聖書の探求(134) 申命記3章 バシャンの王オグに勝利、二部族半への分与、モーセに主のご命令

上の版画は、Johann Balthasar Probstが1770年頃に描いた「the bed of Og as described in Deuteronomy 3:11(申命記3章11節に記されているオグの寝台)」(Wikimedia Commonsより)


この章では、バシャンの王オグとの戦いから、二部族半への産業の分与、モーセがヨルダン川を渡れないという主のご命令を受けるところまでのことを記しています。

1~11節、バシャンの王オグに対する勝利

バシャンの王オグは、シホンよりもさらに強敵でした。しかし主の前には、エジプトのパロも、ヘシュボンのシホンも、バシャンのオグも、アッシリヤのセナケリブも、バビロンのネブカデネザルも、いかなるこの世の王も、権力者も、敵対することができなかったのです。

「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(ヨシュア記1:5)

「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8:31)

神の民イスラエルはこのことを実証したのです。私たちもぜひ、このことを自ら体験して実証させていただきたい。

オグの領地はシホンの領地の北側まで伸びてきていました。オグは恐るべき戦闘家であり、彼は巨人レファイム出身(11節)で、その寝台の大きさを見ても分かるように、長さは九キュビト(約四メートル)、幅は四キュビト(約1.8メートル)です。

申 3:11 ──バシャンの王オグだけが、レファイムの生存者として残っていた。見よ。彼の寝台は鉄の寝台、それはアモン人のラバにあるではないか。その長さは、規準のキュビトで九キュビト、その幅は四キュビトである──

3節、しかし主は、オグとその民とその地を、すべてイスラエルの手に渡したと言われました。

申 3:1 私たちはバシャンへの道を上って行った。するとバシャンの王オグとそのすべての民は、エデレイで私たちを迎えて戦うために出て来た。
3:2 そのとき、【主】は私に仰せられた。「彼を恐れてはならない。わたしは、彼と、そのすべての民と、その地とを、あなたの手に渡している。あなたはヘシュボンに住んでいたエモリ人の王シホンにしたように、彼にしなければならない。」
3:3 こうして私たちの神、【主】は、バシャンの王オグとそのすべての民をも、私たちの手に渡されたので、私たちはこれを打ち殺して、ひとりの生存者をも残さなかった。

かつて、イスラエル人はカデシュでこのような巨人を見た時、恐れて逃げ出したのでした(民数記13:28~14:4)。

民 13:28 しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました。
13:29 ネゲブの地方にはアマレク人が住み、山地にはヘテ人、エブス人、エモリ人が住んでおり、海岸とヨルダンの川岸にはカナン人が住んでいます。」
13:30 そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」
13:31 しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」
13:32 彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。
13:33 そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」
14:1 全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。
14:2 イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼らに言った。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。
14:3 なぜ【主】は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」
14:4 そして互いに言った。「さあ、私たちは、ひとりのかしらを立ててエジプトに帰ろう。」

ここでも、不信仰になっていれば、オグを恐れて逃げ出していたことでしょう。しかし今回、イスラエル人は神の約束とシホンに対する勝利の経験に刺激されて、オグとの戦いを完全に打ち破りました。

ここに、二つの教訓があります。

一つは、いつでも神の約束を信じて従うなら、相手が強敵であっても、必ず勝利が得られること(コリント第二10:4~6)。

Ⅱコリ 10:4 私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。
10:5 私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、
10:6 また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。

「それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。最後の敵である死も滅ぼされます。」(コリント第一15:24~26)

もう一つは、過去の経験をいかに活かすかということです。
過去の矢敗を恐れているなら、それは頽廃(たいはい)のしるしです。逆に、過去の勝利の故に、高慢になって自分の力で、再び勝てると思っているなら、これも敗北のしるしです。過去の経験から、信仰を学びとって、それを活かすことが、将来の勝利と成功の秘訣です。学んだみことばを日常の生活の中で忍耐強くコツコツと実行し、活用すること以上に、信仰に成長し、強くなり、勝利を得る道は外にありません。毎日、小さい勝利でも、積み重ねていく必要があるのです。信仰による勝利の経験の乏しい人は、一寸した課題にぶつかっただけで、恐れて、不信仰に陥(おちい)りやすいのです。

