音声:信仰の列伝(29) かわいた地を行く へブル人への手紙11章29節

2017年2月26日 (日) 午前10時半
礼拝メッセージ  眞部 明牧師

へブル人への手紙11章29節
11:29 信仰によって、彼らは、かわいた陸地を行くのと同様に紅海を渡りました。エジプト人は、同じようにしようとしましたが、のみこまれてしまいました。

<インフォメーション>

「同じようにしたが、」に注目したい。形だけ同じように真似しても、結果は同じにはならない。エジプト軍は滅んだのです。

人が学んだり、訓練を受けたりする時、お手本を真似ることから始めるかもしれません。しかし、その時でも、形だけ真似していたのでは、真理は会得できません。霊的真理を求める、強い探求心が必要です。

説教を真似したり、祈りのことばやスタイルを真似したり、働きや、儀式や行事を真似したり、人の集め方を真似したり、私に人の集め方を教えてくれる人もいます。この世は、あの手この手を使って、業績を上げる方法を駆使しています。それを真似する人もいます。

外国で盛んになっている音楽を、すぐに教会に取り入れる人もいます。それらが全部、いけないわけではないでしょうが、形だけ真似していると、だれも真に救われていない、きよめられてもいない、滅びてしまうことになりかねません。

いまだに、洗礼を受けているだけで救われていると思い込んでいたり、教会に行っているだけで、たましいの内にキリスト経験がないのに、天国に行けると思っている人が少なくありません。

ある人から電話がかかってきて、こう言われたのです。「救われる為の実際方法」という本を読んだのですが、これによって、私は、まだ救われていないことが分かりました。今まで、もやもやしていたことが晴れて、キリストを受け入れました、と言つておられました。

またある教会の先生は、「うちの教会員には、救いがはっきりしていない人がいるのではないかと思うので、『救われる為の実際方法』を全員に読ませます。」と言われました。

これは、霊的に危機感を感じておられる人たちのことですが、大方の教会員は、他人の真似をしているだけではないでしょうか。自分ではっきり、正確に、キリストの真理をつかんでいるでしょうか。

最初は、多少、他人の真似をすることから始めても、いつまでも、真似を続けていてはいけません。
何故でしょうか。

真似は、本当にキリストの真理を体験した信仰ではないからです。

外側は、信仰の行ないのように見えていても、心の内側はただの知識や、見栄や、高慢からやっていることも少なくないからです。

<今週の活用聖句>

ヤコブの手紙1章22節
「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」

写真は、アメリカのthe Providence Lithograph Companyによって1907年に出版されたBible cardのイラスト「Israel’s Escape from Egypt(イスラエルの民のエジプトからの脱出)」 (Wikimedia Commonsより)

地の塩港南キリスト教会
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