにドタンヘ行って兄たちと会っています。ヨセフがシェケムで兄たちを見つけることができなかった時、そこから父のもとに引き返さず、人にたずねてドタンにまで行ったのは、彼の忠実さを示しています。

3.ヨセフに対する兄弟の危害(18~28節)

(a) 兄たちの謀略(18~20節)

創 37:18 彼らは、ヨセフが彼らの近くに来ないうちに、はるかかなたに、彼を見て、彼を殺そうとたくらんだ。
37:19 彼らは互いに言った。「見ろ。あの夢見る者がやって来る。
37:20 さあ、今こそ彼を殺し、どこかの穴に投げ込んで、悪い獣が食い殺したと言おう。そして、あれの夢がどうなるかを見ようではないか。」

19節に、「あの夢見る者がやって来る」とあります。「夢見る者」とは、「夢の博士」という意味です。兄たちはヨセフを殺して、「あれの夢がどうなるかを見ようではないか。」と言いました。同じように、主イエスの時代のユダヤ人たちも主イエスを殺そうと計画しました(マタイ27:1、マルコ14:1、ルカ22:2、ヨハネ11:50~53)。

マタ 27:1 さて、夜が明けると、祭司長、民の長老たち全員は、イエスを死刑にするために協議した。

マル 14:1 さて、過越の祭りと種なしパンの祝いが二日後に迫っていたので、祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕らえ、殺すことができるだろうか、とけんめいであった。

ルカ 22:2 祭司長、律法学者たちは、イエスを殺すための良い方法を捜していた。というのは、彼らは民衆を恐れていたからである。

ヨハ 11:50 ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」
11:51 ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、
11:52 また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。
11:53 そこで彼らは、その日から、イエスを殺すための計画を立てた。

ヨセフの兄たちがヨセフの夢が成就しないように彼を殺そうと計ったように、ユダヤ人たちも王の王となるべく預言されていた主イエスを殺して、その預言が成就しないようにと計りました。

(b) ルベンの執り成し(22節)

創 37:22 ルベンはさらに言った。「血を流してはならない。彼を荒野のこの穴に投げ込みなさい。彼に手を下してはならない。」ヨセフを彼らの手から救い出し、父のところに返すためであった。

ルベンがなんとかしてヨセフを殺さずに救おうとしたのは、ピラトのような型です。

(c) 水のない穴(23,24節)

創 37:23 ヨセフが兄たちのところに来たとき、彼らはヨセフの長服、彼が着ていたそでつきの長服をはぎ取り、
37:24 彼を捕らえて、穴の中に投げ込んだ。その穴はからで、その中には水がなかった。

この穴は通常、井戸に使われているもので、いつもは水がありました。しかしヨセフが投げ込まれた時に、その穴に水がなかったのは神の摂理です。

(d) ユダの発案(25~27節)

創 37:25 それから彼らはすわって食事をした。彼らが目を上げて見ると、そこに、イシュマエル人の隊商がギルアデから来ていた。らくだには樹膠と乳香と没薬を背負わせ、彼らはエジプトへ下って行くところであった。
37:26 すると、ユダが兄弟たちに言った。「弟を殺し、その血を隠したとて、何の益になろう。
37:27 さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが彼に手をかけてはならない。彼はわれわれの肉親の弟だから。」兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。

ユダがヨセフを売ろうと提案したのは、一つは血を流すことを避けたいためと、もう一つは金銭を得るためでした。イスカリオテのユダが主イエスを売ったのも、金銭を得るためであったことが思い合わされます。
ヨセフは長服をはぎ取られ、穴の中に投げ込まれ(24節)、さらにエジプトに売られましたが、主イエスもその御衣をはぎ取られ(マタイ27:28)、ご自分の民に捨てられ、弟子のひとりイスカリオテのユダに売られました。

マタ 27:28 そして、イエスの着物を脱がせて、緋色の上着を着せた。

主イエスは銀貨三十枚で売られ(マタイ26:15)、ヨセフは銀二十枚で売られました。この金額はどちらも当時の奴隷一人の値段です。

マタ 26:15 こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。

(e) ミデヤン人とイシュマエル人の隊商の手に売られる(28節)

創 37:28 そのとき、ミデヤン人の商人が通りかかった。それで彼らはヨセフを穴から引き上げ、ヨセフを銀二十枚でイシュマエル人に売った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。

ミデヤン人はケトラによるアブラハムの子孫、イシュマエル人はハガルによるアブラハムの子孫です。おそらくこの隊商にはミデヤン人とイシュマエル人の両方がいたのでしょう。
ヨセフは兄たちによって同族の者に売られ、その同族の者からエジプト人に売られたように、主イエスも弟子のイスカリオテのユダによってユダヤ人に売られ、ユダヤ人によってローマ人に渡されたのです。このようなところまでヨセフと主イエスの出来事が符合するのは、驚くベき型です。

4.ヨセフに対する父の悲哀(29~36節)

(a) ルベンの失望(29,30節)