このオグに対する勝利も、主がオグを渡されたからであって、勝利の要因は主にあります。しかしそれは、神の民が信仰によって、主のみことばに従うことによって与えられました。勝利には必ず、神の側のお約束と、私たちの側の信仰の服従が必要なのです。

4、5節、イスラエルが占領した領域は、非常に広大でした。これはオグの権力がいかに強力なものであったかを示しています。

申 3:4 そのとき、私たちは彼の町々をことごとく攻め取った。私たちが取らなかった町は一つもなかった。取った町は六十、アルゴブの全地域であって、バシャンのオグの王国であった。
3:5 これらはみな、高い城壁と門とかんぬきのある要害の町々であった。このほかに、城壁のない町々が非常に多くあった。

この町々は、高い城壁と門とかんぬきのある要害でした。かつてイスラエル人はこれらを見て、恐れ、不信仰になりました。しかし、ここで、主に全く信頼して戦うなら、このように不可能に見えた町々と巨人の王を打ち破ることができたのです。

今日まで、キリスト教会とクリスチャンが、この日本の町々と人々をキリストの救いのうちに勝ち取ることができないでいるのは、実に主に全く信頼してこなかったからにほかなりません。その時代、その時代の風潮に、教会の指導者たちとクリスチャンが押し流されてきたからです。そしてその傾向は、今も続いています。日本の教会はまだ、一度もこの世に対して大勝利を得たことがありません。しかし主に全く信頼して、みことばに忠実な、忍耐強い信仰の戦いを続けるなら、必ず主が勝たせてくださいます。

6節は、2章34節と同じで、厳しすぎるように見えます。

申 3:6 私たちはヘシュボンの王シホンにしたように、これらを聖絶した。そのすべての町々──男、女および子ども──を聖絶した。

申 2:32 シホンとそのすべての民が、私たちを迎えて戦うため、ヤハツに出て来たとき、
2:33 私たちの神、【主】は、彼を私たちの手に渡された。私たちは彼とその子らと、そのすべての民とを打ち殺した。
2:34 そのとき、私たちは、彼のすべての町々を攻め取り、すべての町々──男、女および子ども──を聖絶して、ひとりの生存者も残さなかった。

しかし、人は最も高貴な生き方もできれば、最も堕落した脅威を生み出す危険もあるのです。それ故、人の罪の性質は完全に根絶しなければなりません。

7節、物や家畜も、人の心に貧欲を呼び起こして堕落させる危険があります。

申 3:7 ただし、すべての家畜と、私たちが取った町々で略奪した物とは私たちのものとした。

物や家畜や富は、その用い方と用いる動機によるのです。クリスチャンは多くのものを得、多くのものを蓄え、さらに多くのものを、主のために使って、主の栄光を現わすべきです。

「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」(コリント第一6:20)

「さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。」(コリント第二8:1~5)

なんという栄光に満ちた、うるわしいあかしでしょうか。私たちも主の愛に満たされて、主の栄光を現わす生活を日ごとに送りたいものです

8~10節は、イスラエル人が占領したシホンとオグの領地の範囲を記しています。

申 3:8 このようにして、そのとき、私たちは、ふたりのエモリ人の王の手から、ヨルダンの向こうの地を、アルノン川からヘルモン山まで取った。
3:9 ──シドン人はヘルモンをシルヨンと呼び、エモリ人はこれをセニルと呼んでいる──
3:10 すなわち、高原のすべての町、ギルアデの全土、バシャンの全土、サルカおよびエデレイまでのバシャンのオグの王国の町々である。

それはモアブの境界線のアルノン川から、北方のヘルモン山までの、南北約二百KM、東西は地中海からアモン人の領地の境界までです。
すなわち、高原のすべての町、ギルアデ、バシャンのすばらしい牧草地の全土、王の都エデレイも獲得しました。

