聖書の探求(049b) 出エジプト記11章 第十の災害、初子の死の宣告

11章には、第十の災害、すなわち、初子の死の宣告が記されています。そしてそれは、イスラエル人にとっては、解放間近の予告であったのです。

1節、
出 11:1 【主】はモーセに仰せられた。「わたしはパロとエジプトの上になお一つのわざわいを下す。そのあとで彼は、あなたがたをここから行かせる。彼があなたがたを行かせるときは、ほんとうにひとり残らずあなたがたをここから追い出してしまおう。

この時まで、イスラエル人には、いつエジプトから解放されるのか、全く知らされていませんでした。それ故、民はいらだっていたのでしょう。しかし神は直前になって、その時が間近であることを告げられました。

クリスチャンには、キリストの再臨の時は知らされていませんが、日々、信じて待ち望みたいものです。また苦難に対しても、その解放の時がはっきりと分からないと、いらだったりしますが、神を信じて、忍耐強く、その実現を待ち望みたいものです。(イザヤ40:31)

イザ 40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

2節、
11:2 さあ、民に語って聞かせよ。男は隣の男から、女は隣の女から銀の飾りや金の飾りを求めるように。」

イスラエル人は、エジプト人から銀や金の飾りを求めるように命じられています。
後に、これらの金銀は幕屋を作る材料に用いられましたが、また不信仰になった時は、アロンが金の子牛を作った時に用いました。私たちもこの世から金銀を得ますが、それを何に使うかは慎重でなければなりません。神から与えられたものは、神のために用いないと災になります。

また、これらの宝石は、四百年以上ものエジプトでの奴隷としての仕事の報酬であったとも言えましょう。報酬もまた、正しく用いないと災をもたらすことになります。クリスチャンはこの世の富に対して、神から委ねられた良き管理者でなければなりません。(マタイ25:21)

マタ 25:21 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

3節、
11:3 【主】はエジプトが民に好意を持つようにされた。モーセその人も、エジプトの国でパロの家臣と民とに非常に尊敬されていた。
この時、イスラエル人はエジプト人に好意を持たれるように、またモーセも非常に尊敬されるように、主は取り計らわれました。四十才の時のモーセは、自らを大いなる者と考えていました(使徒7:23~25)が、その時は自分の学問と才能と体力に拠り頼んでいたために敗北をしてしまいました。

使 7:23 四十歳になったころ、モーセはその兄弟であるイスラエル人を、顧みる心を起こしました。
7:24 そして、同胞のひとりが虐待されているのを見て、その人をかばい、エジプト人を打ち倒して、乱暴されているその人の仕返しをしました。
7:25 彼は、自分の手によって神が兄弟たちに救いを与えようとしておられることを、みなが理解してくれるものと思っていましたが、彼らは理解しませんでした。

しかし今や、全く神に拠り頼み、神に従った時、神が彼を大いなる者としてくださったのです。これは神がなさったことです。神を信じて畏れて生活している人は、他人からとやかく言われつつも、その真実さと、その人のことを本当に思って警告している故に、必ず、好意と尊敬を受けるようになるのです。

4~8節は、モーセがパロに対して語った、エジプトの初子が死ぬという第十番目の災の警告です。

11:4 モーセは言った。「【主】はこう仰せられます。『真夜中ごろ、わたしはエジプトの中に出て行く。
11:5 エジプトの国の初子は、王座に着くパロの初子から、ひき臼のうしろにいる女奴隷の初子、それに家畜の初子に至るまで、みな死ぬ。
11:6 そしてエジプト全土にわたって、大きな叫びが起こる。このようなことはかつてなく、また二度とないであろう。』
11:7 しかしイスラエル人に対しては、人から家畜に至るまで、犬も、うなりはしないでしょう。これは、【主】がエジプト人とイスラエル人を区別されるのを、あなたがたが知るためです。
11:8 あなたのこの家臣たちは、みな、私のところに来て伏し拝み、『あなたとあなたに従う民はみな出て行ってください』と言うでしょう。私はそのあとで出て行きます。」こうしてモーセは怒りに燃えてパロのところから出て行った。

神の刑罰の御手が直接、人間に下されるのは、一連の災の中でこれが最初にして最後です。これはパロの頑さの故です。頑(かたくな)であることは、最も厳しい裁きを受けるものと、覚悟しなければなりません。

9節、
11:9 【主】はモーセに仰せられた。「パロはあなたがたの言うことを聞き入れないであろう。それはわたしの不思議がエジプトの地で多くなるためである。」

パロの頑(かたくな)さは、結局、エジプト人やイスラエル人ばかりでなく、今日に至るまで
のすべての人類に、神の正義と神の権威を示すための原因となってしまったのです。

10節は、第九の災の締括りのことばであり、これまでと同じ内容が繰り返されています。
11:10 モーセとアロンは、パロの前でこれらの不思議をみな行った。しかし【主】はパロの心をかたくなにされ、パロはイスラエル人を自分の国から出て行かせなかった。

実に、神のみわざを待ち望むためには、私たちは忍耐に忍耐を重ねて、同じことを何度も何度も乗り越えなければならないのです。

しかしまた、神のご計画は、人がいかに拒んでも必ず成就されます。それ故に、神のみことばを信じて、困難なことでもすべてを行なわなければなりません。(ピリピ2:14)

ピリ 2:14 すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。

(まなべあきら 1988.4.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の写真は、オランダの画家Lawrence Alma-Tadema(1836–1912) により描かれた「Death of the Pharaoh’s Firstborn Son(パロの初子の死)」オランダ、アムステルダムのthe Rijksmuseum Amsterdam(アムステルダム国立美術館)蔵、Wikimedia Commonsより


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