創 37:29 さて、ルベンが穴のところに帰って来ると、なんと、ヨセフは穴の中にいなかった。彼は自分の着物を引き裂き、
37:30 兄弟たちのところに戻って、言った。「あの子がいない。ああ、私はどこへ行ったらよいのか。」

ルベンはヨセフが売られる時、そこにいなかったようです。家畜の世話をしに行っていたのでしょう。彼は再び穴の所に帰ってきて、ヨセフを助けるつもりでした。そのヨセフが穴の中にいなかったので、彼はあわて、とまどいました。ルベンは長男でしたから、その責任を感じていたのかもしれません。他の兄弟たちはルベンにその真相を話していないようです。

(b) 兄たちの偽装(31,32節)

創 37:31 彼らはヨセフの長服を取り、雄やぎをほふって、その血に、その長服を浸した。
37:32 そして、そのそでつきの長服を父のところに持って行き、彼らは、「これを私たちが見つけました。どうか、あなたの子の長服であるかどうか、お調べになってください」と言った。

兄たちはヨセフの長服を雄やぎの血に浸して、ヨセフは野獣に殺されたことにしてしまいました。そして父ヤコブには、もはやヨセフが生きていないことを信じさせました。これはユダヤ人が、人々が主イエスの復活を信じないようにと、偽りの噂を吹聴したのと同じです(マタイ28:11~15)。

マタ 28:11 女たちが行き着かないうちに、もう、数人の番兵が都に来て、起こった事を全部、祭司長たちに報告した。
28:12 そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、
28:13 こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』と言うのだ。
28:14 もし、このことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」
28:15 そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる。

(c) 父ヤコブの悲しみ(33~35節)

創 37:33 父は、それを調べて、言った。「これはわが子の長服だ。悪い獣にやられたのだ。ヨセフはかみ裂かれたのだ。」
37:34 ヤコブは自分の着物を引き裂き、荒布を腰にまとい、幾日もの間、その子のために泣き悲しんだ。
37:35 彼の息子、娘たちがみな、来て、父を慰めたが、彼は慰められることを拒み、「私は、泣き悲しみながら、よみにいるわが子のところに下って行きたい」と言った。こうして父は、その子のために泣いた。

ヨセフはヤコブが最も愛した妻ラケルの生んだ子どもでした。ラケルの子にはほかにべニヤミンもいましたが、3節にもあるとおり、ヤコブは他の息子たちのだれよりもヨセフを愛していました。それだけにヤコブの悲しみは深刻でした。

(d) エジプトヘ(36節)

創 37:36 あのミデヤン人はエジプトで、パロの廷臣、その侍従長ポティファルにヨセフを売った

ヨセフはエジプトの地で侍従長ポティファルに売られました。「侍従長」は「死刑執行官の長」であったという説もあります。彼は39章でヨセフをすぐに王の監獄に入れることができましたから、そういう地位の人であったのかもしれません。もしそうなら、これもまた主イエスが十字架につけられるために渡された型とみることができましょう。
私たちも悪しきこの世にあっては、ヨセフの如く、キリストの如く、この世から憎まれるでしょう。それはこの世の人の罪を示すからです。主イエス様も愛だけを示していれば、憎まれなかったでしょう。しかし罪をも示されたので憎まれました。
ジョン・ウェスレーは、クリスチャンが潔めの恵みを失うのは、祈りを怠ることと、聖書の研究を怠ることと、世の人が罪を犯すのを責めないからであると言っています。
ヨセフの生涯は、キリストの型であるとともに、私たちの手本でもあります。

(以上、創世記37章、聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用しました。)

上の写真は、アメリカのthe Providence Lithograph Companyにより1907年に出版されたバイブルカードより、「Joseph Sold by His Brothers(ヨセフ兄弟たちによって売られた)」(Wikimedia Commonsより)

〔あとがき〕

霊的な慰めや励ましを求めている人は大勢います。そのために多くの霊想書が用いられていることは幸いなことです。しかしクリスチャンの信仰がここでとどまっているならミルクだけを飲んでいる幼な子と言われても仕方がないでしょう。ミルクが切れたら、再び泣き出す赤ちゃんでしかありません。クリスチャンはここから成長して、自分で聖書から主の御声を聞き、導きを受け、慰めや励ましを受けるように進んでいかなければなりません。
先日、私は教会員と一緒にハイキングに行きました。その時、私は三才の女の子と棒切れを握って電車ごっこをしながら山道を下りました。なんとその手は一時間以上も棒切れを私と一緒につかんで、ついにふもとまで歩き切ったのです。
私はこの時、一つのことを深く学びました。それは人間にとって必要なのは、わずかの手がかりと興味と一緒に歩んでくれる者がいるということです。私は今、このことを聖書の探求に当てはめて考えています。この冊子が皆さんの手がかりとなり、興味を引き立て、共に歩む者になってくれたら、と願っています。
(1986.11.1)

「聖書の探求」の目次