私たちは、主による勝利を小さく考えていないでしょうか。

「だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか。」(ゼカリヤ書4:10)

「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(マタイ25:40)

もし、あなたが自分の力と自分の可能性の上に立って考えているのであれば、主による信仰の勝利を経験することができません。このことを打ち破らないと、この日本における福音の勝利は実現しません。私たちもまた、シホンやオグと戦うのです。しかも、この二人の王に対するイスラエルの勝利は、これからのカナン占領のための戦いの手始であることを忘れてはなりません。それ故、この戦いにおいて、十分に勝利の秘訣を身につけておかなければならないのです。

12~29節、モーセの希望

この箇所には、大きく三つのことが書いてあります。

第一は、12~20節で、ルベンとガドとマナセの半分の所有地について
第二は、21~22節で、新しい指導者ヨシュアヘの命令
第三は、23~29節で、主に対するモーセの懇願です。
12~20節、ルベンとガドとマナセの半分の所有地について

申 3:12 この地を、私たちは、そのとき、占領した。アルノン川のほとりのアロエルの一部と、ギルアデの山地の半分と、その町々とを私はルベン人とガド人とに与えた。
3:13 ギルアデの残りと、オグの王国であったバシャンの全土とは、マナセの半部族に与えた。それはアルゴブの全地域で、そのバシャンの全土はレファイムの国と呼ばれている。
3:14 マナセの子ヤイルは、ゲシュル人とマアカ人との境界までのアルゴブの全地域を取り、自分の名にちなんで、バシャンをハボテ・ヤイルと名づけて、今日に至っている。
3:15 マキルには私はギルアデを与えた。
3:16 ルベン人とガド人には、ギルアデからアルノン川の、国境にあたる川の真ん中まで、またアモン人の国境ヤボク川までを与えた。
3:17 またアラバをも与えた。それはヨルダンを境界として、キネレテからアラバの海、すなわち、東のほうのピスガの傾斜地のふもとにある塩の海までであった。

ルベンとガドはヨルダンの東の最も良い部分を与えられました。アルノン川とヤボク川の間の地です。そこはそれほど広い地ではないけれども、最も良い地です。
その北側のギルアデの残りとバシャンの全土はマナセの半分に与えられました。「バシャン」とは、「多産」を意味します。シャンの牧場は豊かさで知られていました。マナセの子ヤイルは、この地を「ハボテ・ヤイル(ヤイルのテント村)」と名付けました(14節)。
15節の「マキル」は、マナセの指導者の名前か、マナセ部族の別名であったと思われます。
この二部族半は、ヨルダン川の東側のキネレテから死海までの全域を、その所有地として与えられました。

18~20節、しかし彼らはその地を所有する前に、イスラエル全部族のためにヨルダン川を渡って、戦わなければなりませんでした。

申 3:18 私はそのとき、あなたがたに命じて言った。「あなたがたの神、【主】は、あなたがたがこの地を所有するように、あなたがたに与えられた。しかし、勇士たちはみな武装して、同族、イスラエル人の先に立って渡って行かなければならない。
3:19 ただし、あなたがたの妻と子どもと家畜は、私が与えた町々にとどまっていてもよい。私はあなたがたが家畜を多く持っているのを知っている。
3:20 【主】があなたがたと同じように、あなたがたの同族に安住の地を与え、彼らもまた、ヨルダンの向こうで、あなたがたの神、【主】が与えようとしておられる地を所有するようになったなら、そのとき、あなたがたは、おのおの私が与えた自分の所有地に帰ることができる。」

神の民としての責任と義務を果たした後に、その地を所有することができるのです。ただし、19節で、妻と子どもと家畜は、その地にとどまることが許されています。とかく先に特権を受けてしまうと、自分の特権にしがみついて、もはや他の人の課題や戦いには心を向けなくなり、無関心になり、戦いに加わりたくないと思うのが人間です。しかし先に特権を受けた二部族半も、残りの他の部族と同時に、その特権に与(あず)かるべきなのです。

私たちも「自分さえよければ、それでよし。」というクリスチャンにならずに、「自分のことだけではなく、他の人のことも顧み」る(ピリピ2:4)クリスチャンになりたいものです。

20節の 「安住の地」は、「安息の地」、「約束の地」のことです。二部族半には、土地の所有は約束されましたが、敵との戦いからの安息は、まだ将来のことでした。

「今すでに、あなたがたの神、主は、あなたがたの同胞に約束したように、彼らに安住を許された。今、主のしもベモーセがあなたがたに与えたヨルダン川の向こう側の所有地、あなたがたの天幕に引き返して行きなさい」(ヨシュア記22:4)

クリスチャンは信仰によって神の国が約束されていますが、この地上生活の間は、サタンとこの世とに対する戦いは続くのです。

「信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。」(テモテ第一6:12)

「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」(テモテ第二4:7)

「それは、あなたがあの預言によって、信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜くためです。」(テモテ第一1:18)

このカナン攻略の完全な終了は、ダビデとソロモンによってもたらされました。しかし霊的安息はイエス・キリストによって、豊かに成就されています。

「神の安息にはいった者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者がひとりもいないようにしようではありませんか。」(ヘブル4:10,11)

21,22節、新リーダーのヨシュアのことが取り上げられています。

申 3:21 私は、そのとき、ヨシュアに命じて言った。「あなたは、あなたがたの神、【主】が、これらふたりの王になさったすべてのことをその目で見た。【主】はあなたがたがこれから渡って行くすべての国々にも、同じようにされる。
3:22 彼らを恐れてはならない。あなたがたのために戦われるのはあなたがたの神、【主】であるからだ。」

ヨシュアは、イスラエル軍の司令官として(出エジプト記17:9)

出 24:13 そこで、モーセとその従者ヨシュアは立ち上がり、モーセは神の山に登った。

モーセの従者として(出エジプト記24:13、民数記11:28)記されています。

民 11:28 若いときからモーセの従者であったヌンの子ヨシュアも答えて言った。「わが主、モーセよ。彼らをやめさせてください。」

ヨシュアに対するモーセの信任は、申命記1章38節、同31章3節、民数記27章18~23節に記されています。

申 1:38 あなたに仕えているヌンの子ヨシュアが、そこに、入るのだ。彼を力づけよ。彼がそこをイスラエルに受け継がせるからだ。

申 31:3 あなたの神、【主】ご自身が、あなたの先に渡って行かれ、あなたの前からこれらの国々を根絶やしにされ、あなたはこれらを占領しよう。【主】が告げられたように、ヨシュアが、あなたの先に立って渡るのである。

民 27:18 【主】はモーセに仰せられた。「あなたは神の霊の宿っている人、ヌンの子ヨシュアを取り、あなたの手を彼の上に置け。
27:19 彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、彼らの見ているところで彼を任命せよ。
27:20 あなたは、自分の権威を彼に分け与え、イスラエル人の全会衆を彼に聞き従わせよ。
27:21 彼は祭司エルアザルの前に立ち、エルアザルは彼のために【主】の前でウリムによるさばきを求めなければならない。ヨシュアと彼とともにいるイスラエルのすべての者、すなわち全会衆は、エルアザルの命令によって出、また、彼の命令によって、入らなければならない。」
27:22 モーセは【主】が命じられたとおりに行った。ヨシュアを取って、彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、
27:23 自分の手を彼の上に置いて、【主】がモーセを通して告げられたとおりに彼を任命した。

モーセはヨシュアを自分の後継者にする心づもりで、ずっと育てて、指導してきたのです。そして主もまた、ヨシュアをモーセの後継者として任命されました。人間の指導者がいくらそのつもりになっていても、主がその人に聖霊を注いで任命されるのでなければ、立場上、職業上の牧師にはなれても、真に主のお役に立てる霊的リーダーになることはできません。
使徒の働き1章で、ペテロたちは十二使徒から脱落したユダの代わりに、くじでマッテヤを選びましたが、主がお選びになったのは、その時はまだ迫害者だったタルソのサウロです。

こうして神の働きをする霊的リーダーは、人間の指導者の信任と訓練とともに、主の御霊による召命が必要なのです。この二つが一致する時、主はその人を神の器として用いてくださいます。

ヨシュアは軍務についてはすぐれた人でしたが、霊的指導者としては今一つ、欠けたところを感じさせる人物です。と言っても、だれもヨシュアを非難できる人はいないと思いますが、しかしヨシュアに霊的不足を感じるのは、どうも、モーセのような長い年月のミデヤンの荒野での訓練のような訓練を受けていなかったからではないかと思われます。

イスラエルの初代の王サウルも、ほとんど苦難の訓練を受けないまま王になりましたから、やがて高慢になり、主に対して不従順になり、主に捨てられてしまう結果に終わってしまったのです。

神の人となる人は、ただ神学校を卒業するだけでなく、苦難の学校で訓練を受ける必要があるのではないでしょうか。苦難は信仰によって受けとめるなら、神学校で学ぶ以上のことを私たちに教え、悟らせ、身につけさせてくれるのです。

ここでモーセはヨシュアに、リーダーとして必要なことを、三つ教えています。

申 3:21 私は、そのとき、ヨシュアに命じて言った。「あなたは、あなたがたの神、【主】が、これらふたりの王になさったすべてのことをその目で見た。【主】はあなたがたがこれから渡って行くすべての国々にも、同じようにされる。
3:22 彼らを恐れてはならない。あなたがたのために戦われるのはあなたがたの神、【主】であるからだ。」

一、過去の勝利をよく覚えること、それが神による勝利であることを覚えること。

このことは出エジプト記17章のアマレクとの戦いの時にも命じられています。
「このことを記録として、書き物に書きしるし、ヨシュアに読んで聞かせよ。」  (出エジプト記17:14)
ここでは、シホンとオグに対する勝利を覚えるように命じられています。

二、信仰の条件を果たしているなら、主は将来においても助けてくださることを確認すること。
三、恐れずに、勇気を持つこと。

これらの命令は、その直後に、戦いをひかえていたヨシュアには必要な命令でした。私たちも、さらに大きな戦いに入っていかなければなりませんから、これらの命令に心をとめて、活用しなければなりません。

「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)

「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(ヨハネ第一5:45)

23~28節、最後に、モーセ自身の懇願について記しています。

申 3:23 私は、そのとき、【主】に懇願して言った。
3:24 「神、主よ。あなたの偉大さと、あなたの力強い御手とを、あなたはこのしもべに示し始められました。あなたのわざ、あなたの力あるわざのようなことのできる神が、天、あるいは地にあるでしょうか。
3:25 どうか、私に、渡って行って、ヨルダンの向こうにある良い地、あの良い山地、およびレバノンを見させてください。」
3:26 しかし【主】は、あなたがたのために私を怒り、私の願いを聞き入れてくださらなかった。そして【主】は私に言われた。「もう十分だ。このことについては、もう二度とわたしに言ってはならない。
3:27 ピスガの頂に登って、目を上げて西、北、南、東を見よ。あなたのその目でよく見よ。あなたはこのヨルダンを渡ることができないからだ。
3:28 ヨシュアに命じ、彼を力づけ、彼を励ませ。彼はこの民の先に立って渡って行き、あなたの見るあの地を彼らに受け継がせるであろう。」
3:29 こうして私たちはベテ・ペオルの近くの谷にとどまっていた。

モーセは、自分も神の約束の地に入って行きたいという希望を隠さずに訴えています。モーセは、カナンの地に渡って行くことと、見ることの二つを、主に願いました。主は前者を拒否され、後者を許可されました。

26節で、モーセ自身は自分が神の約束の地に入って行くことのできない理由を語っていますが、主はもはや、そのことを問題にはしておられません。

3:26 しかし【主】は、あなたがたのために私を怒り、私の願いを聞き入れてくださらなかった。そして【主】は私に言われた。「もう十分だ。このことについては、もう二度とわたしに言ってはならない。

おそらく主は、モーセが、カナンの地での戦いには耐えられないと思われたのでしょう。主はモーセを、もうこれ以上激しい戦いには会わせたくなかったのです。それ故、「もう十分だ。このことについては、もう二度とわたしに言ってはならない。」と言われました。しかしモーセは、イスラエル人が占領すべき約束の地をつぶさに見ることによって、その栄光を幾分か味わうことが許されました。

いかにすぐれた聖徒の生涯をもってしても、主のみわざの極く一部分を成し遂げるに過ぎないことを深く思わされます。それ故、へりくだって、自分に与えられた恵みと能力と時間を最高に活用して奉仕したいものです。

「あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい。」(ルカ17:40)

28節、モーセに残された最後の仕事は、新しいリーダーとなるヨシュアを力づけ、励ますことでした。

3:28 ヨシュアに命じ、彼を力づけ、彼を励ませ。彼はこの民の先に立って渡って行き、あなたの見るあの地を彼らに受け継がせるであろう。」

霊的リーダーとなる後継者を見つけ出し、訓練して育てて一人前にすることくらい難しい仕事はありません。もし自分より少しでも霊的にすぐれた後継者を育てることができたら、最高の仕事を成し遂げたことになります。

ここに偉大なリーダーの交代時期が来たことを見ます。どんなにすぐれた偉大なリーダーでも、必ず交代時期が来ることを覚えて、常に後継者を育てることに力を注いでいなければなりません。この点で、今日の教会は、備えが非常に不十分ではないかと思います。

29節のベテ・ペオルは、ペオルの家(神殿)を意味し、ここでイスラエルの民は由由しい罪を犯しました(民数記25章、詩篇106:28~31)。

3:29 こうして私たちはベテ・ペオルの近くの谷にとどまっていた。

詩 106:28 彼らはまた、バアル・ペオルにつき従い、死者へのいけにえを食べた。
106:29 こうして、その行いによって御怒りを引き起こし、彼らの間に神罰が下った。
106:30 そのとき、ピネハスが立ち、なかだちのわざをしたので、その神罰はやんだ。
106:31 このことは、代々永遠に、彼の義と認められた。

モーセはこの近くに葬られたものと思われます。この後、モーセが登場してくるのは、主イエスの変貌の山で、エリヤと共に現われます(マタイ17:3、ルカ9:30)。

マタ 17:3 しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。

ルカ 9:30 しかも、ふたりの人がイエスと話し合っているではないか。それはモーセとエリヤであって、

ここで彼らは、主イエスがエルサレムで十字架にかかられたことについて話す特権にあずかっています。それは、ここで見たカナンの地よりも、さらにもっとすばらしい神の栄光の約束だったのです。

あ と が き

イエス様の復活、おめでとうございます。
今も、復活してくださった、生けるイエス様を内に宿すことが許され、やがて身も魂も栄化させていただける大いなる特権にあずからせていただけることは、私の無上の喜びです。
この喜びは皆様も同じことと思います。そして同じ喜びを持っておられる方々と、ともにお交わりできることがキリストのからだである教会ですし、神の宮でもあります。私は、読者の皆様の中には、地上では一度もお会いすることができない方々もいらっしゃると思いますが、御国ではすぐに分かります。その時は、よろしくお願い致します。
このすばらしいイエス様の復活のいのちをご一緒に讃美しつつ、なお地上における信仰の戦いを続けさせていただきましょう。
「キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」(ロマ8:11)

(まなべあきら 1995.5.1)
(聖書箇所は【新改訳改訂第3版】を引用。)

上の写真は、イスラエルのティムナ渓谷に造られた幕屋の実物大模型(2013年の訪問時に撮影)


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